第13話 聖女に渡したい、渡せない僕は手伝い
翌週の放課後。生徒会室の前の廊下は、いつもより少しだけ空気が澄んでいる気がした。
理由は単純だ。ここには天道玲奈がいる。学園の聖女様が。
「……いいか、シルフィ。落ち着けよ。渡すだけだ。『いつもありがとうございます』って言って、渡して、終わり」
「わ、わかっておる。貴様は私を誰だと思っている。エルフの誇りにかけて、完璧な所作で――」
そう言って胸を張ったシルフィの手が、震えていた。
ラッピング袋を握りしめる指先が、小刻みに揺れている。
「……手、ぷるぷるしてるぞ」
「してない! これは武者震いだ! 狩りの前はいつもこうだ!」
「獲物扱いするな」
僕はため息をつきながら、生徒会室の扉を見た。
中からは紙の擦れる音と、誰かの足音。今なら玲奈は一人かもしれない。
「行ける。今だ」
「う、うむ……」
シルフィが一歩、踏み出した。
二歩目で止まった。
「……ハルトよ」
「何?」
「もし、もしもだ。玲奈様がこの貢物を受け取られなかった場合……」
「受け取るよ。天道さんは優しいし」
「優しいからこそ、断る時も優しいのだ。優しさは時に人を殺す……」
「やめろ、言い方が重い」
シルフィは顔を真っ赤にして、ラッピング袋を抱きしめた。
あんなに偉そうなくせに、こういうところだけ繊細すぎる。
「……じゃあさ」
僕は小さく息を吸って、言った。
「僕が一緒に行く。隣に立ってるだけ。口は出さない」
「……ほ、本当か?」
「本当。ほら、背中押してやる」
「押すな! 心の準備が――」
その瞬間、扉が内側から開いた。
「――あら」
そこにいたのは天道玲奈だった。
腕に書類を抱え、眼鏡は外している。いつもの完璧な笑顔の、少しだけ柔らかいバージョン。
「鈴木くんと、白森さん。どうしたの? こんなところで」
シルフィの表情が、完全に固まった。
目は見開かれ、口は半開き。魂が三歩くらい後ろに下がっている。
「れ、れ、れ……」
「玲奈様、こんにちは。……あの、これ……」
出だしは良かった。
シルフィがラッピング袋を差し出す。震えはあるが、逃げていない。
……なのに。
「こ、これ! 毒ではありません!!」
「は?」
僕の声と、玲奈の声が綺麗に重なった。
「ち、違う! 毒ではないというのは比喩で……いや比喩でもなく……つまり、安心して食べられるという意味で……!」
「……ふふっ」
玲奈が口元を押さえて笑った。
怒っていない。むしろ楽しそうだ。なのに、シルフィは今にも倒れそうな顔をしている。
「白森さんって、本当に面白いのね」
「お、お褒めに預かり……いえ、違っ……」
玲奈は優雅に手を伸ばして、ラッピング袋を受け取った。
「ありがとう。開けてもいい?」
「ど、どうぞ! どうか! 慈悲を!」
「慈悲?」
玲奈は小さく首を傾げながら、袋を開けた。
中から出てきたのは、綺麗なきつね色のクッキー――と、形が妙にいびつなものがいくつか。
玲奈はそれを見て、目を細めた。
「手作り、よね。すごい」
「はい! 私が……私が、全身全霊で……!」
シルフィは胸を張った。
そして僕を、チラッと見た。ほんの一瞬だけ。
玲奈はその視線を見逃さなかったようで、僕の方を向く。
「鈴木くんも、手伝ってくれたの?」
「えっ、いや……」
否定しかけた口が止まった。
手伝った。がっつり手伝った。むしろ焼き加減は僕だ。
でも、ここで僕が出しゃばって「僕が焼きました」なんて言ったら、シルフィの“聖戦”が台無しになる。
僕は咄嗟に、ちょうどいい(と思いたい)ラインを探した。
「……少しだけ。火傷したら危ないんで」
「ふふ。なるほどね」
玲奈は、わかってるのか、わかってないのか分からない笑みを浮かべた。
「二人で作ったんだ。いいなぁ」
「ち、違います! 私は――」
シルフィが慌てる。
その慌て方が、どう見ても「仲良しカップルが照れてる」っぽいのが致命的だった。
玲奈はクッキーを一つ、選んで指先でつまんだ。
ほんの少しだけ迷っているような間があって――そして口に運ぶ。
サクッ。
「……おいしい」
その一言で、シルフィの表情が崩れた。
泣きそうな顔で、でも必死に耐えて、でも耐えきれなくて、ふにゃっと笑う。
「ほ、本当ですか……?」
「うん。すごく。……心がこもってる味がする」
玲奈のその言い方が、ずるいと思った。
優しいのに、近づけそうで近づけない距離を作る言い方だ。聖女っていうか、手慣れてるというか。
シルフィは耐えきれず、勢いよく頭を下げた。
「玲奈様! 私は、あなた様の……その……」
「うん?」
玲奈が笑顔で促す。
シルフィは顔を上げた。
真っ赤だ。耳まで真っ赤だ。けれど、逃げない。
「……あなた様の、幸福を願っております。いつも、ありがとうございます」
告白ではない。
でも、ちゃんと気持ちが乗っていた。
玲奈は少し驚いた顔をして、それから、ゆっくり頷いた。
「こちらこそ。白森さん、ありがとう」
そして玲奈は、僕の方にも視線を寄こす。
「鈴木くんも。いつも白森さんのこと、見てるよね」
「……え?」
心臓が、妙に大きく鳴った。
「フォローするの、上手。放っておけないタイプでしょ?」
「それは……まあ……」
否定できない。
僕が言葉に詰まっていると、シルフィが急に割り込んだ。
「ハルトは、私の従者だからな! 見ていて当然だ!」
「従者って……」
玲奈は、また楽しそうに笑った。
「そっか。白森さんは鈴木くんのこと、大事なんだね」
「だ、大事……!?」
シルフィが固まる。
僕も固まる。
玲奈は、その反応を見て満足そうに微笑んだ。生徒会室の扉を少し開け、最後に振り返る。
「じゃあ、私は仕事に戻るね。……クッキー、あとでゆっくり食べる。楽しみにしてる」
扉が閉まった。
廊下に残されたのは、僕とシルフィと、取り返しのつかない静けさ。
「……やったな。渡せた」
「……渡せた……」
シルフィはぼんやりした声で言って、次の瞬間、僕の袖を掴んだ。
「ハルト」
「ん?」
「今のは……成功だよな?」
「成功だよ。大成功」
シルフィは、ふっと息を吐いた。
そして、いつもの尊大な顔に戻ろうとして――戻りきらず、少しだけ弱い顔をした。
「……貴様が隣にいてよかった」
「……そっか」
言われた瞬間、胸の奥が熱くなった。
でも、次の言葉で全部台無しになる。
「だが勘違いするな。これは作戦上の配置だ。貴様は“壁”として役に立っただけだ」
「壁扱いかよ」
シルフィはプイッと顔を背ける。
その耳先だけが、正直に赤かった。
聖女を愛でたいエルフの作戦は、また一歩前進した。
なのに、なぜだろう。僕の方が、妙に落ち着かない。




