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第10話 期末テストの生存率は、Sランクダンジョンより低い

 学園祭という非日常の祭典が終わり、学園には冷徹な現実が戻ってきていた。

 すなわち、期末テストである。


「えー、来週のテストで赤点を取った者は、補習に加え、部活動および生徒会活動の『無期限停止』を命じる」


 担任の無慈悲な宣告が教室に響き渡る。

 クラス中が阿鼻叫喚の地獄絵図となる中、僕の隣の席では、シルフィが腕を組み、ふんぞり返っていた。


「騒がしいな、人間どもは。『テスト』だと? 所詮は紙切れと筆記具による遊戯だろう」

「余裕そうだな。お前、授業中ほとんど寝てたけど大丈夫か?」

「ふっ、愚問だ。エルフは長命種。貴様ら人間よりも遥かに長い時を生き、知識を蓄えてきた。この程度の知恵比べ、赤子の手をひねるようなものだ」


 自信満々に鼻を鳴らすシルフィ。

 しかし数分後。

 返却された数学の小テストを見て、彼女の表情が凍りついた。


 『2点』


 名前をルーン文字で書いたことによる、温情の部分点のみだ。


「……な、なんだこの暗号文書は……」


 シルフィは震える指で、設問の一つを指差した。


「『$x$ の値を求めよ』……? ハルトよ、これは『指名手配』か何かか?」

「は?」

「『$x$』という人物を追い求めよ、という指令だろう? 何ゆえこやつは姿を隠しているのだ? 追っ手から逃げているのなら、そっとしておくのが武士の情けというものではないか?」

「違うよ! $x$ は数字だ! 隠れてるんじゃなくて、計算して導き出すんだよ!」

「ええい、ややこしい! なぜ数字の中にアルファベットが紛れ込んでいる! これはスパイだ! 異分子として排除すべきだ!」


 彼女は解答欄に『即・斬』と書き込もうとしたので、僕は慌ててペンを取り上げた。


「このままだと赤点で、生徒会活動停止だぞ。つまり、天道さんに会えなくなる」

「なっ……!?」


 その一言で、シルフィの顔色が土気色に変わった。


「活動停止……つまり、玲奈様への謁見が禁じられるということか!? それは死刑宣告に等しいではないか!」

「そうなりたくなければ勉強しろ」

「ぐぬぬ……! わかった、やる! やればいいのだろう! ハルト、私にこちらの世界の『ことわり』を教えろ!」


          ◇


 放課後の図書室。

 夕日が長く差し込む静寂の空間で、僕たちの「異世界式・猛特訓」が始まった。

 しかし、前途は多難だった。


「次は現代文だ。この文章を読んで、主人公の心情を答えろ」

「ふむ……。『彼は夕暮れの空を見上げ、胸が締め付けられるような思いがした』か……。これは明白だな」

「お、わかるか?」

「うむ。これは『毒』の状態異常だ。早急に解毒ポーションを飲まねば死ぬ」

「情緒がない! 切ない気持ちになってるだけだ!」


 シルフィは納得がいかない様子で唸る。


「なぜ人間は、いちいち遠回しな表現をするのだ。状態異常ならステータス画面を見れば一発だろうに」

「そんな便利な画面はないんだよ……。次は世界史だ」

「おお、戦記物か! これは得意だぞ!」


 彼女はナポレオンの肖像画を見て目を輝かせた。


「この男、只者ではないな。纏っている覇気が違う。おそらく、数万のアンデッド軍団を召喚できるネクロマンサーだろう?」

「ただの軍人だ! 魔法は使わない!」

「魔法なしで冬のロシアに攻め込むだと!? 正気か!? 補給線はどう確保したのだ!」

「そこは鋭いな……」


 ダメだ。

 彼女の地頭は悪くないのだが、前提となる「常識」がファンタジーすぎて、すべての知識が歪んで吸収されていく。

 僕が頭を抱えて机に突っ伏していると――


「あら、奇遇ですね」


 頭上から、涼やかな声が降ってきた。

 顔を上げると、そこには参考書を数冊抱えた、天道玲奈が立っていた。

 今日は珍しく、銀縁の眼鏡をかけている。その知的な姿に、図書室の空気が一瞬で浄化された気がした。


「れ、れ、玲奈様ッ!?」


 シルフィがガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、直立不動の姿勢をとる。


「お二人で勉強会ですか? 熱心ですね」

「は、はいっ! ハルト殿より、この世界の深淵なる叡智を授かっておりました!」

「実は、シルフィが赤点の危機でして……。僕が教えてるんですけど、なかなか難航してて」


 僕が正直に白状すると、天道さんは「ふふっ」と優しく笑い、シルフィの向かい――つまり僕の隣の席に腰を下ろした。

 ふわりと、柑橘系の爽やかな香りが漂う。


「もしよければ、私も混ぜてもらえませんか? 生徒会室よりも、ここの方が集中できそうですし」

「も、もちろんでございます! この席、空気、光、すべて玲奈様のために存在しております!」

「大袈裟ですね。……どれどれ、どこで詰まっているんですか?」


 天道さんは眼鏡の位置を直し、シルフィのノートを覗き込んだ。


「ああ、数学の文章題ですね。白森さん、これを『数式』だと思わずに、『魔法の構成式』だと思ってみてください」

「魔法の……構成式?」

「ええ。$x$ は『必要な魔力の量』です。この式を完成させないと、魔法が暴発してしまう……そう考えると、慎重に値を求めたくなりませんか?」


 天道さんの例え話に、シルフィがハッとした顔をした。


「なるほど……! つまり方程式とは、世界に干渉するための術式記述言語だったのか!」

「(……まあ、当たらずとも遠からずか?)」


 シルフィのペンが走り出す。

 さっきまで「スパイだ」と罵っていた $x$ を、今度は「魔力触媒」として丁重に扱い始めた。

 天道さんの教え方は魔法だ。相手の興味に合わせて、視点を変えさせてしまう。


「すごいですね、天道さんは。僕なんて、ただ正解を教えるだけで精一杯でした」


 僕が感心して呟くと、天道さんは参考書から目を離さずに言った。


「そんなことありませんよ。鈴木くんのノート、とても綺麗に要点がまとまっています」

「え?」

「白森さんがここまで基礎を理解できているのは、鈴木くんが根気強く教えたからですよ。……土台がしっかりしているから、私の応用が通じたんです」


 彼女は顔を上げ、眼鏡の奥の瞳を細めて微笑んだ。


「いいコンビですね、お二人は。見ていて羨ましくなるくらい」


 ドクン。

 不意打ちの褒め言葉に、心臓が跳ねた。

 「いいコンビ」。その言葉が、嬉しくもあり、同時に「それ以上の関係ではない」と線を引かれたような寂しさも連れてくる。


「……そ、そうですか? こいつの手綱を握れるのは僕くらいしかいない、ってだけですよ」

「ふふ、それが『相性』というものですよ」


 それから一時間ほど。

 夕日が沈み、窓の外が群青色に染まるまで、僕たち三人の勉強会は続いた。

 わからないところをシルフィが聞き、天道さんが優しく諭し、僕がツッコミを入れる。

 静かな図書室に、時折小さな笑い声が響く。


 学園のアイドルと、異世界のエルフと、ただのモブ。

 奇妙な三角形だが、その空間は不思議と居心地が良かった。


          ◇


 帰り道。

 校門を出たところで、シルフィが大きく伸びをした。


「ふぅー! 脳みそが焼き切れそうだ! だが、これで赤点回避の道筋は見えたぞ!」

「ああ。天道さんのおかげだな」

「うむ! あの方の眼鏡姿……まさに知の女神ミネルヴァであったな……」


 うっとりと空を仰ぐシルフィ。

 だが、すぐに真面目な顔に戻り、僕の方を向いた。


「だがハルトよ。貴様の教えも、悪くなかったぞ」

「……へえ」

「貴様の説明は泥臭いが、必死さが伝わってくる。……戦場で背中を預けるなら、ああいう愚直な指揮官も悪くない」


 彼女はニカッと笑い、僕の背中をバンと叩いた。

 痛い。相変わらずの怪力だ。

 でも、その痛みの中に、確かな信頼のようなものを感じて、僕は苦笑した。


「……テストが終わったら、何か美味いもんでも食いに行くか」

「おお! 奢りか? なら私は『ラーメン』というものを所望する! あれは錬金術のスープだ!」

「はいはい、赤点回避できたらな」


 冬の冷たい風が吹く夜道。

 僕たちの足取りは、来る時よりも少しだけ軽かった。


 次のイベントはクリスマス。

 このポンコツエルフと過ごす冬は、きっと騒がしくて、温かいものになるのだろう。

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