第一章 三話目
〜咲視点〜
「月斗さん、ありがとうございました」
「いいよ、女の子を夜道一人で帰すのも心配だし。今日は怖い思いしたんだから、ね? 気にしちゃだめだよ?」
そう言って、月斗さんは私の頭をポンポンとしてくれた。
不思議と安心する人、翼ちゃんもそうだけど一緒にいると落ち着くし息が楽に出来る。
私は私らしくいていいんだと思えるから、二人の側にいたくなる。
きっとそれは私の趣味を否定しないからだけじゃない、だけどそれ以外の理由はわからない。
二人の見てる世界は多分、私より多くのものを視てる。
それは視えない人にはわからないもの。
でも、私はそこに立ちたい。
元々知らない物を知るのは好きだったからこの世界を知るまでに時間は掛からなかった。
だけど、どれだけ知識を得ても『視えない』のが悔しい。
それでは本当に知ることにはならないから。
あの二人に近付きたい、知りたい、寄り添いたい。
叶わないから叶えたい。
「じゃあ、おやすみ、咲ちゃん」
「おやすみなさい、月斗さん」
ヒラヒラ手を振って背を向けた月斗さんに何故か寂しさを感じて見ていられなくなって、自分も背を向けて玄関の扉に手をかけてからもう一度振り返る。
小さくなった背中に後ろ髪引かれながらも玄関に向き直って家へ入っていく。
扉を閉めて外と隔絶されれば、締め付けられるような胸の痛み。
疲れたかな、と帰宅の挨拶を奥にいるであろう母に投げ掛けて自室へ向かった。
今日の出来事を思い返せば体が震える。
あの重い空気感と夏目前なのに底冷えするような冷たさ、翼ちゃんの表情が固くなるのを見れば何かがいるのは分かりすぎるほどだった。
勝手に動く硬貨、体が欲しいと繰り返す意志。
恐怖で動けなくなる体、焦る翼ちゃんの声ーーそして、限界に近かった時に来てくれた月斗さん。
短い時間だったのに目まぐるしく状況が変わっていくのに、私に分かったのはそれだけ。
あの二人には何が視えていたのだろう? 聞いたら教えてくれるかな?
「早く食べてお風呂に入りなさい」
「はぁい」
制服を脱いで部屋着に着替えると、それを手にして脱衣所の洗濯カゴに制服を入れてからリビングへ行き、少し冷めた食事をゆっくりと食べて食器を片付ける。
いつものようにお風呂に入れば、ゆったりした時間を過ごしつつ振り返りの続きを思い起こす。
「今日は色々興味深かったぁ。……あれ、10円玉どうしたっけ?」
記憶を改めて探る。
繰り返された言葉、弾かれた指、凍りつく時間、月斗さんが来て、文字を消そうと…………あれ、じゃあ硬貨はどこにいったの?
ザバッと湯船から立ち上がって、浴室を抜け出すと考えられないほど雑に水滴を拭って寝巻きに着替え、足早に自分の部屋へ戻る。
充電器をつけたままスマホを操作して耳に当てると数コールで相手は出てくれた。
『何かあった?』
声が堅い、心配してくれてるのがわかる。
「ううん、違うの。あのね、あのーーっ?!」
『咲?』
あれはどこにいったか確かめようと言葉にしかけて、ふいに背中へ視線が突き刺さる。
何となく、空気が重い。
何か言わなきゃ、早く、早く。
「ど、こに、あるかわかる……?」
ああ、これでわかるはずはない。
何とも言ってないのだから。
でも言えない。
言おうととする度、視線だけが鋭く突き刺さる。
下手をしたら呼吸すらできなくなりそうでーー怖い。
何が起こっているの?
見回しても何もない。
ただただ、重苦しい空気と心臓部に突き刺さる視線だけ。
『わかった、今すぐ行く。兄ちゃん! 粗塩用意して!咲んとこ行ってくるっ』
「つ、ばさちゃ……」
『大丈夫、大丈夫だから。電話は切るな、繋がってれば心配ない』
「ん、ぅん……きらない、から」
仄かな安心感。
自分が引き起こしたことだというのにあまりの怖さに涙がとめどなく溢れて止まらない。
「ぁり、がと……助けて」
『うん、大丈夫だよ。もうすぐ翼がそっちに行くからね?オレと電話繋いでたら大丈夫、安心していいよ』
「つき、と、さん?」
『そう、緊急事態だからって託されたんだ。急ぐのに電話持ってられないって。あとはオレが適してるらしいよ?翼曰く』
驚き過ぎて涙は引っ込んだけれど、逆に恥ずかしさでどうしていいかわからずに言葉の意味も理解出来なかった。
でも、どうしてか気持ちは楽になって重さが少し軽くなった気がした。