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第8話 過去

 ヒナタはステータス画面に向かって語りかけていた。返ってくるのは、どこか機械的でありながらも、人間味のある応答――そこから彼は少しずつ、この世界の知識を得ていく。


 ステータス画面には、「エイド」という名前があるらしい。無機質な存在に名があることにヒナタは一瞬違和感を覚えたが、エイドの説明によれば、この名は消滅前の管理者が与えたものだという。管理者は消えゆく間際、自身の記憶や意思の断片――“残滓(ざんし)”を複数、世界に解き放った。その一つが、このエイドなのだ。


「どうして、管理者は消えてしまったの?」


 ヒナタの問いに、エイドは一瞬だけ沈黙を挟んでから、静かに答えた。


『それは……私にも分かりません。ただ、管理者様はご自身が消滅した後の世界を案じて、私のような存在――“残滓”を創り出したのです』


 しかし、とエイドは言葉を継いだ。


『私たちは、あくまで断片に過ぎません。どれだけ知識を宿していようと、管理者様の代わりにはなれないのです』


 その声音は淡々としていながらも、どこか寂しげな響きを帯びていた。


 管理者が消失したことで、この世界にはいくつもの深刻な被害がもたらされた。


 まず最初の兆候は、地上を覆い尽くす瘴気の発生である。管理者の権限が揺らぎ始めた頃から、瘴気は徐々に地上に溢れ出したという。そして、人類が地上を捨て、地下へと逃れたのを見届けたかのように、管理者はその姿を完全に消した。


 次に被害が及んだのは「空」だった。地上から一定の高度以上には瘴気の影響が届かないものの、上空にはかつて管理者の制御下にあった衛星群が存在していた。その衛星たちが、瘴気の影響を受けていない空域の生命体に対し、自動的にレーザーのような兵器を放ち、問答無用で排除するようになっていたのである。


 これもまた、管理者の消失により防衛システムが乗っ取られ、敵対的な制御へと切り替わった結果だとされている。


 つまり、空に逃れようとした者たちは上空で撃ち落とされ、地上に留まった者は瘴気に蝕まれた。そして唯一、安全を確保できたのが「地下」だった。人類が地中深くへと避難するしかなかった理由は、そこにこそ生存の可能性が残されていたからである。




 そもそも、「管理者」とは何なのか。


 それについては、エイドの語る説明によって明らかになった。管理者とは、人間の世界でいう人工知能――AIに似た存在ではあるが、その本質は異なる。「神工知能(しんこうちのう)」――神の手によって創られた知能存在である。


 知能であるならば、当然ながらその情報処理のための“中枢”――すなわちサーバのような基盤が存在するはずだとヒナタは考えた。

 エイドによれば、その答えは「点在するネットワーク」にあった。管理者の意識は、この世界のあらゆる場所に分散していたという。

 地上の施設、地下の遺構、そして宇宙に浮かぶ衛星にまで、その構成要素は広がっていた。世界の隅々までを網羅し、それらを一つに繋ぎ、統率していたのが管理者であったのだ。


 では、その神工知能を創り出した“神”なる存在は、いったいどこにいるのか?


 それについては、エイド――管理者の残滓である存在でさえ知らなかった。唯一の手がかりとなるはずの管理者自身も、その記録を持ってはいなかったらしい。

 あるいは、創造主の姿を知るには至らなかったのかもしれない。


 では、神はこの世界を見放したのか?


 ――否。正確には、神はこの世界に対して「干渉できない」のだ。かつては干渉する力を持っていたが、何らかの理由によってその力を失ってしまったらしい。その結果、神は代わりに“管理者”という存在を創り出し、世界の安定を託したのだという。


 その「神」とは、一体何者なのか?


 ヒナタは思い返す。かつて訪れた、カルネアという国の泉にある神殿での出来事を――そこで出会った、神のような存在を思い浮かべながら、エイドに問いかける。


「カルネアの泉の神殿で“神っぽいもの”と出会ったんだけど……あれって、エイドが言っている“神”のことなの?」


 エイドの返答は静かで明瞭だった。


『いいえ。神はこの世界の生物に直接、接触することはできません。しかし、おそらくその神殿の存在もまた、かつて神が創り出されたもの。管理者と同じく、神の意志を間接的に世界へ伝える“器”のようなものと考えられます』


 なるほど。ならば、今もヒナタの耳に届く「世界の声」と呼ばれる存在――それもまた、神が設けた中継器のような何かが、今なお作動し続けているのか……


 もしかすると、神は「スキル」という形で生物に力を授け、この世界で生き延びる術を与えてくれているのかもしれない――。


 直接は干渉できなくなった神。その神が創り出した知能“管理者”。そして、その管理者すら消えた今、残されたのはわずかな記録――エイドのような“残滓”だけだ。


 それでもなお、この世界を繋ごうとする意思のようなものが、ヒナタには確かに感じられた。



 だが、ふと疑問がよぎる。


 ……では、ヒナタ自身をこの世界に呼び寄せたのは、一体誰なのか?


 泉の神殿では答えを得られなかった疑問を、今度はエイドに投げかけてみる。自分が異世界から来たことも含めて。


 エイドは一瞬、沈黙を置いたのちに淡々と答える。


『神が干渉力を失い、管理者も存在しない今、異世界から個人を転移させるような力は、この世界のいかなる存在にもありません。――ゆえに、そのご質問には、私からお答えする術がありません』


 ……やはり、というべきか。


 予想はしていたが、それでもヒナタはどこか落胆していた。答えのない問いだけが、またひとつ、胸の奥に積み重なっていく。


「でもさ、エイド。俺、決めたんだよ。この世界の人たちが、もう一度地上で生きられるようにしてあげたいってさ」


 ヒナタは静かにそう言ったあと、ふっと笑った。


「……もちろん、元の世界に帰りたいって気持ちがゼロなわけじゃない。でも、俺の肉体はもう無いし、仮に戻れたとしても……幽霊として生きる未来なんて、ちょっと想像したくないな」


 そう口にすると、ヒナタは小さく身震いした。現代の世界で、形もない存在として過ごす自分――そのイメージが、妙に寒々しく感じられたのだ。


『……それは、私たちにとっても非常に心強いお言葉です。私はサポートしかできませんが、精一杯お力添えいたします』


 エイドの声には、データでありながらも、確かな感謝と決意が滲んでいた。

 こうしてヒナタは、クロノに続いて、もうひとりの“仲間”を得た。


 静かだった夜の空気が、ゆっくりと朝の気配に溶けていく。空の端が、わずかに白み始めていた。





 太陽が昇りはじめた頃、クロノがのそのそと身を起こした。

彼の黒い毛並みが朝日に照らされ、ほんのりと輝く。


 ヒナタはその様子を見ながら、夜通しエイドから教わった様々な知識を思い返していた。

この世界のことについて、少しは詳しくなった気がする。


 エイドによると、この世界の太陽も地球と同じく東から昇るらしい。

 また、世界の構造も天動説ではなく、地動説が定説となっているそうだ。

 二つの太陽の正確な位置関係までは把握できなかったが、少なくともこの世界では、科学的な思考が否定されることはなさそうだった。

 無意味な争いは避けたい――火炙りにされる未来なんて、まっぴらごめんだ。


 夜のうちに次の目的地も決めていた。

過去に人類が暮らしていたという街を目指す。


 ナビゲートはエイドがいれば心配ない。迷うことはないだろう。


「その前に……クロノにエイドを紹介しとかないとな」


 ヒナタはそう呟き、眠そうにあくびをしたクロノの方へ歩き出した。


「クロノ!実は新しい仲間ができたんだ。名前はエイド。仲良くしてやってくれ」


 ヒナタの声に反応して、ステータス画面がふわりと光を帯びる。


『エイドと申します。クロノ様、どうぞよろしくお願いします』


 それはヒナタの頭の中ではなく、空中に浮かぶ画面から、はっきりとした声で発せられた。


「え?どこにいるの?」

 クロノはきょろきょろと辺りを見回し、不思議そうに首をかしげた。


「うん、見えないって言えば見えないけど……実はエイドは俺のスキルで、ステータス画面なんだ」


「ほへぇ……スキルが喋るなんてことあるんだね!」

クロノの赤い目がまんまるになる。更にクロノにはヒナタのステータス画面を見る事はできないのだ。けれど驚いたのも束の間、にこっと笑って一言。


「よろしくね、エイド!」


 こうして紹介は無事に済んだ。




「それでね、クロノ。これからの旅の目的なんだけど──昔、人類が暮らしていた街に行ってみようと思ってるんだ」


 ヒナタが方角を指で示しながら言う。


「森を抜けた先、ここから半日ほどで行ける場所に、そこそこ大きな街があるらしいんだ」


「うん、知ってるよ!行ったことはないけど、話には聞いたことがある!」


 クロノがピクッと反応して頷く。


「強い魔物が住み着いてて、近づいちゃダメって教わったんだ。すっごく恐ろしいって……」


 その話を聞いて、ヒナタは眉をひそめる。強い魔物──ただの魔獣ではないらしい。


 クロノの説明によれば、そこにいるのは“魔獣”ではなく“魔物”。つまり、元々は獣の形を持っていたわけではなく、無生物から発生した、あるいは瘴気そのものが形を持った存在だという。


「……つまり、生まれた時から魔物だったってことか」


『はい。魔獣より魔物の方が希少で、かつ強力であるケースが多いです』


 エイドも補足するが、問題の街にいる魔物については「該当データは確認できません」とのこと。


 未知との遭遇になりそうだったが、ヒナタは決意を固めた。


「……とにかく、行ってみよう。危険があるなら、それを確かめるのも探索の目的だ」


 クロノも覚悟を決めたように頷く。


 旅の次の目的地は決まった──未知なる遺都。そして、その先に潜む“本物の魔物”。




 森を進む。

 道中、クロノが素早く野うさぎを仕留め、それをその場で平らげたり、清らかな川を見つけて水分を補給したりと、自然の中での移動は順調だった。

 一体と一頭、そして一縷の残滓が、静かに、けれど力強く前へと進み続ける。


 途中、幾度か魔獣の襲撃を受けたものの、クロノがすべてを難なく退けた。

 あの恐るべきブラッドベアでさえ、クロノの前では一瞬だった。まるで風に散る枯葉のように、圧倒的な力の差を見せつけられた。


 そして、2つの太陽が空のてっぺんに差しかかるころ。

 ヒナタたちはついに森を抜けた。


 目の前に広がったのは、まるで絵画のような広大な草原だった。

 柔らかな風が草を揺らし、光がその緑を金色に照らす。かつて誰かがここを通った気配すら、どこにもない。

 ただ静かに、美しく、そして少しだけ寂しげに──草原は彼らを迎えていた。


 エイドのマッピングによれば、目指す街はカルネア王国から北の森をまっすぐ抜けた先にあるらしい。

 さすがは優秀なエイド。ヒナタのステータス画面には、すでに簡易的な地図まで表示されていた。


 それは大陸全体を俯瞰したような地図だった。全体は灰色で描かれており、その中にヒナタがこれまで通った道筋だけがフルカラーで浮かび上がっている。

 管理者が消滅してから長い時が経ち、地形の変動を考慮して、エイドがこういった形で可視化しているとのことだった。


 ──だが、ヒナタはある違和感を覚えた。


「ねえエイド。俺、森全体を歩き回ったわけじゃないよね? なのに、マップがほぼ完成してるのはどうして?」


『ヒナタ様は以前、上空に飛び上がられましたよね。その際に俯瞰視点での地形情報を取得し、マッピングを行いました。加えて、《エクスペリエンス・リンク》スキルを通じて、クロノ様をはじめとする魔獣たちから情報を収集し、地形データの精度を高めています』


 ──さらりと、とんでもないことを言われた気がした。


 つまり、一度でも経験値を共有した相手がどこをどう歩いたか、その記録をもとにエイドは地図を構築できるらしい。

 そうなると、もしかして地形だけじゃなく、それ以外の情報まで手に入れてるんじゃ……?


 ヒナタは、ふと不安を覚えた。

 プライバシーの問題で突っ込んで聞く勇気は出なかった。知ったら最後、色々終わる気がする。


 草原をさらに北へと進んでいくと、やがて遠くに街並みが見えてきた。

 距離はまだあるが、それでも一目で分かるほどの規模だった。かなり大きな街だ。


 その街は、ほぼ円形をしており、周囲には石造りの城壁こそなかったものの、太い木の杭が一定の間隔で地面に打ち込まれていた。まるで簡易的な防護柵だ。

 魔物の侵入を防ぐためのものだろうが、本格的な防衛には到底見えない。


 ヒナタは思った。――おそらくこの街も、瘴気が発生する以前は魔物に悩まされることなどなかったのだろう。

 瘴気の襲来が急だったため、まともな防壁を築く時間もなく、せめてもの抵抗として木の杭で囲った……そんな経緯が想像できた。


 気になってエイドに尋ねてみると、返ってきたのはやはり「その通りです」との答えだった。


 さらにエイドは、街の周囲には田畑が広がっており、かつては農業が非常に盛んな地域だったことも教えてくれた。

 肥沃な土地に支えられ、人々が平穏に暮らしていたその姿が、ヒナタの脳裏にぼんやりと浮かぶ。


 今では田畑の面影すら残っておらず、荒れ果てた大地が広がっている。

 だが、ふとヒナタは疑問に思った。――一体、どれほどの年月が経ったのだろうか。


『現在は、管理者様が消滅されてから百二十四年と五十一日目です』

 エイドの答えに、思わずヒナタは目を見開いた。


「えっ、そんなに昔の話だったの!?」


 と、すぐに気を取り直す。惑星によって暦の長さは異なるかもしれない。一年の定義も確認せねば。


『この惑星における一年は、三百六十五日です』


 その返答にヒナタは驚きを新たにする。つまり、地球の感覚でいってもすでに百年以上が経過しているというのだ。


 瘴気が地表を覆ってから、百二十年以上。にもかかわらず、未だに人類は地上に戻る術を見つけられず、ただ地下に身を潜めて生き延びている。

 さらに言えば、ヒナタがいたカルネア王国でさえ、他の国家の所在すら把握できていない状況だ。


「……ずいぶんと深く、世界は止まってしまっていたんだな」


 だが――冷静になって考え直してみると、それも仕方のないことなのかもしれない。

 現代の地球でさえ、空を飛ぶ技術があっても未踏の地は数多く残されていたし、海に至ってはその80%以上が未解明だとも言われていた。


 宇宙へ手を伸ばしながら、足元の地球すら完全には把握できていない。

「地球を制覇する前に宇宙へ行くなんて、順番おかしくないか?」

 ヒナタは中学生の頃、そんな疑問を抱いたことを思い出していた。


 そう考えると――百二十四年。

 この世界にとって、それは決して絶望的な時間ではないのかもしれない。むしろ、希望を持つには十分な余白がまだ残されている。


 そんな思索を巡らせているうちに、ヒナタたちはついに街の入り口へとたどり着いた。

 風に草原がそよぎ、街の輪郭がよりはっきりと見える。


「さて、新しい発見があるといいな」

 胸の奥が少しだけ高鳴る。

 期待を胸に、ヒナタとクロノ、そしてエイドは一歩、街の中へと足を踏み入れた。


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