第33話 無標
――アナザーログ。
製作者不明、販売元も不明。
もっとも、収益を目的とせず、個人が趣味で制作したゲームをサーバー上に転がしておくことなど、珍しい話ではない。誰でも自由にインストールできる、いわば“拾われ待ち”のゲームは無数に存在する。
だが、この《アナザーログ》は、ファンタジー系としては異例だった。 アバターを操作して異世界を冒険させるようなゲームを個人で作るには、莫大な労力と技術が必要となる。結果として、個人制作のファンタジー作品は極めて少ないのが実情だったのだ。
その中にあって、ある意味で異彩を放っていたのがこの《アナザーログ》だった。
“知る人ぞ知る”という評価から徐々に口コミが広がり、気づけばダウンロード数は三百万を突破。 もはやインディーズ作品としては破格のビッグタイトルと化していたが、それでもなお、製作者が名乗りを上げることはなかった。
人気の理由は、“不自由さ”にあった。
そう――近年のゲームはどれも、自由すぎたのだ。 空を自在に飛び、常識外れの身体能力を手にし、痛覚の一切を排除した安全設計。 どこまで行っても「不快なことのない」現実逃避装置として、全てが整えられていた。
そんな時代に現れた《アナザーログ》は、真逆の価値を提示していた。 操作性は重く、ステータスの成長は遅く、何より世界そのものが“優しくなかった”。
だが、その不自由さこそがリアルであり、人々が交流するきっかけとなるのであった。
極端に人との接触が減ったこの現代地球において、逆説的に“他者と繋がる大切さ”を与えてくれる稀有なゲームとして評価されたのだ。
* * *
ほのかは、静かにゲームの世界へと降り立った。
そこは見渡す限りの緑に包まれた平原。風が草を揺らし、遠くの空には雲が流れている。 だが、その場にはNPCも案内役も、敵すらいなかった。ただただ、何もない。
ほのかはその場に立ち尽くし、しばらく待ってみた。 いつものように、ゲームが自動で進行し始めるものだと思っていた。
(……あれ? チュートリアルが始まらない?)
本来であれば、ファンタジー世界に入る前に必ず“導入”があるはずだ。 この世界の背景やルール、注意点の説明──凝った会社であればアバターが出演する演出付きのプロローグが流れることもある。 少なくとも、音声ナビゲーションくらいはあるものだ。
「これじゃ、どこに向かって何をすればいいのかすら分からないじゃない……」
そう小さくつぶやきながら、ほのかは半ば習慣のようにステータス画面を開こうと、脳内でコマンドを思い浮かべる。
すると、眼前にウインドウが一つだけ現れた。
──【ログアウト】──
「……なんじゃそら。せめて現実の日時くらい表示してくれてもいいのに」
思わずぼやく。
マップもなし、能力値の表示もなし。ファンタジー系のゲームであれば、レベルやステータス表示があってこそ雰囲気が締まるものだ。 だが今の画面には、それらしい情報は一切なかった。
何かがおかしい── そう気づくには、まだ少し時間がかかりそうだった。
ふと、ほのかは自分の身体を見下ろした。 そういえば、ゲーム開始前にアバター作成をしていなかった気がする。 それに気づいた瞬間、不安が胸をよぎる。
(……大丈夫かな、これ)
だが、視界に映った自分の姿は、ちゃんと仮想アバターのものだった。
このアバターは、個人ポッドに初ログインした際に、自分で作成する“仮想体”であり、ゲームを開始する前段階――いわば共通空間で使用される中間的なアバターだ。
現実の友人であれば、ホログラムで現実世界の姿のまま自宅に招いたりすることもあるが、ゲーム友達とはこの“初期アバター”の状態で交流するのが基本となっている。
なお、このシステム内で設定できるのは人型のみ。
現実と同じ容姿にしている人もいれば、まったく異なる外見にしている人もいる。 ほのかの場合、顔の造形は少しだけ変えてある。プライバシー保護のためだ。
服装に目を向けたとき、そのいつもの仮想アバターであることを確認できて、彼女は少しだけ安堵した。
「……よし、とりあえず歩いてみようかな。 今日中にリスポーン地点の登録くらいは済ませておきたいし」
小さくつぶやいた声は、誰に届くでもない。
その後くるぶしほどの高さまで草が生い茂る平原を、ほのかは慎重に歩を進めていた。
しばらく行った先、遠くに何かが跳ねるような動きが見える。
白い――ウサギのような姿。
しかし、ただのウサギではなかった。
その体躯は、ほのかの膝あたりまである。明らかに普通の動物より大きい。 恐らく、魔物だ。
その瞬間、ほのかはある事実に気づいて青ざめる。
(あ、私……武器、持ってないじゃん)
戦闘手段が皆無のまま、魔物と対峙するのは自殺行為だった。 思考を巡らせた末、彼女はしゃがみ込み、ついには地面に身を伏せる。
「よしよし、いい子だから……こっちには気づかないでねー……」
小声でそう囁きながら、うつ伏せになって白ウサギの動向を注視する。 ぴょん、ぴょんと跳ねるリズムが、やがて遠ざかっていく。 ウサギは何事もなかったかのように、草原の向こうへと消えていった。
「……ふぅ、助かった……。 でもこのゲーム、もしかしてバランス崩壊してない?」
ほのかはため息をつきつつ、呆れたように言葉を漏らす。 初期装備もなく、武器の入手手段も提示されないまま魔物が現れるゲーム――それは過去にプレイした“詰みゲー”の悪夢を思い出させた。
(さすがにこれじゃ、ユーザー離れ起こすでしょ……)
そう思いかけた、そのとき――
視界の端に、人影が見えた。
遠くの草原を、二人の人物がゆっくりと歩いてきている。 ほのかが気づくのとほぼ同時に、向こうもこちらに気づいたようだった。
その人物は、にこやかに手を振りながら――まっすぐ、ほのかの方へと歩み寄ってくる。
「おーい!」
遠くから声がかかる。
まだはっきりとは顔までは見えないが、近づいてくる影は二つ。どちらも男性型のアバターのようだった。
(もちろん、見た目が男でも中身は女性かもしれないけど……)
インタフェースポッドからログインしている限り、仮想アバターと実際の性別が一致しているケースは多い。ほのかもそうだ。
普段、他のプレイヤーとの馴れ合いをあまり好まないほのかだったが――このゲームには、それまでの常識が通じない気配があった。 それに、相手がNPCである可能性だってゼロではない。今は情報を持っている者がいれば、できる限り話を聞いておきたい。
「こんにちわー!」
ほのかも手を振り返しながら、小走りで彼らのもとへと向かっていった。
やがて距離が縮まり、三人が合流する。
「どうも、初めまして!僕はポポ。こっちはパパ!」
名乗ったのは明るい雰囲気の青年アバターだった。隣の落ち着いた雰囲気の男性アバターが「パパ」……。親子関係なのか、単なる名前なのか、判断はつかない。
「初めまして。私はホノカです。お二人はプレイヤーですか?」
ゲーム内でも現実の名前を使うことにしているほのかは、警戒心をにじませずに問いかける。 今はまだ、この世界でNPCとプレイヤーの違いを見極める術がないのだ。
すると、パパと名乗った男性が穏やかに頷いた。
「ええ、私たちはプレイヤーですよ。というより……この世界には、NPCそのものが存在していないようなんです」
「……NPCがいない?」
驚いたように問い返すと、パパは続ける。
「そうなんです。出会う人全てがプレーヤーでして、どうやら“自分以外は全部プレイヤー”という前提の世界観らしくて……。 ホノカさんは、もしかして今日始めたばかりですか?」
その言い方はとても丁寧で、押しつけがましさのない優しさに満ちていた。
――それにしても、NPCのいないゲーム世界。 そんなものが、本当に“ゲーム”と呼べるのだろうか? ほのかの胸には、不安に似た違和感が広がっていた。
「はい。ついさっき、あの辺りからログインしたばかりなんです。 ……それにしても、NPCがいないなんて……かなり珍しいですね」
少し困惑気味に言うほのかに、ポポがぱっと笑顔を見せた。
「でもね!このゲーム、すっごく面白いんだよ!」
無邪気な口調と表情。その姿は、まるで心からゲームを楽しんでいる子どものようだった。 アバターの見た目こそ成人男性だが、話し方や身振りのひとつひとつに、どこか幼さがにじんでいる。
もちろん、VRMMOにおいて現実の個人情報を詮索するのはご法度。 それを話題にした瞬間、場合によっては自動的に運営へ通報が入り、アカウント停止となるケースもある。
だからほのかは、気になっても何も言わず、代わりに自然な笑顔を返した。
「そうなんですね。それを聞いたら、私も少し楽しみになってきました」
そう答えた彼女に、今度はパパが穏やかに尋ねてくる。
「ところでホノカさん、どちらに向かわれていたんですか?」
その問いに、ほのかは小さく首をかしげながら答えた。
「いえ……実はマップも表示されないし、武器も持っていなくて。 どうすればいいのか分からず、とりあえず歩いていただけなんです」
そう言った瞬間、胸の奥にひっかかるような感覚があった。
インベントリがないのだ。本来であれば亜空間にしまっておくことの出来るインベントリが存在する筈である。むしろインベントリが無ければ、この手のゲームは攻略がほぼ不可能にに近くなるのだ。
そんなほのかに、パパが困った表情をした。
「そうですね。こちらのゲームは初期装備も無く、最初の説明も無いので、目的すらもわかりません。実は我々もまだゲームの本質と言いますか、何をすれば良いのかが分かってないんです」
更に、と言葉を続ける。
「そしてこのゲームにはインベントリが無い。なので手に持ったもののみしか運ぶことができないようなんです」
目を丸くしたほのかは、疑問を投げかける。
「ではお二人はどこへ向かっていたのですか?」
「はい、私とポポはどこか拠点になるような場所が無いかと探し回ってる最中でして。 もうかれこれ一週間ほどうろついております」
たまにこうやって別のプレーヤーと出会うことで情報交換をしたり、オフの時にインターネットで調べたりしているが、ゲーム内の映像等を現実世界に持ち出すことが出来ない為情報が出回らないのだと言う。
どこかの誰かが世界を歩き回って、その目で測量して作成した地図のようなものを見つけることは出来たようだが、そもそも自分達が今現在どこにいるのかが判明しないので無意味らしい。
「拠点というのは、街や建物を探してらっしゃるということでしょうか?」
ほのかの問いかけに、ポポが大きく頷いた。
「そうだよ!でも、ほんっとになーんにも無いんだ!」
ポポが無邪気に叫ぶ。
その様子を微笑ましく眺めながら、ほのかはさらに彼らから話を聞き出していった。
このゲームについて、地形、プレイヤーの傾向、ログイン地点、簡単な仕様――
本来なら、こういった情報は何かしらの対価を支払って得るのが常識だった。だが、パパはあっさりと首を振って笑う。
「構いませんよ。初めての人が困っていたら、助けるのが当然でしょう」
その言葉に、ほのかは思わず心が和らぐのを感じた。
やがて、情報交換を終えた三人はそこで別れることになった。
「バイバーイ!おねーちゃん、またねー!」
ポポが大きく手を振りながら、草原の向こうへと走り去っていく。
パパも軽く一礼し、ゆっくりとそのあとに続いた。
その背中が見えなくなった直後――
脳内に、インタフェースシステムのアナウンスが響いた。
『ほのか。美月の帰宅予定時刻まで、あと三十分です』
(あ……もうそんな時間?)
思ったより長く、この世界にいたらしい。
少しだけ名残惜しさを感じつつ、ほのかは静かにステータスウィンドウを呼び出す。
「ログアウト」
その言葉を念じると、視界がふっと薄く霞み始める。
遠ざかる音、薄れていく色彩。
次に目を開けるとき、そこは現実世界であった。




