第16話 起翔
今から百三十年──いや、もっと前のことだったかもしれない。
この世界は平和そのものだった。だが、惑星のエネルギー資源が乏しかったため、科学はほとんど発展しなかった。
皮肉にも、地下に逃れてからの方が、科学は進歩を遂げたという。
そんな中、一人の人物がこの地に現れた。
彼は「異世界から転移してきた」と名乗った。だが、誰一人として信じる者はいなかった。
それでも彼は気にする様子もなく、各地を旅して回ったという。
そして、幾年の時が流れた頃。
この世界に瘴気が広がり始めた。
突如として魔物や魔獣が現れ、人類は滅亡の危機に瀕した。
そのとき、異世界人の彼は不思議な力で地下に巨大な穴を開き、転移魔法陣や泉の神殿を創り出した。
さらに科学の知識を授け、人類が地下で生き延びる術を与えた。
地下都市を照らす光も、彼の恩恵だった。
まるで神のようなその所業に、人々は彼を讃えた。
恐らくカルネア王国の近隣に地下都市が見つかったことからも、彼はこの世界各地に地下都市を築いたのだろう。
こうして、人類は生き延びたのだった。
しかしこの話は、正式な書物には残されていない。
地上を追われた人類は、かつての歴史も記録も自らの手で捨て去った。
文献も遺跡も、今に伝わるものは何一つ見つかっていない。
一説には、転移者は一人ではなかったとも言われている。
あの偉業は、一人の力では到底成し得ないと考えられたのだ。
だが本当に異世界人がいたのか、今となっては確かめる術はない──。
ここまでが、イゼルを迎えたアレンが語った物語だった。
もちろん、グラーデンもイゼルも既に知るところだった。
これはヒナタにこそ伝えるべき話として語られたのだ。
初めてこの話を聞いたダリオ大隊長とザイルは、驚きを隠せなかった。
だが、この二人は特別に同席を許されていた。
「これは、傭兵ギルドのマスター権限を持つ者だけが読める書に記されていたことだ。
前マスターからも直接伝え聞いている。
だが、部外者に語られたことは一度としてない」
そしてアレンは、ヒナタに静かに問いかけた。
「ヒナタ君。君は……かの転移者のように、この世界に希望をもたらしてくれる存在なのだろうか?」
ヒナタは迷った。
「任せてください」と言えば簡単だった。だが、それを良しとする性格ではない。
考えがまとまらないまま、口を開いた。
「正直に言います。俺がこの世界に希望をもたらせるかどうかは、わかりません。
俺の旅は、なぜこの世界に転移させられたのか、その答えを探す旅でもあります。
その上で、皆さんの希望になれるよう努力しますが……言いなりになるつもりはありません。
俺は俺のやりたいように、地上を取り戻す方法を見つけたいんです。
ただ一つだけ、これだけは誓えます。
皆さん、人類の敵に回ることだけは、絶対にしません!」
──答えは決して結論にはならなかった。
だがアレンは、ヒナタの言葉に満足げに頷いた。
グラーデンもイゼルも、互いに顔を見合わせ、わずかに表情を和らげた。
ユニオン史上初の女性最高責任者、イゼルが尋ねた。
「ヒナタさん。お気持ちはよくわかりました。
その上で一つお願いがあります。
今後の活動について、随時私たちにご報告いただけますか?
監視のように映るかもしれませんが、私たちにも必要なことなのです。どうかご協力を……」
ヒナタは理解していた。断るべきではないと。
「はい、もちろんです。頻繁に戻れないかもしれませんが、俺たちの拠点はこの地下都市に置きたいと考えています。どうかご安心ください」
こうして尋問は終わった。
蓋を開ければ“尋問”と呼ぶほどのものでもなかったが、なんとか無事に終え、ヒナタは安堵した。
皆が席を立ち、部屋を出ようとしたそのとき、ザイルがアレンへ声をかけた。
「ギルドマスター。ヒナタと少し話をしたいのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、構わん。だがヒナタ君、そのままの姿でカルネアを歩き回るのは控えてくれ。国民に無用な不安を与えたくない」
「わかりました、アレンさん。リーネの体に潜みますので、ご安心を」
右手を軽く上げ、アレンは退室しようとした。
だが今度はヒナタが声をかけ、立ち止まらせた。
「あの!アレンさん……先ほど話された過去の転移者のことですが、その書物を読ませてもらえませんか?」
アレンは振り返り、二人に言った。
「もちろんだ。君が読めば、別の解釈も生まれるかもしれん。
ザイル君、君も一緒に執務室へ来なさい。紅茶でも飲みながら、ヒナタ君と話すといい」
ヒナタはリーネに憑依し、ザイルとともにアレンの後についていった。
──そして気づけば、グラーデンもイゼルも、ダリオ大隊長も無言でアレンの後に続いていた。
彼らにとって、これほど“面白い場”をアレン一人に独占させる気は、さらさら無かったのである。
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ザイルは、どこか不満げだった。
本当は──もっとヒナタと話せると思っていた。
けれど、そのヒナタは“おじさんたち”と“淑女”に囲まれ、ザイルの入り込める隙など、どこにもなかったのだ。
気づけば、会話の輪には加われず、ただ遠くから見守るばかり。
そうしているうちに、“お茶会”は静かに幕を閉じた。
そしてヒナタは、地上へ帰ると言い出した。
──どうやら、リーネという女性の体に宿り続けられる時間には限りがあるらしい。
それなら仕方ない、と分かってはいた。
だが、結局まともに会話もできぬまま──別れの時が、来てしまった。
アレンが、ふとザイルに目を向けた。
「ザイル君、ヒナタ君を地上まで送ってあげなさい。そして……地上から地下へ戻る“転移魔法陣”の開き方を、教えてあげなさい」
その言葉に、ザイルは顔を上げた。
瞳がわずかに輝き、すぐに笑みが広がる。
「……はい!」
嬉しそうに、力強く頷くザイルだった。
そんな中、ヒナタがふと声を上げた。
視線の先には、ダリオ大隊長。
ヒナタは静かに、しかしはっきりと問いかけた。
「ダリオさん……あなたたちが“フェングレイ”と呼んでいる、俺の仲間のことですが。クロノを迎えに行ってもいいですか?」
ダリオはヒナタの申し出に静かに頷いた。
そして、一同は再びユニオン本部へと戻り──そのまま、クロノと合流することとなった。
クロノは、ユニオン本部の一角に設けられた広めの檻の中で、きちんと座り、じっと待っていた。
「クロノ!」
ヒナタが駆け寄る。
「お待たせ!……いい子にしてたか?」
クロノは尻尾を大きく振り、弾けるように吠えた。
「ガルッ! ワン! ワンッ!」
その声を聞いて、アレンがふと苦笑しながら尋ねる。
「……何といってるのかね?」
ヒナタは笑みを浮かべ、クロノの声を“通訳”した。
「《僕、いい子にしてたよ!吠えたりしてないし、誰にも迷惑かけてないよ!偉いでしょっ!》って言ってます」
その訳を聞いたアレンたちは、思わず顔を見合わせ、苦笑を漏らした。
ドスの効いた低い声で響いたあの吠え声からは、とてもそんな無邪気なセリフが飛び出すとは思えなかったのだ。
「……ずいぶん見た目と中身が違うな」
グラーデンが肩を揺らし、穏やかに笑った。
こうしてヒナタは、数時間ぶりにクロノとの再会を果たしたのだった。
さて──無事にクロノとも合流できたヒナタたちは、いよいよ地上へ戻ることになった。
出発の前に、各ギルドの責任者たち一人ひとりの手の甲を、そっと叩くようにタッチして、お別れを告げる。
「必ずまた会いに来ます」
リーネの声を借りたヒナタの言葉に、彼らは静かな微笑みを浮かべて頷いた。
地上に出ると、周囲は深い闇に包まれていた。
地下都市の真上ということもあり、夜の闇はひときわ濃い。
ヒナタは念のためリーネに憑依したまま、ザイルに尋ねた。
「……もう、夜遅いのか?」
「いや、日が沈んだばかりだよ」
そう答えるザイル。
地下で暮らす日々では、時間の感覚が薄れていくのかもしれない。
──そんな怖さを、ふとヒナタは感じた。
まだ眠るには早い時間だった。
このあたりは瘴気の影響もほとんどない。
だからこそ、リーネ(ヒナタ)とザイルは腰を下ろし、語り合った。
肩を並べ、笑い合い、ときに真剣に──
それは誰が見ても、“友達”の姿そのものだった。
やがてザイルは、傭兵ギルドへの転移魔法陣の開通方法を教えてくれた。
別れのときが近づく。
前回の別れでは、右手を差し出しても透き通るようにすり抜けてしまった。
けれど今は違う。
リーネに憑依したままのヒナタは、しっかりとザイルの右手に、自分の右手を重ねることができた。
──幽霊のままでも、今なら物理干渉が可能だ。
でもこの「ぬくもり」は、今この身体を借りているからこそ得られるもの。
「また来る。約束する」
ヒナタはまっすぐザイルの瞳を見て、そう言った。
ザイルも、力強く頷き返す。
「……ああ、絶対だぞ」
そして──ヒナタたちは旅立った。
それは、ヒナタにとって。
“本当の意味での旅立ち”だったのだ。
これで第一章の終わりです。次回から第二章となります。




