9「境界線・中野駅」
戦闘時間は午前九時から午後五時までと定められ、時間外の敵領域への侵攻及び奇襲は禁止されている。
ルールは幾つもあるが、時間に関しては殊に厳密だった。
斗亜の襲撃から六時間後、午後八時。
朝季たち北域部隊の役職付きは基地内の談話室に集まっていた。
「政府軍から要請があったんだ」
机に肘をつき、顔を伏せた茉理が言う。
「斗亜達の襲撃は個人が勝手にやったことで、政府軍の上の人たちは寝耳に水だった。戦いを止めてくれと警察隊に連絡したらしい」
「向こうに非があるじゃねーか、それ。ペナルティあるんだろうな?」
たすくが不服そうに言うと、茉理はため息をついて朝季のほうを見た。
「反乱軍の人間兵器が田舎で問題を起こしたな、その後始末と今回の件で五分だ。と、政府軍からそう言われた」
「はぁ?」
たすくが椅子を蹴飛ばし、茉理に摑みかかる。
「なんで朝季が田舎に行ったことと、斗亜の奇襲が五分なんだよ」
「政府軍との交渉時、決定権を持つのは参謀の冬那だから。いつもの感じで軽くオッケーしてた」
「上層部のくそ共が。つーか朝季、お前なにした?」
「…………ちょっと」
視線を逸らして苦笑いする朝季。
その時、入り口のドアが開いて冬那が入ってきた。
「うんうん、了解。気をつけてね」
手には田舎でポピュラーに使用されている携帯端末。
陽気に喋っていた冬那だが、部屋中の視線を集めていることに気付いて電話を切る。
「なになに、どうしたの?」
「どうしたじゃねーよ、てめぇ……なんだ、それ。携帯?」
「東京でいうリアバン。うちのと違って融合生成はできないけど。ていうか、手術した人間兵器じゃないと能力使えないけど。ていうかそう考えたら、あなたたち人間兵器ってすごくない? こーんなちっちゃな機会持ってるだけで大気中の物質を自由自在に……」
「うるっせーな! 相変わらず!! それより今日の説明しろよ!」
たすくが冬那に摑みかかる。
武器を生成した本気の攻撃に、周囲がたすくを取り抑え大騒動となった。
「……変わってないな」
喧騒を遠目で見ながら、朝季が呟いた。
傍にいた景子が朝季の肩に頭を乗せる。
「隊長は変わりましたね」
「変わった? 俺が?」
「田舎は楽しかったですか?」
「楽しかったというか、まぁ」
「……お帰りなさい、隊長」
景子の髪を撫でると、彼女がくすぐったそうに身を捩った。
窓の外を見つめると灯りが荒んだ街を照らしていて、田舎とは全然違うと思った。
「ただいま、景子……うん、楽しかった。また会いたいと思える程に、楽しかった」
頭上で聞こえる朝季の声。
誰に? とは聞き返さず、景子は目を閉じた。
*
翌日の正午過ぎ、朝季のreactionバンドに連絡が入った。
『おっはよーん、朝季』
通信の相手は冬那だった。
甲高い声が、鼓膜を刺激して痛い。
「寝ぼけてんなよ、冬那。もう昼過ぎてる」
『やだー、田舎にいたから時差ボケすごくて』
「時差ないだろ、田舎と東京に。用がないなら切るぞ?」
『用事ならあるよー、すごく大事な用事! 朝季って今日忙しい? 仕事ないから暇よね? 休戦伸びたしね!』
「……忙しい。すげー忙しい、今日」
『そっかー、よかった! じゃあ今すぐ中野駅集合!』
「そうだよな、俺の意見は無視が平常運転だよな、お前は!」
『きゃははは! ありがとう!』
「褒めてないだろ、今! それより中野って東京と田舎の境界線だろ、なんでそんな所に」
『田舎と雨の少年少女が来てるの』
「……は?」
『心配なら早く来たほうがいいかもね』
「田舎と雨ってまさか……切ったな!」
一方的に切れる通信。
叩くようにして再通信を試みるが、何度かけても応答はなかった。
「嘘だろ……凪と、三次?」
嫌な汗がこめかみを伝い、朝季は急いで基地を飛び出した。
*
朝季が中野駅に着いたのは午後一時過ぎ。
待合室のベンチに座る凪と三次の姿を見つけ、ため息を飲み込んで前髪を掻いた。
「あの、朝季……」
話しかけようとする凪を無視する形で、朝季は顔を背ける。
田舎にいた時の制服姿とは違う、凪の格好は緩いシフォンのシャツにフレアスカートというオシャレな、緩いものだった。
「とりあえず場所変えよっか! 向こうに応接室あるから」
ニコニコと場違いな笑みを見せる冬那について、朝季と凪、三次は駅舎内の部屋に入った。十畳の部屋、テーブルを囲んでソファが四つ。
朝季の向かい側に凪が座り、凪の隣には三次、その向かい側に冬那という配置で着席する。
全員が席に座ったところで、朝季が深いため息をついた。
「なにしに来た?」
だけどやはり、目は合わせようとしない。
凪は居住まいを正し、三次に目配せした。三次は「なんで俺が説明するんだよ」と言いながらも、口を開いた。
「この人が、あんたと話しがしたいって。なにも言わずに東京戻ったんだろ? ……話ししてやってくれ」
その言葉だけで、朝季は三次の言わんとすることを理解した。
朝季を追いかけて東京に行きたいと我儘を言いだした、田舎に帰るよう説得してくれ……そんな所だろうと。
「そうだな。なにも言わなかったのは、良くないな」
しかしどう説得したものかと悩み顔を上げた朝季を、凪が見つめていた。
ぱちっと目線がぶつかった途端、凪は耳を赤らめて俯く。
「朝季、今日は制服じゃないんだね。その白羽織もかっこいい……似合ってるね」
朝季、そして三次までも呆気にとられ、言葉を失う。
「そ、んなこと言いに来たわけじゃないだろ!」
思わず大声を出す朝季と、嘆息する三次。
冬那は「きゃははは」と声高らかに笑っていた。
「これ反乱軍の戦闘服なの。凪ちゃん華奢だから、特注サイズになりそうね」
ニコニコしながら語る冬那の言葉に、朝季が首を傾げる。
「なに言ってんだ、冬那」
「凪ちゃんのことよ。特別待遇にする? 配属は北域でいいでしょ?」
その言葉に立ち上がったのは三次だった。
身を乗り出し、冬那に詰め寄る。
「ここはまだ戦地じゃない、中野駅に来ただけじゃ、東京入りしたことにならないだろ」
三次の言葉は朝季の思ったことと同じだった。
田舎の人間が戦地に足を踏み入れた場合、二度と帰ることはできない。
しかしそれは、東京と田舎の境界線である中野駅を超えて東に進んだ場合。駅舎から出なければ戦地に足を踏み入れたことにならない。
「東京入りしてるわよ」
平然と、冬那が言い切る。
「凪ちゃんさっき、トイレ行ったわよね?」
「え? はい、冬那さんが朝季に連絡してる時に」
「場所わかんなかったのよね?」
「はい。三次くんも中野駅は知らないって言うから、冬那さんに聞きに」
「あんた、まさか……」
「女の子一人にしちゃダメよ、三次。それで凪ちゃん、戦地に足踏み入れちゃったんだから」
ガタッと朝季が椅子を蹴飛ばした。
今度は朝季が冬那に詰め寄る。
「今ならまだ間に合うだろ?」
「無理よ、駐在兵に見られたから上に報告いってる」
「……平常運転だな、あいかわらず」
朝季の言葉に、冬那はにこっと微笑む。
冬那を離し椅子に座り直すと、真っ青になって項垂れる三次の姿が見えた。
睨みつける朝季の視線に、三次は気づいていない。
「ところで、三次はどうするの? 凪ちゃん置いて一人で田舎に帰ったりしないわよね?」
「……計画通りか?」
「やだ、人聞きわるーい」
「相変わらずだな、上層部は……俺も東京に残る、これで満足か?」
「三次の東京入りに関しては、私はどっちでもよかったんだけどねー。おじさん達は喜ぶかもね」
「おじさん?」
首を傾げる凪の言葉に、返事をする者はいなかった。
しばらくの沈黙ののち、冬那が立ち上がって「解散!」と号令をかけたことで、まず朝季が部屋を出る。
ついで冬那、三次につられて凪も部屋を後にした。
*
「ごめん、俺が迂闊だった。連れてくるべきじゃなかった」
中野駅から列車で出発してしばらく経った時、三次が言った。隣に座る凪は顔を上げ、しかしすぐに視線を逸らした。
窓の外を見るとちょうど駅を通過するところだった。駅前の大通りには風に揺れる廃れた看板、灰が被った道路。
かつて、人が暮らす街だった場所。
「これで正解だよ。帰らないって決めてたから」
「俺はあんたを、田舎に戻すつもりだった」
唇を噛み、三次は窓の外を見る。
大きな住宅街が見えた。それを抜けると列車はビルのない、公園のような場所を通過した。
「戻らないつもりだったよ、私は」
「……馬鹿だよな、あんた」
「うん……でも、強くなろうと思うよ」
「は? ……はぁ?」
「私がんばるから。三次くんを守れるくらいに強くなる。だから、お互い守りあおうよ」
「なに言って……」
「守ってくれるって言ったでしょ、三次くん、私を」
「なに……あぁ、田舎で、最後の日……」
「強くなろうって思ったの。強くなりたい、誰かを守れるくらいにって。三次くんが私を守ってくれるって言ったから……私も三次くんを守る。だから戦場ではずっと、一緒にいようね」
「……なんだそれ、馬鹿だろ」
三次はそっぽを向き呟いた。
「馬鹿……ごめん」
謝罪の言葉は聞こえなかったことにして、凪は小さく笑みを浮かべた。
*
反乱軍の総本部参謀室前で、冬那は後頭部に銃口を突きつけられた。
「冗談になっていない冗談ね」
両手を掲げて背後を振り返るが、朝季は銃口の向きを変えなかった。
手にしているのは、景子の愛用している白の空気銃。
「冗談でやってるわけじゃない。お前、わざとだろ? 意図的に戦地を踏ませて凪を東京入りさせた……目的は?」
「可愛い女の子が東京の街にいれば、みんな生きることに必死になるかなぁって」
「……微妙な嘘つくなよ」
「ねぇ、その弾ってなにが入ってるの?」
「色見ればわかるだろ?」
「私、前線に行くこと滅多にないから。アレンジした武器なら尚更わからない」
「臭素とフッ化水素が二発ずつ、塩素に残り一つは匂い弾」
「匂い弾?」
「俺の優しさだな、六分の一の確率でお前は助かる」
「死ぬ確率のほうが高いわね。変に疑われても嫌だから正直に言うわ。南域の状態は知ってるでしょ? あれを改革できるのは七伊さんの息子しかいない」
「凪はそのために利用された、と?」
「うーん……逆ね」
「逆?」
「ていうか、朝季にとっても結果オーライじゃない? 凪ちゃん東京来て嬉しい……」
銃口がうなじに当たるが、冬那は表情を変えなかった。
「ここで私を殺したとして、なにか変わる?」
「俺のストレスが軽減される」
「なるほど、それは有意義ね。殺してみる?」
朝季は無言で銃を納め、腕を下ろした。
冬那は微笑み、踵を翻す朝季の背中を見送る。
「一つだけ覚えておいて。私は最終的に、あなたの味方だから」
朝季は振り向かず、歩みを進めた。
総本部から走って巣鴨駅に向かい、駅のホームに着くと既に凪と三次がいた。
無言で歩き出す朝季についていく凪と三次。
駅構内から出てすぐ、鶯色ジャケットを着た男性の姿があった。朝季が軽く会釈をしたので、凪も頭を下げる。駅周辺では整備されていた道路も、しばらく経つにつれアスファルトが剥がれ、壊滅状態になっていった。
北へ行けばいくほど、それは酷くなる。だが線路を一つ越えたあたりで、街の破損状況は穏やかになった。
歩き始めて三十分ほど経った頃、図書館のような建物の前で朝季が立ち止まった。花壇に挟まれた小道の先にある白い建物の入口には、『反乱軍北基地』と書かれた木の看板。
腕組みをして宙を睨んでいた朝季だが、「ごめん」と三次に振り返った。
「二度手間になった」
「二度手間?」
「なんだ、そのチャラチャラした格好」
背後からの声に、凪は履いていたフレアスカートの裾を掴む。
振り返ると、朝季と同じ白羽織を着た青年が立っていた。短髪にきつめのつり目、タイトなズボンが栄える細身の男。
「ちょうど良かった。お前に用事があったんだ、たすく」
「へぇー、なに?」
「こいつさ、南基地に連れてってくれないか?」
朝季は顎をしゃくり、三次を差した。
たすくは眉間にしわを寄せ、睨むように三次の姿を確認する。
「なんだ、お前。会ったことある……っけ?」
「たすく?」
三次が黒縁眼鏡を外すと、瞬時にたすくの表情が変わった。
「ミツギ? ……あの三次か! デカくなったな! いや、え? なんで?」
「久しぶり。たすくは変わらないな」
「うるせーよ、どうせ背伸びてねぇ……じゃなくて、なにしてんだよ! 田舎に帰れただろ……え、なんで?」
たすくの視線は朝季に向いていた。
朝季は困ったように、苦笑いを浮かべる。
「あー、えっと、所属は南域部隊になると思うから……」
「はぐらかすな! 三次がここに居る理由聞いてんだよ!」
「自分の意思で戻ってきた。理由とか面倒なことはいいだろ。これからまたよろしく」
無愛想に言い切る三次。
たすくはわけがわからず、両手で頭を抱える。
「とにかく、三次を南基地につれていきゃいいんだろ。言われたことはやりますよ! 北域部隊隊長命令だしな!」
「ごめん、たすく。正式な内命は明日出るから」
「そんなの聞かなくても、三次がなにやらされるかは見当がつく。ところで」
たすくは腕組みをし、視線を落とす。
「この女、なに?」
自分のことだと気付いた凪が、深く頭を下げる。
「えっと、白川凪って言います。よろしくお願いします」
「……田舎くさ」
面倒臭そうに呟いたたすくを、三次の視線が睨みつけた。