2「田舎の少女と人間兵器」
白川凪が暮らす田舎は平和な町だと言われている。非戦闘地域を示す言葉だが、戦地となっている東京及び関東以外は全て『田舎』と呼ばれている。
そこにある私立高校で、凪は階段の先を歩く男子生徒を追いかけていた。
「白河くん!」
必死に足を進めるがなかなか追いつくことができず、凪は男子生徒の名前を呼んだ。
そこでようやく目的の人物、白河朝季が振り返る。
「あれ? 後ろにいるとは思ったけど……俺を追いかけてた?」
朝季が歩みを止めたことで、凪は彼と向き合うことになった。凪よりも随分高い身長、すらっとした体躯に整った顔立ち。
今朝、転校生として紹介を受けた朝季が教室に入った瞬間に騒めきが起こったが、凪はようやくその意味を理解した。
惚けて言葉を発さない凪を見て、朝季が首を傾げる。
「かっこいい……たしかに」
「?」
「あ、ごめん、えっと……」
「ていうか、朝会った子だよな?」
「え?」
「朝、白いカーディガン羽織ってた? 歩道橋の上、天気予報のモニターあるところで」
「歩道橋……あ! もしかして東京が地図にないって言ってた人?」
「それそれ、やっぱり。教室で顔見たとき、たぶんそうだなと思って」
「あっ……ごめん私見てなくて。ていうかそもそも人の顔覚えるの苦手で……ごめん」
「謝らなくていいよ。それより、用事って?」
「そうだった! あのね、言いにくいんだけど……私の話じゃないよ? 先生が言ってたことでね?」
「? ごめん、言ってることの意味がわからない」
「あ、えっと……先生から、白河くんに注意して来いっ言われて。うちの学校、アクセサリー禁止だから……あと、腕のやつ、時計?」
ちらっと、凪が朝季の胸元に視線を向ける。
第二ボタンまで外している朝季のシャツの中には、銀色のネックレスがあった。横二㎝、縦一㎝の長方形のプレートと、同じ色の鎖が二つずつ。
銀のプレートにはアルファベットが刻まれていたが、凪の位置からは文字が読み取れない。
「あぁ。いや、これ、アクセサリーじゃなくて身分証だから」
「身分証?」
「個人情報。東京ではこれがないと能力使えないし、それに遺体確認の時とか」
「能力? いたい?」
「……腕のこれ、こういうのも禁止なの?」
話題を逸らすように、朝季が左手首に巻いているリストバンドを凪に見せた。モニター画面がついた、電子時計のようなもの。リストバンド側面に様々な小型機器が取り付けられている
「あ、えっと、時計?」
「時計でもある」
「ただの時計ならたぶん、禁止じゃないけど」
それ以上追求することができず、お互い黙り込んでしまった。
気まずい雰囲気を見かねて、朝季が口を開く。
「ていうか、なんで凪が言いにきたの?」
「……え?」
「教師が直接言いにくればいいだろ? なんで凪?」
「あ、えっと……同じシラカワだから」
「あぁ、そういえばそうだな。俺はサンズイの白河だけど、凪は三本線の白川」
「……なんで凪?」
「は? ……?」
「あ、えっと、名前……なんで凪呼びなんだろうと思って」
「……あぁ。もしかして、下の名前で呼んでるのが気になる?」
俯いたままコクコクと、凪が頷く。
朝季は宙を睨み、「なるほど」と呟いた。
「田舎の男女は苗字で呼び合うんだったな。ごめん、白川さんって呼ぶから」
「えっ? あ、そういうわけじゃなくて……」
「名前で呼ばれるの嫌なんだろ?」
「嫌じゃない! そうじゃなくて……凪でいいよ! 凪でいい、いい名前だよね!」
「なに言ってんの? 自分で自分の名前ほめてるから」
くすくすと上品に朝季が微笑する。笑い顔さえ整っていて思わず、凪は見惚れてしまった。
「白河くんてすごい人だね……大人っぽいというか高校生らしくないというか」
「その言葉、人によってはすげー失礼になるからな?」
「ふわっ! あ、ごめん……私、会話が極端に下手で」
「会話が極端に下手? それこそなに言ってんの?」
再び微笑する朝季の仕草がとても上品で、閑雅な笑みに凪は目を奪われた。
「白河くん、友だちになろうよ」
そして無意識に、そう呟いていた。
「友だち?」
「あ、いや。ごめん、また変なこと言ったかも」
「いいよ、じゃあ俺のことも朝季って呼んで……」
言葉の途中で、朝季が表情を消した。朝季の視線を追って振り返った凪の背後に、銀色の自動拳銃を持った男が立っていた。
皺のついたシャツに紺のスラックス。背が高く肉付きの良い男で、袖に挟まれた二の腕が窮屈そうだった。
鋭い目つきと目が合ったその時、銃口が凪に向いた。
発砲。
それと同時、朝季の左手が凪の眼前に翳され視界を遮った。
「どこ狙った? 当たってたら目潰れてたぞ」
朝季が手を開くと、中には銅色の弾丸が二つあった。まるで手品のように、朝季の掌に鉛玉が二つ吸い込まれる。
次の瞬間、凪の目の前にいた朝季が二メートル以上離れた場所にいる男の腕を押さえつけていた。
うつ伏せに床に押しつけられる男、拳銃が床に落ちる。
「人間兵器がいるって噂、本当だったのか」
呟いた男の声に、朝季は表情を消した。
「なんだ、その噂……どこから……」
次の瞬間、顔を上げた朝季が辺りを見渡した。朝季や凪の周り、踊り場を挟んだ階段の上下を多数の生徒が取り囲んでいた。
怯えるような眼差しは男よりむしろ、朝季に向けられている。
「……やっべ、やらかした」
唇を噛んで、朝季は後悔を押し殺した。人間の身体能力を超えた動きをしてしまったことを。
能力は使うな、普通の人間として生活しろ––––関東地区を抜ける時、そう忠告されていたのに。
だが思慮する間もなく、男が腕を振り上げた。朝季は手慣れた動作で、男が持つガターナイフを素手で受け止める。
鋭利な刃にも関わらず、朝季の掌から血は滴ってこなかった。
「お前、人傷つけたことあるだろ? ……慣れすぎてる」
冷めた目で男を見下ろす朝季が、ぐっと刃を握りしめる。その後一秒にも満たない間に、男の頬すれすれにナイフの刃が突き刺さった。
「正解だ。東京に行くんだ、俺は」
ポタッと、床に血が滴り落ちた。
頬に切り傷の入った男が、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべ朝季を見上げる。
「護送中に、少しだけ逃してもらえた」
「逃してもらえた?」
「なぁ、あんた人間兵器だろ? 俺、どうかな?」
「……どう、とは?」
「東京で役に立つかな? 俺もお前らみたいな、兵器になれるか? 俺、気付いたんだ、東京でやってる戦闘って本当は……」
咄嗟に、朝季は男の口元を押さえる。
「喋るな、それ以上。巻き込むことになる……」
悲痛な朝季の表情を、男は不思議そうに見上げる。それを見て理解した、『こいつ、わかってない』と。
なにを気付いたんだろう、なにを知ったんだろう。
見るな聞くな喋るな、隣人は他人。そう思えない人間は死ぬ。その言葉の意味を、真実を知る者は多くない。
「死にたくなければ黙ってろ。あの街では、絶対に」
トンっと、朝季が左手で胸を叩く仕草をした。次の瞬間ふわっと男の目が泳ぎ、大袈裟に地面に倒れた。
*
男が現れてから拘束されるまで、五分もかからなかった。意識を失った男を手錠で拘束した朝季が教師に声をかけたが、近寄ろうとする者はいなかった。
野次馬の生徒に「教室に戻れ」と指示する大人たち。警備会社の人間が来るまで廊下に突っ立っていた凪だが、朝季と目が合うと同時に視界を遮られた。
「なにしてる、白川。教室に戻れ」
「……です」
「は?」
「……わかりました」
私も当事者です。
その一言が言えなくて、朝季と顔を合わせる前に踵を翻した。
流れに沿って教室に戻っている凪の耳に、生徒達の会話が流れ込んでくる。
「怖かったぁ」
「本当びっくりした、やめて欲しいよね」
「なんだったんだろう、さっきの」
「どうでもいいじゃん。それより次の授業なんだっけ?」
……他人事だな。
やはり声は出なくて、そもそも自分もその一部なわけで。なにも言えないまま、凪はその後普通に授業を受けた。
帰宅して母にその話しをすると「大変だったわね。ところでお醤油ないんだけど、お刺身そのままでいいかしら」と食卓の話題にも上がらなかった。
料理上手な母が準備した夕食が美味しくないと感じたのは、久しぶりだった。
知りたい、調べようと思ったのはお風呂に入って髪を洗っていた時。頭に乗った大きな掌、守ってくれた、友達になろうと言ってくれたのに……。
お風呂から上がった凪は、髪を乾かすよりも先にアテンダーの意味を調べた。
【専門医の手術によって武器を体中に取り込み、自身を兵器として使用するよう開発された人間兵器の俗称】
なぜ人間兵器=アテンダーなのか、意味を考えればすぐに繋がった。
【attender】東京内戦に参加している人間兵器。
「昔はテレビでもよくやってたのに……いつから、気にしなくなったんだろう」
東京奇襲の後はメディアが日夜競うように現状を伝えていた。地域の大人や学校の先生達まで「情報を取り入れなさい」と騒いでいて、そうしていないと後ろ指を指されているような気分になって。反発する者もいたが、半年経つ頃には彼らの姿はなくなった。
情報は曖昧だったり難解だったりして、徐々にそれに関する報道は減っていった。新しい教育番組や情報番組が流れると今度はそれが話題となり、それが飽和すると次は新しい話題へ。
気にしなくていい、近寄らなければ大丈夫。
そんな文言とともに、東京の街はテレビやwebなどのメディア、人々の意識から消えた。
「だから関東は、東京は地図に載っていないのかな?」
その言葉を聞いたのは今朝のことだ。
「お礼言わなきゃ、明日」
そう決意して、その日は眠りについた。
*
翌日、登校した凪は廊下で妙な会話をする生徒とすれ違った。
「嘘でしょ? どうして来てるの?」
「アレがいるってことは、この学校危なくない? 出て行けって言ってきてよ」
「嫌よ、それで東京送りになったらどうするのよ」
「東京送りって本当にあるのかな?」
「知らないわよ、私には関係ないし」
なんだろう? と首を傾げながらも凪は自分の教室に向かう。
そしてドアに手をかけた瞬間、自動で扉が開いた。
「……あ、おはよう」
眼前には朝季の姿。挨拶を無視し教室から出ようとする朝季だが、入口に立つ凪が邪魔で叶わない。
「あのね、白河くん、昨日は……」
「どいて」
「え?」
「帰るから、どいて」
酷く不機嫌な、冷たい声。朝季の背後では、クラスメイト達が様子を窺っていた。
凪は先ほどの、廊下での話を思い出した。
あんなのが、人間兵器がまだ、この学校に来ている。
無言で「出ていけ」と圧力をかけるような、自分と違うものを怖じるような生徒達の視線。
動けない、声を出せないでいる凪を、朝季が肩を掴んで押しのける。
「他人事だな、どいつもこいつも」
呟いてしまったような小さな声だけど、朝季がそう言った。
「……あっ」
はっとして振り向いた時にはもう、朝季の背中は遠くなっていた。
「白川さん、大丈夫?」
追いかけなきゃと踵を返した凪だが、背後からの声に引き留められた。
振り返ると同じクラスの女子生徒が、凪を肩を見つめていた。
「怪我してない?」
「怪我?」
なんのことだろうと首を傾げたが、次の瞬間にはその答えがわかった。
あの人間兵器に、傷つけられてないか?
「……っ、大丈夫、だから!」
クラスメイトの視線を振り払い、凪は廊下を走り始めた。
*
階段上に人の気配を察知し、朝季はため息をついた。
足音――あの子だ、同じ名前の、白川凪。
もう人間のふりをする必要はない。東京の、戦場にいる人間兵器に比べたらこんな一般人の追跡、簡単に振り切れる。
無視して逃げようと、朝季は大きく息を吐いた。
「もしかして、俺を追いかけてる?」
しかし意とは反対に、朝季は歩みを止めて振り返った。
驚いた凪が、階段の踊り場で立ち止まる。
「あの、あのっ……」
「もう帰るんだけど」
「帰る……帰るの?」
「……用件は?」
「え? あ、えっと、昨日はありがとう」
「ありがとう?」
「昨日ここで、襲われたとき。白河くんがいなかったら私、撃たれてたよね?」
「右目が潰れてた、ぴったり瞳孔。狙ってやってたなら敏腕だと思う」
「へ、へぇ……」
「聞きたいことはそれだけ? じゃあ」
「あ! クラスの人たちの態度が嫌なんだよね? ごめんね、田舎は平和な町だから、みんな動揺してあんなこと」
「平和な町? どこと比べて?」
言葉には棘があった。沈黙が続きややあって、朝季がふっと笑みを漏らす。
しかし喜楽の感情ではない、嘲る様な笑みを凪に向ける。
「田舎の人ってすぐ『東京に連れて行かれるぞ』って言うよな? 田舎で悪いことしたら東京、戦場に連れて行かれるって言われて育った?」
「私は、そんなこと……」
「正解。犯罪者は戦地東京に送られて、人間兵器として戦わされる。ここに来てよくわかった。田舎の人間って俺らのこと馬鹿にしてるよな?」
「馬鹿になんて……」
「そして自分には関係ないことだと思ってる。東京内戦は遠い場所の自分とは無関係な出来事だから知らないふりして……この街に住むほとんどのやつらが傍観者だ。同じ日本国内、同じ人間なのに」
朝季の顔からは笑みが消えていた。
鋭い視線に凪は畏怖し、しばらく見つめ合った。
「あぁ、そっか。田舎のやつからしたら俺らは、同じ人間じゃないのか。安心していいよ、もう会うこともないだろうから」
一方的に言い放ち、朝季は床を蹴った。一瞬で見えなくなった朝季の姿。
取り残された凪はぺたんと、廊下に尻を着いた。
「追いかけなきゃ……」
そう口にするが足が動かなくて。
そもそも追いつけるわけないと思って。
凪はその場にうずくまり、唇を噛んだ。