16「移籍」
寒さが増してきたある日、臨時休戦日なるものがあった。
若い兵の提案で豚汁を作ることになり、各自好きな具を中に入れていくが、景子が餅を入れたところでたすくが吠えた。
「てめぇ、なんで餅入れんだよ! 豚汁だろ!」
「そうですね」
「だから入れんなって! つか、それいつのだ?」
「去年の末に作ったやつです」
「一年前か! 大丈夫かよ?」
慌てて中を探るが、どこにあるかわからなくなっていた。
仕方なしにと諦め、出来上がった豚汁をそれぞれの椀に入れて円を組んで座る。
「餅ってカロリーたけぇよな?」
汁に箸を入れながら呟くたすくを、景子が睨みつける。
「なにか問題でも?」
「お前に言ったんじゃねーよ、ハチコロ」
「……ハチコロとは私のことですか? その心は?」
「渋谷にある犬の像」
「……景子ちゃん、朝季に対して忠実だもんね。なるほど、たすく君のサルとかけて(忠)犬猿の仲……うまい」
「呑気に解説してんじゃねーぞ、凪。お前に言ったんだぞ」
「私? ……太ってないよ!」
「わかってるよ、逆だ。太れ、もっと」
「ちょっとサル、失礼ですよ? 凪の胸元が洗濯板だとでも言いたいんですか?」
「んなこと言ってねーよ! 割り込んでくるな、景子」
相変わらずの口喧嘩を始めるたすくと景子。
その傍らで凪は自分の胸元を見つめ、耳を赤くしていた。
「そういえば修二は?」
しかしたすくに声をかけられ、顔を上げる。
「どうして私に聞くの?」
「ペアだろ、お前ら」
「ペアって言わないで! 先輩なら、彼女とデートしてくるって」
「デート? 馬鹿なことやってんな、あいつ」
ため息をついて立ち上がろうとするたすくだったが、場の空気が変わったことで腰が浮かなかった。
周囲の視線を追って振り返ると、たすくのすぐ後ろに朝季が立っていた。
「うわっ、朝季おまえ、戦闘時間外は普通にしろよ!」
足音がしないのはいつものこと、気配を悟られない今の状態こそが朝季の通常なのだが。
「あぁ、ごめん」
とりあえず謝罪の言葉を述べて円陣の中に入る朝季に、人間兵器たちがぺこりと頭を下げる。
「お疲れさまです、朝季隊長」
「健診終わったんですか?」
「あぁ、次たすく……いや、お前、なにのんびりしてんだよ」
「今立ち上がろうとしてたんだよ! すぐ行く」
「たすくさん、遅刻っすね」
「うるせーよ!」
笑声が起こって、凪も周りと共に微笑む。
その間に景子が豚汁を注ぎ、箸と共に朝季に差し出した。
「なにこれ?」
「みんなで豚汁作りました」
「へぇ、ありがとう」
礼を言って受け取る朝季に、景子が嬉しそうに尻尾を振る。
「景子ちゃん、本当に忠犬だね」
凪の言葉に朝季が首を傾げると、凪の隣にいた別の人間兵器がフォローを入れた。
「景子さんが犬で、たすくさんがサルらしいです」
「犬と猿? あぁ、犬猿の仲ってことか。へぇー、異獣間交流だな」
途端、景子の纏う空気が黒いものに変わり、周りの人間兵器達の空気が張り詰めた。
朝季はそれに気付かず、地面に腰を落として椀の中を覗き込む。
「……豚汁って餅入れるっけ?」
「朝季のやつ入ってた? ラッキーだね、溶けてどこにいったかわからなくなってたんだよ」
「……この餅、いつのやつ?」
土色の液体に浮かぶ白い物体を凝視したまま、朝季が呟く。
その言葉に、全員の手が止まった。
静寂を破ったのは、ただ一人表情を変えなかった景子だった。
「みんなで作ったやつです、去年の末に」
「去年のは年明けに全部食ったろ。これどこにあった?」
「調理場の棚の上にありました」
「いつのかわからないほど前ってことか、腐ってるな」
パチンと地面に椀と箸を置く朝季。辺りを見渡すと、全員が朝季を見つめていた。
青白い顔をして、助けを懇願するように。
「そんな顔するなら、最初から食うなよ……EMPで消化器詳しいやつ」
「そんなやついませんよ、俺らEMP、外傷専門なんで」
「凪、田舎の学校で」
「ふぁぁぁあ! 私に振らないで! 田舎の学校で食中毒の対処とか習わない!」
「……ここにいる全員、明日、非番に変えとこうか?」
誰も返事はしなかった。
鍋を囲んで静まり返る円陣。
空になった椀、完食した豚汁と消費期限不明の餅。
ただ一人、景子だけが淡々と自分の豚汁を食していた。
「だからお前、食うなって」
「大丈夫です、私、適性的に毒の耐性あるので。てことで、同じ適性を持つ私の班の方々、今日の夜ご飯は鍋の残り汁です」
悲鳴に似た叫び声が聞こえた。
その後、豚汁を成分分析してみたが詳細はわからなかった。「たぶん大丈夫」と発言した分析系人間兵器が「じゃあお前、食え」と押し付けられ、景子、朝季と共に三人で残りの汁を食べ切った。
朝季に至っては「景子より俺の方が耐性あると思うから、食中毒に関しては知らないけど」との理由で付き合っていて。
やはり優しい、と凪は感心した。
たすくの次は凪が健診を受ける番だった。
胃の辺りを摩りながら廊下を歩いていた時ちょうど、検査を終えたたすくとすれ違った。
「なぁ、凪」
すれ違い様に声をかけられ、凪は不思議そうに振り返る。
「俺たぶん、南域に戻る」
「南域? そっか、たすく君はもともと南域部隊所属だもんね」
「来月半ばから南で戦闘再開するって、三次から聞かなかったか? お前ら、よく会ってるだろ?」
「三次くん、情報管理に対しては厳しいから……」
「確かにな。なぁ、お前、南こねぇ?」
「え?」
「EMP部隊も編成される。人選始まる前に立候補すれば……なんだよ、その顔」
「え? あ、ごめん、なんかビックリして」
「あー、そりゃそうか。つーか時間ねぇんだったな、引き止めて悪りぃ」
片手を振り、凪に背を向けるたすく。その背中が見えなくなるまで見送り、凪は踵を翻した。
「南域か、三次くんの部隊……そっか、今度から昼間も会えるんだ。髪切ってから行こうかな」
長い髪を手櫛で解し、凪は足を踏み出した。
自分の言葉にはっとしたのは、健診室のドアを開ける直前だった。
*
「却下」
南域戦闘再開が公になり移籍を朝季に懇願しに行くと、秒で否定された。
「EMP部隊も派遣されるけど、それが凪である必要はない」
「……紅一点になる、とか」
「余計却下。なにしに行くつもりだよ、それ」
朝季は嘆息し壁にもたれかかった。
廊下で話しかけたのが悪かったのかもしれない。通り過ぎる人間兵器が頭を下げ朝季が会釈する。
そのせいで話が途切れ途切れになってしまった。
「正直、そんな危険な場所に行かせたくないってのが本音」
「危険な場所?」
「南域部隊はしばらく機能してなくて、隊長を務める予定の三次も前線からしばらく離れてた……というか、あいつ、前線に行ったことないし」
「でも実力はある。強いって聞いたよ?」
「三次が強いのはそう思うけど……俺は凪を、守りたいって思ってるから」
「……私は、朝季と同じ戦場に立ちたい」
「立ってるだろ? EMPとして背後にいてくれて、有り難いって思ってる」
「そうじゃなくて、背後じゃなくて同じ場所に……」
「いいわね、それ」
突然の陽気な声に振り向くと、朝季の隣に冬那が立っていた。
「なにしてんだよ、冬那」
「別の用事あってたまたま通りかかったんだけど、面白い話聞こえたから」
「……たまたま」
怪訝な顔をする朝季と、ぺこりと頭を下げる凪。冬那は「畏まらなくていいよー」と陽気に笑った。
凪が東京入りして半年経つが、未だに冬那のことは雲の上のような存在、掴み所のない女性だった。
「いいよっ、凪ちゃんの南域部隊移籍登録しとくね!」
「おい、冬那」
一つわかっているのは、こんなことをポンッと決定出来る権力を持っているということ。
「南って北より東との距離が長いから、救命センターに引き渡すまで時間ロスがあるのよね。凪ちゃん、現場到着速いし処置も適切らしいわね」
「処置が良いのは後方待機だからだ。前線だと自分の身を守る必要もあるから、話が変わってくる」
「じゃあ尚更、経験積むべきよ。北域にいたらどっかの過保護な上司のせいで技術磨けないしね。あ、どっかの過保護な上司って今私の目の前にいるけど」
「遠回しな言い方せずに、俺って言えよ」
「可愛い子には旅をさせよって諺……朝季は知らないか」
「馬鹿にすんなって。それくらい知ってる、けど」
「じゃあ側目って知ってる?」
「は? ソバメ?」
「側面の目、第三者の目って感じかな?」
笑みを絶やさない冬那の意図がわからず、朝季と凪は首を傾げる。
その時、遠くで足音が響いた。
「朝季は頑固だからね、第三者に聞いてみましょう。誰の意見が最良かって」
廊下の先にいる足音の正体、二十歳前後の新入兵に目線を向けながら冬那が言った。
近づく足音。
眉間に皺を寄せた朝季だが、観念したように壁から背中を外す。
「凪と二人で、話したい」
ぺこりと頭を下げた新入兵が通り過ぎる。
朝季が目を逸らし気付かないふりをしたので、辞儀を返したのは凪だけだった。
「俺が自分でなんとかするから……少しの間、二人にさせてくれ」
「そうよね、二人きりがいいわよね。お邪魔してごめんね!」
「……つっこみ入れたほうがいいか?」
「お構いなく、お邪魔虫は退散するから! じゃあ後は若いお二人で。あ、私のほうが若いか、心の年齢的に!」
きゃははは、と笑いながら、冬那は通り過ぎた新兵の後を追った。
その姿が見えなくなったところで、朝季は凪に目を向ける。
「南に行きたい理由って、そこに三次がいるから?」
「え?」
「三次に会いたいから、南に行きたいんだよな?」
違う、と言おうとして、だけど理由は言えなくて、凪は口を噤んだ。
『朝季のために、朝季に追いつきたくて、強くなりたいから』
その言葉に対する彼の返答は、聞かなくてもわかっている。それなら誤解されたままでも、彼が許可してくれるなら勘違いしたままでいいかもしれない、と。
「それが正解? 三次のところへ行きたいってのが、理由?」
答えられないでいると、朝季がため息をついた。
掌で顔面を押さえ、ゆっくりと、感情すらも吐き出すように。
「いいよ、許可する」
「……え? 本当に?」
「夜になるけど、書面で上に送っとく」
「あ、仕事増やしてごめん」
「そんなの別に……そこじゃなくて」
はぁーっと再度のため息をつく朝季。
凪は居た堪れなさを感じたが、逃げ出すなんてことは考えずじっと朝季を見つめていた。
「ちゃんと考えた?」
「え? あ、うん」
「俺には、突発的に行動してるように見えるけど」
「そんなことは……」
「なにかを成すときに、突発的に行動するのはよくない。考えるより先に動け、なんて言葉があるけど俺は、時間が許す限りしっかり考えるべきだと思う。そうじゃないと絶対、後悔することになるし、考えることをやめたらそれはもう、人間じゃないから」
「……うん」
「……こういう話するところが、先生っぽい?」
俯いていた凪が顔を上げると、笑みを浮かべる朝季の顔があった。
くしゃっと、凪の頭に手を当てて髪をかき乱す。
「交わらないな、俺と凪は。最初からそうだった、目があったと思ったらすぐに逃げ出されて、今だってそうだ。俺が大事にしよう守ろうって鳥かご作っても、そこに収まってくれない。それで結局、最後は離れるんだな」
「……ごめん」
「怒ってるわけじゃない。本当に交わらないな、俺と凪は。ずっと微妙な距離を保ってる。北の白羽織、たすくからもらったよな?」
「あ、返さなきゃいけないよね?」
「持ってていいよ。使わないだろうけど、北域部隊のもあげるから。凪には白がよく似合う」
朝季は凪の頭に手を乗せ、そっと撫でる。
顔をあげようとしたが、朝季の手の力が強くて叶わなかった。
「楽しかった。ありがとう、凪」
耳元で囁く声。
懐かしさを覚えた凪は、コクンと一度頷いた。
「ありがとう」と返したつもりだったが声が出なくて、結局伝えることが出来なかった。




