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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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92 川面の幻影

 太陽が地上を歩くもの全てを焼き尽くしていくような勢いで照らし続ける。河からは温く湿度を帯びた風しか吹いてこなくなっていた。

それでも、この地に暮らす人々は平気のようだ。大多数が頭に巻いた大きな布で首筋に流れる汗を一拭きして何事もないように歩いていく。

 そして俺は、ぼんやりと頬に感じる風を受けてはためく帆の影から街を眺めている。

 船はゆったりと揺れながら上流へ向かう。


 「テン兄ぃ、どこまで行くんだ? 」

 「テサ地区の辺りでいい。ラビィも船乗りかぁ。慣れたもんだな。毎日か? 」

 

 テンジンの言葉に、ラヴィは陽に焼けた赤銅色の顔をクシャクシャにする。船を操る横顔は大人びて見えたが、笑うと高校生のようだ。まだ伸び盛りといったアンバランスな細い手足で船を操るロープを動かしていく。

 ヨットのような船には大きな樽や、香草や香料を入れた麻袋が所せましと並べられている。

 その一つに腰掛けながら、河の風に吹かれて中州をぼんやりと見ていた。


 「朝に港で中州で要り様な香油とか蝋の荷を積んで問屋まで運んで、風の向きが変わる夕方に上流の村で採れた野菜とか積んで港に戻ってるんだ。ちょうどテン兄ぃに会えてよかったよ」

 「すっかり船乗りだな。オヤジさんは引退か」

 「腰を痛めたからね。テン兄ぃは? あの怖い婆さんの下でまだ軽業師やってるの? 」

 「それ、団長の前で言うなよ……半殺しにされるぞ」


 忠告をケラケラと笑うラヴィを眺め、ヨハンは「知らないって怖いですね」と呟いた。そりゃあ、ヨハンはまさに半殺しな目にあったから笑えないだろうな。笑いが引きつってしまう。

 

 「で? この兄ちゃん達もテン兄ぃと同じ軽業師? そんな感じに見えないけど」

 「あ、あぁ…彼らは流しの楽師なんだ。今度エリドゥの方に出ようかとか。事前に様子見に来たんだ。最近はあちこちで治安も悪いしな」

 「ふううん。他は知らないけど、エリドゥは穏やかなもんさ。でもテン兄ぃ達が来るんなら大歓迎だな。クマリの姫宮様が参内されてから巡礼者の数も増えて、色んな見世物が来てるけどさ。やっぱ兄ぃの所が一番かっこいいからさ」

 

 ロープを巻き上げ、器用に船縁の杭に結び付けていく。帆が再び音を立てて風を受け止め、船の速さが再び増した。

 絶えずロープや櫂を操り、船を河の流れに逆らわせているラヴィは訝しげにこちらを視線を向けている。久々にあった知人が怪しげな輩を連れていると思っているのだろう。

 まいったな。

 不意に視線が絡み、にっこり微笑むと慌てて顔をそらされた。

 まずかったかな。

 ヨハンが笑顔でラヴィに会釈をし、積み荷の向こうへと移動して俺を手招きする。


 「互いの為に、無用な接触は避けましょう」

 「そうだな。ラヴィを巻き込みたくないな」


 船の後方の船縁は、風を受けて広がる帆がラヴィ達から視線を遮っていた。航跡の白い波の跡を見ると速度は出ているが、風はそよ風ほどしか感じない。帆の影になり心地よい場所だ。


 「ダショ……ハルキさ」

 「様はつけなくていい。せめて「さん」付け。聞こえるといけない」

 「で、ではハルキさ…さん」


 紫の瞳を伏せて、恐々と言い直したヨハンはそっと言葉を選んでいく。


 「深淵での記憶はどれだけ戻っていますか? 建物の中の様子は覚えてらっしゃいますか? 」

 「壁の色とか、天井から差し込む光とか、お香のニオイとか、いつもいた小部屋とか。誰かの後ろを付いて神殿の中を歩いてたから、恐ろしく何も知らないんだ」

 「そう、ですか。いや、そのようなものかもしれませんね。行動の自由もなかったでしょうから」 

 「なかったね。まったく、無かった。五百年もいた場所なのに地図も描けない。だからヨハン達の力が必要なのさ」

 「私は信じられません。このように言葉を聞いても、幽閉されていたなど」

 

 陽の下で輝く金髪を揺らして首を傾げるヨハンを見て、世の中の大半はそう思っているんだろうなと教えられる。

 この世界の人達は、絶対的な地位にいるダショーが神殿の奥底で祈りを捧げる為に自発的に引き籠っていたと思っているんだから。圧倒的な力を持つ人物が精神的に呪術的に幽閉させられてるなんて、思いもしないのだろう。

 そういうものなんだろう。

 幽閉の辛さは、経験者にしか分からないかな。

 なら、ミルは大丈夫だろうか。酷い事をされてないだろうか。詰られてないだろうか。


 「ミ……姫宮は、無事かな」

 「それなら大丈夫でしょう」


 呟いた言葉に、ヨハンは満面の笑みで頷いた。


 「だって、神殿にとってはダ……ハルキ、さん、をおびき出し深淵に留まらせる最大の武器ですからね。言葉は悪いですが」

 

 舌を噛みそうなぐらいに何度も言い直して、自信たっぷりに断言をする。

 その自信はどこからくるのだろう。

 ヨハンは頷いて言葉に力を込めた。


 「出立前に聞いた深淵が永く行ってきた幽閉が事実ならば」

 「だから事実」

 「それほどまでに、「ダショー」を求めているという事です。その権威を使って、列強の国々に圧力をかけ、人々を従わせて、他にも何かあるのでしょうが、神殿側に何かしらの旨味がタップリあったという事です。その旨味を今も使いたい。何としても手中に収めたいと思っているなら、「ダショー」が執着している「姫宮」を手荒く扱うはずはありません。むしろ、厚遇されてると思います」

 「厚遇、か」


 ミルに聞いた神殿の印象は、酷く冷たいものだったけどな。援軍を求めても応じないし、都合よく使い捨てて異世界から俺を連れ出しているし。

 俺の内心の疑問が顔に出てたのか、ヨハンは自信たっぷりに断言した。


 「あそこは神殿といいながら自身の欲望や利益に正直です。手厚くもてなして、ずっと神殿に身を置きたい、ダショーが来ても神殿に留まりたいと、そう考えるように姫宮様を優遇しているはずです。どんな願いさえも、叶えるように」

 「そうすれば、ダショーも姫宮と共に神殿に留まるだろう、ってか。馬鹿だ」

 

 吐き捨てた言葉に反応して、青い炎が吐息に絡んで現れた。

 抑えきれない怒りが形となって、一瞬浮かんで消える。


 「引き離した時点で許せない。俺は奴らがミルを愚弄した言葉を全て覚えている。俺は深淵を絶対に許さない」

 「……分かりました。だから、その、心をお鎮め下さい。ただでさえ、精霊が集まって来ているのに、これ以上は」

 「精霊が? 」


 慌てて周囲を見渡す。

 船と競うように水面を跳ねて泳ぐ半魚のような精霊。風を受けてはためく帆の周りを踊るように飛ぶ風の精霊。


 「ダショー様が異世界へお隠れになって以来、聖都のエリドゥでさえ精霊は人前から姿を消しています。私が雲水になって他の土地を知って実感できたのですが。神殿の神官でさえ、操る精霊は年々貧弱になる様で……こんなに様々な精霊が見えるのはまるで祭事の時のようです。それに、何と楽しげな事か。ダ……ハルキさんの声や気配に気づいて出てきているのでしょうね」

 「そういう、ものか」


 言葉は理解出来ても、腹の底から納得は出来ないままだ。どこか、まだ精霊とかいう感覚が馴染めない。異世界のように感じる、というか、本当に異世界の出来事の真っただ中にいるのだけれど。

 ヨハンは嬉しそうに、船の回りを飛び跳ねている精霊達を眺めている。俺はそんな光景をどこか他人事のように眺めて、遠くに流れていく神殿を見上げた。

 立ち並ぶ壮麗な神殿群は、いつかテレビで観たことのある異国の教会とも違う存在感を放っている。宗教施設として機能していない観光地に建つ寺院特有の虚無感は感じさせず、訪れる者に無言の圧力を感じさせる厳かな雰囲気が漂っている。ここは、人々の信仰が生きている聖地だ。きっと。


 『 だいぶ汚れてるけどな 』


 耳元で鳴る風の音と水音。遠く対岸から流れる雑踏の罵声。それら全てが、遠くになった。


 『 澱んで、腐りきってる 』


 明瞭に聞こえる少年の声。川面の上に、淡く光る青い瞳を持った少年。あれは、俺だ。

 俺が俺を見ている。


 『 何だお前。いや……俺か? 変な頭してるな。そんなに短いと髷も結い上げれない。あぁ、そうか。お前、何か違うニオイがする 』


 少年が口の端だけで笑う。そんな気の強そうな笑い方をされても、どこか愛おしい。この少年は、いつか昔の俺だ。根拠なく、でもはっきりと確信した。今の俺のずっと前に、この世界で生きた俺の一人だ。

 鏡を見るように互いを見つめ、無言のうちに幾つもの映像が脳裏に流れていく。

 それは過去か、この少年にとって未来か。違う。この少年である俺が、俺を見て彼にとっての「未来」を、俺の過ごした「過去」を見つめているのか。

 分からないまま、互いの青い瞳を見詰め合う。


 




 次回10月9日 水曜日に更新予定です。

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