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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 91 聖都の噂

 こんがりといい色に揚った魚の切り身と新鮮な香草が一掴み、薄く焼かれたピザ生地にくるりと丸める。器用に大きな葉で包んで目の前に出された。

 横のテンジンとヨハンに倣って、手前に置かれた器から、白いソースを適当に掛けてからかぶりつく。

 魚は漬け込まれていたのだろう。甘辛く程よい魚の油と、ヨーグルトのような酸っぱいソースが口の中で中和される。噛むたびに、香草から爽やかな香りが立ち上がった。


 「うま! これ、うまい! 」

 「兄ちゃんいい顔で食べるねェ。こいつぁオマケだ。おいテン坊、切ってやれよ」

 「だからオヤジさん……テン坊ってのはやめてくれよ」

 「デカくなって一人前の顔してもテン坊はテン坊だろ。ほれ食ってけ」

 

 赤銅色に日焼けした顔を皺だらけにして笑い、頭に巻いたターバンみたいな布の先で顔の汗をぬぐう。粉をまぶした魚を揚げ続ける屋台の熱と、陽が昇り上がりだした気温で雨に濡れたように汗が出ている。

 主人が汗を拭きながら、大振りのポットと大きな瓜を置いていく。

 御礼をと思い慌てて飲み込もうとすると、テンジンが苦笑いをしながら首を振った。

 見れば、主人は再び汗をかきかき、絶え間なくやってくる客をさばきに屋台の店先に戻っている。

 エリドゥの深淵からまっすぐに街を貫く大参道の入り口に建てられた藍色を中心に無数のタイルが幾何学模様のように張られた大門の下。

 ここはインドかと思うような人の流れと、両端に立ち並ぶ無数に屋台。行き交う人と荷馬車が作る土煙も気にせず、あちこちで肉や魚を焼く煙が立ち上る。

 これはまるで、門前町。その手前の屋台通りのようだ。


 「ゆっくり食べてください。ここからまだ移動しますから、食べられる時に食べるておくが基本です」

 「あぁ。もう、ガッツリ食べとくよ。すごく美味い」

 「屋台ですが口に合って何よりです。この街の料理は香草を多く使ってニオイが強いから、食べ慣れな

いクマリの者も多いんです」

 「俺は好きだなぁ。なんか『海外旅行』して『エスニック』食べてる感じで……あぁ、異国情緒があっていいね」


 思わず出た日本語に、慌てて辺りをうかがう。誰かに聞きとがめられただろうか。

 そっとテンジンを観ると、笑っている。


 「この喧噪で聞いてる奴はいないでしょう。今はこの町が一番忙しい時間ですから」」


 手首に巻いた革のバンドから隠し持っていた細いナイフと取り出すと、柔らかなバターを切るように手の上で素早く瓜を切り分けた。

 屋台に下がった包装用の大きな葉を主人に無断で借用し、テーブル代わりの大樽の上に葉を乗せ瓜を並べていく。

 ヨハンはよほど腹が減っていたのか、包み焼を食べ終えていた。ポットからカップに飲み物を注ぎ、飲み干してからため息をついた。


 「カバブがまた食べれるとは……」

 「だよなぁ。お前、夜明けが見れないはずだったんだからさ」

 

 テンジンの茶化した言葉に噛みつく事なく、ヨハンはうっとりと河辺へ視線を移して頷く。


 「大聖堂を再び拝めると思っていませんでしたから……妙な感じですね」

 「あれが、深淵」

 「えぇ、中央の白と藍の石塔で玉が飾ってある一番高い塔です。ここからだと、塔の先端しか見えませんが」

 「あんな所だったんだなぁ……外から見たのは初めてだ」

 「そうなんですか? そこに住んでいらっしゃたのでは」

 「物心ついた頃には、もう神殿の中に連れられてたし。そこから外に出る事は許されなかったし」


 太陽に照らされて、塔の先端に飾られた玉が光り輝く。

 白く淡く青に輝く壁と、隙間なく彫刻で飾られた天蓋。金糸銀糸で縁どられた礼拝台、地の底から震えるように響く詠唱、高い天井から吊り下げられた香炉が揺れて強い残り香が描く放物線、くすんだ空気の向こうから無邪気な期待に満ちた純粋な視線。逃げる事が出来ない青い呪術の糸に絡められた俺に、天頂のドームから差し込まれる柔らかな光が一筋。

 脳裏に、ふと儀式の一場面が蘇る。

 そこは、何て美しい牢獄だったのだろう。


 「だから初めて、自分が囚われていた場所が見れた。あ、そんな顔すんなよ。ヨハンは何も悪くないぞ」

 「い、いえ……」

 「立場が変われば、視線も変わるから気にするな。深淵の神官は、幽閉を悪意でやった事じゃない。深淵を中心とした人の世界の秩序を保つ為って目的があったんだ。それが俺の立場から見てとか、この星全体から見てとか、そういうのは考えてなかったんだろうけど」


 まぁ、宗教的なシンボルのダショーがいる事を利用した事は数多あるのは明らかだけど。そこは今のヨハンに言う事ではないだろう。

 割愛して、最終目的地を睨んで最後の一口を咀嚼する。


 「それにしても……すごい人だね。いつもこんなもん? 」

 「今日のコレは、少し人が多い気がします。冬至の陽を浴びた深淵の泉は、どんな難病も治す霊水になると言われてますから。多分、そのご利益を求める人で巡礼者が増えているのでしょう」

 

 そんな薬があったら誰も困らないんだけどなぁ。

 ふと、病院で死んだじぃちゃんを思い出して「ふうん」と流す。家族の痛みを軽減するなら、どんな噂話だって信じてしまうのは分かるけど。俺が科学を信じる二十一世紀の科学立国に生きていたから信じられないのか。


 「今年は姫宮様がいらっしゃるからなぁ。ご利益もあるだろうて」

 「!! 」

 「オヤジさん、姫宮様は深淵の神事に出られるのか? 」

 「さぁどうだろうなぁ」


 思わず前のめりになった俺の腕をヨハンが静かに握る。その感触で、我に返った。

 聞きたい。ミルが今どうしているのか。どういう待遇をうけているのか。元気だろうか。ちゃんとご飯を食べているだろうか。病んでいないだろうか。

 心拍数が上がり、息苦しい。


 「秋分の神事は参列だけだったけどなぁ。体調が優れない中をおして参列して下さったらしい。エリドゥにいるクマリの民には、ありがたかったねぇ。お言葉をかけて下さったんだよぉ」

 「お言葉? 」

 「おぅ。エリドゥの民にも「沢山の民を受け入れてくれてありがとう」ってな。「国土を失わせてしまった大連として、クマリの民に謝罪を。共に辛苦を」ってな。もう、ねぇ」

 「あれは泣けたなぁ。姫宮様はまだ年少で族長を継がれただけで、何も悪くないってのにさ」

 「誰も恨んだりしてないぜ? ありゃあ、どうしようもねぇ戦だったからなぁ。後李の一方的な言いがかりから始まった戦さ。大連は、そりゃあ、なぁ。でも、もう直系の大連は姫宮様だけだ。恨み言を言う相手もいないぜ」


 屋台のおやじさんと数人の客もクマリの民なのだろうか。頷きながら、通りがかりの者も含めて話の輪が広がっていく。


 「明日の冬至祭に出られるんなら、行きてぇなぁ。ここ周辺に移住したクマリの連中も浮き足立ってるしな。きっとすごい人だかりになるな、こりゃ」

 「少しだけでも拝めるんなら、おいらも仕事は休んじまおうかな」

 「おめぇ、それしたら母ちゃんに怒られるだろ」

 「馬鹿、そこは、それよ。母ちゃんも連れてきゃあいい」

 「紅でも買うてやるんかい」


 楽しげに会話をする男達を遠くに見ながら、少し安堵して複雑になる。

 十年という年月を流浪した彼らは、クマリの地ではなくエリドゥに根を張りつつあるのだろうか。

 生活の基盤を築いて安定した毎日を送っているのはいいのだけれど。


 「じゃあオヤジさん。もしさ」


 疑問が声に出てしまう。ギョッとした顔のヨハンとテリンを横目に、思い切って尋ねてみる。


 「もしダショー様がクマリの地に来て再興させたらどう思う? こないだ、後李が管理してる虹珠採掘場が解放されたって噂がある。そんな事出来るのはダショー様だけだろ? 」

 「あ、あぁそれそれ! おれも流しの商人に聞いた。何でも夜中の事だったのに真昼間みたいな光がでて島中が光ったってさ。お前も聞いただろ」

 「そんな事を言っていたな。まことに、奇跡のような出来事だったと」


 テンジンの助け舟とヨハンのガチガチな合いの手に、客たちはどよめいた。

 そして驚く事に、幾人かは採掘場の話を知っていた。「おれも聞いたぞ」「本当だったのか! 」と興奮して話し出す。

 昨日、港で荷卸しをしたときに船員から聞いたとか。酒場で噂になっているとか。

 

 「そうだよなぁ。採掘場の虹珠全部を解放出来るのはダショー様ぐらいだよ」

 「でもよ、ダショー様はいないんだろ? 十年前の戦で亡くなられたとか」

 「だからよ、それからすぐに転生されてたらどうよ? 十歳の子どもに成長されてるだろ」

 「ってぇことか? そんなら、なんだ、えぇと」

 「深淵の神殿にお帰りになるのか? 」


 人垣はますます興奮し、屋台の周りの人が増えていく。

 驚いた。テレビも電話も新聞もないこの世界で、ここまで早く情報が駆け巡るものとは思わなかった。

 そして、ここまで人々が前向きなのも。

 クマリの乱を、受け入れていた事も。

 もちろんこの場にいる人の意見が全てではないけれど。


 「思いのほか、早く伝わっていますね。街中に伝わるのも時間の問題ですね」

 「しかし軽率です」


 テンジンとヨハンに囁かれ、肩を窄めた。

 好奇心が子どものように出てしまった結果、二人には肝を冷やさせてしまった。


 「おぅ。ラヴィが戻ってきたぞ。テン坊、乗ってきな」

 

 ダショーの話題で予想外に盛り上がった屋台の客を避けようと、そうっと後ずさり。

 そんな俺達に気づいたのかどうなのか、オヤジさんが忙しく粉だらけの手を動かしながら、顎を河へとしゃくる。

 風に帆を膨らました小型船がゆっくりと岸へと近づいてきていた。


 

 


 


 


 

 

 


  


 

 





 

 次回は9月25日 水曜日に更新予定です。

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