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見下ろすループは青  作者: 木村薫
9/186

 9 嘘と美少女

 「先生、良い事あったの? 」

 「なんで」

 「だって、ねぇ」

 

 薄暗くなった廊下を早足で歩いていると、部長と副部長がにんまりと顔を合わせて笑い出す。箸が落ちても笑い転げるお年頃の女の子は、俺から見れば一種の異世界の生物のようだ。何を考えているのか判らないところもある。まぁ、小林と東のコンビが天然不思議キャラってのもあるけど。これで学年上位の優等生というのだから、さらに不思議だ。


 「先生、時計ばかり見てたじゃん」

 「そうそう。ダメ出し多かった割に、下校時刻十分前に終わらせてくれたし」


 鍵の束をジャラジャラと鳴らしながら俺の後を付いて来る彼女達は、夕闇の廊下にパステルカラーの花を咲かせていくような朗らかな笑い声をこぼしていく。時々すれ違う運動部の男子どもが二人の姿を確認すると、一瞬緩んだ顔に何気なさの仮面を被りさりげなく砂埃を払っているが、そんなイジラシイ姿を小林と東は気付いてないんだろう。軽やかな歩みを止めずに行く。

 

 「これはアレですねぇ」 

 「そうですねぇ。関口先生のファンとしては、無視できませんなぁ」

 「なんだよ。気味の悪い喋り方して」

 「先生、彼女出来たとか」

 「お前ら、そんな事聞くために施錠の手伝いと荷物持ちするって付いてきたのか」


 内心の動揺を隠すために、わざとそっけない声を出す。

 確かに、俺はミルの事を考えてた。部活中ミルの事ばかり考えていた。まさか、それを生徒に悟られようとは。い、いや、ミルは彼女じゃないし。

 思いなおし、渡り廊下の扉を閉める。慣れた手つきで鍵を閉める彼女らの姿を見ながら、そっと溜息。もう、こいつらも女性なのかな。カンの良さは、今まで友人として付き合った女性達と変らない鋭さだ。


 「先生、夏休みにステキな出会いがあったんですねっ」

 「夏休みはお前らと毎日顔会わせてただろ」

 「お盆に実家に帰った時にお見合いがっ」

 「お見合いしてないし。実家ないし」

 「じゃあ、コンクール後の休みで私達が宿題してた間に合コンしてっ」

 「研修行って勉強してた」


 研修帰りにミルと出会った訳だけど。まぁ、それは内緒。非常識な出来事だから、まず知られる事はないだろう。

 「つまんなぁい」と言う彼女達の声を背中で受け流して、薄暗い校内で唯一明るい職員室のドアを開ける。ふんわりと漂ったコーヒーの香りに安堵。荷物を片付けたら、今日はさっさと帰ろう。


 「二人ともお疲れさん。ほら、気をつけて帰れよ」


 小林と東の荷物を受け取ろうと振り返った途端、俺の背中に「ちょっと関口センセイ! 」と濁声がかけられる。聞き慣れた用務員の加藤さんの声に、反射的に肩をすくめる。

 お昼に配られた土産物のお菓子をおかわりしたのがマズかったのだろうか。

 そう思った俺の目に、小林と東の満面の笑みが見えた。


 「ほら、あんたの言う『何とかハルキ』って関口センセイの事かい? あの人かい? 」


 続く濁声の言葉に、恐る恐る振り返る。職員室に残っていた幾人もの同僚達の興味深そうな視線が突き刺さり、その中に一番会いたかった顔を見つける。

 何故かチェロケースを抱えて、職員室の片隅の応接セットに座るミルとエプロンおばちゃんの加藤さんが目に飛び込んできた。


 「ゴミ出しに行ったら、関口センセイの車の横でこの子座り込んでいたのよ。日本語通じないけど『何とかハルキ』って名前繰り返すし。ハルキなんて名前、センセイぐらいだからねぇ」

 

 程よく肥えた腰に手を当てて立ち上がる加藤さんは、すっかり説教モードになりつつある。川東中学校の独身教員にとって、用務員の加藤さんは職場の母のような存在なわけで。


 「センセイ、この子とどういう関係なの」

 「きゃあ! やっぱ彼女出来たんだぁ! 」

 「可愛い! マジ可愛いよー! 」

 

 お寺の前の仁王像並の睨みをされて凍りついた蛙状態の俺の背後から、小林と東の黄色い叫びが奇襲攻撃と援護射撃をかけてくる。

 違う、違うんだ!!

 突き刺さる同僚の視線がさらに尖っていく。俺が八年かけて築き上げた「真面目な印象」が崩れ落ちていく爆音が聞こえる。

 

 「先生、プライバシーに関わる事なんですが少しお話ししましょうか」


 白髪を撫でつけながら教務が立ち上がり、俺の頭は高速回転で言い訳を考え出す。外国人証明書を携帯してないってだけでもヤバイ。パスポートすらない。先の街中でも騒動との関係を感ずかれてもマズイ。どうする。


 「あの、誤解を受けているようなんですが。彼女、私の祖父が里親支援していた子でして」

 「先生、家族が……」 

 「えぇ、死んだ祖父です。遺産で支援を続けるようにと遺言で」


 事務さんからの鋭い指摘に、口からデマカセを続ける。

 これは俺のイメージにかかわる壮大な嘘だ。

 背中に流れる妙な汗に気づきながら、笑顔を浮かべてみる。何でもない。これは、何でもない事だ。


 「その後、地域で紛争が起きて身寄りが亡くなってしまって。えぇ、キルギスやタジキスタンの国境辺りが故郷だそうです」

 

 以前見たドキュメンタリーから勝手に話を作っていく。大丈夫。変ではない。多分、不自然ではない。身寄りがないミルは、支援を続けてくれた祖父を頼り見知らぬ日本に来た。祖父が亡くなっている今、俺がミルを引き受けた……と。不自然はない。ないはずだ。


 「仕事が始まって、しかたなく留守番させてきたんです。まだ日本語が出来ないし、日本の街にも慣れてない状況でして。不安で歩いて来たんだと思いますが。ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」


 笑顔で、そしてやや困った顔をつくり、ペコリと頭を下げる。

 さぁ、どうだ? 上手くいくか。いかないのなら、次なる手を打たなければ。

 この微妙な沈黙が怖い。その途端だった。


 『……、……! 』


 チェロケースを抱えたミルが、何か叫ぶようにして俺の前に飛び出した。差し出されたチェロのケースを思わず受け取ると、その軽さと僅かな物音で中身に気づく。

 大黒丸と呼んでいた黒身の刀が入っている。物置のような祖父の書斎から古びたチェロを取り出し、刀をケースで隠して持ってきたのだろう。

 確かに外出する時も刀を片時も離そうとしないから、俺がチェロケースに入れて持ち運べる方法を教えた。けれど、学校にまで届けようとするとは思わなかった。

 呆然とミルとチェロケースを見比べていると、見る間にミルの目に涙が溢れ出してくる。


 『……! 』


 言葉は通じなくとも、それが謝罪の行為なのは明白で。床に伏せて、懸命に言葉を尽くしている美少女の姿に疑いを抱く人間はいないわけで……。

 助かった。

 不謹慎だけど、チェロケースを抱えた俺は心の中で安堵した。




 外見で人を判断してはいけない。そういう教訓があるってことは、人は反対の行動を取りやすい、という事。逆説もまた真実なり。

 身寄りない美少女が泣いていれば、強く注意できないのが人の性。加藤さんはアイスミルクティーを作ってあげるし、教務も教頭も『若いのに苦労してきたんだね』と涙ぐむし。

 まぁ、同僚には羨ましがられて冷やかされた。曰く、「絶対に手を出すな」。

 俺はやましい事はしていない。そりゃ異世界から来て正体不明な女の子だけど、可愛い女の子と一つ屋根の下で暮らす事になった事には幸せ感じたし、それなりに妄想もした。一応、健全な青年だから。でも、手は出してないし覗き見もしていないし、その辺りは当然だ。

 そう、嘘ってつけるものだ。真実を織り交ぜた嘘というものは、けっこう信憑性が出てくるらしい。

 ミルはタジキスタン辺りの少数民族出身にしてしまったし、亡くなった祖父は里親支援という慈善行為をしていた事にしてしまったし。嘘八百もイイトコロ。地獄に行ったら閻魔大王に舌を抜かれて針山からバンジージャンプさせられるの間違いない。

 それでも、とり合えずの急場はしのげた。ミルの純朴な行動により、適当な俺の嘘を全て信じてくれたし。俺が美少女を手篭めにしようとしていると、変な妄想や噂を広げれられる事もないだろうし。多分。

 もっとも。異世界から来たミルの目的も判らない今、なるようにしかならないけど。

 天地がひっくり返ったような職員室から、残業する予定だった書類やら参考書をカバンに詰め込んで飛び出して、ようやく一息をついた。

 空には明るいお月様。どこからか、カレーの香りまで漂ってきた。住宅地だから、日が沈むと急に静かになる。誰も居ない校舎裏の駐車場に、二人分の足音だけがする。一番北端の俺の定位置までくると、本当に薄暗い。手探りでポケットを探りキーを探す。


 「すっかり遅くなったなぁ……」

 「ごめん、ちゃい……」


 真っ黒な壁となってそびえる校舎を見上げて知らずに呟いた俺の背に、聞いたことのない言葉が投げかけられる。俺の後を歩いていたのは、ミルだけだ。

 ゆっくり振り返ると、チェニックの裾を握り締めて立っていた。口元をわななかせ、茶色交じりの大きな青色の瞳から涙を零していた。


 「ごめん、ちゃい。ダショー・ハルキ。ごめんしゃい」


 初めての、日本語。つたなく、幼子が使うような言葉をミルは繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

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