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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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84 支えるものの憂い

 目の前の好青年に微笑む。

 血の気が見る間に引いていく。固まったままの黒雲の後ろで,禄山が素早く腰に手を回して中腰になった。


 「亀に蛇が絡んでる紋章は,確か玄武家のだよな。黒雲,玄徳帝と良く似てたからすぐわかった」

 「玄徳帝,と」

 「十年前,俺がここで死んだ時にいたよな」

 「それは」

 「俺が主様に導かれて地球に行った後,母親の遺体はどうしたんだ? その後の記憶がないんだ。ただ,遠くからやってくる後李の軍の中にお前をチラッと見ただけで。だから教えてほしい」


 十年前のあの日。

 俺は母親の胎内から主様に導かれて空へ昇っていった。そして昇っていく映像が記憶の中にあった。

 空を昇る感覚の記憶と,灰色の空へ昇っていく俺と主様を見上げる記憶。俺の中には二つの記憶がある。それが何なのか分らなかったけど,話しながら思い出す。

 青白くなった黒雲と,その背後で鋭い視線を突き刺してくる禄山に笑いかけた。


 「俺,ハルンツの時にクマリが滅びる時間を見ていたんだ。全てを焼かれて,焼け跡の中で母親の胎内で死んでいく自分を見ていたんだ。大分前の記憶だからうろ覚えで自信がない」

 「初代大神官の,ハルンツ卿かい? そりゃあ,五百年も前だ。それを覚えてるのか……」

 「だからうろ覚えなんだ。それに,胎内にいる自分の感覚と,昇っていく様子を見てるハルンツ側の視線の記憶とごちゃまぜになってて混乱してる。だから教えてほしい」

 「復讐か」

 「禄山! 」


 刀がわずかに抜かれた。

 柔らかな光の天幕の中で,抜き身の刀身が異様な輝きを放った。

 入口にいたサンギが巨体に似合わず素早い動きで駆け寄る。俺の前に出ようとするサンギの腕を思わず掴んだ。


 「己の母親を殺されたから,殿に復讐するのか」

 「やめよ禄山! 」

 「それ以上動くなよ」


 新たな声に禄山と片手で制した黒雲,前のめりのサンギとその腕を掴んだ俺が固まる。

 微かに存在する俺の影から,シンハがでてくる。地面からしなやかに金色の体をだし,俺の横に悠然と座った。


 「もしその刀をハルルンの前で全部抜いてみろ。お前の体は消えてるぞ。黒雲,てめぇも一緒だ」

 

 前足を揃え,その上に顎をのせ,緑の瞳だけは爛々と肉食獣の輝きを強めながら宣言する。

 

 「刀なんて意味がない事を,身を以て体験したいか? 」

 「シンハやめろ」

 「やめねぇよ。ハルルンを傷つけようなんざ,何人たりとも許せる訳ねぇだろ」 

 「分かったから。だからするなよ。禄山,頼むから刀を仕舞ってくれ。俺はただ聞いているだけだ」

 「その通りだ。禄山,刀を収めよ。後ろに控えておれ」

 「……」


 黒雲に言われて,だろう。

 音を立てて鞘に納めると,視線を俺とシンハに固定したままジリジリと後退する。天幕の後ろまで下がったところで,サンギがようやく肩の力を抜いた。


 「あ,すまない。つい力が入ってしまって」

 「構わないよ」


 片手で掴んだサンギの腕に思いのほか力が入っていたのだろう。肉付きのよいサンギの腕に,俺の指先の跡が残ってしまった。

 慌てて手を放し,シンハの揺れるふさふさな金色の毛の中へ指先を沈めた。猫をあやすように首元を撫でながら。

 喉を鳴らし始めるシンハの様子に,サンギもようやく一歩だけ下がる。


 「そなたの母の墓は知らぬ。風の噂ではクマリの姫宮と大連が弔ったと聞くが」

 「じゃあ,あの日は」

 「帝の名代でクマリに陣を構えておった。東桑からクマリへ入った時の光景は忘れられぬよ」

 

 帝の名代。やっぱり後李帝国の王族だ。確か四つあった宮家の一つが玄武家だったはずだ。

 伏せた瞼で涼しげな目が隠され,尊大な言葉しか出ない口元が固く結ばれている。


 「精霊の唄を避ける為に小鐘が打ち鳴らされて,家畜の生血をまき散らして進軍する様は悪鬼のようだった。海も山も,そんな後李の軍で圧倒的な数に物を言わせて取り囲んでいたのだ。吾は」

 「いいよ。もう言わなくていい。傷を抉る為にこんな話をしてる訳じゃない」

 

 全ての物が燃やされて煤けた灰色の空。炭化した死体が散乱する大地。生きているモノの気配すら消えていた。

 人も,動物も,植物さえ消えていた世界。精霊すら消えた世界。終末の光景。

 あの光景を思い出して嘆いても,過去は変えられない。今更,だ。


 「今,黒雲はクマリの民を従えてる。ニライカナイのサンギ達にも慕われてる。それが俺に対する答えだ。俺はお前を恨んでない」

 「我は玄武の当主ぞ。そして,それなのに吾は,あの日の暴挙を止められなかった。それが最大の罪だ。吾が死ぬまで背負っていく罪だ」

 「殿はまだ初陣でした! 成人の儀を終えたばかりで,あの戦を止めるなどは無理です」

 「時代の当事者である私らの世代が背負う事さね……若い御前様が気に病む事ではないさ」

 「すまぬ。だが吾は後李の者だ。皇族の背負うものだ」

 

 強張った口が開いて紡がれる言葉に,頷いた。

 それは俺も同じだ。


 「エリドゥ王国を滅ぼして深淵の法皇国を作った俺も,たくさんの罪を背負ってる。俺は失敗したんだ。ハルンツは大失敗をしたんだ」

 「初代大神官の,ハルンツ様か? 」


 罪を告白するのは,怖い。

 責められるのを分かって言葉にするのは,恐ろしい。


 「こんな世界を夢みた訳じゃない。共生者も人も動物も植物も穏やかに過ごす世界を夢みただけなんだ。カラクリが生まれたのも、共生者を排除するためじゃない。権力と富が共生者とその力を利用とする階級に集まらないようにする為だった。玄徳もこんな世界を考えていたわけじゃないんだ」

 「では玄徳帝の真意はどこにあるのだ。いや、そんな過去など問わぬ。この世界をどうすれば変えられるのだろうか」


 胡坐の上で組まれた手の指先が白くなる。

 強く握られた自らの手を見つめて、搾り出すように黒雲が呟いた。


 「戦に明け暮れ、兵も民も疲れ切っている。ここからどうすれば良い? この世界を変える事など出来るのか」

 「俺は諦めてない」


 諦めたらお終いだ。それは絶望に変わるのだから。

 絶望は恐ろしいほどの感染力を持っているのだから。

 だから俺は前を向いていなきゃ、いけない。


 「お前は後李帝国の玄武家当主なんだろう? お前が諦めてどうする、黒雲」

 「……ハルキ」

 「俺は諦めてない。この世界を変えてやる。それが、俺の罪滅ぼしだ。世界がこんなになるまで何も出来ずに何度も生まれ変わっただけだった俺の、やらなきゃいけないことだ。お前も何かやらなきゃいけないと分かっているから、ニライカナイの仲間に情報を流しているんだろう? 」


 囚われ幽閉されていたとはいえ、責任ある立場なのに,人の屍を積み上げてしまった。権力と恐怖に囚われた深淵を作ってしまった。止められなかった。

 血まみれで腐臭がする魂だけど,だからどんな道だって先立って歩いて行かなきゃいけないんだ。

 黒雲は解っているから,ニライカナイの仲間と共にいる。

 それが,カラクリを進める後李帝国の王族が共生者達を解放する活動を支援している理由。

 俯いた黒雲が,ゆっくりと顔を上げた。


 「俺達は,立ち位置で縛られてしまう。その罪を背負いながら精一杯を尽くしていくしかないんだ。良心のままに,精一杯の事を」


 後李帝国を背負い,深淵の呪縛を背負い,罪作りな生き物だけど。その事を忘れずに良心に問いかけよう。

 自分の行為で泣く人がいないだろうかと。


 「精一杯とは何だ。良心とはなんだ。その結果に起こる事に向かい合えるのか。責任をとれるのか」


 眼だけ,異様に光らせた黒雲が無表情でつぶやく。


 「無知は罪だ。上に立つ者が無能なのは罪だ。その良心とやらに振り回される民はどうするのだ」

 「黒雲? 」

 「こんな世界を考えていた訳ではないだと,そう申すのか。今更,そう申すのか。後李帝国を滅ぼすのか。それが初代ハルンツ聖下が求めた答なのか! 」


 叩きつけるような言葉に,凍りつく。


 「国を滅ぼせば,民はどうなる! 新たに流浪の民をつくるのか! クマリの二の舞ぞ! 」


 ミルの言葉が耳の奥で響いた。

 荒野から吹く風の中,何の感情も感じさせることなく呟いたあの言葉。

 「国を失った民は,憐れです」

 荒廃したクマリの王宮が目の前によみがえる。荒野と化した,この大地が。



 


 

 久しぶりの更新になりました。

 ようやく身辺が落ち着きだしたので,連載を再開したいと思います。ただ,まだペースが掴めないので,次回は 4月24日 水曜日とさせてください。

 詳しくは活動報告で。


 長く中断して,色々とご心配をおかけしました。この間,お気に入りや評価ボタンを押して下さった方々,温かなコメントを下さった方々,本当にありがとうございました。「もう忘れられたなぁ」と思っていたので,心の支えになりました。

 もう一度,ミジンコの速度となりましたが書いていこうと思います。

 ありがとうございました! そして,よろしくお願いします!

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