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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 81 呪術の戦い

 痛いのが苦手な人は,少し注意です。迫力ある描写も動作もありませんが…。

 薄暗い甲板の上で、荒い息の音だけが波音の合間に聞こえる。

 奴と対するテンジンは刀をゆっくりと構えながら、ゆっくりと息を吐き出した。低く低く小声で唱える経文のような唄が、辺りの空気を動かしていく。

 まるで水のように空気が質量を持っていく。風の精霊達が蝶のように舞い踊りながら集まってくる。上へ下へ、右へ左へ。その動きが空気の密度を重くさせていく。


 「空龍の祭文か。古いな」


 まるで女のように形が整った唇がゆがむ。

 憐れむようなその様子に、何かが引っ掛かる。

 こいつは何を憐れんだんだろう。テンジンに向けての感情ではない。むしろ、それは自分自身に向けた憐れみだった。

 まるで、それは今から人を切りつける奴が持つ感情じゃない。

 何かがおかしい。

 何故かそれが頭をよぎる。この変態を止めなければ。テンジンに切らせてはいけない。

 根拠なくそう思って立ち上がった途端。


 「弾! 」


 甲板のいたるところから爆風が吹き上がる。

 密度を増していた風が欠片のように吹き飛ばされて、咄嗟に顔を覆った腕を切り裂く。内側の柔らかな肌から真っ赤な血が噴き出していった。

 

 「 父なるエンが囁く言葉を聞け 包み込む風よ 我らを護れ 」

 「 縛せよ 縛せよ 締め上げ切り裂け 」


 早口で唱えられる唄が衝突する。

 まるで台風のように暴風が甲板の上を薙ぎ払っていく。ドミノのように甲板のあちこちで虹色に光が煌めいていく。

 虹珠だ。

 ようやく俺は気づく。こいつは虹珠を隠し持ち、甲板の上に仕掛けおいていた。だから唄を唄う間もなく風が巻き起こり、俺達は翻弄されているんだ。

 帆が音を立ててはためき、風に煽られて船体が傾く。

 俺の中で何か切れた音がした。

 冗談じゃ、ねぇぞ。

 この船にはミンツゥもいるんだ。

 サンギやカムパは慣れてるとして、力のほとんどない双子達だっているんだぞ。

 吹き荒れる風が火花を散らした。青白い光と真紅の炎が混じりだす。


 「俺だけ狙えば良いのに、何やってるんだ! 」

 

 他の奴を巻き込むなんて、傷つけるなんて、耐えられない。

 命を軽く扱いすぎる。自分も、他人も、精霊も。何様かと思うような傲慢さに苛立つ。

 

 『ふざけんなこの野郎! 』


 思わず日本語で罵って手を薙ぎ払う。

 巻き上がった風が静止し、解けた。そうして、もう一度手をかざす。穏やかに風が湧き上がる。俺の意思のままに、精霊が従い、見えない壁を作る。甲板の空気全てが俺に集まっていく。

 刀を構えたままで固まったテンジンを押しのけて、一歩踏み出した。

 目の前の刺客が深淵だろうが後李だろうが、どこ所属なんか関係ない。


 「これ以上傷つけるな! 」

 

 人を傷つける事は、自分を傷つける行為と何も変わらない。

 泣きそうな顔して、必死に牙を剥いて、泣き叫んでいる。俺には、コイツがそうにしか見えない。

 これ以上、虹珠を使わせてはいけない。

 どうする。どうすればいい。

 吹き荒れた風が収まり、荒い息遣いと脈打ち流れ落ちる血の音だけが聞こえる。

 どうする、俺。

 

 「ハルルン無事か! 」

 

 氷が砕け散ったような音が頭に鳴り響いた。

 音なき音が弾けたと同時に、甲板下からシンハが飛び出す。


 「厄介な結界張りやがったのはコイツか! この変態野郎! 」

 「ハルキ! 」

 「下がれミンツゥ! 」


 甲高いミンツゥの声が階段を駆け上がってくる。

 この場は危険すぎる。

 思わず視線が逸れたと同時だった。

 金色の髪が揺れ、大きく船べりに駆けあがる。迷いなく、真っ暗な闇へと身を投げ出した。

 ほんの数拍遅れて水音が響き渡る。


 「ハルキ様はここで。翔角! 」


 テンジンの叫びに答えるよう、甲板の影から真っ黒な虎が飛び出した。


 「お嬢もここでお待ち下さい」

 「待てテンジン! アイツをどうするんだ」

 「ご心配なさらず」


 俺の言葉を遮り、テンジンが黒虎の玉獣に跨って飛び出す。

 何が心配なさらず、だ。右手に持っていた刀は剥き身のままだ。抵抗を見せられれば、テンジンは迷うことなく斬るだろう。例え呪術の面で劣っているようであっても、テンジンは迷うことなく立ち向かっていくだろう。

 

 「戻れ! 行くな! あいつを斬るな! 」

 「一体、何があったんだいっ」

 「サンギ、素破を止めてくれ! テンジンが! 」


 アイツは虹球採掘場にいた。ならば、虹珠を幾つ忍ばせていたか分からない深淵の神官と対峙するのは無謀すぎる。

 生成りの単衣姿のサンギとミンツゥが駆け寄ってきた途端、水柱が連続して立ち上がる。沖に停泊した船団と岸の中間あたりで、風が竜巻のように巻きあがっていく。


 「誰がこんな事を」

 「ヨハンだ! ヨハンしか出来ないよ! 」


 揺れる船体に煽られるまま、甲板に上がってきた船員の間を跳ぶようにかけてきた双子が叫んだ。


 「でもヨハンが? 」

 「あんなにダショー様ダショー様って夢中だったのに? 」

 「そんなん絶対」

 「ありえないよ! 」


 モルカンとシャムカンの言葉に、サンギが太い眉を寄せる。

 

 「何であんな術師がいるんだい。誰だいありゃ」

 「俺が止める。危ないから誰も来るな! 」

 「お前一人は無茶だ! 呪術を行使する間に防御がいるから……おい誰かっ」


 カムパの濁声に背を向けて、シンハの首元を掴む。

 これ以上時間を取れない。水柱は絶え間なく爆音と共に立ち上がり、岸へ近づいていく。海岸には、祭りの準備に降りたクマリの人々が休んでいる。

 あの二人の呪術争いに巻き込んだら、大惨事になる。


 「行くぞシンハ! 」

 「合点承知! 」


 甲高い口笛と共に風を巻き上げる。耳元で鳴る風音の向こうにミンツゥの呼ぶ声が微かに聞こえて、消えていく。

 つむじ風のようにシンハと海面を飛ぶ。海の精霊達が何事かと顔を出しては潜り、風の精霊が奇声を上げるように飛んで水面を切り裂いていく。


 「すげぇな。ヨハンっていうアイツ、ただの変態じゃねぇぞ」

 

 シンハの感心したような呟きに思わず頷く。いくら虹珠を持っているにしても、ここまで一人で風と水を使いこなす呪術を見たことがない。

 ミルでさえ風の精霊しか使わなかったのを思い出し、背筋がゾクリとする。

 どうやって止めればいいんだ。

 吹き上がった水柱が、龍にようにうねり動き出して海岸へ動き出す。

 海岸では、焚火で照らされた人影だろうか。幾つもが右往左往して増えていく。


 「ハルルンどうする! 」

 「どうしよう。どうすればいいんだろう」

 「考えてから飛び出せ! このバカちんが! 」


 いやまったく。シンハの怒りはごもっともで。

 文句を口の中でかみ殺すシンハの横で、うなだれる。

 

 「だって、大祓の祝詞を唄うのは時間が足りないし。せめて、アイツらが使う精霊を全て無効にしたいんだけど、大祓以外の呪術を思い出してないし。でも何とかしないと」

 「だからバカちんっつーんだ! 」


 シンハが「背中に乗れ」と顎をしゃくる。

 真っ黒な海面と夜の闇の間をすり抜けて疾走していく。暗闇の中で感じる風圧に恐怖を覚え、思わずシンハの首元にしがみついた。


 「前に言ったろう。ハルルンの魂は精霊と良く似てるんだ。前に神苑でボレボレの唄を唄ったら玉獣が集まって困ったろ」


 立ち上る水柱を避けて駆け抜ける。巻き上がる風よりも早く飛び上がる。

 飛び散る水滴の向こうに、人影が二つ。


 「ハルルンの唄は精霊にとって最高の贈り物なんだ。例え行使されている途中だろうが、契約で虹珠ん中にいようが、放棄よ放棄! 」

 

 うひゃひゃ……と妙な笑い方をしながら、真っ暗闇の中を駆けまわるシンハの首元に必死にしがみついている。

 星が生まれた時に零れ落ちた、幾つもの雫。いつか見たその映像を思い出される。

 シンハのいう事は、間違いではない。たぶん、同じ事を言っているんだろう。


 「ほら。だからチャッチャと唄いな。何唄っても精霊はハルルンの味方だぜ」

 「わ、分かったから」

 

 速度を落としてくれ。

 それすら言えない。立ち上がる水柱が生き物のようにうねり、襲いかかってくる。その向こうには、まるでドラゴンに対峙する騎士のようなテンジンがいた。

 大蛇のように蠢く水柱を相手に、玉獣で躱しつつ刀を振るう。でも、それは長く持たないだろう。

 海面に立つ金髪の彼は、光る小さな虹珠を掲げた。


 「ほれ唄え」


 上へ下へ左右へと、ジェットコースターのように動き回る中で何をどう唄えばいいんだ。

 振り落とされまいとしがみ付く俺の口から、とりあえずの音を吐き出す。

 音程も取れず、音量もなく、情緒も欠片もない、ただの雑音のような声。


 「ボ、ボレロー、ボレボレボレボッボレリー、ボレボレボレロー」


 なんでだろう。

 なんで、よりによって、この唄が口から出てしまったのか。頭に浮かんでしまったのか。

 適当なボレロが闇に響いた。

  

 

 

 

  



 

 

 

 

 

 次回 7月4日に更新予定です。

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