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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 76 青い蜘蛛の糸

 冗談じゃない。冗談じゃない。本当っに! 

 

 「冗談じゃない! 」


 思いっきりテーブルを叩いて叫ぶ。

 目の前で平伏した彼らが口をあんぐりと開いて顔を揚げる。俺の言っている意味が判らないのだろうか。

 信じられないと、見渡す顔に書いてあるのが見える。どれもこれも間抜けな顔。


 「もう一度言う。今すぐ引き返せ! 俺はエリドゥには行かないぞっ。深淵の神殿なんて二度と行くか! 」

 「い、いや……ダショー様は深淵の大神官であらせられますから」

 「勝手に決められて閉じ込められて我慢の限界なんだよっ。今すぐ引き返せ! じゃなきゃ、船を下りる! 」

  

 衝動のまま船室の小さな窓を開け放ち、眼下の大海原へ上半身を乗り出す。幾つもの手が俺の足首を掴んで悲鳴が響いた。

 

 「お止めください! 暫しお待ちください! 只今サンギ様の所へお知らせしてます故」

 

 どうなってるんだ。

 何が起きてるんだ。

 混乱する頭を整理しながら、俺は力任せに窓から引きずり下ろされた。

 懐かしい家で水野と飲んで、亡くなった家族と逢えた夢を見ていたのに。その余韻を味わう間もなく、起きた俺に告げられたのは、「この船はエリドゥに向かって航海しています」「ダショー様は疲れを癒してお休みください」。

 冗談じゃない!

 深淵の神殿から逃れてきたのに、ここで送り返されてたまるか。

 つーか。

 今までの努力を無に返されて冗談じゃない。

 虹珠採掘場での必死の活動で、こんな結果になるとは思いもしなかった。


 「ハルルン災難だねぇ」

 「お前も判ってて黙ってるなよ! 人が寝てる間に……っ」

 「オイラ玉獣だから人間のする事よく判んないしぃ」

 「こ、この非道玉獣! 」


 床で伸びをして大あくびをするシンハ。尻尾がゆらりと振られている。

 やっぱコイツ確信犯だ! 俺が疲れきって寝てる間に航路がエリドゥに向けられてるの気づいてて黙ってたんだな!

 蹴っ飛ばしてやりたい。今すぐ蹴っ飛ばしてやりたいのに!

 

 「おぉお! 真にダショー様なのですねっ」

 

 唐突な叫び声と共に、船室のドアがぶち開けられて金色の塊がオレの体にタックルしてくる。

 

 「まさか生きているうちにダショー様の尊影を拝見できるとはっ」


 金色の塊と思ったのは、金色の巻き毛をした新たな拘束者だった。

 まるで宗教画に出来来る天使のような、色白な顔に青がかった紫の瞳の若い男。

 

 「後李に捕らえられた末にこのような幸運が訪れようとは……何と美しい」


 天使のようなソイツは恭しく押さえつけられた俺の薄汚い足の裏に接吻をした。

 躊躇う事なく。


 「どうかご加護をお与えくだ」

 「『へ、変態ぃいい! 』」

 「ぶぎゃっ……こ、この痛みっ。ありがたいっ」

 

 変態だ変態だ本物の変態だっ。

 思わず日本語で叫び、天使のような変態を思いっきり蹴っ飛ばしてしまう。

 そして、ど丁寧な言葉を使って俺の手足を押さえつけ続けるヤツラは増えてしまう。

 あぁ、これじゃあ深淵にいた時と同じじゃないか。いや、変態というオマケ付き。

 目の前で揺れるシンハの尻尾を睨みながら、煮えたぎっていく腹を押さえつける。

 ここで暴走してしまいたい。炎を一挙に出して、逃げてしまいたい。

 耐えろ、自分。





 テーブルに出された焼き菓子には砂糖がふりかけられてる。茶器は素焼きから白磁に。茶碗の中には白湯ではなく色濃く香り高いお茶が満たされている。

 こうも露骨に待遇が変ると嫌味に感じる。

 ダショーと告白してから、この待遇のレベルアップは居心地が悪い。

 上等なお茶に菓子は嬉しいけれど、コレを当然な顔して受けるような面の厚さも持っていない。


 「どうしても深淵に行きたくないと」

 「行きたくないから後李で放浪楽師してたんだ」

 「てっきりダショー様は深淵にいるのが自然だと思ってたんだけどねぇ。神殿にいるもんじゃないのかい」

 「そう思われてるのなら、腹が立つ。好き好んでいた訳じゃない。話せば長くなる」

 「信じられないねぇ。何でそんなに深淵を嫌うんだい」


 このお茶、多分高いんだろうな。俺が調理場にいた時でさえ、こんな香りがいい茶葉を見たことはない。

 茶碗を包むように持ち、深呼吸をする。少しだけ、緑茶の香りがした。


 「サンギはどちらを信じるんだ? 一緒に旅をしてきた俺か、それとも深淵の神官どもか」

 

 目尻の皺が伸びる程、サンギは目を見開いた。出来るだけ穏やかな顔で微笑んでみる。

 もう一月以上の付き合いなら、俺がどんな奴か判っているだろう。そう心から問いかける。

 言わなきゃ判らない事やタイプの奴もいるけど。けど言わなくても分かり合える事もあるだろう?


 「そう、かい。なるほど。あんたは変ってないんだね。偽りも言ってないと」

 「最初からそう言ってる。信じられないかもしれないけど、俺はエリドゥに行きたくない。深淵から逃げる為に異世界へ飛ばされたようなもんだから」

 「深淵から逃げる為かい。信じられないが……しかし困った事になるね」


 日に焼けた顔を歪ませ、サンギは深く溜息をついた。物憂げな様子が悪い知らせを予感させる。

 太い指先が、机に広げられた海図をなぞっていく。


 「虹珠採掘場で収容した共生者達をハルキと一緒にエリドゥに保護してもらうつもりだったんだよ。さてさて問題はこれだけじゃなくなった」

 「とりあえず、今はどの辺りにいるんだ? 」

 「もうすぐ旧クマリの海域ってとこかね。海の色がそろそろ変るはずだよ……あぁ、お入り」


 扉をノックする音に中断され、サンギの声を待ってカムパとミンツゥが入ってくる。

 歓声を上げて飛び込んでくるミンツゥを受けとめると、足元で寝ていたはずのシンハが飛び起きた。

 尻尾が千切れんばかりに振られている。


 「もう体は大丈夫なの? 痛いトコない? 」

 「二日も寝かせてもらえばね。シャムカンとモルカンは」

 「まだ重湯しか口に出来ないけど、若いから明後日にでも歩けるって。普通のご飯を食わせろって二人で同じ事言ってるよ」

 「しかしまぁ、あの二人で交互に喋るのをどうにか出来ねぇのか。気持ち悪い」

 「すぐ慣れるって。カムパも慣れれば面白いよ」


 どうやら、二人で喋りあうぐらいの元気はあるらしい。ミンツゥとカムパの会話で胸をなでおろすと、ミンツゥが横に座りながら腕をつついてきた。


 「後で一緒にお見舞い行こ。きっと喜ぶよ」

 「あぁ、その事もだけどね」


 二人が座るのを待ち、サンギが切り出す。


 「ちょっと変更だ。ハルキの処遇なんだが」

 「なんだよ。ダショー様なんだろ? このままエリドゥへ送り届けるんじゃないのか」

 「やだよ! ハルキ、エリドゥに行かないで!」

 「だから勝手に決めないでくれ。絶対俺はエリドゥなんか行かないからな」


 目を見開いて固まる男と、飛び上がるように立ち上がった少女。

 その対照的な人達には話しておこう。

 きっと、俺は彼らの力を借りる事になる。今以上に、彼らを必要とするはずだ。

 ならば、事情は説明しないと。


 「どこから話せばいいかな。とりあえずハルンツの時代から話そうか」

 「そりゃ長い話だね」

 「五百年なんて、ちょっと前の事さ」


 苦笑いして、お茶を一口流し込む。

 豊かな香りの中に、日本で飲んだ緑茶の香りを辿る。まるで全てが夢物語のように感じられる。

 そう感じる分、俺は遠くに着たんだな。

 まだ全てを思い出していない事も含めて、ゆっくりと長い記憶を紡いでいく。

 エアシュティマスの記憶を確かに受け継いだ事。

 その中に何か大切な事を忘れている事。

 深淵が代々のダショーを拘束している事。

 井戸の底のような小さな部屋で、小窓を見上げながら暮らしていた。記憶の中の青い空と海を思い出していた。

 そして魂に食い込むように拘束された青い蜘蛛の糸の呪い。


 「信じられないけど、本当なのかい」

 「確かに、歴代のダショーは戴冠から公にめったに姿を見せないからなぁ」

 「好きで引き篭もってた訳じゃないけどね」

 「世界を破滅から守る為にダショーを拘束していた、と。深淵はそう言うんだな」


 無精ひげを撫でながらカムパが言葉に頷く。

 雷鳴の中でアイが言った言葉が蘇る。

 深淵は俺を拘束する事を善だと思っている。信じている。だからこそ、五百年も拘束続けた。


 「深淵の理屈は俺も判るよ。俺がいた世界にも似たような、そう。国を一瞬で消滅出来る兵器が存在しているからね。深淵のヤツラの気持ちも判るんだ。でも」


 言葉を区切り、疑問を口にする。

 慎重に記憶を開いていく。


 「曖昧な記憶の部分がある。歴代のダショーは、本当に拘束され続けていたのか? 俺の中に、一つだけ違う記憶があるんだ。真っ暗な河の上を走ってるんだ。あれは誰の時なんだろう」

 「ハルルン壊れたな」

 「壊れてないって。この世界に来たときに幾つか記憶を見てるんだけど、その中にあったんだ。何かをしようとしてた。何か大切な事をしようとしてたんだ」

 

 追い立てられるような気持ちが蘇る。

 早くしないと。あいつらにバレる前に、捉まる前に。

 そう。捉まるのなら


 「「いっそ壊しちまえ! 」……っていう気持ちだったんだけど」

 「何だそりゃ。何を壊すんだい」

 「いや、その……曖昧なんだ」


 唐突に口から記憶当時の感情が溢れ出してしまった。

 まるで奇妙な芝居でも観るかのようなサンギ達の視線が痛い。

 居心地の悪さを感じながらも、言葉を繋げる。

 自分の成したい事を伝えなければ。


 「正直、俺はこの世界に興味なんかないまま戻ってきたんだ。言い方は悪いけど、本当に成り行きで。だから、ダショーとしての考えもなかったんだ」

 「なるほど。今までずっと名乗らなかったのは、ダショーとしての自覚も責任も感じてなかったとな」

 「カムパの言う通り、自覚も責任も無かった。この世界をどうこうするつもりはなかった」

 

 今まではなかった。

 この世界の事なんて、何も考えてなかった。ミルがいれば何もいらなかった。

 何にも、いらないのに。


 「でも、今は違う」

 「じゃあ、あんたは……ダショー様はこの世界をどうなさるつもりなんだ」

 「世界をどうこうするつもりは、まだないよ。ただ、クマリの姫宮を」


 奪い返す。そう言おうとした俺に、カムパが素早く目配せをした。

 音もなく椅子から立ち上がり、扉に近づいていく。


 「あぁ、逃げやがった。無駄だぜ」

 

 シンハの言葉と同時にカムパが扉を開ける。確かに、そこには誰もいない。薄暗い廊下が口を開いているだけだ。


 「あの足音は男だな。おっさん、確かに気配があったよな」

 「扉の向こうで息を潜めていた。しかも、精霊を全て打ち払って近づいてきよった」


 カムパの唸りに、耳をピンと立てたシンハが喉の奥で音を立てて嗤う。 

 獰猛な肉食獣な笑みを目の中に浮かべて嗤った。


 「この船の中に間者がいるってことだな」

 「まさか……だって、後李に囚われていた共生者達しかいよね? おあばさん、それじゃあ採掘場の島に囚われてた者が」

 「深淵の間者って事かい」


 サンギの苦々しい声に、頭を殴られた。

 深淵の、間者が紛れているのか?

 蜘蛛の糸が、そこまできているのか。

 込みあがる武者震いを、止められない。


 

 

 

 



 

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