70 知っているんだ
「シャムカンはねぇ、蒸かし芋にお塩かけたの好きなの。モルカンはね、揚げたお芋が好きなんだ」
「ふんふん」
「あとねぇ、二人とも卵は半熟よりトロトロのが好きなの。変だよねぇ。何か生卵みたいであたしは苦手」
「俺も半熟トロトロが好きだよ」
途端にミンツゥは黙ってしまう。
込み上げる笑いを堪えつつ、手早く蒸かした芋に塩を軽く振りかけて鍋から卵を一つだけ取り出す。
竈の炭を取り出し、念入りに火桶の中へ仕舞う。火気厳禁の船内だから、特に気を使いながら火元の確認。
ミンツゥは傍らで俺が作ったオカズを、大きな木の葉で手早く包んでくれる。
「少し食べれるといいけどな」
「ハルキのご飯おいしいから、きっと食べてくれるよ。あ、卵はどうすればいい? 」
「このまま鍋に入れておこう。しっかり火を通した湯で卵になるから」
「よかった」
正直な言葉に、卵賭けご飯は彼らに出せれないなと苦笑い。
手早く配膳の準備を始めると、男達が食堂にちらほらとやって来る。筋肉隆々な彼らが、それなりの広さだった食堂を狭くしていく。
天井に頭を擦り付けそうにして、若い男がミンツゥを見ると小走りにやって来る。
「お嬢、おれらがやりますから」
身をかがめるように少女のミンツゥに伺い、彼らは手早く配膳しだす。
蒸かし芋に焼いた野菜を入れた小鉢を任された彼らが、不思議そうに俺とミンツゥを見比べている。
ミンツゥが配膳を手伝うのが不思議なのか。俺が飯を作っているのが不思議なのか。
浜では炊飯は女の仕事のようだったから、よほどに珍しいのかもしれない。
「サンギ様は? 」
「船室で海図を睨んでます。あとで顔出して下さい」
ミンツゥが顔をしかめて乱暴に丼を持ち上げる仕草に、男達が肩を竦める。
シンハは面白そうに足元で尻尾を振り出す。ミンツゥの仕草一つで大人達が右往左往するのが面白いらしい。
あいかわらず趣味が悪い。いっそ、前足を踏みつけてやりたい。
片足を上げたところで、ドアが勢いよく開きカムパが身を屈めて入ってきた。肩を鳴らしながら「やっぱりここにいましたか」とミンツゥの方を見て笑う。
「ミンツゥ様は炊事場にこもりっきりですな。これは若い衆の仕事だ」
「だって、貴方達に食事任せたら美味しいの出てこないもの」
「まぁ、それは認めますがね。お、香魚を炊き込みご飯にしたのか。芋も上手そうだ」
カムパが入ってくるなりミンツゥの目の前にあった蒸かし芋を摘んで食べてしまう。
「それはシャムカンのご飯! 食べちゃ駄目ですっ」
「そりゃ失敬。しかし……今日で3日目か」
俺は黙って丼に炊き込みご飯を盛り付ける。香魚の白い身が茶色く炊き込まれたご飯に映え、香ばしくも穀物の甘い香りが漂う湯気が立ち上がる。
機械的に丼に大盛り。大盛り。大盛り。次々とよそい、男達は入れ替わり立ち代り受け取っていく。
ミンツゥは蜜柑を入れた籠を持ち、男達へ一つ一つ渡していく。
指先についた塩を舐めながら、カムパがニヤリと笑う。
「しかしまぁ、本当だったな」
「何がです」
「お前の飯が上手いって噂だ。お陰でいつもの航海よりいいモン食える」
「そりゃどうも」
「浜にいた時は女連中の中で男が混じって飯作ってるって気味が悪かったけどな。記憶と一緒にタマもなくしたんかってな」
股を軽く叩くカムパを見て、丼を前に突き出す。
「おかわり、なしですよ」
「冗談だよ」
「もちろん冗談です」
どこにも嫌な奴はいるが、異世界にもいるのかよ。髭親父っ。
まったく、男が料理してもいいだろ。
苛々したままお釜に蓋をして蜜柑を放り投げる。
片手に丼を持ったまま、カムパは腹正しいほどの余裕の動きで蜜柑を受け取った。
腹が立つ。まったく。
「夕刻までにはティム島付近に着いて禄山殿と合流する」
「禄山が来るのか? 」
「まずは本番前に採掘場周辺を探る。本番にミンツゥ様をしっかり補助しろよ」
「判ってる」
「ほれ。早くシャムカンに飯、持っていってやれ」
「……あぁ」
濡れた手を拭いて葉に包まれた弁当を持つと、足元で寝そべっていたシンハが寄り添うように歩き出す。
「ハルキ」
「ミンツゥは先に食べてて。もうすぐ卵に熱が通るだろ? あとサンギとイルタサにもご飯を包んで持っていってくれ」
「うん。でも」
「大丈夫」
まだ何か言い足りなさそなミンツゥに微笑みかけて、扉を締める。
俺は心配をかけてばかりだ。負担をかけてばかりだ。
ダショーだという事を隠したまま、何をやっているんだろう。小さなミンツゥに庇われたまま、何をやっているんだろう。何が出来るんだろう。
狭く薄暗い廊下を通り、甲板へ出る。
潮風を受けてはためく帆の音と、波の音。帆を張る綱がきしむ音。船体に当り砕ける波の音。そして海原を切り進む波の音。
交代で食事に来ているからだろう。帆と舵を取る船頭と数人の水夫だけが、のんびりと甲板で空と水面を見つめている。
濡れた甲板を歩く水音すら、聴こえそうだ。
「シャムカン」
見渡す限りの水平線を背景に、船首に座った後姿。潮風に打たれ続けも、陽に照り付けられても、まるで彫像のように動かない。
ゴザの上に胡坐で座り海を見つめ続けているシャムカンの横に、そっと座る。
浜を出発して三日間。何も喋らず動かず飲み食いもしない。薄汚れ無精ひげが生えてきた頬と目元が僅かに窪んだ顔を、ただ見つめる。
シャムカンが見つめているのは海の先の、モルカンなのだろう。
耳を澄ませ、目を開け放ち、全身全霊で兄弟の声を聞こうとしている。
声なき叫びを。魂の叫びを。
「ごめん」
俺に度胸があれば。強さがあれば。知恵があれば。あの時俺がダショーと言っていたら、こんな事にはならなかったのかもしれない。
採掘場にモルカンが潜入して、騒動を起こさせて。それを合図に襲撃。俺とミンツゥは虹珠に閉じ込められた精霊達を開放する。
無謀な作戦。潜入したモルカンがどうなるか。誰も口にしないけど、結果が見えるようだ。
俺がダショーと名乗れば、こんな作戦にはならなかったのかもしれない。
ダショーと名乗れば。
名乗るチャンスはどれだけでもあったのに何度も逃げている。
俺は結局、自分が可愛いだけなのか。
「……んで」
「シャムカン? 」
「なんで、ハルキが謝るんだ……」
耳元を切る風の音より微かに、しゃがれた声が零れた。
「謝ることを、したのか? 」
「シャムカン……」
「おれ達の事、かわいそうだなんて思うなよ」
土色に干からびてひび割れた唇が、少し斜めに歪んだ。
視線は広がる海原を見つめたまま、掠れた声が風に飛ばされていく。
「この役目は、おれ達しか出来ねぇ。素破や隠遁のヤツラの共生能力には勝てないけど、お互いの事が離れてても判るのはおれ達しか出来ない。へへっ……おれ達、それしかないからな」
「凄い事じゃないか」
「そう言ってくれるのはハルキとミンツゥだけだなぁ」
シンハは濡れた甲板に座るのは嫌なのだろうか。
シャムカンの座るゴザの端に寝そべり前足の上に頭を乗せて大あくびをしている。揺れる尻尾が風になびく。
「おれ達さ、クマリの乱で親なし子になってさ。後李の兵隊に殺されるところをイルタサ様に助けられてさ」
「クマリの乱……10年前か」
「おれ達ガキだったし、訳わかんないまま逃げててさぁ。でも薄暗い空の下で振り上げられた刀、まだ覚えてるよ」
「あぁ……酷かった。むごい光景だった」
炭となって焼け焦げた遺体が足の踏み場もないほど転がった大地。いたるところから立ち上がる焦げ臭い煙。薄暗く霞む空。
所々で上がる断末魔。馬の駆け音。狂気を帯びた笑い声。
そして、母親の温もり。
終末のクマリの光景。忘れられない、忘れてはいけない時間。
俺が胎児だったという、記憶。あの時間、同じ空間に彼らはいたのか。
俺が変えてしまった運命が、目の前にある。巻き込んでしまった人が目の前にいる。
逃げ出したい。逃げてしまいたい。
「でもな。信じるかなぁ。おれ達見たんだよ」
掠れた呟きに喜びが混じる。
「大地から立ち上る白い光の柱を見たんだよ」
小さな子が「お月様キレイ」というように、その言葉を口にする。
「ダショー様の魂が空へ舞い上がるのを見たんだよ」
甘い響きを口にするように。大切な秘めた思い出のように。
「だから、大丈夫だって思った。ダショー様は無事だって。いつか還って来るって。そうだろう? ハルキは還って来た。唄が聞こえた」
「シャムカン」
「ミンツゥを、大事にしてやって下さい。あいつは、本当はダショーじゃないでしょう? でも、でも必死なんです。ミンツゥの存在がニライカナイを団結させてる。あいつ自身、それは判ってる自分は『ダショー』を演じなければいけないって判っている」
シャムカンは知っている。
ミンツゥが『ダショー』の役目を負っているわけも。本物の『ダショー』が、俺である事も。
モルカンも全てを悟った上で、潜入に行ったという事なのか。
「どうか、ミンツゥを守ってやって下さい。仇の後李を討って下さい」
窪んだ目元に笑みを浮かべ水平線の先を見つめている。穏やかな姿に、抉られたような痛みが全身を貫く。
『ダショー』の自分なら問題を解決できると、そう思いあがっていたんじゃないか。
まるで全ての問題を解決できると、上から目線で物事をみていたんじゃないか。
傲慢だった自分が恥ずかしい。
全ては自分が撒いた種なのに。
クマリに生まれなければ、戦は起きなかっただろう。この力が無ければ。世に隠れて暮らしていれば。深淵に捕まらなければ。
過ちを何度も繰り返し、周りの命を巻き込み、何度も絶望をぶち撒いて。
そんな俺に、シャムカン達は自らの命と引き換えのように希望を託している。
親の敵を討って欲しいと。ニライカナイとミンツゥの無事を。
手の中の弁当が、重い。とてつもなく重い。
ようやく、俺は理解した。
俺の背負った罪の重さに。魂に繋った枷に。自分の幼稚さに。
何十万もの命と血の涙が見えた。途切れる事のない望郷の念を背負っている痛みで貫かれた。
ただ自分が傷つくのを恐れていただけで。色んな理由をつけて逃げていただけで。ミンツゥに庇ってもらい、結果逃げる形になっていて。
全ては逃げ回っている自分が招いたんだ。
深淵に囚われた自分が不幸だと、そう甘えていただけで。自分の身の上を嘆いて甘えていただけで。
背負わなければいけない。この世界を、『共生者』というモノに囚われている人々を、踏み躙られた人々を。
これ以上、逃げられない。
でも、怖いんだ。
俺は、そんな聖人じゃない。ただ愛する人を追いかけているだけなんだ。ただ、平凡で単純な毎日を繰り返したいだけなんだ。
こんな俺に、どうしようもない奴に、その純粋な願いが叶えられるはずないじゃないか!
明けましておめでとうございます。今年こそは鈍足の更新速度をせめて蝸牛から亀並みに…(汗)。早く描き終わりたい!せめてエリドゥの街並みを描かずしてどうするっ!…てのが今年の目標です。その為にはまず3章を描き終わらねば…(苦笑)
次回更新は25日 水曜日 の予定です。