68 本当は臆病で弱虫で
生ぬるい風が海からやってくる。慣れた潮の香りを胸いっぱいに吸い込んで吐き出す。
疲れ、心配、恐れ。吐き出したかった。安心が欲しい。安易に手に入れられるものではないけど。
「サンギ様、子ども達は……」
「あぁ、取り合えずは大丈夫だ。処分はない。今は子ども達で話をしているよ。自分のやってしまった事を悔いて過ちを繰り返さないようにする為にね。……まったく」
星明りに照らされた浜辺に、幾つもの人影が動いている。あの子ども達の親だろうか。
天幕から出てきたサンギを取り囲むように動いた人影がぴたりと止まり、視線を感じる。
「ただね、あの子達は重い試練を与えられたよ。そういうことだね、ハルキ」
「そうですね。でも、きっとあの子達なら乗り越えられますよ。いや……絶対に乗り越えられるように手助けをしてあげて欲しい」
俺のように、自分を否定する事がないように。自分を見失って一人彷徨う事がないように。
「本当の仲間として成長出来るように、見守って欲しい。ミンツゥは確かに青い瞳で大きな力を持っているけど。だからと言って自分の力も地位も過信しないように。子ども達は自分達を卑下しないように。互いに尊重して認めるように」
「そんな事……だって、ミンツゥ様は『ダショー』でしょう? 」
「そうだ。尊い魂だ」
「その方にどうこうなど……」
こういう考えなのか。
大人からして、この世界はこういう考えなのか。
頭を殴られたような感覚だ。
「ダショーへの尊敬や敬意を払うのをやめろと言っている訳ではない。信頼さ」
サンギの言葉に頷いて、ミンツゥ達がいる天幕を振り返る。
ひょっとして、俺はこの世界に妙な価値観を持ち込んでしまったんだろうか。
理解されない、信じるものを壊す考え方を押し付けてしまったんだろうか。
それを含めて。俺も頑張らなければ。
ミンツゥにばかり負担はかけられない。
風が沖へと吹き出した。天気は下り坂。
水平線の向こうにそびえる入道雲の下は灰色の嵐の世界。雲の内部を青白い稲妻が何度も切り裂いていくのを見ながらコメカミが鈍く傷むのに気づく。どうやら、奥歯を噛み締めていたらしい。
潮風が僅かに生暖かく、背後から勢いをつけて吹き付ける。
彼方に見える入道雲に向けて疾走する風が心地よい。
嵐になるよ 雨が降るよ 風が荒れるよ 全てを混ぜるよ 掃き清めるよ ほら ほら いそげ あつまれ かけあがれ
そんな精霊達の唄うような声が聞こえる。
人間が何をしようと、精霊や自然は法則に沿って動いている。
汚れたら清める。乱れたら整える。全ては美しい法則に沿って粛々と進められる。
逆らうのは、人間だけだ。
「ハルルン。いいのか」
足元のシンハの言葉に溜息で答える。
いいか悪いかなんて、判らない。
だから悩んでいるんだ。答えは、もう出してしまったけど。
「採掘場を見つける件、本当に手助けするのか」
「サンギに返事するよ。ずっと待たせてるし」
「あいつらに力を貸すのか? 」
船べりから彼方の入道雲を見つめて頷く。
後李が極秘に管理している虹球採掘場を、見つける。そして強制労働させられている共生者達を助け出す。
ニライカナイの仲間達だけでは成功するか判らない勝負に手を貸すことで、俺の立場も変るだろう。
力を前にした彼らが、俺を利用しようとするかもしれない。
深淵の神殿で息を潜めて探っているだろう、アイや神官達が動き出すかもしれない。
後李帝国が襲ってくるかもしれない。
そうしたら、俺はどうなるだろう。
ニライカナイの仲間達はどうなるだろう。
何より、何よりもミルはどうなる?
どうなるか判らない未来が怖い。このまま時が止まればいい。逃げ出したい。今すぐに地球に帰りたい。
でも。
「やってみよう」
怖いのは、もう立ち向かう気持ちがあるから。判らない未来を見据えたから。
逃げるな。足を踏ん張れ。まずは一歩進むんだ。
そうすればきっと、次の一歩に繋がる。
「何とかなるさ」
「なるかぁ? 」
「何とかする」
言葉で勢いをつけて歩き出す。階下の船室へ向かい、一歩進める。
深呼吸。腹の奥へ気を込めて。震える自分を慰めるように、ゆっくりと息を溜めて。
ミンツゥにこれ以上は負担をかけられない。ダショーは俺だ。何時までも偽れない。
逃げるな、自分。
昼なのに薄暗い船内へ降り、船長室のドアをノックした。
漏れ聴こえたざわめきが止まる。
「お入り」
「失礼します」
ドアを開けた瞬間に好奇と疑いの視線に串刺しにされて、もう一度深呼吸をしてから足を踏み入れる。
様々な感情が俺の動作に合わせて無遠慮に投げつけられる。
恐れや苛立ち。
昨日まで俺はただの料理人だった。それが突然、ミンツゥの暴走を収めて元の『大連かもしれない記憶喪失の不審人物』に戻ったわけだ。
やっぱり、俺は逃げていたのかも知れない。
ニライカナイの仲間の中でさえ異質な自分の立ち位置から、目を背けたかったのかもしれない。だから、おばちゃん達と料理をする事を無意識に選択しいたのかもしれない。
俺は、臆病者だ。
あまりに幼い自分の内面に苦笑いをして、直立不動の姿勢をとる。
船長室に集まった男達に向かい合うために。
「採掘場の件ですが」
「やってくれるのかい! イルタサ、あの子を連れてきておくれ」
イルタサが部屋を出て、中央のテーブルの周りに座った男達がどよめき、サンギを凝視した。
料理人をしていた俺がこの場に入り、採掘場の件を言ったので驚いたのだろう。
それほどの重要な話だったんだ。改めて、身体が硬直する。
どうする。どうやる。何が出来る?
動悸が身体を震わす。
「俺が出来る範囲です。それと、条件があります」
「ちょっと待て! サンギ様、どういう事ですか。なんで料理番のこの男が襲撃の事を知っているのですか。この件は素破の我々と隠遁が密かに進めていた事」
「黒雲様が直接ハルキを指名された。それに」
サンギはゆっくりと男達を睨んだ。
「私も何も出来ず、素破すら手を出せれなかった昨日の精霊の暴走は誰が収めたんだい? この男がどれだけの力を持っているか、判らないのかい」
「それは、しかし」
まるで雷様のように癖のある顎鬚を蓄えた中年の男性が目尻を痙攣させて腕を組直す。
気に入らないと、全身からの意思表示。もちろん他の男達も、その逞しい身体に不平不満を押さえ込んでいる。
「皆の衆が納得いかないのは判る。だが、後李の軍が各地へ広がり手薄な今を逃す手はないだろう。第一採掘場は長く探している中でも最大級の規模だ。ここを叩く意味は大きい」
「ですから我ら素破がっ」
「聞き飽きた」
「サンギ様! 」
緊迫してる。非常に俺は居心地が悪い。
素破と名乗る彼らの顔には見覚えがある。浜辺で何やら話し合っていた男達の顔がちらほら。兵士のような雰囲気に押され、遠めで眺めながら料理をしていた。
彼らは、最前線で戦っているのか。
そして、厳つい彼らに牙を向ける足元のシンハ。低く唸るその声が、頭痛を引き起こす。
よけいなケンカを売って欲しくないんだが。
「聴けば、後李の内陸で放浪楽師をしていたとか。楽師が何が出来る! 」
「いかに力があろうと、正体不明な輩に任せるなど信じられぬ! 」
それはそうだろう。男達の主張は納得できる。でも、それを覆させなくては。
彼らを納得させなければ。
彼らの力にならなければ。
頭の中を高速回転させ奥歯を噛み締めた瞬間。
「あたしは信じます! 」
高く澄んだ声に、全員が振り返った。
「あたしは信じてます! ハルキなら出来るって、信じてます! 」
「……ミンツゥ」
青い瞳が男達を射すくめる。イルタサとシャムカン達を引き連れて堂々と自分の倍もある大人達の間を歩き、サンギの横に立った。
この場にいる大人達全てが、その凛とした立ち姿に見蕩れていた。息を飲んだ。
おそらく、誰もがその美しさに。
「ハルキが手伝ってくれるなら、私も出来ます」
青い瞳が強い意思の力を漲らせて、屈強な男達を圧倒する。
まだ少女のミンツゥのどこに、これほどの力があったのだろう。
いつのまに、こんなに美しくなったのだろう。
か細い線の体から、優美なラインを描く首筋から、凛とした美しさが輝いている。
「私、出来ます! 採掘場を見つけ出して、精霊達も解放させます! 」
「しかし……今まで数多の呪術師や共生者が挑んでも破れなかった場所だ。いくらミンツゥ様が『ダショー』だとしても」
「だから、俺が手伝う」
「お前がいくら力ある大連であろうとも無理だ。第一採掘場は東海の精霊達を一挙に拘束している場所だぞ。そこを破れるのは今や『ダショー様』のみだ。それでもお前は出来るというのか」
「我ら素破が総がかりでも無理だったものが出来るはずもない」
「本当にミンツゥ様が『ダショー』なのか確信できないのに」
一斉に投げられる野次に肩を怒らせたミンツゥが、一歩前へ進みかけるのを肩を押さえてとどめる。
怒りに潤む青い瞳に笑いかける。
足元で唸るシンハの横腹を軽く撫でてやる。
「では、ダショーなら出来るんだな」
逃げるな、自分。
あぁ、手が震えてる。脈打つたびに、指先が震える。
逃げるな、自分。
次回 28日水曜日に更新予定です