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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 67 ミンツゥの想い

 「ミンツゥはまだ小さいぞ。手も足も、こんなに小さいんだぞ! 水だってちょっとしか汲めないし、鳥を射取る事も出来ないんだぞ! 」

 「そうだな」

 「通らなくてもいい道だった! 求めればオイラが八つ裂きにするのに! 何でわざわざ苦労をかうんだよっ」

 「それが人間なんだよ」

 「バッカバカしい! 」


 鼻息荒くシンハは荒ぶる心を吐き出すと、前足の上に顎を乗せて苛立つままに尻尾を床に叩きつける。

 なんだか替わりに怒ってくれたようで、口元で笑ってしまった。そんな俺を見て、ますます腹が立つようだけど。


 「……お空に、大きな鳥が飛んでたよ……」


 掠れた、小さな声。

 シンハと俺が飛び起きると、ミンツゥの青い瞳がゆっくりと開いていく。

 乾燥してひび割れた唇から、囁くように言葉が零れていく。


 「鳥が飛んでお空に雲が一筋出来るの……石とガラスの塔が、いくつも、いくつもお空にそびえてるの」

 「ミンツゥ」

 「ハルキがいた世界って、すごく変ね」


 首を動かすのも億劫な仕草で、ミンツゥが俺に微笑みかけた。

 あぁ、そうか。

 精霊の竜巻の中で腕を掴んでミンツゥの記憶や感情が流れ込んできたように、俺の記憶が感情がミンツゥに流れてしまったんだろう。

 苦笑いで、ミンツゥの額に手の平を乗せる。


 「ゴメンな。変なもの見せちゃったね」

 「ううん……嬉しい。ハルキのいた世界が見れて面白い」

 「面白いか」

 「うん。すごく変。でも、お日様やお月様は一緒だね。藍色の空も、紅色の夕日も」

 「そこは、忘れていいよ」

 「……ハルキ」


 いつだったか。

 高校三年の秋の光景。

 自分を殺したくて、道ずれにオバサンも殺したくて、炎に飲まれそうになったあの夕日の事。天に向かって罵りの言葉を吐いた、あの時の事。

 

 「汚いところを見せたね……」

 「ハルキも、一緒なんだって思えるもん。だからいいの」

 「いい、か。ミンツゥは強いな」

 「いーや! 馬鹿だ! 人間ってのは大馬鹿だ! 」


 シンハの尻尾がパチンパチンと床を叩く。

 大きな肉球で何度も頭を叩く。その人間臭い仕草を見て、ミンツゥの顔を合わせて吹き出した。

 ミンツゥは咳き込み、慌ててシンハは背中をさすり、俺は水差しから水をコップに注ぎこぼして。

 天幕の下はちょっとした騒ぎ。その物音を聞いたのだろう。サンギの声が外からかけられる。

 

 「具合はどうだい。どこか身体が痛むとか、あるかい」

 

 大きな身体を折るように、三角に釣られた天幕の下にサンギが入ってくる。

 俺が場所を空けようとすると、それを手を上げて押しとどめる。敷き布の手前で座り、額を砂につけるように深く頭を下げる。

 いきなりの土下座に、俺は固まってしまった。土下座なんて、初めて見たぞ。


 「ミンツゥを助けてくれた礼を、まずさせておくれ。本当に、本当にありがとう……」

 「いや、その、取り合えず頭を上げてくれ」

 「ミンツゥの叔母として、命の恩人にまずは感謝と謝罪を」

 「叔母さん?! 」


 思わずシンハと俺が素っ頓狂な声を上げてしまう。

 そして、お互いの目を合わせて無言の会話。

 細く華奢なミンツゥと、女性らしからぬ巨体の持ち主サンギが同じ血を持っている事に驚いて。そして将来、ミンツゥがサンギ並みに逞しくなる可能性を感じて。

 複雑な思いで互いの目を見合わせて咳をする。態勢を整える。

 唐突に想像以上の事を聞いたからといって、ココまで挙動不審になっては失礼だ。うん。


 「いや、驚いて構わないよ。この子は私の妹の忘れ形見なのさ」

 「あ、あぁ。その、すまない」

 「似てないと思われてるのは、慣れているよ」


 サンギが苦笑いして、自分の頬に手を添える。思いのほか女性らしい仕草にドキリとする。

 

 「妹は私と違って器量よしでね。それに、とても綺麗な唄い手だった。唄うと精霊が舞い集まってねぇ……まるで天女様のようだったよ」

 「私も、お母さんみたいに唄えるかな」

 「唄えるさ。その前に水を飲みな。そんなガラガラ声じゃあ、笑われちまうよ」


 サンギの言葉に、素直に頷いて手を伸ばす。

 天幕の外に誰か控えているのだろう。水を満たした器が差し出される。

 サンギは無言で受け取った器をミンツゥに手渡し、飲み始るのを確認してから俺に向き合う。


 「それで、子ども達をどうするんだい」

 「何もしてないですか? 」

 「あぁ。何もするな、手を出すなって言う約束だからね。ミンツゥを守ってあの精霊達を戻したハルキならあの子らをどうしようが親達は文句はあるまい……」

 「まるで取って喰うみたいな言い方ですけど」

 「……違うのかい」


 人を何だと思っているんだ。

 まるで死刑執行人のように言われて、肩を落としてしまう。

 あの後、森を出てきた子ども達を取り囲んだ大人達に、ミンツゥが目覚めるまで手を出さないでくれと頼んだのだ。

 放っておくと、あの子ども達は罪人として扱われそうな雰囲気に慌てて頼んで正解だったな。

 ゆっくりと水を飲み息を吐き出したミンツゥに微笑みかける。

 

 「仲直り、しようか」

 「ハルキ……」

 「ミンツゥ、辛いと思うけどみんなと仲直り、出来るかい? 」

 「何言ってるんだい! あの子らは、あの子らはダショー……いや、ミンツゥが手を出さない事を知って散々な屈辱を言い貶めていたのに! 」

 「ミンツゥを辱めた。散々に言葉で心を刺し続けた。判ってるよ、サンギ」

 

 不安そうなミンツゥの手から、器を受け取って頷く。


 「腹が立つと思う。でも、やり返しても前に進めないだろ」

 「何でだよっ。ミンツゥが優しいからって、力を持っててもやり返さないの判ってて散々虐めてきたんだぞ! 」

 「そうだな。ズルイよな。確かに、ミンツゥはあの子達に罰を与えられるよ。けど、その後は? このニライカナイの仲間は、恐怖で縛られて一緒にいるのか? 俺の知るニライカナイの仲間は、信頼で繋がっていたよ」


 力を憎んで。ただ安住の地と時代を望んでいた。

 ささやかな幸せを望んでひっそりと生きていたじゃないか。

 俺の知る、彼らの姿だ。

 尻尾を床に叩きつけて牙を見せるシンハを見つめる。

 


 「未来をどうしたいか考えるんだ。感情のまま突き進むのが正解ではないんだよ。腹は立つけどね」

 「感情のままではなくて? 未来を考えるの? 」


 ミンツゥに頷き、微笑む。

 

 「ミンツゥは、どんな仲間でいたい? どんな自分になりたい? 」

 「どんな自分かって……強くなりたい。もっと強くなりたいよ」

 「それは、力だけではないよね」


 まだ血の気のない唇を固く噛み締め、ミンツゥは頷いた。

 

 「強くなりたいよ。共生能力だけじゃないよ。だから、許すんだね? 」

 「ミンツゥ……あんた、いいのかい」

 「うん。みんな、そこにいるの? 」


 ミンツゥの言葉に、天幕の向こうから小さな影が幾つも出てくる。

 憔悴しきった顔に、生気はない。小さく震えながら天幕に恐る恐る入ってくる。

 押し合いながら、さらにミンツゥから遠ざかろうとする子どもらの僅かな動きが気に入らないのだろう。シンハが「ガゥ! 」と一唸りすると悲鳴を上げて凍りついた。

 ライオンの前に引き出されたかのような図。いや、そのものだ。


 「自分達がやった事、理解出来たよね」

 「ひゅ! 」


 妙な音を立てて息を吸い込み、子ども達が身を寄せ合う。

  

 「判るなら、まず何を言うべきか考えて」

 

 こんなに恐れていては、周りの大人が何を言っても聴こえないかもしれない。

 溜息をついて、ミンツゥを見る。思いのほか、背筋を伸ばして子ども達を見ていた。

 幼いながら、その威厳に微笑む。

 ここはミンツゥに任せたほうがいいかも知れない。


 「自分の犯した過ちと向かい合うのは、すごく辛いけど目を背けちゃ駄目だよ。何をしたか気づいて。これからどうすべきか、どう償うべきか考えて教えて。君達はニライカナイの仲間なんだろう? 互いを尊重して信頼していく仲間なんだろう? 」

 

 この子達に課した事は、罪を罰によって償うより難しい事だ。

 でも仲間として共に歩いていくのなら、乗り越えなくてはいけない。感情を理性で抑える。傷つけた、傷つけられた事実を受け入れる。醜く残る傷口を隠す事なく強さに変えていく。

 それを成し遂げていく事が、この子達の大きな力になるはずだから。


 「ほら、シンハ。邪魔したら駄目だからいくぞ」

 「がぁああ! こいつらの中にミンツゥ置いてくのかっ。そんなん野獣の中に雛を置いてくようなもんだぞ! 」

 

 野獣のように牙を見せて唸るシンハに、子ども達がますます萎縮して固まる。

 あぁ、もう。


 「ネクタイ、するか? 」

 「っ! 」


 耳元の囁きは三蔵法師の経文が如し。

 逆立った毛も振り回す尻尾も垂れ下がり、歯軋りしながら天幕を出て行く。

 サンギも心配そうにミンツゥを何度も振り返りながら出て行く。

 心配は、わかる。ここは分岐点。子ども達がどんな未来を行くかの、分岐点。

 心配を奥に隠して、俺も天幕から出るべく腰を上げる。


 「ハルキ! あの、貸して欲しいの」


 唐突な申し出に、腫れたミンツゥの目元を見ると早くも涙が零れている。

 その視線の先に腰に下げた俺の手ぬぐいに気づく。

 

 「え、あ、使い古しだけど、使うの? きれいじゃないよ」

 「だって、困るから、その」


 昼間、汗を散々に拭いた手ぬぐいだ。臭いと申し訳ないけど。こんなんでいいのか。サンギの方がきれいな手ぬぐい持ってるだろう。

 そう思いつつ一日の疲れを体現している手ぬぐいを差し出すと、ミンツゥは嬉しそうに受け取る。


 「ありがとう」

 「う、うん。何かあったら外にいるから。みんなでちゃんと話すんだよ」

 「あたし、出来るから」

 「うん」


 よれよれの手ぬぐいを胸の前で握り締めたミンツゥが、大人びて見える。何故だろう。

 


 

 次回 12月14日 水曜日に更新予定です。

 

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