66 渦の底から
陽の光の中で涙を流して立ち尽くすミンツゥ。底なしの気脈から飛び出してくる精霊達も、その青い瞳には映っていない。
「一体何があった! 」
イルタサの一喝に、子ども達が身を震わして蹲る。腰が抜けたと表現したほうが当てはまるかもしれない。
シンハは全身の毛を逆立てたまま遠吠えを繰り替えす。
空へ響く遠吠えが、荒れ狂うようミンツゥの周りを疾風する精霊達を空へと導く。まるで竜巻が出来上がっていくようだ。
「何があったんだ! 後李の襲来ではないのだな?! 」
「み、ミンツゥがいきなり、いきなり泣いて」
「泣いたら急に風が吹いてっ」
「精霊が怒って急に……」
「いきなり泣く訳ないだろう! 」
子ども達の説明に嫌な予感がする。
雷を撒き散らしながら飛び回る竜巻に、精霊が深い哀しみや怒りに翻弄されているのを感じる。その感情の根源はミンツゥだ。
気脈の穴の付近で、こんな激情に身を任せたからだ。ミンツゥの激情に精霊が引きずられ、暴走し気脈を通して他の場所からも精霊を引き込んでしまっている。
「ミンツゥ! 」
荒れ狂う暴風の中を進み歩き、手を竜巻の中に入れる。ミンツゥに早く触れたい。抱きしめたい。
猛烈な風となって俺をはじき出そうとする。力任せじゃ、駄目だ。ミンツゥの感情に流されている精霊達の勢いに抗えない。
落ち着けなくては。そう、吾を失った精霊達を落ち着かせなければ。
「 八百万の神々の 住まう天地 深淵の果て 全てに響かせ轟かそう 」
全てを零に。粒子も、力も、感情も零に戻せ。
「 天地合わさる果てにまで 全てを包む風にのせ 汝の僕関口晴貴は唄いましょう 」
押し出そうとした精霊達が、ゆっくりと振り返る。俺を見る。そうして、優しく包み込む。
気脈から溢れた精霊が、宙を漂い溶けていく。自分のいた場所へ帰っていく。
精霊の変化に唄を唄った事はマチガイではなかったと安心して、ミンツゥの腕をそっと掴む。
途端に激情が俺の中を焼き焦がした。哀しさ、怒り、苛立ち、虚しさ、恨めしさ、喘ぎ苦しい黒々とした絶望の渦。
稲妻のような激しい感情が電流のように俺の神経を焼け焦がしていく。
生きる事を否定するような、真っ黒な感情。それがミンツゥの中を支配している。
これは全て、ミンツゥに叩きつけられた感情。力に憧れ、権威を欲しがる人々の欲望。純粋な気持ち。
ミンツゥ、君はそんな感情を真っ直ぐに受けとめてしまったのか。
「ハルルン……」
足元にシンハのフサフサとした毛を感じ、深く息を吐き出す。
気を抜くと飲み込まれそうだ。
ミンツゥの激情に、自分の奥深くに巣くう暗闇の感情に飲み込まれそうだ。
かつて苦しんだ感情を思い出し、ゆっくりと呼吸を整える。
大丈夫。俺はもう大丈夫。異能を持った劣等感も、殺したいほどの恨みも、哀しみも、全て受け入れて認めている。だから、自分を信じてミンツゥに手を差し伸べられるはず。
ゆっくり、ミンツゥの肩を引き寄せる。
風の精霊が再び吹き荒れる。その勢いに抗い、抱きしめる。
細い背中を、強く強く抱きしめる。
虚ろに宙を見上げる青い瞳を覗き込む。
さぁ、その感情の底を見せて。俺はここにいる。
「ミンツゥ。大丈夫だから」
僅かに揺れた瞳の奥から、様々な子どもの声が吐き出される。
「ダショーだからって」「一緒にいると怒られるんだよ」「エラそーにしてんな」「大人から叱られないんでしょ? 」「いいだろ。いつも特別なんだからこれくらい」「『ダショーの娘』だからっていい気になってんなよ」
吐き気がする。
純粋な悪意が吐き出されていく。ミンツゥの体に巣くっていた毒々しい感情が流れ込んで、眩暈がする。
こんなにも恨み辛みを当てられたら、苦しかっただろうに。
「 天道そびえる十二の宮 巡り巡り六十支 永久の契約の下 吾は叫ぼう 」
人に妬まれ、恐れられる。これがダショーの宿命なのか。
それを、こんな幼い女の子が背負わなければいけないのか。
共生者の多いニライカナイの集団でも、こんな恐れや欲望が生まれるのか。
「 汝の威光を栄光を エンリル その御力は世界を回す 」
この世に、こんな力は要らない。そう出来たらどんなにいいだろう。
そう出来ない。でも、地球のように力がない世界ならばミンツゥは別の人生を歩めたのかも。
「 その慈悲の下 吾等は従いましょう 」
どうか吾等に。異能を持つ吾等に。
異能を持って生きていく俺達に、共生者に一時の休息を。生き抜いていく為の力を、安息を。
現状を憂うのは、一時。俺はこの世界で生きていかなければ。ミンツゥも、生きていかねば。
財力と権力を、共生能力を、よりよい生活を、『恵まれた』環境を妬む感情は、異世界でも共通で。
そんな自分自身、「当たり前の幸せ」を求めている。愛しい人と穏やかに過ごし家族で暮らす人生を求めている。
そう、自分にないモノを求める人の浅ましさは共通で。
俺だって、妬んでいた。
『普通』を求めていた。共生能力を持っている事を疎ましく思っていた。全てを疎んじ、天に向かって罵倒の言葉を叫んだ時もあった。
でも、妬んで人を引きずり下ろしてはいけない。自分を卑下して堕ちてもいけない。自分に与えられた役目を果たすために自分の足元を見つめなければ。
何度も蜘蛛の糸で絡め囚われても、絶望に突き落とされても、上を見て歩んでいかなければ。
ミンツゥ、一緒に歩もう。俺の手を掴め。自らの意思で生きると決めろ。
ないモノを強請る者達の中で、自分の幸せを探していこう。
幸せは、希望は、きっと光のように溢れている。きっと自分達から溢れてくるよ。
「ミンツゥ! 一緒にいこう! 」
生きろ!
強く、強く這い上がれ! ここまで来い!
抱きしめて、そっと額に口付ける。
俺がいる。
大丈夫。
愛おしい、もう一人の自分。
「……ハルキ……」
青い瞳が揺れた。
潤んでいく瞳に輝いていく青。涙を零す瞳に微笑みかける。
「一人で、辛かったね」
同じ青を持つ魂。
もう大丈夫だから。
抱きしめた腕をそっと解く。
頬を流れた涙を手の平で拭い、拍手を打つ。
万物を震わす音を放つ。
哀しみも喜びも、苦しみも歓喜も、全ては零に。
「 これをもって 全ての終わり 全ての始まりとする。この拍手は拍手でなく 神の御息吹なり 鼓動なり 」
気脈から飛び出した精霊が光り輝いていく。
光の粒子が漂い降りかかり、祝砲のようにシンハの遠吠えが響き渡る。
止めどなく涙を流すミンツゥを隠すように、抱きしめる。
自分の腰までの背丈の頭を、何度も何度も撫でて抱きしめる。
頑張ったね。頑張ったね。
そう、伝えたくて。
穏やかな陽射しの中で、そっと抱きしめた。
ここに来て、夜空を見上げる事が多くなったと思う。
目の錯覚かと思うほど沢山の星が瞬くその光景に、見飽きる事はまったくない。
遮るものがない空を横断する天の川。その周りに煌く星の場所は地球で習ったものとは違うけど、それはそれで美しい。
夏の大三角形が五角形でも、地平線近くの蠍の心臓がシリウスのように青白い星でも、美しい夜空に変りはない。
ミンツゥの寝息を聞きながら、砂浜に張られた天幕から頭を出して見上げていた。
目元を赤く腫らしたミンツゥは、小さく胸を上下に動かして眠っている。
心配げに添い寝するシンハの背をあやすように軽く叩いてやると、尻尾を振って返してくる。
「なぁ、ミンツゥ、いつ起きるかな」
「腹が減ったら起きるさ。大丈夫」
「もう夜だけど」
シンハが心配そうにミンツゥの手を舐めて俯く。
あれから、気を失うように倒れたミンツゥを抱えて森を出れば砂浜を大騒ぎだった。
共生能力を多かれ少なかれ持っている集団だ。ミンツゥの身に何があったのか感覚で察していた。
男達は寝起きしている天幕から、一つを離れに組み立て直してミンツゥ用にあてがってくれた。
女達は水や布団を素早く用意してくれた。
ただ、恐る恐る俺とミンツゥを遠巻きにして見ている。
その様子で、続いて森から子ども達が酷くおびえて帰りたがらなかった訳がようやく判る。
彼らは、力ある者の反逆を恐れていたのだ。報復を、罰を恐れていた。
ダショーと呼ばれるミンツゥを傷つけた、罪を問われる事を。
「オイラ、なんも出来なかったよ」
「シンハが横に居てくれたから、ミンツゥは精霊で自分を傷つける事はなかったぞ」
「でも、さ。あいつらに言われ放題で……」
「多分、ミンツゥが手出し無用だって言ったんだろ」
「そりゃそうだけど」
「しょうがないよ。通らなければいけない道だったんだ」
俺の言葉を、シンハは鼻で吹き飛ばした。
「馬鹿馬鹿しい! 」と。
その通りかもしれない。
次回は2週間後の 11月30日 水曜日 に更新予定です。
……やり残した事山積みなのに今年が終わってしまう……!