65 泣き声が聞こえる
「おやまぁ、殆んど支度が終わってるのかい」
「あとは、この生地だけですね。どうにも、俺は上手く捏ねれない、から」
手を生地だらけにして答えると、オバサンは日に焼けた顔に皺を増やして笑う。
「それならあたし達がやっておくからさ。おさんどん任せて悪かったねぇ。これを作っていたから手が離せなくなってね」
「ようやっく作り終わったんだよ」
足元にいたシンハに近づけないオバサンが、手招きをして調理小屋の外へ手招きをする。
後からやってきたオバサン達が、手に持った布をハラリと広げた。
鮮やかに染められた緑の生地で作られた男性用のチャイナ服、と言えばいいのか。
黒で縁取りされ、緑がよりいっそう深く映える。
「あんたの舞台衣装さ」
「どうだい。なかなかの出来だろ」
「これなら見栄えがあるねぇ」
「下手したら軽業師の子を食っちゃうねぇ」
「いいさ。食っちゃえば。それより着てごらんよ」
あははははと、笑いあうオバサン達に目が点。
舞台衣装? 俺の? 舞台ってナンなんだ。
聞き間違いと言ってくれ。誰か、頬を思いっきり抓ってくれ。きっと痛くないハズだ。
でもシンハが揺らす尻尾が、足元に触れてこしょぐったい。
嘘だろ、絶対。誰でもいいから嘘と言ってくれ。
砂を巻き上げ飛び跳ねる足先から、幾つもの球が空へ飛んでいく。色鮮やかな色で飾られた球が南国の空に映える。
重力に従い落下する幾つもの球を、たった一人の男が次々とお手玉のように回していく。俺はそのリズムに合わせて三線を弾く。
コミカルに、リズムに乗って奏でる三線は、アイリッシュ音楽を思い出して。
「球、増やすぞ! 」
声と同時に無造作に球が投げ加えられる。さらにスピードを上げて、三線をかき鳴らす。
弓を必死で動かし弦を押さえる指を忙しなく動かしながら気づく。
彼らはサーカス団でもあったんだ。
虐げられた共生者を助け出すには、それなりの財力と情報源が必要だ。
おそらく、イルタサ達は貿易を通じて財布と耳を肥やしていたのだろう。
そして、この浜で合流した一団はサーカスのような旅芸人をする事で各地から情報を集めていたようだ。
納得。
「シメろー! 」
一際高く球が宙へ舞い上がる。籠を持った女性が走りこみ、お手玉をしていた男の肩に飛び乗り籠を宙へ捧げ上げる。
そのタイミングを見ながら繰り返す旋律をさらに早める。強く、さらに強く弦を震わしていく。叩きつけるように弓を引く。
球は吸い込まれるように男の肩の上で宙にせり出した女性の籠へ落ちていく。
三つ、四つ五つ……最後の一球。同時に弓を解き放ち、余韻で震える弦を素早く指先で押さえ消す。
一瞬の静寂。そして安堵の声が砂浜に広がる。
「いいんじゃねぇか」
「でもこれじゃあ、次の演目に行く時はどうすればいいんだ? 」
「演目の順を逆にしたらどう? 」
感想を言いながら集まる彼らを見ながら、俺は汗をかいた手の平を着物の裾で拭う。
久々に楽器を人前で弾いた上に、即興だったから酷く緊張した。馴染みのある曲でも、人の動作に合わせるのは初めてだから勝手が判らない。
そんな俺に気づいたのか、軽業師の彼らが笑いかける。
「どうだ? 出来そうか? 」
「俺の出来る音楽は少ないですけど、こんなのでいいですか」
「上出来さ。何だか聞いた事のない異国情緒があっていいじゃねぇか」
「イルタサ様、どうだね。ハルキさん、俺達の団に入れていいだろ」
「そいつは団長が決める。まぁ、当面はハルキを楽師でやってみようか」
ずっと後方で見ていたのだろう。イルタサが砂を払いながら軽業師達へ頷きかけた。
なるほど。サンギが「団長」という呼称を使いたがっていたのは、この事なんだと納得する。
イルタサは財力重視の貿易商グループを率い、サンギは情報重視のサーカス団を率いていた、という事か。
他の軽業師たちも加わり演目の順を決める中で俺は三線をおろす。
もうすぐ昼飯の時間だ。とりあえず三線の出番はないだろうし、調理場の手伝いをしようかな。
「あぁ、ハルキさん。どこ行くんだい」
「昼飯の手伝いをしようかなぁと」
「演目決めるから、あんた曲を決めておくれよ」
ちょっと待て。俺、本当にサーカスの専属楽師になるのかよ。
冗談だろと、イルタサを見ると笑って首を振る。
「料理も上手いが、演奏も上手いからな。これから重宝しそうだ」
「俺は料理してた方が気が楽なんですけど」
「それより採掘場の件はどうだ。考えてくれたのか」
「何で知ってるんですか」
「どうだ。手伝ってくれないか」
「考え中ですよ」
まだ決めかねている事を言われてしまい、苦笑いをして誤魔化す。
まいったな。
でも仲間として受け入れられた気がする。一度おろした三線を持ち上げ、砂を払い立ち上がる。
さて、何の曲をだそうか。テンポよく、何度も繰り返して時間の調節が出来そうなもの。
頭の中のストックを引っ張り出し、ふと宙に視線をとばす。
風が、止まった。風と漂う水の精霊が止まる。木々がざわめき、大地から小人の姿をした精霊達が顔をだした。
そして俺の首筋がゆっくりと逆立っていく。緊張の電流が駆け上っていく。
「おい、これって」
「……」
軽業師達が一斉に黙り、辺りをうかがう。共生能力を少なからず持っているようだ。
見えない電波を探るように、感覚のアンテナを張り巡らす。
どこだ。何が起こってる? 何が起こる? 耳をすませろ。肌で感じろ。
空気中の緊張が一気に高まる。
「イルタサ! ミンツゥはどこだ! 」
森の方から悲鳴が聞こえる。音なき悲鳴。空気をつんざくような哀しみの波。
波が押し寄せる方向に向けて走り出す。
聴こえる。感じる。ミンツゥが泣いている。
精霊を動揺させているのはミンツゥだ。泣き叫び、辺り一帯の精霊を動揺させてかき乱していく。その感情に同調した精霊達が緊張していく。
「ミンツゥ! 」
強い日差しを遮る森の中に飛び込む。
たしか子ども達は果物や枝を取りに森に行ったはずだ。子ども達に何かあったのか。まさか後李の襲撃とか。
「ハルキ! これは何なんだ! 」
「判らない! けどミンツゥが泣いてるんだ! 」
精霊をも巻き込む激情。何が起きてるか俺も知りたい。
俺が指差す方向へイルタサが俺を追い抜かして駆ける。地面を張り巡る木の根につまずきながら、俺も必死に走る。胸が、喉が痛む。
急激な運動に喘ぎながら、坂道を上る。
知っている。
この道を走ったことがある。乱れた呼吸と霞の中から出てくる記憶の欠片。
この先にあるのは、そう、祭壇。
「ミンツゥ! 」
立ち尽くすイルタサ。その黒い背中の向こうに、ぽっかりと開いた空間。
森の巨木が枝を伸ばし、中央に開いた空間から零れ落ちる陽の光。スポットライトのような光の中、ミンツゥが立ち尽くしていた。
青い瞳から止めどなく涙を零し、虚空を見つめていた。
そこはまさに、精霊が荒れ狂う台風の目のようになっている。様々な精霊がかき集められていた。
ミンツゥから迸る感情が、光も闇も引き寄せている。
ここは祭壇だった。ハルンツの頃、ここで何度も祭りをして祭文を唄った。
何故なら、ここは気脈の穴だから。
この星と通じる場所だから。
「こ、こりゃあ……」
「暴走、です……精霊達がパニックになってる……」
音を立てて唾を飲み込むイルタサの横にようやくたどり着き、息を整える。
酸素を求めて喘ぎ、辺りを見渡し気づく。
ミンツゥの横に、全身の毛を逆立ててシンハがいた。
次回 二週間後の11月16日 水曜日に更新予定です。
定期更新までもう少し…もう少しお待ちください(汗)




