62 零れる水
下処理を終えた魚を香草に挟むようにして、一息いれる。これで生臭さを和らぐだろう。
「あとはどうするんだい」
「さっき切ってもらった野菜を炒めて下さい。味付けはそうですね。柑橘系の酢とかありますか? 」
「これかね」
調理台の上に置かれた籠に寝かされた小瓶を指差され、栓を取って嗅いでみる。オレンジのような爽やかさをもった甘い酢の香りに頷く。
「この酢と塩で味を調えてトロミをつけて下さい。この魚を素揚げして上にかけましょう」
「こりゃいいや。なら、熱々じゃないといけないね」
「とりあえず野菜を準備して、魚は寸前で揚げようか」
「香草は最後に入れないと香りが飛んじまう。他の料理も先に進めとこう」
やっぱり普段料理をしている人は、未知の料理を目の前にしても手早い。
それぞれの船で料理をしてきたおばさん達は百戦錬磨の兵ぞろいだ。俺が提案した中華料理もどきを素早く理解して手順を割り振り動き出す。
俺はこの職場のほうが気楽かも。
空に赤みがさした刻限、浜辺の片隅で料理当番の職務を全うするべく汗を流すのは心地よい。
異質な俺に戸惑っていたおばさん達も、昨晩一緒に料理を作り上げればすっかり仲間のようだ。
若い男達はあいかわらず酒を飲んだり『仕事』の話をしているようだが、『仕事』に入れさせてもらえない俺はここが仕事場だ。
東屋のような壁のない小屋の中で野菜や香草を刻み、子ども性質が釣ってきた魚を捌き、料理を作り上げる。
「もう少し湯を沸かしておきましょうか」
「助かるよ。お願いできるかい」
余った香草の茎で手を揉み生臭さを消し、水甕から大釜へ水を足す。
猛烈な湯気が海風に吹かれていくと、少しだけ汗が引く。それでも熱気で汗は流れ落ちてくる。袖で軽く目元を拭い、薪を竈へ放り込む。インドア人間だった俺も慣れたもんだ。
「確かに、ハルキさんの言う通りだったねぇ」
「はい? 」
竈からの熱気で赤く上気した顔のおばさんが、手早く粉を練りながら笑いかける。
エリドゥ風という無発酵のパンを焼くのだろう。喋りながらも、手だけは捏ねた粉の塊を磨かれた石の板に叩きつけ回して楕円形に伸ばしていく。
まるでピザ職人のような妙技だ。
「最初は面倒かと思ったんだけどねぇ。ハルキさんが沸かした水を飲ませたらウチの子の腹痛が止まったんだよねぇ」
「そうそう。ウチの坊もさ」
「腹の具合が嘘みたいに直った子が多いよねぇ」
「精霊の加護が無くなると思ったんだけど不思議なもんさ」
いや。不思議じゃない。
そう心の中で思いながらも微笑み返すに留める。
俺からすれば、生水を飲むのが信じられない。一見綺麗な水であっても細菌はいるだろうから、大人より免疫や体力が劣る子どもには負担が大きかったのだろう。
子どもの飲み水も生水だったのに気づき、料理用に沸かした水を子どもに飲ませたのが成功したらしい。
やっぱりココは異世界なんだよなぁ。細菌や微生物の存在を知っている現代日本と、精霊の加護を信じるココと。
もちろん、見えない存在を信じるココだから良い面もあるだろうけど。でも、それは何だろう。
ふと、竈の中で燃える炎を見つめる。昼間サンギが言っていた事を思い出す。
虹球の採掘場を失くせば良いと俺が言った時、サンギは酷く動揺していたようだった。見えないものが信じられないのなら、いっそ得られる結果を失くせばいいと思っただけなのに。
何故あんなに動揺していたのだろう。理解しようとしなかった事に気づけば、きっと考えが変るだろうに。
赤く燃える薪が爆ぜて崩れる。
変化が怖いのだろうか。それとも『失う』事が怖いのか。
「ハルキはおるか」
よくとおる声に、オバサン達が調理中の手を休めて一斉に砂浜に身を伏せた。
湯気の向こうに黒雲が笑いかけてきた。無邪気な顔で。
潮風が日中の暑さを払っていく。それでも、肌にまとわりつく潮が不快感。なかなか慣れない感覚だ。
涼を求めて、足を海に投げ出した。打ち寄せる波が足を揺らすのが心地よい。
黒雲も、俺に習うように足を海に入れる。
いい年した大人が二人、磯の岩場で腰掛けて夕日を眺めている。
何やってるんだ一体。
「あのさ、俺は仕事をしてたんだけど。夕飯作ってたんだけど」
「そなた、仕事を断ったのか」
「……本当に黒雲は唐突だな。何の話だよ」
「サンギ殿に頼んだはずだが。虹球の採掘場を探る話だ」
「あぁ、昼間の話か」
急に俺一人を呼び出して何の話かと思った。禄山も寄せ付けず、浜辺の端でいきなり始まった話に肩を竦める。
「虹球の採掘場を探る話だったんだ。でも、俺が断ったんじゃないぞ。サンギが勝手に「お前に任せるのはやめた」って言ったんだぞ」
「サンギ殿がそう言ったのか? 」
酷く驚いた顔で俺を見つめる。
この近距離で、それこそ無精ひげの本数を数えるように見つめる。そして溜息をついた。
「ハルキに頼めば容易い事と思ったのだがな」
「何で俺が」
「そなたしかおるまい」
その断定する口調に、心臓が飛び跳ねる。何で、何で俺しかないと思う? 極秘の採掘場を探る仕事は、それほど難しいのか。俺なら出来るという根拠は?
確かに俺なら、出来る。不可能は、きっとない。ダショーなのだから。
思わず沈黙する。
やばい。この沈黙の間は肯定していると同然だ。
「虹球の採掘場は後李にとって最大の軍事機密。国内の共生者も集められておる。宙船の浮力源であり、精霊を使った諸々の力の根源となるものだ。ハルキが採掘場の内情を探れば、皆の手で崩せるやもしれぬのに。採掘場に囚われた共生者も者達も解放出来よう。酷使され束縛される精霊達も自由を得る事が出来よう。何より、後李はそこから崩れていくというのに」
俺の青い瞳を凝視したまま、淡々と呟く文句は本当なのか。感情が見えないままに零れる言葉が意味不明。
「何故サンギ殿は諦めたのだろうか。判らぬ」
「採掘場が欲しいのか」
「吾がか? 欲しい訳なかろう」
小さく笑った黒雲は、痛そうに顔を歪ませる。
夕日が照らすその顔は大人なのに。泣きそうな小さな子供に思えるのは何故だろう。
「黒雲は後李の人間なんだろう? 何で自分の国に不利になる事がしたいんだ」
「吾は国の有利になるよう、しておる。いや、後李に住む民に有利になるように、だな」
波の音でかき消されそうな小声で囁き、小さく笑う。
何が面白いのか。小さく口元で笑う。
「誰も吾の考えなど理解しようとせぬ。カラクリだとほざいても精霊や神の与える恵みなくて国は立ち行かぬのに。小さな力の上に胡坐をかいてふんぞり返っている春陽の役人貴族どもは、目の前の栄華しか理解出来ぬようだ」
「なんだ。俺と同じこと考えてるな」
僅かに曲線を描く水平線の奥へ沈んでいく太陽を見送りながら呟く。
見渡す限り、何もない。大海原の向こうに見える夕日と俺の間に遮るものがない絶景。
微かに聞こえる子ども達の声を、時折り波の音がかき消していく。
なんだか世界に俺達しかいない錯覚。
俺達二人だけで、本音を吐き出している。
誰にも言えない事まで、話してしまいそうだ。どんな残酷な事でも。
「だからサンギに言ったんだ。誰もがその採掘場に囚われているのなら、いっそ壊してしまえばいいと」
「言ったのか! 」
「駄目か? 」
「駄目であろう。それは……そんな事をしては駄目であろう」
「何でさ」
さっき、黒雲も採掘場があるからいけないと言ったのに。矛盾してる。
咳払いをして、黒雲が軽くこめかみを押さながら頷く。
「そなた、極端すぎるのだ」
「どこが極端なんだよ。採掘場があるから利権争いがあるんだろ? 」
「だからと言って、壊して何とする。一度壊れたものは元通りにはならぬぞ」
「直らないのか? 」
「いや……気が遠くなる年月をかければ不可能ではないやもしれぬが」
「虹球なんて、精霊を閉じ込めるようなモノがなくったって、昔は世界は回っていただろ? 虹球がなくったって人々も国家も動いていた。宙に大きな軍艦を浮かせなくても、困らなかっただろ。だから無くてもいいじゃないか」
ハルンツだった五百年前は、虹球なんか無くっても生活できたじゃないか。
何でそれが今出来ないんだ。
大きな力を求めているんだ。
「ましてそれが争いのタネになるのなら、いっそ壊せばいいじゃないか」
「まるで幼子だな」
黒雲が呟いた。
「思い通りにならぬのなら壊すとは、癇癪を起こす幼子と変らぬ。もう少し大人かと思っていたが、残念だ」
波が砕けて水しぶきが顔にかかる。
心の蓋が砕けた。砕けた欠片が、柔らかいところに突き刺さる。降り注ぐ矢のように、容赦なく。
「あのクマリですら破れたんだ。人の言う栄華なんて儚い夢だ」
「ハルキ? 」
「採掘場がどうのこうって……。何で目の前の喜びや快感だけを追うんだ。それは幸せではないだろう? 一瞬の快感の為に幸せを失おうとしてるんだ」
止まらない。
溢れる言葉を止められない。
哀しくて、虚しくて、腹立だしくて。
ここの人々は、間違いを犯そうとしているのに。
利便を追いかけても幸せが来るわけではないのに。
今回は2話更新。続きどーぞ