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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 6 騒がしい朝

 今話は最後のみ、少し痛々しい表現があります。

 『血』や『怪我』の描写すら苦手な方はお気をつけ下さい。

********************************************

 「ばあちゃん、どーしよう」


 思わず、和室の仏壇に向かって話しかけてしまった。

 リビングの床に座りながら器用に刀を抱えたままで寝ている彼女に気付いて、俺は掛けられていたバスタオルを持ったまま立ち尽くしていた。

 昨日の事は夢ではなかったと、事実を強制的に突きつけられていた。

 ネクタイのまま寝た俺の姿はぼろぼろ。スラックスなんか泥やら染みやら、ひどい惨状。お気に入りのだったけど、もう履けないかもしれない。

 そうだ、空を飛んだんだ。街を抜け出し、人気のない駅の裏で水野を下ろし、高圧電線を目印にしながら家へ帰ったんだ。ご近所様の目を気にしながら庭に降り立って、麒麟(きりん)が彼女の影に吸い込まれていって度肝を向いて、ある意味安心して。だってペットにしては大きすぎる。猫の額な我が家では飼えない。……そういう問題じゃない。疲労で少し思考回路が変だ。

 玄関開けて、どうしたんだっけ。あぁ、喉が酷く乾いてた。疲れてた。

 色んな衝撃的場面を目の当たりにした精神的な疲れも、肉体的な疲れも激しかったから、とり合えず冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して。うん、彼女の傍らに空のペットボトルがある。間違いない。

 その後、どしたんだ? 意識朦朧で酔って帰った夜は、水飲んでソファで倒れこんでて、朝になる。その習慣通りに俺は動いたようだ。で、寝てしまった俺に困って、彼女は洗面所からバスタオルを見つけて掛けてくれたんだろう。目を閉じてみよう。夢だ。これは夢だ。夢に違いない。

 僅かな希望と戸惑いをもって、呪文のように唱えてみる。ほら、目を開ければ、むさい俺の家だ。日常のはずだ。

 いる……やっぱ家に女の子がいる! 安らかな寝息を立てる彼女は、先と同じ場所で同じ姿勢で寝ている。

 昨日の騒動は、酔った上での夢で、彼女は『お持ち帰り』なんてオイシイ状況とか……。そう思いたいけど、『お持ち帰り』ではない。明らかに異世界からの訪問者だし、銃刀法違反の状態だし。

 が、女性であることに変りはない。こういう場合、起した方がいいのだろうか。

 もう暑いほどの日差しが差し込む明るいリビングで、床に座ったまま寝てる彼女。昨夜の威厳ある姿とは違い、驚くほど無防備な寝顔に吸い込まれるように近づいてしまう。

 日焼けした肌は、健康的だ。無駄な脂肪なんかついてない、すんなりと長い手足。閉じられたまつ毛は長くて、ほんの少し開けられた唇は桃色で。目鼻立ちははっきりしていて、髪の色は黒で肌も象牙色だけど、東洋人とも違う雰囲気が漂っている。そりゃ、そうだ。異世界の人種に東洋人とかなんてないだろう。その異質な雰囲気と顔立ちで、まるで芸能人でも見てるような感覚。お茶やミネラルウォーターのCMで微笑む女の子みたいだ。こんなキレイな子、見たことない。


 「……」


 吸い込まれるように、彼女に手を伸ばしていく。その肌は、その髪は、その唇は、どんな感触?

 指先が頬の触れるその瞬間、玄関から猛烈なチャイムの連打音。飛びあがる心臓を押さえ、慌てて後づさる。

 お、俺、何しようとしてたよ?

 いや、やましい事は考えてなかった! けど、うわぁ……心臓がバクバクだ。


 「関口、せーきーぐーちー! いるんだろ! 」


 玄関から聞こえる遠慮なき水野の声に、あたふたと立ち上がる。年代モノの玄関の扉を叩く大きな音で彼女、起きたりしないだろうか。

 そんな心配しながら、慌ただしく玄関の鍵を開ける。疲労困憊でも、しっかりと鍵はかけていたようだ。


 「おはよう。昨日はちゃんと家に帰れたか? 」

 「お、お前、そんな冷静になってんじゃねーよ! 」


 いや。俺は冷静じゃない。

 そう言いたいが、水野は猛烈な勢いで話し出す。

 昨日から幾度もメールした事。返事がないから、朝から電話かけまくった事。それでも連絡がつかないから、心配でたまらず来たとの事。今頃、リュックの中のケータイは点滅しまくりだろう。


 「あぁ、すまん。寝てた」

 「みたいだな。昨日のまんまの格好だし。で、どうなんだよ」

 「何が」

 「彼女だよ」


 心臓がバクンとリズムを変えて動き出す。

 開けた口から、言葉が出ない。感情だけが頭をひらめくように駆け巡る。

 女性が家にいる驚きと、戸惑い。彼女の可愛らしさと、その美しさに見蕩れてた自分への羞恥。それから、嬉しさと照れくささと。

 これじゃあ、高校生のガキと変らない。それは判っているんだけれど、動揺する自分を立て直す事が出来ない。

 パクパクと口だけ開けて赤面する俺の様子で、全てを察したのだろう。水野は短い頭をガシガシとかきむしった。


 「あぁ、判った、いるんだな? でもって、困ってるんだな」


 本当、女に免疫ないんだな。

 水野の最後の言葉に俯く他ない。と、足元にもう一つの影が入ってくる。薄ピンクのマニキュアがきれいに塗られた、真っ白な小さな足。細い紐が編みこまれた女性物のサンダル。

 思わず顔を上げると、初めて見る女性が心配げな顔で立っていた。


 「あぁ、その、オレの彼女」

 「初めまして。山口由美子と申します」

 

 水野による簡潔な紹介で、ぺコリと下げられた頭。ショートカットの髪から、花の香りが漂う。暑苦しい夏の空気が、一瞬穏やかになる感覚。慌てて名乗って頭を下げる。

 おそらくは、デートに出かける所だったんだろう。水野の服はいつも会う時より小奇麗な事に気付く。

 

 「車で待ってろって言ったろ」

 「だって、いつも話に聞いてる水野さんじゃないの。挨拶しない方がオカシイよ」

 「そうだけど今日は別なんだって」

 「なによ。私、親友に会わせたくもない彼女ってこと? 」

 「そうじゃないんだってば。あぁ、つまりさ、キチンと」

 「キチンと何よ」


 そうやら由美子さんは、白のワンピが似合いそうな華奢で小柄な容姿から想像できないほどエネルギッシュな女性らしい。威勢いい水野が、すっかり劣勢で押され気味なのを呆然と眺めてしまう。真っ黒で立派な体格の水野と、小柄な由美子さん。大型犬のゴールデンレトリバーが、小型犬のスピッツにやり込められてる印象すらする。

 止めることも出来ず立ち尽くしていると、二人が突然に俺の背後を見て黙り込む。

 まさか。

 

 『……、……? 』


 彼女が、立っていた。

 流鏑馬の侍の如く腰に大小をさげて着物姿の彼女。黒い髪に、茶交じりの青い瞳。手にあるのは、黒い鞘の刀。

 本能で、由美子さんの手を掴んで玄関に引き込む。水野も物言わずに素早く玄関の扉を閉めた。素晴らしき連係プレイ。やってしまった事に気付き二人で目を合わせたところで、由美子さんの冷静な声がかかる。


 「関口さん、そういう趣味なの? 」

 「そういうって、どういう」

 「コスプレでプレイ」

 

 爆沈。

 プレイって、プレイってなんですか。飛び出した言葉の過激さに絶句。この流鏑馬サムライの格好でするプレイを想像しかけて現実に戻る。冷静になれ、俺。

 追求する由美子さんの鋭い視線は、真実を追究する検事のようだ。目がすわってる。

 救いを求め、目玉だけ動かして俺は水野を見た。ダメだ。水野、すごい汗かいて立ち尽くしている。

 なんて女、彼女にしたんだよぉ。泣き言を心の中で叫んでしまった。


 「ってな訳、ないわよね。彼女、誰? 何処の国の人? 」


 つぶらな瞳が、鋭く素早く俺たちとミルを見比べる。追求の言葉が厳しくなってくる。不自然さを感じ取っている言葉の雰囲気に、言い訳を考える頭が空回りばかり始める。あぁ、どうしよう。


 「で、なに? 答えられない事したんですか? 」

 「えー、その」

 「うん、まぁ、ほら、関口っ」


 俺に振るなっ。こんなに怖いのは、小学生の時ばあちゃんに宿題を誤魔化したのがばれた以来だ。

 キリキリと、由美子さんの整えられた眉が上がっていく。目が見開いていく。限界点まで到達した途端、ミルの体がガクリと床に崩れ落ちた。


 「ミル! 」


 慌てて抱き起こす。首を支えようと後頭部を手の平で包んだ途端、ありえないほどの熱さを感じる。酷く汗ばみ、呼吸が荒い。

 どうしたんだ。

 じっとりと汗ばんだ細い首筋に手を伸ばしかけて、慌てて顔を上げる。


 「熱がある。水野、足持って。とり合えず、横にしよう。由美子さん、そこの洗面所からタオル持ってきて」


 抱き上げると、軽い。こんな華奢な体で異世界のここに来るなんて、よほどの事情があったんだろうけど。

 ただの疲れならいい。

 あちこちに血の滲んだ着物を見て、嫌な考えが浮かんでしまう。

 

 「ゆっくり、せーの」


 声を掛け合い、ゆっくりとリビングのソファに横にさせる。察しよく濡れタオルも用意してきた由美子さんが、ミルの顔を優しく拭きながらも心配そうに額に手を当てた。

 ここに女性がいるのだから、偶然居合わせた由美子さんに頼むしかない。チラリと水野を見てから、背を向ける。

 

 「……由美子さん、着物を緩めてあげて。出来たら、怪我がないか見てくれないかな」

 「うん。じゃあ、ごめんなさいね」


 言葉が通じないミルに一声かける。僅かな衣擦れの音。そして小さな悲鳴。

 

 「なにこれ……何でこんな怪我してるの?! 」

 

 由美子さんの言葉に、思わず振り返っていた。答えは残酷に現実を突きつけた。

 真っ白な小さな肩に抉ったような穴の傷。そう。矢のように刺さった何かを抜いたら、そんな小さく鋭く抉った傷が出来るだろう。その周辺だけ固まった血が張り付き、肌がどす黒く腫れ上がっている。そのグロテスクな光景に俺達三人は立ち尽くした。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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