54 世界の終焉よりも大切なこと
改めて日本から着てきた服を見ると、その異質さに気づく。
着物のように襟を合わせて紐や帯で体に身につけるのが、この世界の常識。それに反し、シャツはボタンで服を身につける。そもそも、生地も違う。機械で大量生産された生地と、手作業で織られた布では、織り目の細かさが違っていることを初めて知る。
「この石何に使うの? きれいに並んでるね」
「石? いや、これはボタンと言って……」
ミントゥは興味深く、シャツに並ぶボタンを突く。
着物のような服しかない世界だ。ボタンなんて初めて見たのかもしれない。
ボタンを穴に通して留めて見せると、青い瞳を輝かせて「ミントゥもやっていい?! 」と聞いてくる。
小さな手でボタンを穴に通そうと四苦八苦する可愛らしい様子を眺めながら、考え込んでしまう。
本当に、この世界には異質な存在なんだろう。
この洋服も、サンダルも、俺の存在も。
そういえば、最初に襲われた時に携帯電話を棄ててしまった。
バッテリーの残量もなくなり、異世界のここは圏外だし、神官達に襲われた非常事態だったから棄ててしまったけど、あれは惜しい事をした。
あの中に、いくつか写真が入っていたのを思い出す。ばあちゃんの遺品同然のメモリーカードに、ミルのさりげない顔を盗み撮りしたものとか。
ミルにばれたら怒られそうだから、まぁ、良かったのか……バッテリー切れでもその写真が見たかった。
携帯、拾っておけばよかったかも。
そう思い出して、何かが引っかかる。この世界に持ってきた無用なもの……。
「あ!! 」
思い出し、シャツの下のスラックスを引っ張り出す。
想像通り、そこに懐かしい重みを感じて鼓動が早くなる。
「あった……入れておいてくれたんだ……」
いつも入れていた右の尻ポケットから、革の財布を取り出す。
革の手触りも、寂しい重みも、全て遠い昔のような感触だ。
「これ、なぁに? 」
「俺がいた世界で使っていた財布。……ちゃんと、取っておいてくれたんだなぁ」
教えたわけじゃないけれど、いつもの癖で財布は右のポケットに入れていたのを知っていた。
そして、ちゃんと入れていおいてくれる。
ミルの心遣いが、哀しいほどに胸に迫る。
ミルはそういう人だ。
胸の奥が酷く痛む。息が止まるほどの、激痛。
「じゃあ……それがお金? 」
「うん」
小銭入れの中から硬貨を取り出すと、眼を丸くして五十円玉に手を伸ばす。
ここの世界の硬貨には穴が開いてないから珍しいのだろう。五円玉も手に取り、その穴から世界を覗く青い瞳が輝いている。
好奇心旺盛な可愛い子だ。
もっともっと驚かせたくて一万円札を取り出すと、大きな瞳がさらに大きくなる。
「これもお金だよ。これ一枚で……上等な肉や酒を腹いっぱい食べたり出来たけどね」
「そんな薄い紙が? 紙だよ? 綺麗な絵が描いてあるけど、紙だよ? 」
「この中にもお金が入ってる。ここじゃ一文無しだけど」
「そのお札の中に? ペカペカ光るそのお札もお金?! 」
クレジットカードのホログラフを興味深そうに陽の光に照らす。
虹色に光沢を放つカードに歓声を上げている二人に、少し気を持ち直す。
シンハは足裏の肉球でホログラフを撫でたり突いたり、挙句に大きな舌で舐めようとした所をミントゥに取り上げられた。
「甘そうじゃん」
「食べ物じゃないよ」
「食べ物かもしれないぜ? 」
「そ、そうなの? 」
シンハの言葉を信じかけるミントゥは、やっぱり十歳の子供だ。
首を振り否定しつつ、苦笑いしてシャツとスラックスをたたみ直す。
「隠しておくけど、こっそり食べるなよ。食べ物じゃないから腹壊すぞ」
「隠すのか? 」
「ミントゥの言う通り、こんな異質のものが俺の持ち物だってバレたら正体バレるだろ? どこかいい場所があればいいけど」
「オイラの影に」
「却下。こっそり食うつもりだろ。」
「何で判ったんだ? ち、ちげーよっ。そんな事しないからさっ」
確かにシンハの影に大黒丸は隠してある。
クマリの族長しか持たない宝刀を持っているのは、危険だからだ。
かといって、シンハにクレジットカードを渡すのは怖い。本気でカードを食べて、腹を壊したり歯が欠けたりしそうだ。
ギャンギャンと文句を言うシンハを視界の端に入れながら宙を睨むと、ミントゥが袖を引っぱった。
「いい方法、教えてあげよっか」
この世界は本当に不思議だ。
精霊を見る事が出来る共生者。そして、その精霊を扱える呪術者。
精霊が存在し、その力を借りて動く世界。その事を痛感しながら目の前の光景を見ていた。
「ボーっとしてないで。手ぇ切るんじゃないよ」
「あ、あぁ」
俺の目の前で唄を唄い、舞を舞った。その逞しい足は思いのほかに柔らかく動き、指先の動きで精霊達を優しく撫でていた。
唄と舞で水甕の海水を真水にしたサンギの力に、見とれてしまう。
大型客船なら海水を真水に変える装置があるんだろうけど、帆を張って進む中世のような船にはそんなものはない。だから共生者が呪術で補う。
その仕組みに圧倒されていた。サンギがリーダーなのは、その力もあるのだろう。生きていく上で必要不可欠な真水を作り出せるのだから。
「ふん。少しは出来るようだね」
「どうも」
「野菜を切り終わったら、そこの魚もさばいておきな。塩漬けにするから」
真水を作り終えたらしいサンギは、甕から作りたての水を丼に入れる。手近な椅子に腰掛けて小休止のようだ。
俺は今日の晩飯になる野菜や香草をひたすらに切り刻む。傍らの釜には塩漬け肉や葱を入れて煮込んである。最後に青菜や香草を入れ、炊き上げている米の上にトロリとのせて出来上がりだ。船の食事というのは、丼一つで終わらせるものらしい。三十人ほどの食事、しかも揺れる船の食事はこんなもんかも知れない。
とにかく量と食べ応え、早飯が必須らしい。
「本当、あんたは不思議だね」
喉を鳴らして水を飲んだサンギが、濡れた口元を手の甲で拭いながら癖のある笑いを見せた。
ゲームでも楽しむような、そんな笑い方だ。
「労働してない綺麗な手をしているし、妙に世間に染まっていない。それにあんた、荷物に封印をかけただろう? 」
「あれ? 気づきました? 」
鼻の穴を大きくさせて息を吹き出す。火が出てるのが見えるようだ。
あの後、ミントゥは精霊を使った封印の方法を教えてくれた。それは俺にとっては簡単な事だった。
自分の使役出来る精霊に「封印」を命じる。それだけだ。
自分より強い精霊を使役出来る人には破られるが、ダショーである俺以上の人間はいないから破られる事はない。
ある意味、最強に安全な方法だ。
「私の水の力では駄目だった。イルタサの風の力も。大地の力も火の力も、この船にいる共生者では誰も敵わない力をあんたは持っている。ミントゥにお願いしたいけど……あの子はあんたを好いてるから無理だろうしねぇ。一体どれだけの力を持ってるんだい……まったく」
サンギの力も、イルタサの力も、大きなものなんだろう。
その自信の程が感じられる。その言葉を聞いて、かえって恐ろしくなる。
そう、自分が恐ろしくなる。俺がその気になったらどうなるのだろう。本気で精霊達と唄ったら、何が起こるのだろう。
あの新月の夜、アイは俺に「世界を脅かす存在」と言った。そうなのかもしれない。本当に、そうなのかもしれない。
俺一人で、一国を焦土にしてしまう力があるのか。そんな存在、脅威だ。まともに考えればそんな危険物は処分するだろう。
大量破壊兵器。そんな単語といつぞや読んだ新聞の国際面を思い出す。
俺は一体なんなんだ。
「日にさほど焼けてないし、目立った刀傷だってない。だから深淵の神官かと思えば……姫宮様をお助けしたいって大連みたいな事をいうし。どこかの大商人の箱入り息子かと思ったけど、飯が作れるっていうし包丁さばきは手馴れたものだし」
「……変ですか? 」
「変さ。得体が知れない。ミントゥが気に入らなきゃ、乗船させてないさ」
「そっか」
俺は、本当に何をすべきなのだろう。
ミルと過ごしたいだけだ。
深淵の呪縛から逃れたいだけだ。
記憶に巣くうエアシュティマスの「世界を終わらせる」願いを叶えたいだけだ。
俺は、何の為に生きているんだろう。
俺の役目とは、何なんだろう。
あの白い鷹は、今を俺をどう見ているのだろう。
「得体が、知れないですね。本当に」
「あんた、自分の事だろう? 」
呆れたようなサンギの言葉に、思わず自嘲気味な笑いを浮かべてしまう。
「少しね、記憶が飛んでいるから……自分の事が判らないんですよ」
全てを思い出した時、俺はどうなるんだろう。
世界を見る俺は、どう変わるのだろう。
そんな俺を、ミルはそんな眼で見るのだろう。
世界を滅ぼせる力があったとしても、俺が怖いのは唯一つ。
ミル……俺がどんな化け物でも、どうか嫌いにならないでくれ。どうか、どうかお願いだから、キミだけは俺を嫌いにならないでくれ。
次回 15日 水曜日に更新予定です。