50 目指すは春陽
太陽の光が心地よい。
目を閉じても、肌に温もりを感じる。陽の光を避けて、昼に寝て夜に起きる生活がどれだけ不自然だったか痛感する。陽の光というものは、人間らしく生きていく為に必要なものだったと思い知る。
何とかなるさ。大丈夫。
そんな前向きさが細胞の中から、精神の底から沸々と湧き出して皮膚の下で脈打ちだす。
体に堪った夜の冷気も、疲れた肉体が作り出した澱んだ精神も浄化されていく。
積荷の香草の束にもたれかかっていると、ローズマリーのような香りに包まれて気持ちがいい。
船の揺れも、正午の穏やかな日差しも、睡魔を誘い平和そのもの。
風が雲を流していく晩秋の青空を見上げて、何度も深呼吸を繰り返す。
「お待たせー」
「春陽が近づくと」
「人が多くて多くて」
「大変だったよ」
すっかり馴染んだ双子漫才が聞こえ、立ち上がる。
荷の上げ下ろしで混雑する船着場を身軽に駆け抜けて、停留しているこの船へ飛び移る。
両手に食材で一杯の籠を下げての身のこなしは見事なものだ。
「おう。モルもシャムもご苦労さん」
「腹減ったから」
「惣菜買ってきたけど」
「それでいい? 」
チラリと俺の方を見る彼ら二人なりの気遣いなのだろう。
やや細めの目をさらに細め、人のよさそうな顔に二人揃って愛嬌をのせた。
ここのところ、炊事は俺の担当になっている。
俺は笑顔で頭を下げた。
「ありがとう。昼飯は甘えさせてもらうよ」
「珍しく気がきくじゃねぇか」
二人からおつりを渡されたイルタサが苦笑している。
日に焼けた赤銅色の肌に筋肉質の大きな体つき。さらに丸坊主という、傭兵のような風貌のイルタサ。
それなのに何故かイルタサが笑うと、手にしてるのが抜き身の刀であっても、例えがマシンガンであっても、コーヒーカップを磨くカフェのマスターのような雰囲気になる。
そのギャップを初めて陽の下で見た時は、随分戸惑った。傭兵か、マスターか、どちらが彼の本質に近いのだろうかと。
今はややマスターに近いのかなと予想を立てている。そのエプロンの下に、小型銃は隠してると思うけど。
「すっかりハルキの飯に飼いならされたな」
「ひどい言い方だなぁ」
「イルタサだって」
「美味い美味いって食ってるじゃん」
「美味いもんを美味いといって、何が悪い」
双子漫才にイルタサも加わる。
その様子に思わず口元に笑みが浮かびながら、船尾の船室にある炊き場へいく。
せめて温かい茶を入れようと、種火に木屑をのせて火をおこす。
やかんに水を入れ、五徳にのせて茶葉を棚から取り出し、大きさも色も不ぞろいな茶碗を四つ用意。
すっかり慣れた自分の手つきに、この船に乗って一週間程経った事に気づいた。
後李の軍に追われた俺を、問答無用の勢いで攫ってきた彼ら。
暗闇でみたマッチョな大男と、会話まで分割して喋る双子に、最初は訳が判らず警戒をしていた。
でも、彼らは俺に危害を加える気は本当にないらしい。
あの日以来、俺に出された条件は「船から下りない事」「船べりに近づかな事」「シンハを呼ばない事」のみだ。
シンハを呼ばない事。その条件には戸惑ったが、玉獣はこの世界で畏怖の存在である精霊の一種だ。ここ一ヶ月以上の流浪の旅では、玉獣どころか共生者すら受け入れられなかった。力ある玉獣なら、恐れるのは当然だろう。影に入れることをシンハはかなり嫌がったが、彼らの庇護を受けるなら仕方ないことだ。
そう。俺は彼らの庇護を受けながら旅をしている。緑江という、後李の帝都である春陽近くへ流れる運河を目指して偽装した小型商船で遡っている。
その緑江に、彼らが仲間と過ごす船があるらしい。俺は、そこで彼らの仲間に引き合わされるようだ。
「ご先祖様からに言いつけで、青い目の共生者を助ける」彼ら仲間。
そんな馬鹿げた仲間とは何だろう。
何の利益にならない。むしろ、軍に狙われて大変だろうに、何故そんな活動をしているのか。
いや、そんな事は嘘かもしれない。
今時そんな秘密結社なんかありえない。自由と博愛のフリーメーソンになってしまう。いや、ここは異世界だからそれはないか。
「何だろうなぁ」
彼らの目的が判らないけど、居心地のよさに甘えている。
船の旅ならば、人目を避けて夜に歩きとおす事は必要ない。船にいれば、青い目を晒す恐怖から解放される。買出しは双子が率先して行っている。
そして、随分と慣れた彼らの船頭ぶり。旅なれているのだろう。網目のように各都市に繋がる運河を「ここらの水路は細くては軍船が入れない」「商船が多いから隠れやすい」と、熟知している様子。
彼らの目的が判らないまま、身の安全を保障されたあまりの快適な旅に「俺も飯炊きぐらいは手伝う」と食事当番を買ってでたわけで。
「毒は混ぜるなよ」と笑うイルタサは、豪快な人だ。
なるほどと、思わず唸った俺の横で双子は同じ顔を強張らせてしまったが。
そうやって脱出も出来るのかもしれないが、如何せん毒には無知だ。
だけど、自炊十年は無駄ではなかった。
始めの一口は恐る恐るだったが、双子は今や俺の作る日本食風の料理が気に入ったようだ。魚の照り焼きや炊き込みご飯で、俺はこの船の胃袋を掌握したと思う。
しかし……とりあえず、俺の立場はまな板の上の鯉状態。
湯気の悲鳴を上げたやかんを持ち上げ、陶器のポットに静かに湯を注ぐ。茶葉がゆったりと回流して開いていくのを見ながら、思わず連想した。
いや。ひょっとして俺は胃袋を掌握したつもりでも、森で迷子になって魔女に飼われた兄妹の状態だったらマズイな。緑江まで太らせてから食う、みたいな。
勢いとはいえ、自分の想像に少しげんなりする。
二十八になって、何を考えてるんだ俺。
碧の水面という水面に、船がひしめき合っている。微かに見える対岸にも、多くの船が停留している。
それでも、ここは春陽ではなく手前の港街と言われて唸ってしまう。帝都の春陽とは、どれほどの都なのだろう。
「すっげ! 軍艦の数が増えてる」
「また増えてるよ。こんなに増やして」
「どこ行くんだろ」
「やっぱり」
「エリドゥ? 」
双子の台詞は興奮すると細かく分割される傾向にあるらしい。
爆音を立てて、悠々と大河の中央を進んでいく大群の軍艦。その物々しさに、停泊中の船はもちろん帆をはためかせ水面を走っている商船も場所を譲り川岸寄りに場所を譲る。
砲台を幾つものせ、船体は金属で補強され、帆ではなく黒煙を高く上げ河を切り裂き走っていく。
その異様さに、積荷の香草の束を抱えたまま双子が話し込んでいる。
「宙船の次は、軍艦だけど」
「春陽では徴集がかかってないだろ? 」
「でも国境付近は徴集しまくり」
「戦に反発する人を狙ってるよな」
「余計に反発するよな」
「そういえばクマリの姫宮様がいよいよエリドゥ側に入ったし」
「春陽の皇帝陛下は」
「焦ってるんだろねぇ」
「各地で民の不満は増えてるし」
「税金高すぎるんだよ」
「北方の遊牧民も不穏だし」
「本来北の護りの玄武家はねぇ……」
「そうそう。知らずは春陽のみだよねぇ」
「ねぇ」
双子の口から出た単語に、体が脈打つ。
クマリの姫宮様。
ミルのことだ。
「ミ……姫宮様は、エリドゥに入ったのか? 」
「あれ? 」
「ハルキは知らなかった? 」
「オレ達、ハルキは玉獣持ってるし」
「あの時、クマリの人と一緒にいたから」
「青い目に黒い髪だから」
「てっきりクマリの大連だと思ってたのに」
双子は、同じ角度で首を傾げる。
そのCGのような二人を見ながら、俺は気づく。
彼らは、俺の事を何か勘違いしているようだ。
そして、「あの時」。
以前に会った事があるのか?
「そこまでだ。モルもシャムも余計な事を喋るなよ」
脳ミソをフル回転させていた俺の肩に、イルタサの大きな手がのせられた。
にやりと、クセのある笑顔を浮かべてはいるが、青混じりの茶色い目は笑っていない。
「ハルキは姫宮の事、気になるのか」
「……戦かと思えば、誰だって気になるでしょう」
「しかしその玉獣はクマリの民の印だろう? それもあれほどの大きな玉獣だ」
彼らは、俺をクマリの大連と思っているらしい。
ミルやテリンのように、クマリの中でも力があり戦闘をしていた人物と思っているのか。
イルタサや彼らの仲間の考えがわからない。
彼らは何を考えているんだ。
イルタサの質問に答えず、俺はただ見詰めた。
ここで俺がダショー本人とは明かせない。
「まぁいい。夕暮れには母船に着く。そこでサンギ様に聞けばいい」
「さんぎ様? 」
唐突に出てきた言葉に、思わず眉を寄せる。
さんぎ……参議? いや、人名か?
「一つだけ教えとく。サンギ様には逆らうなよ」
「う、うん。ハルキ、怒らせたらだめだよっ」
「すんげー怖いんだからなっ」
「あ、本人目の前にサンギ様って言うなよ」
「団長って呼ばなきゃ怒るぞ」
双子の引きつった顔をみて、さすがに俺は頷いた。
自分の事を団長って呼ばせるなんて、どんな人物なんだ?
次回29日 水曜日の更新予定です。