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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 5 次への一歩

 まだ荒い息のまま、差し出されたペットボトルを傾ける。生温い緑茶だけど、すきっ腹にアルコールで過度な運動をした体には、心地よい。


 「大丈夫か」

 「……サンキュ。助かった」


 濡れた口周りを手の甲で拭い、立ち上がる。

 刀を、返さねばいけない。

 さっき、宙を駆けて刀を落としてよこした女性が、麒麟(きりん)を従えて歩いてくる。

 冷房の外気ファンで巻き上がる生温い風に黒髪を揺らめかせ、歩く姿には空気すら引き締まる様な威厳があった。まだオレより少し若いだろうに。整った顔は張り詰めた凛々しさがあるが、かえって僅かに残った幼さが見える。

 あ、オレと同じ青い瞳。

 視線が合わさって、瞳の色に気付く。彼女も気付いたのだろう。

 黒い髪に、青い瞳。まるで魅入られたように、見詰め合う。微かに茶が混じった彼女の青は、何を見ているんだろう。俺の、何を見つめてるのだろう。怖いぐらいの、まっすぐな視線。


 「あ、あの、これ、ありがとう」


 見詰め合っていたことに気付き、慌てて刀を差し出す。彼女も慌てて目をそらした。そして、刀を差し出された事に気付いた途端、大きく首を振った。


 『……! ……、……』


 予想していたとはいえ、全く言葉が理解出来ない。聴いた事もない発音で返される。


 「要らん、言ってるっぽいな」

 「そんな感じだけど。でも、これ彼女のだろ? 」

 『これは誰のものでもない』


 突然割り込んだ言葉に、水野も息を飲む。どうやら水野にも聞こえたらしい。口を酸欠の金魚のように動かして、ネオンの看板に止まっている白い鷹を指差す。


 「せ、せき、関口、喋った! 」

 「うん。さっきから喋ってる。あぁ、彼女にも聞こえるみたいだ」

 「つーか、拝んでるぞ」


 彼女は、コンクリートの床に平伏していた。深く頭を下げた姿に、本来白い鷹が喋ったら拝むのが普通だなと思う。威厳を威厳と思わずに、異質のモノだと見なして驚くだけの俺達は不遜極まりない蛮人と思われているかもしれない。


 『その刀は大黒丸(だいこくまる)。クマリ族が伝える秘宝だ。我ら世界の天地創造の瞬間に零れ落ちた天からの一滴。どうやらハルは、大黒丸(だいこくまる)の価値に気付いてないようだ。ミル、そなたが預かっていろ」

 「……、……? 」

 『ふむ。ではこうしよう。繭玉(まゆたま)は我が連れて帰る。それでよかろう』


 白い鷹は、彼女をミルと呼んで会話をしている。まるで奉行様が白州の上で平伏する罪人へ話しかけるような。少し例えが違うかもしれないが、圧倒的な恭しさすら漂っている。


 『我は先に帰る。さて……どうするかは、自らの意思で決めよ。ハル……関口晴貴よ』

 「オレの名前、知ってるんですか? 」


 豆鉄砲を食らった鳩のように、白い鷹は目を瞬いた。


 『これはまた……記憶がないか? まぁよい。いずれ思い出す。その時が楽しみだ』


 白い鷹が大きな羽根を広げる。途端、獣が変身した光の繭が引っ張られるように鷹を目指して浮かび上がっていく。地上へ落ちたものも、巻き戻しをリアルに見ているかのように浮かび上がっていく。それは、明らかに非現実的な美しさ。


 『こちらで治安を守る兵達が、そこの階段を駆け上ってきているぞ。逃げるなら今のうちだ』

 「治安……警察?! ちょ、ちょっと! 俺たちはどーすれば」

 『また、会おうぞ』

 

 必死の声に、白い鷹は目を細めて笑った……気がした。途端、流れ星の如く空へ駆け上っていく。無数の光が、煌めきながら空の一点となっていく鷹を目指して吸い込まれるように飛びあがる。まるで地上へ落ちた流れ星が舞い上がっていくような、そんな幻想的な美しい光景。数多の光が空の星へと消えていく。

 全ての疑問と問題を残したまま、鷹が一人で喋って消えてしまった。

 残されたのは、俺と水野と、言葉が通じない女性と。

 バクバクと心臓が早打ちを始める。多分唯一の階段は警察が駆け上ってくる。止めようにも、扉は俺がすでにぶち壊した。ここは二十数階の屋上で、両隣はここより高いビル。屋上へ飛び移るなんて技は出来ないし。乱立した冷房の外気ファンの物陰に隠れても、数分の時間しか持たないだろうし。


 「捕まったら、ヤバイよな」

 「免職だろ。教員免許取り上げで失職」


 早口の言葉に、自分でも冷や汗が流れるのを感じる。

 それだけは、避けたい。そうなれば、ここから逃げるしかない。逃げるには、どうするか。

 視界に入った麒麟(きりん)に駆け寄る。考えてる暇なんてない。


 「これに乗らせてくれ! 」

 『……?! 』

 「水野、来い! 」


 何語か判らないが、ミルと呼ばれた女性が止めようとする。大切な相棒なのかもしれないが、この際使うしかない。お礼なら、後でするから。

 戸惑う水野の腕を掴んで麒麟(きりん)の背へと押す。「コレに乗るのかよ! 」とどもりながらも、水野はこの非常時にきちんとカバンを背負っている。しかも、俺のも。

 妙な几帳面さに苦笑いしながら、麒麟(きりん)の首を撫でてあやす。大丈夫。水野は冷静にコイツの背にまたがって飛べる。

 意外なほど触り心地のよい毛足の長い麒麟(きりん)の首を軽く叩いて、女性を促す。


 「ほら、頼むよ。水野乗せて飛んでくれよ。でないと、俺も飛べないよ」

 「関口、飛ぶつもりか?! 」

 「どう見てもコイツの背中は二人乗りじゃん」

 「っつーか、関口は空飛べるのかよ! 」

 「やってみないと判んない。けどお前より飛べるだろ」


 馬鹿な確率だけど、賭けるしかない。俺が風を操って浮きながら麒麟(きりん)に捕まれば三人でここから逃げられるかもしれない。

 明らかに麒麟(きりん)にまたがった水野に三日月の眉を潜めた彼女に、懇願する。もう、手はない。時間もない。


 「頼む! コイツを乗せてくれ! 」

 『……? 』


 貴方は?

 そう聞こえた。そう、思った。

 思わず彼女の手を握る。俺は大丈夫だから。

 だから。

 

 「ミル! 」


 ビクンと、彼女の細い肩が震える。同時、階段から複数の足音が雪崩のように近づいてきた。地響きのような音で促されるように、ミルが軽やかに水野の後へまたがる。


 『……! 』


 ミルの掛け声と共に、麒麟(きりん)が走り出す。

 「ひょえっ」と間抜けた合いの手のように水野が声を出して麒麟(きりん)の首にしがみついた。俺もたてがみを掴んで走り出す。

 早くなる助走。目の前迫るネオンの看板。なだれ込む沢山の足音。静止を命令する怒号。

 迷うな! 飛び込め!


 「ぅおおお! 」


 俺の叫び声で、ミルは僅かに麒麟(きりん)の胴を蹴った。

 そこに階段があるように麒麟(きりん)は宙を駆け上がる。ネオンの看板を踏み台にするように蹴り飛ばす。


 「風、吹けぇ! 」


 足の下に、豆粒ほどの人影とミニカー並の車が見える。次の歩みはない。強く強く息を音として吐き出す。芯をもった口笛が鳴り響く。

 重力が俺の足を引っ張った瞬間、爆風が下から吹きつけた。

 大きくバランスを失いかけたまま、麒麟(きりん)ごと俺たち三人が空へ巻き上げられる。

 出来る。出来るかもしれない!

 風の妖精なのか、長い髪をたなびかせた小人達が大笑いしながら俺の周りを飛びまわりだす。まるで初めて空を飛んだ雛鳥をあやすような感じ。

 事実、俺の体を掴んだ重力の力は感じない。まるで風の一部になったように、俺の体は麒麟(きりん)の横で浮いている。


 「行こう! このまま飛んで行こう! 」

 「せ、せ、関口、下、下見るなよ! 落ちるなよ! 」


 ドモリまくりの水野は、必死の形相で麒麟(きりん)の首にしがみついてる。麒麟(きりん)、可哀そうに苦しくないだろうか。

 苦笑いで口笛を吹きながら、ミルを振り返る。

 ミルも、笑う。光が零れる。

 

 「このまま旋回して。あの沢山の高いビルを目指して! 街から出よう! 」

 『……! 』


 今、言葉は通じてる。きっと、大丈夫。

 心に確信。彼女は、味方だ。きっと、俺の何かを知っている。

 大きく旋回しだした麒麟(きりん)を操りながら、茶色交じりの青い瞳で俺を見つめた彼女は微笑みながら頷いた。


 『……、ダショー・ハル! 』


 何か、騒ぐ。

 ミルの零した言葉に、心の奥底がザワリと揺れる。細胞が、身震いをした。

 ダショー・ハル。

 それは、誰?

 鳴り響く風の音に包まれ、ミルの笑顔に目を奪われながら、星のように瞬きだした都会の夜景を足元にして、俺は空を飛んでいる。

 


 


 

 


 


 

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