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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 48 和やかな陽の記憶

 木枯らし第一号。

 異世界で体験する木枯らしも、地球と変わらず切れるような冷たさだ。

 マフラー代わりに首に巻いた手ぬぐいが、風にはためく。

 

 「ぎゃあああ! 化けもんだぁああ! 」

 

 日が暮れた山の中の街道の静寂を、絶叫が切り裂いていく。

 薄暗い道の真ん中で突然刀を抜いてきた男は、俺達の姿を見て腰を抜かして座り込む。


 「失礼な奴だな。化けもんだってさ」

 「事実だろ」

 「ひでぇな」


 息も絶え絶えに地面を這い蹲り刀を放って命乞いをする男の横を、軽口をたたきながら歩いていく。

 この光景を見られてしまった。きっとまた、街道の宿場町沿いに噂が流れてしまうだろう。

 月明かりを頼りに夜の街道を歩く俺。そして足元の影から顔だけ出して喋るシンハ。

 地面から玉獣の頭だけ出て、しかも生首が動いているという怪奇現象。

 これは怖すぎるよ。

 そして何より、現実離れしたホラーな光景に慣れた自分が怖い。

 日本にいた頃の俺の感覚が崩壊されているのを実感する。

 俺達を襲おうとした夜盗の男は、気を失ったのか倒れたまま動かなくなっていた。

 まぁ、夜盗の男に教訓かトラウマとして残れば、ここの街道の安全性は高まったに違いない。

 遠まわしに、俺達は人助けをしたと思おう。


 「そんな事より、早く後李の領土から出ようぜ。楽師でも咎められてるんだぞ」

 「シンハが妖怪みたいな事をするから、厄介な事になってるんだ。とにかく……」

 「後李帝国はダショーをイカサマ使いの親玉扱いだぞ。共生者どころか、ここで青い瞳を持ってるだけで危険なのにさ」

 「そこだよ。そこが気になるんだ」

 「どこだよ」


 懐で組んだ腕を組み替えて、夜空を見上げる。 

 大気が澄んで、星の明かりが揺らめいている。 

 灰色の雲が流れていく様子を眺めて考えをまとめながら。

 自分の中に芽生えていた妙な感覚に言葉を当てはめていく。


 「何で後李帝国は科学技術を進めているんだろう。エリドゥ法王国は呪術の世界なのに、後李だけ蒸気機関や鉄鋼技術を開発してるのは何故だろうな」

 「そんなの後李の勝手じゃん」

 「訳があるはずだ。だって、ハルンツの記憶では後李帝国との仲は悪い感じじゃないんだよなぁ。何となく」

 「……ハルンツの記憶って事は五百年前か」

 「ごひゃくねん?! 」


 余りの時間に、俺は首をうなだれる。

 五百年もあったら、国の方針は変わるだろう。

 悩むだけ無駄だったか。

 うな垂れてしまう俺に、シンハが鼻を動かした。嬉しいときの仕草だ。

 

 「オイラは人間の事はよく判んねぇけどさ。ハルルン、記憶が少し戻ってきたんだな」

 「気まぐれに夢で見るんだよ」

 「全部思い出すかもよ」

 「気まぐれを待つ時間があればね」

 

 現実のような、感覚がリアルな夢。

 昼間に眠る俺は、夢でリアルな感覚を思い出していた。

 哀しい事を、悔しい事を、再認識しなきゃいけないように夢で見ていた。

 そんな夢で目覚めるのは、酷く疲れた。

 過去の心の傷を再体験するのは、精神的に疲れる。


 「とにかく五百年の間に、何があったんだろうなぁ」

 「そうだな。何か訳があるよな」


 五百年。

 何度も皇帝が変わっただろう。世界の力関係も変わっただろう。

 俺が深淵の底に閉じ込められていた時の記憶は曖昧で、他の国がどうなってたかなんて思い出せない。

 蜘蛛の糸に縛られて、むせ返るような乳香の中で決められた礼拝を時間通りにこなし、巡礼をしてきた人々の前に引き出されて。俺は、人々が感じる神や自然への恐怖や畏怖の鏡でしかなく。

 そんな単調で閉塞した恐怖の中の毎日。同じ光景、同じ感情しか蘇らないダショー達の記憶。

 名誉も権力も富もいらない。欲しいものは自由。風に吹かれ、果てしない空を見上げて大地をどこまでも歩いて行きたい願望。

 あれ。それって、今の俺の状況じゃないか。

 空腹な上に金もないけど。社会的な地位も失ったけど。自由に旅をしている現状。


 「なぁんだ」

 

 思わず口元に笑みが浮かぶ。

 俺、夢を現実にしてるじゃないか。

 何代も生まれ変わっても成し遂げられなかった夢の一つは、現実に出来ているじゃないか。

 

 「やれば出来るじゃん、俺」

 「な、何だよ。急に笑ってどーしたんだよっ」

 「んー? 何でもないよ」

 「気味わりぃ。腹が減って気がオカシイのか? なぁ、ハルルンっ」


 夢が一つ現実になっている。

 小部屋で泣いていた小さな俺。オユンだった俺。

 思いっきり風を感じろ。夜空を魂に刻み付けろ。

 願い続けていれば、生き続ければ、いつか叶うんだ。

 俺の願いも叶うだろうか。

 諦めずに歩み続ければ、いつか叶う日が来るだろうか。

 

 「ハルルン。本当に大丈夫か? さっきからニヤニヤしてるぞ」

 「少しやる気が出たんだよ」


 少年よ。大志を抱け。

 人差し指を夜空に向かって突き出す。

 指差す先に、今夜も星が煌いている。





 その夢には、乳香は感じなかった。

 手入れの行き届いた綺麗な庭には、巨石と池と木々がバランスよく配置されてある。

 ここは何処だろう。かなりなお屋敷の庭園。

 入道雲の空を見上げ、池の蓮を眺め、香りのよいお茶を飲み、そこで待っていた。

 誰を? ここは何処だ?

 夢の中の俺は、待ち人を心待ちにしていた。

 和やかな昼下がり、こんな穏やかな日々もあったんだと驚きながら。

 

 「ハルンツちゃまー! 」


 小さな足音と同時に、黒髪の幼女が木陰から走ってくる。

 石畳の上を飛び跳ねるように走り、小さな手を広げて全速力で。

 

 「玉葉。急がなくてもいいよ」


 慌てて『俺』が走りより、抱き上げる。

 摺り寄せられた柔らかな頬の甘いニオイに、笑みがこぼれる。

 

 「玉葉(ぎょくよう)っ。ホッペすりすりは父様だけだろうっ」 

 「ハルンツちゃまもだいしゅきだもの」

 「あぁあ! こらハルンツっ。笑ってないで離れろっ。婚姻までは父様以外の男と触れてはならぬ! 」


 愛らしい幼女。

 玉葉(ぎょくよう)と名乗ったこの子の父親なのだろう。

 鳳凰(ほうおう)が刺繍された豪奢な服を纏った若い男が、思いっ切り不機嫌な顔で走ってくる。

 王様っぽい風貌で全速疾走してきて、駄々を捏ねるような言葉。

 『ハルンツ』と彼は旧知の仲なんだろうか。

 よく見れば、背が高く逞しい体つきの男には威厳がある。


 「玉葉(ぎょくよう)はマダールに似たんだねぇ。よかったね」

 「はい。リリスも義仁(ぎじん)もそう言いましゅ」

 「賢さは吾に似たのだぞ」

 「はいはい。李薗(りえん)の皇帝陛下は聡明でいらっしゃいますよ」

 「むむ……」

 「判ってるって」


 李薗(りえん)の皇帝陛下?

 夢の中の俺の言葉に、心臓が止まりそうだ。

 目の前の、この若い男が? 幼女の父親が?

 『ハルンツ』は玉葉(ぎょくよう)を男に渡しながら微笑んだ。


 「忙しい中、時間を作ってくれてありがとう。玄徳(げんとく)





 澄み切った空が一番美しいのは夜空。

 星の煌きは冴え渡り、月の明かりも鋭くなる。

 その月も糸のように細い。

 明日は新月の晩だ。テリンが『死んだ』あの日から、ミルを奪われた日から、守れなかった日から月が一巡り。

 目の前の人の往来を何気に眺めながら、溜息をつく。

 家路へと、歓楽街へと、急ぐ人の流れを道端で眺めながら想いに更ける。

 全てが幻なら、どれだけ気が楽だろう。

 ここが異世界だという現実。添い遂げようとした想い人を奪われた現実。この世界の権力達から追われているという現実。世界中を敵に回して、『世界を終わらせる』という願望を抱いている現実。

 逃げ出せたら、どれだけ楽か。

 でも、逃げても楽にはならないのだろう。

 例え、今この瞬間に日本に帰れたとしても俺の気持ちが楽になる事はない。

 確かに、空腹は満たされるだろう。身の安全はココより断然に確かだろう。

 でも、魂の記憶に悩まされる。『世界を終わらせる』気でいる魂の記憶にうなされる。

 なにより、ミルがいない世界に何の意味もない。

 胸に下げた指輪が、揺れた。

 

 「さて、働くか」


 今の俺は国語の教師ではない。

 流浪の楽師だ。


 大通りから少し人の流れが少ない道端で、場所を決める。

 小さな竹籠を置き、三線を取り出す。

 この街は、随分と軍人が多い。気が荒い彼らに目を付けられるのが嫌なので、人通りの少ない場所で商売する事になってしまった。

 もちろん、人が少なければチップも少なくなる。が、身の安全を考えればしょうがない事。

 楽師はクマリ出身者が多いからか、楽師という存在が嫌いなのか、後李の軍人は楽師と見ると眉をひそめる。酷いヤツだと、いきなり殴りかかる。

 一体、後李帝国に何が起こったのだろう。

 こないだ見た夢を思い出すと、この現状に繋がっているとは思えない。

 李薗帝国の皇帝と和やかに話しをしていた夢を思い出すほどに、不可解だ。

 確かに『玄徳(げんとく)』と名前で呼んでいたのに。彼に『ハルンツ』と名前で親しげに呼ばれていたのに。

 五百年の謎だ。

 その反面、一般市民は楽師に対して緩い。むしろ酒場だと歓迎される。

 もっとも、大抵の楽師はお決まりの酒場があるらしく飛び込みで入ると商売仇になってしまう。新人楽師は軍人達がいなさそうな寂れた裏通りで商売するしかない。

 が、それ以上に俺には問題があった。

 幽霊楽師。もしくは鬼火を呼ぶ楽と言えばよいのか。

 俺が演奏すると、妙な火の玉が現れる……らしい。演奏に夢中の俺は気が付かないのだが、悲鳴で顔を上げると客が「鬼火が……」と腰を抜かして宙を指差している。

 そこにいるのは精霊が楽しそうに踊っている姿。鬼火と言われても、俺としては「はぁ、左様で」としか言えない。

 演奏しなければ金が入らず。演奏すれば怪奇現象。そして悲鳴を上げた通行人達に頭を下げて、チップの籠を掴んでダッシュで逃げる。

 一晩の稼ぎしかない金で旅して、次の街で演奏して鬼火騒ぎを起こして、また一晩で逃げるように旅に出て。

 この繰り返しだ。

 

 「寒っ。布団が恋しいなぁ」


 冷え切った指先に息を吹きかけて、調弦を始める。

 どこからか、肉を煮込んだ香りが漂ってきて鼻と胃袋を刺激した。この異世界特有の、少し青っぽ胡椒のような香辛料を入れたスープの香り。

 この香り、何故かラーメンを連想させられる。

 冬のように冷え込む今晩は、熱々のラーメンが恋しくなってしまう。

  

 「頼むから今日は踊ってくれるなよ」


 暢気に夜風に漂ってる風の精霊に呟きかけて、弓を手に取った。

 


 


 

 

 

 

 

 


 

 玄徳やら玉葉やら,人物が出てきました。

 前作『千夜を越えて』の88話がリンクしてます。(88話の始まりの場面です)。時間が出来たときに,設定集に書いておきます。えぇ…その,時間が出来たときに(汗)。

 

 次回,15日 水曜日に更新予定です。

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