表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見下ろすループは青  作者: 木村薫
46/186

 46 光,煌く

 「今日この後飲み会あるんだけど」

 「で? 」

 「関口も来いよ」

 「何で」

 「あぁ、そのさ、これは吉田ゼミの男子全員の願いなんだよ。関口、頼むから出席してくれよ」

 「何で俺が行きたくもない飲み会に出席しなきゃいけないんだよ。興味ない」

 「だからさ」

 

 いきなり俺の肩を掴んだ男の太い眉は、見事な八の字になっている。尻尾を股の間に挟んで、項垂れたゴールデンレトリバー。

 麗らかな春の日差しが注ぐ中、若葉が芽吹きだした桜の下、希望溢れる学びの園で、確か同じゼミだったような男の切実な悩みを打ち明けられる。

 長く苦痛の受験の冬を潜り抜け、新しい出会いを胸に入学した男子。新しい環境には、輝くばかりに微笑む魅力的な異性。甘い薫りを振りまく女子。

 そんな彼女らと近づけるチャンス。

 サークル、コンパ、顔合わせ。

 様々に名目を作って機会を伺うも、女子の食いつきがイマイチな事。 

 だが、いくつか講義を受けていく中で女子が興味を持っている対象を見つけ出したと。

 

 「とにかく、お前が出席したら、女子の出席率が高まるのは確実なんだよっ」

 「だから出ろと? 」

 「これは吉田ゼミの男どもの総意なんだ。頼むよ。あ、金が厳しいんなら半分は……いや、三分の一ぐらいは出すから、その」


 だんだん少なくなっていく金額に、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 なんだろう。

 こいつは俺の目を見て必死に頼んでるけど、この青い目を、異質だと思わないのか。怖くないんだろうか。

 俺は、普通と違う。外見も、中身も。

 俺のどす黒い心の底を、こいつには知られたくない。

 口笛の能力も、死に対する欲望も、人を焼き殺そうとした過去も、知られたくない。

 そう思っている自分に気づいた。

 こいつに好かれたいと思っている自分に気づいた。

 ずっと夜道を歩いていた俺と正反対のような、真っ直ぐに伸びた向日葵のような男。

 恐怖も憎しみも嫉妬も寂しさを押し隠した俺と、嘘偽りなく心をさらけ出して笑い嘆く素直な男。

 俺は、こいつの横なら陽の光を浴びれるだろうか。そう期待していた。期待している自分に、半分戸惑っていた。

 

 「お前、名前なんだっけ」 

 「ひでぇ。こないだゼミで自己紹介しただろ。水野だよ」


 水野。お前は飲み会に誘っただけだろうけど、俺はその手に救い上げられたんだよ。

 俺の肩を掴んだ、その大きな手で。

 




 空腹も、マメが潰れた痛みも忘れて、俺は辻に立ち尽くしていた。

 立ち並ぶ屋台や飲み屋の明かりに照らされて演奏を続ける楽師の姿に、想い出がめまぐるしく再生されていた。

 何故か、二輪の免許を取りに自動車学校に行ったら水野にばったり出会った事。

 免許を取得したのを隠していたら、「俺も合格したらツーリング行こうぜ」と強引に約束させられた事。

 そのツーリングで、大怪我をした水野を癒した事。

 何も聞かずに、俺を受け入れてくれた事。

 「ありがとう」と、笑顔で俺という異質な存在を認めてくれた事。

 あの夏の日に、俺は長い夜から抜け出せたんだ。

 一人だけど、寂しさに囚われなくなった。恐怖が薄らいでいった。

 何故だろう。

 男達が奏でる音楽に、女達が唄う音に、懐かしさが込み上げる。

 一人じゃないと、感じる。

 弦の音が、涙腺を緩めていく。鈴の音が、心臓を震わしていく。

 思い出がある。

 ゼミのみんなで飲んだ後「花火を打ち上げよう」とキャンパスに忍び込んで大騒ぎした。

 迷い込んだ犬に眉毛を描いて、大ヒンシュクをかった。

 就職が決って、水野の母さんにお呼ばれされてご馳走になった。

 あの夏の夕方、ミルと出逢えた。

 哀しい事。悔しい事。嬉しい事。楽しい事。

 俺の記憶に刻まれた、思い出があった。


 「あんた、こっちにおいでよ」


 気づいたら、いつの間にか曲が終わっていた。

 目の前で満面の笑みを浮かべて、踊り子の女性が手首を掴んで引っ張り込む。


 「あんたも、楽器弾くのかい? 」

 

 背にくくりつけた三線を指差され、曖昧に頷くと着飾った楽師たちの輪に入れられてしまった。

 自分の薄汚れた格好に気づき居心地の悪さを感じるが、彼らは気にもしない様子だ。

 道行く人々に、思わず避けられるほどに汚れた俺なのに。

 

 「三線か。少し弾いてくれよ」

 「いや……曲をあまり知らないんだ」

 「あんたが知ってる曲でいいよ」


 俺と同年代ぽい彼らは、人懐っこい顔に好奇心を隠さない。

 俺の荷物なのに、勝手に背から外して三線を取り出してしまう。


 「判るんだよ。あんた……クマリじゃないかい? 」

 

 強引に三線を押し付ける仕草に隠して、女が俺の耳元で囁いた。

 慌てて身を引き相手の目を見詰める。

 微笑んだ女の瞳は、僅かに青みがかった黒だった。

 

 「ここは私達と同類が多いから安全だよ。思いっきり弾きな」

 「クマリや周辺の流浪の民の店が多いから、軍の連中が来ても大丈夫さ」

 「あんた程の青い目じゃあ、大変だっただろ」

 「ほら、思いっきり弾きな。気が晴れるよ」

 

 口々に言う彼らに、警戒を解いていいかと周りを見渡す。

 それとなく、立ち止まる人の顔に嫌悪の色はない。

 好奇の視線もない。

 ただ、気配を感じた。

 神苑で感じたような、懐かしさを。


 「じゃあ……」

 

 この人達が後李と通じていたら、俺は殺される。深淵(しんえん)と通じていたら、蜘蛛の糸で絡め取られる。

 どこの誰とも判らない相手に、俺は何をしようとしているんだろう。

 冷静にそう叫ぶ頭の中の声と反対に、反射的に弓に手を伸ばしている俺の身体。

 弾きたい。音が聴きたい。この叫びを吐き出したい。

 危なくなったら、逃げればいいんだ。

 そう言い聞かせ、投げやりに弓を構える。

 その途端、頭から煩わしさが消える。空腹も、寂しさも、哀しさすら。

 ただ、目の前の空間を震わしたい欲望がわきあがる。この瞬間を、畳み掛けるように流れる時間を自分の感情で埋め尽くしたい欲望が生まれる。


 「あぁ……」


 溜息とともに、弦の震動が空気を満たしていく。

 心地よい空間が生まれる。流れる精霊達が、そっと祝福の光を零していく。

 生きていくのに必要なのは、パンだけじゃなく。水だけじゃなく。

 心を満たすものが必要だ。

 それは、優しい想い出。心地よい音楽。

 忘れられないんだ。

 身を捻り切りそうな辛い想い出の向こうに、懐かしい笑顔がある。

 じいちゃんやばあちゃん。

 水野や、馬鹿騒ぎしてたゼミのみんな。

 ミル。

 恋しいよ。逢いよ。この気持ちがある限り、辛い想いも抱えていかなくちゃいけない。

 この愛おしい気持ちと、せつなさは背中合わせ。

 だから逃げられない。

 そうだろ? 逃げられないんだ。今まで逃げてたんだ。ミルを失った現実から逃げているだけだった。自分が可愛いだけだった。無常を嘆いているだけだった。

 ミルを愛す気持ちがある限り、守れなかった悔しさも哀しさも寂しさも消える事はない。

 後悔がある限り、自分を責める気持ちがある限り、ミルを愛する気持ちが消えないんだから。

 だから、何を恐れる?

 夜の闇に、バッハのカノンが震える。

 繰り返される旋律。夜空の月へと舞い上がっていく音の粒たち。

 逃げない。

 この哀しさからも、この運命からも。


 『幸せになれ』


 そう言ったエアシュティマス。

 お前の幸せって、何だろうな。

 この世界に落ちる瞬間に聞こえた言葉が蘇る。


 『もう充分に頑張った』『この世界を終わらせよう』


 お前は俺に何をさせてるんだ? 何をさせたいんだろう。

 お前の求める幸せって、俺の求める幸せと同じなのか?

 俺の幸せは、平凡。

 ただ、好きな人と一緒にいたい。

 ミルと共に過ごしたい。

 それだけなんだ。


 『この世界を終わらせよう』

 

 それは、深淵(しんえん)からの解放なのか?

 それがお前の幸せなのか?

 お前の幸せは、この世界を終わらせなきゃ得られないのか?

 俺の幸せは、世界を犠牲にしなきゃいけないのか?

 お前は、一体何者なんだ?

 この世界に、どんな仕掛けを残したんだ?

 記憶を俺の魂に刻み付けてまで、何を残したんだ?

 

 『もう充分に頑張った』『幸せになれ』

 

 そう願うなんて、俺に何を託したんだろう。

 俺は大層な事は出来ない。

 俺は泣き虫で、怖がりな弱虫だ。

 アイを燃やして炎に包まれた時、俺は亜希子さんを殺そうとしてた時を思い出してた。

 あの時、じいちゃんとばあちゃんに対する仕打ちで、俺は確かに怒っていた。

 でも、俺は自分の気持ちを誤魔化してた。

 亜希子さんを殺そうとしただけじゃない。

 俺は、ただ自分ひとりで生きていくのが怖かっただけだ。

 亜希子さんを道ずれに、自分を殺そうとしていたんだ。

 自分だけ死ぬのが怖くて、亜希子さんを巻き込んで炎を吹き出したんだ。

 憎かっただけじゃない。殺したいほど怨んだだけじゃない。

 何よりも、一人で生きるのが怖かった。でも、一人で死ぬのも怖かった。

 一人でいるのが、怖かったんだ。

 異能を抱えて生きることに、悔しかった。寂しかった。何より、孤独が辛かった。


 「あぁ……」


 見上げる空に、金色の満月。

 青の炎を吹き出して呪詛を吐いたエアシュティマス。

 自分の夢を一瞬だけ語ったハルンツ。

 お前も怖かったのか?

 お前も哀しかったのか?

 俺と同じなのか?

 それなら、お前の言う『幸せ』も、俺と同じなんだろうか。

 好きな人と、愛する人と共に時間を過ごして生きたい。

 そう願っていたのか?

 なぁ、ハルンツ。

 俺達は何度も生まれ変わっているけど、『好きな人と添い遂げる』という夢は叶えてないのか?

 何度生まれ変わっても、同じ課題がこなせなかったのか?

 それならダショーってのは聖者じゃなく、間抜けの代名詞じゃないか。

 

 『ミルちゃんの手、ちゃんと掴んでおけよ! 』

 

 水野。

 俺、手を放してしまった。

 携帯電話の向こうで、水野がきっと苦笑いしているだろうな。

 けど、俺は諦めない。

 ミルの手を、必ず捕まえる。

 諦めない。

 エアシュティマス。ハルンツ。

 俺は絶対に幸せになってやる。

 今はどうすればいいか判らないけど、この気持ちは変わらない。

 もう一度、ミルの手を掴もう。二度と放さないよう、固く固く抱きしめよう。

 弦の震えが夜の冷気に煌いていく。

 カノンが、俺の想いと共に空へと舞い上がっていく。

 残酷な神様。

 この想いを見届けてくれ。

 神様、そこにいるんだろう? この空の向こうにいるんだろう?

 残酷なあんたに、宣言してやる。

 何とかしてくれなんて、言わない。祝福なんて求めない。

 神様に願う事なんか、もう何一つない。

 今度は俺が見せてやる。

 俺が何処まで未来を切り開いていくところを、あんたに見せてやるよ。

 この手でミルを抱きしめる瞬間を見せてやる。

 

 最後の音と共に大きく息を吐き出す。

 見上げる空に、大きな満月が黄金の光を放っていた。

 絶望の底で奏でた曲から、光を見つけた。この光は、災難と絶望を吐き出したパンドラの箱の奥底で煌いた希望の光。

 この希望の光を、ミルに届けよう。

 愛しいキミへ。

 

 

 

 


 

 これで二章 パンドラの光 終了です。

 ここまで読んで頂き,ありがとうございます。書いてる本人も,二章で46話という現状にビビッてます(汗)。どうやらまだ続きます。長くなってしまい,申し訳ないです。


 8月は都合によりお休みします。すみません。三章は9月からスタートとします。

 

 あと,8月中に設定集なる言い訳解説をあげると思います。お休み中の暇つぶしになれば幸いです。(都合により,時間の予告が出来ません。ご了承下さい)


 三章 劫火の都(仮題) 47話は 9月1日 水曜日に更新予定です。よろしくお願いします。

 苦情,感想,よろず受付中です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ