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見下ろすループは青  作者: 木村薫
43/186

 43 業火と涙

 火傷注意報発令。

 トラウマがある方。ご注意です。

 手の中の大黒丸の重みを、感じる。

 俺の中の記憶が呼び覚まされていく。

 

 「≪ これはこれは。記憶すら半端にしか思い出せていない貴方に何が出来る ≫」

 「そうだな。俺は、記憶の全部を思い出してない。常識もない。でも、だから出来る事もあるんだよ」


 異世界である日本に生まれたから、出来る事もあるはずだ。

 俺は、乾いた唇を舐める。

 ゆっくりと息を吸い、肺を膨らます。

 小さく細めた唇に、全てを賭ける。


 「ハルルン! 」

 「≪ ぅおお! ≫」


 鋭い高音が空気を劈く。

 空気中の水分が猛烈な速さで震動していく。吹き荒れている風が、瞬く間に熱を帯びる。

 何事かと浮き足立つ黒ローブ達の声がぶれる。


 「執政官様! 」

 「炎が! 水の精霊が踊って炎が! 」

 「何故に炎が! 」

 「≪ 声明を止めてはならん! ≫」

 

 唱えていた声明が途絶え、浮き足立つ黒ローブにテリンの身体が叱るつける。

 アイの意識が俺から反れた瞬間、俺は走り出す。

 迷いなく、手の中の刀を抜き放ちながら確信する。

 あぁ、俺はまだ狂っている。

 学校帰りの公園で、あの女を燃やしかけた自分がまだいる。

 自らも燃えて消えようとしていた自分が、まだいる。

 水野。

 俺、まだ死にたがってる。まだ狂ってる。

 苦しいよ。怖いよ。哀しくて、辛すぎるよ。

 

 「≪ ぎゃああ! ≫」

 

 雷鳴と稲光。

 同時に鳴り響き、テリンの身体に大黒丸を突き刺した俺を照らし出す。

 振り返ったその背中に、俺は迷うことなく刀を突き刺した。

 肉に差し込む感触が、背筋を震わす。

 どす黒い液体が、粘性をもって刀身を伝わり落ちてくる。

 激しくなる腐臭に、嗚咽する。

 こんな俺に、吐き気がする。

 俺は、また人を殺そうとしている。なのに、歓喜を感じている自分がいる。

 このまま、終わろう。終わりたい。

 あの時のように、そう泣き叫ぶ自分がいる。

 楽になりたい。もう、何も考えたくない。辛いのは、もう嫌だ。哀しいのも、苦しいのも、終わらせてよ。


 「≪ 何を! 何をなさいます! ≫」

 「言っただろ。あんた大嫌いなんだよ」


 手の平の大黒丸が、一際大きく震えだす。

 大黒丸の震動が、確実にテリンの中のアイの魂を捕らえた。

 逃がさない。このまま燃やしてやる! テリンの身体と一緒に、燃やして魂を消滅させてやるっ。

 嗚咽を堪えて、息を吸い込む。

 燃えろ。燃えろ。全て燃えろ!

 口笛を響かせるほどに、炎の風は吹き荒れる。

 水の精霊は踊り狂い、風の精霊は飛び走る。

 黒のローブは赤く彩られ、男達は舞い乱れ、絶叫の合唱が響き渡る。

 苦悶の表情で大黒丸を抜こうと暴れるテリンの身体は、乾いた薪のように燃え上がっていく。

 燃えろ。燃えてしまえ。

 俺の袖に燃え移った炎が、腕を舐めていく。

 そう。このまま燃えろ。


 『死んではいけない。おまえは、まだ死んではいけない』


 揺らめく炎の中に、青い瞳。

 聞き覚えのある若い男の声。凛と澄み切った空気のような、その声。


 『幸せになれ。必ず幸せになれ』


 あんた、エアシュティマス?


 「ハルキ! 」


 炎の中の声に気をとられた一瞬だった。

 俺の身体が後ろへ引っ張られる。

 尻餅をつく俺の前で、ミルが燃え上がるテリンの身体に飛び掛り大黒丸を引き抜いた。


 「ハルルン大丈夫か! 」

 「何で大黒丸を抜くんだ! せっかくアイを殺せるとこだったのに! 」

 「ハルキまで死んでしまいます! 」


 シンハが俺に覆いかぶさり、袖や裾に燃え上がる炎をもみ消す。

 刀を宙で払い刀身に付着した液体を振り払いながら、ミルが怒鳴り返す。


 「何を考えているのですか! 」

 「≪ おぅ! おぅ! 身体が! 身体を貸せぇええ! ≫」

 「きゃあ! 」


 アイの絶叫を上げ火達磨になったテリンの体が、ミルに向かってよろめく。

 同時、炎に照らされたミルの影から麒麟が飛び出た。


 「雷光! 」


 忠臣な雷光がミルの危機に飛び出し、燃えるテリンに体当たりを食らわす。

 大きく炎をまとった身体が土間へ弾き飛ばされ、さらに黒ローブの男に襲い掛かる。


 「≪ 身体を貸せぇえ! 私が死んでしまう! 早よう貴様の身体を渡せぇえ! ≫」

 「お、御戯れを! 私が死んでしまいますっ……ぎゃあああ! 」


 複数の男達が、火だるまのテリンが襲い掛かる男に小刀を突き刺していく。

 迷うことなく、戸惑いを感じさせない機敏さで。

 男達が、倒れる男を引きずりまだ雨が降りしきる外へ運び出していった。

 燃えるテリンの身体だけが、踏み荒らされた土間に取り残される。

 もう、テリンの身体は動かない。

 肉が焼ける臭いが立ち込める。

 宙に伸ばされた腕が、燃えていく。

 絵筆を握りたかった、その手が燃えていく。


 「……テリン……」


 赤く照らされて一言、名を呟くミルの姿。

 その横顔に正気が蘇る。

 俺は、何をしようとしたんだ。

 ミルの大切な人の身体を燃やそうとしていた。

 目の前で、肉親のように慕っていた人の身体に、刀を突き刺した。


 「ミル……ごめん、ごめん! 俺、俺、テリンの身体を燃やしてしまったっ」

 「いいんですよ……。いいんです。これで、よかった」

 「ミル」


 炎を見詰めたまま、ミルは微かに微笑んだ。

 

 「深淵(しんえん)の術に掛かってしまったとはいえ、最後はハルキに解放してもらったではないですか」

 「解放、した? 」

 「術から解放して下さった。ハルキの生み出した炎で、踏み躙られた肉体を清められた。これ以上の幸運はありません」

 「そんな、そんなの詭弁だ! 俺はただ」

 「あぁするより、他はなかった。テリンは、術に堕ちる他なかった」

 

 懐から出した手ぬぐいで大黒丸に付着した液体をふき取り、テリンに向かって投げる。

 あっけなく手ぬぐいは炎の舌に取られて燃え上がり消えていく。


 「何としてでも私に会いたかった。そう、言ってました。雲上殿から逃げ帰って目覚めたあの夜、私の手を握って言ってくれたんです。異界へ渡った私が無事に帰ってくるのを確認しなければ、死ぬに死ねぬと」


 炭化して崩れていく指先をみつめ、微笑む。


 「ハルキと想いあった仲になった事を先代に冥土の土産に出来ますと、あの晩そう喜んでくれた。テリンは、ただ心配だっただけ。私の事が心配で、死んでも死に切れなかったのでしょう」

 「死に切れない……」

 

 残された想いが、死してなお身体を動かしていたんだろうか。

 術に掛かることを止む無しと受け入れたのだろうか。

 思い残したことは、もうないだろうか。


 「さぁ逃げようぜ! あいつら、外でなんか術を始めやがってるぞ! 」

 「えぇ……えぇ」


 見開いたままの瞳を、固く瞑る。

 そこに、青い蛍火は消えていた。

 再び開かれた瞳は、いつもの茶色混じりの青い瞳。


 「とりあえず、ここを出ましょう。大黒丸はハルキが持ってください。私は他の荷物を持っていきます」

 

 刀を腰に差し、ミルは俺に大黒丸を渡すと燃え移りだした炎を避けて長持からいくつかの荷物を取り出す。

 

 「お早く! 」


 ミルは素早く裏手の板戸を蹴り飛ばして、荒れる雨の中へ飛び込んでいった。

 

 「テリン」


 渡された大黒丸を、固く握り誓う。

 俺は、ミルをずっと愛していく。

 死にかけても俺とミルを祝福してくれたテリンに、答えるよ。

 ここまでミルを守ってくれた貴方に、感謝するよ。

 

 「ハルルン! 早くしろ! 」

 

 急かすシンハの声を背に受けながら、俺は深く深くお辞儀をした。

 燃え崩れゆく、テリンの肉体に。その魂に。

 

 「ありがとう、テリン」


 その腕が崩れていくのを見届け、駆け出す。

 冷静さを取り戻した風と水の精霊が、建物から飛び出していく後を追いかける。

 熱に炙られた肌を、雨粒が叩きつける。豪雨のカーテンで周りが見えにくい。


 「ミル! 」

 「こちらです! 」


 まるで水の中を走るよう。目の中に流れ込む雨を手の甲で拭っても、叩きつける雨水の量が半端ないからキリがない。

 天を切り裂き大地に突き刺さる落雷の律動。雷鳴の旋律。

 激しい天の音が大地へと轟くオーケストラ。

 暗い中を無茶苦茶に走る俺達を稲光がフラッシュで照らし出す。


 「シンハに乗ったら駄目なのかっ」

 「呪術の罠だらけだから危険ですっ」


 怒鳴るように会話をしながら、前を走るミルを必死で追う。

 

 「上空に風が渦巻いてますっ。水の精霊もどんどん集まってきていてっ」

 「大祓(おおはらい)をしちゃ駄目かっ」

 「居場所がばれてしまいますっ」


 確かに、雷は一向に収まる気配もない。むしろ、どんどん悪天候になっていく。

 これは全て、深淵の神官どものせいなのか。


 「こういう時は、地道に行くしかねぇなっ」

 「そういう事ですっ。シンハも危険ですから影に入って下さいっ」

 「オイラの心配してる余裕はなさそだぜっ」


 突然、シンハが牙を剥いて前方に飛び跳ねる。

 悲鳴のような声が響き、花火が飛び散る。

 泥の中から大量の風の精霊が飛び出していくのを見て、冷や汗が雨と流れていく。

 冗談じゃない。

 あの風の中に閉じ込められたら痛そうだ。狂気に囚われた風の精霊に、体中を切られまくるのは間違いない。


 

 


 

 




 

 

 


 

 

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