41 一つの真実 一つの理由
ここから数話,ゾンビにトラウマがある方はご注意を。
作者自身,グロいのが嫌いなのでソフトに描いてますけど。
「≪ おぉ! 記憶がございましたか。四十余年と経っても私を憶えていてくださるとは光栄。その青い瞳が懐かしゅうございます。今生のダショー様も美しい浄眼をお持ちだ。心が洗われるようです。その青をよくお見せ下さい ≫」
「……あんた、まだ生きてたのか。もう、いい年だろ」
「≪ 泣いていたオユン様にお会いしたのは、上位神官になったばかりでしたからね。今はもう爺ですよ ≫」
「何故、何故にアイ執政官殿の声がテリンからするのですか! 」
ミルの悲鳴のような声に、テリンの土色の顔が、にっこりと微笑む。
生気のなくなった肌が動く様が、おぞましい。
昨晩まで生きていた人が、今までと違う笑みを浮かべていう様が恐ろしい。
「執政官? 深淵のトップじゃないか。出世したんだな」
「≪ 恐悦至極でございます ≫」
「褒めてない」
ミルを背に隠し、板間のテリンを睨みつける。
あれは、テリンの体を持ったアイだ。かつて、俺を縛り付けた張本人。
その記憶が、俺を震えさせる。恐怖を呼び覚ます。
握り締めた水差しの中で、水が激しく水面を揺らしている。
「執政官様が、何でテリンの体使ってるんだ」
「≪ もう爺ですからね。深淵からクマリへ出ること、叶いませぬ。それでも、今生のダショー様に何としてでもご挨拶を致したく、この男の体を使う事にしたのですよ。この男なら…… ≫」
ぽんぽんと、テリンは自分の腹を叩いた。
その手は、やけに骨ばっている。昨日、あんな細い手をしていただろうか。
「≪ 姫宮が神殿にいた時からの馴染みですからな。いや本当に、この男は話が判る ≫」
「テリンに何をした! 」
背後のミルが、土間を素早く横切り壁に立ててあったつっかえ棒を掴む。
空気を切る低い音を響かせ、棒の先端をぴたりとテリンに定めた。
一連の流れるような動作に、後頭部で結い上げた黒髪が揺れる。
「≪ ほう。姫宮の腰に刀がないとは。随分と和やかな日々だったようですね ≫」
「テリンは、テリンの心はどこにある! 」
「ちょっと待て! まさかテリンにかけたのは」
ミルの問いに、溢れ出ようとする恐怖を抑える為、思わず額を押さえた。
恐怖の奥にある記憶が、幻影のように脳裏を駆け巡る。
深淵が秘密裏に鍛錬していた、闇の呪術。人心すら掌握する為に、ダショーの魂を完全に掌握する為に繰り返し研究していた呪術の数々。
吐き気のする内容を思い出し、その光景が閃光のように蘇る。
「……傀儡術か? 」
「≪ ほう。ダショー様には内密で鍛錬をしていたのにご存知とは。我らの結界も穴だらけですな ≫」
「精霊は俺の味方なんだぞ。秘密も何もあるか」
「≪ それは然り ≫」
水の精霊が、風の精霊が常に怯えていた。
神殿に併設されていた病院で、末期の病人が消えていくと。
引き取り手のない病人を使って、魂の存在を縛る呪術を繰り返した深層の秘密部屋の出来事。
そうだ。俺は水を覗く度に、水の精霊が映すその光景を見ていた。
はやく ここから にげて
精霊達の声が聞こえても、逃げる手段を奪われていた。
何故なら家族を、人質に囚われていた。
その隙に、俺は蜘蛛の糸に絡み縛られた。
いつもの手段だ。
大切なものを手中に入れ、呪術をかける。
それなら。
「テリンは、ミルの為に術にかかったんだな」
「≪ この男は姫宮の事しか考えてない。利害が一致したのですよ ≫」
「テリンは、承知したのか」
「≪ 姫宮の安全を保障するなら、自分の死後にこの肉体をどうしても構わないと ≫」
「嘘です! そんなの、嘘だ!」
「≪ 姫宮はもう少し、御自分の価値に気づかれた方がよい ≫」
しゃがれた声が、雨音を制するように響く。
この空間を支配するように、堂々と響く老人の声。
四十余年経とうと、声の響きは変わらない。
「≪ この男にとって一番大切なのは姫宮であり、クマリではない。後李に国を奪われたクマリを再興しようなどとは、思っていなかったようですよ。深淵に姫宮の安全を保障させる。それが代償 ≫」
「嘘だ! テリンはいつだって、クマリの再興を願っていた! 国を奪われた民の旗頭になれと、族長として常にクマリを考えろと 」
「≪ しかし、最近の姫宮は女になられましたな ≫」
「……おんな」
「≪ 貴方はクマリを再興すると言っているが、ダショーとの恋に夢中だったではありませんか ≫」
「違う! 」
「≪ 姫宮自身、クマリ再興が目的ではなくなってきている。違いますかな ≫」
「私……私は」
揺れるつっかえ棒の先端が、ミルの動揺を現しているよう。
その途端、俺の中の何かが外れた。
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!! ミルまで縛り上げるな! 」
地獄の蓋が開く。キツク封印していた記憶の感情が蘇る。湧き上がる。飲み込まれる。
「こいつの言葉を本気で聞くな! アイはそうやって、人の心を縛って人質にしていくんだっ」
「≪ これはこれは。人聞きの悪い ≫」
「傀儡術がどんなもんか、俺は知ってる。死に行く者の魂を体から退かして肉体を乗っ取る術だった」
「≪ ほう ≫」
「ハルキ……ではテリンは? テリンはどこにいるの?! 」
記憶が止まらない。
俺の意思に反して、記憶はどんどん再生されていく。
まるで夢を見ているようだ。
どんな悪夢でも、苦しくて目覚めたくても、眠り続ける夢のよう。
もがいても唸っても、霞をつかもうとする曖昧さ。
自分の意識なのに、自分も思うとおりにならない。
目の前で小刻みに震えても、決してテリンから狙いを外さないミルの強さだけが、現実に引き止めてくれている。
それなのに、俺は残酷な推測を口にする。
「テリンは、初めて会った雲上殿で瀕死の状態だった。もう……あの時には術は施行されていたんだな。テリンの魂は、抜けかかっていただんだな」
「そんな! 」
思わずミルの肩を掴む。細い肩が、震えている。
「確かにテリンはかなり弱っていましたけど、玉獣を呼び出せないほど弱って……まさか、すでにテリンの玉獣はいなかったと? 」
テリンは移動の時に玉獣を呼び出せずにいた。怪我の治りも遅かった。
まだ体力も気力も完全に回復していないからと、玉獣自体かなり衰弱しているから休ませていると、そうテリンは言っていた。
テリンは、事の全てを判っていたというのか?
「≪ クマリの残党が最後の望みを賭けるのは、異界へ渡ったダショーしかいない。生憎、我らは異界へ渡る術はわからぬ。だが神苑と玉獣を知り尽くし、あの創世の白鷹と接するクマリの民なら、異界渡りも出来よう ≫」
「だから、深淵の神殿は、我らに援軍を約束した……と? ハルキを異界より連れ出す為に、後李と戦をしてでも異界へ渡る決意をさせる為に、援軍を約束したと?! 」
ミルの声が震えていた。
自信も誇りも、崩れ落ちていく声。
「深淵の神殿は、我らに後李の猛攻の中ダショー様を異界より生還させ、我らから奪おうと算段していたと?! 」
「≪ この男を使えば、造作ない ≫」
ひらり、テリンの手が宙を舞う。
土色の肌が裂けるように、赤黒い口が笑う。
鼻がもげるような死臭が、豪雨で湿気た空気を伝って漂ってきた。
足元で、全身の毛を逆立てたシンハが微かに身震いをする。
「≪ 最後のクマリ族族長の姫宮が、最大の信頼を寄せるこの男の体を使えば、造作ない。後李との戦闘に紛れて重傷を負った所で攫い、条件を提示すれば簡単に落ちましたね ≫」
「テリン……っ」
震えるつっかえ棒が、土間に落ちた。
稲光が、涙を流して立ち尽くすミルを浮かび上がらせた。
「では、では、私は一体、何をしようと……。国を失い、民を失い、家族をも失い、残された希望を掴もうと異界へ渡っても……これら全てが深淵の計算の中で踊らされた事だったと? 」
「≪ 先の後李とクマリの戦でダショー様の魂を異界へ見失った我々には、そうする他なかったのですよ ≫」
「そこまでして……ここまで大きな犠牲を払ってまで、何で俺の魂を縛りつけようとするんだ! 」
崩れそうなミルを片手で抱きしめ、テリンだった肉体に叫ぶ。
死臭を放つ人形を。
「≪ 当然でしょう ≫」
人形は、笑顔を消した。
白く濁った目玉が、俺を映す。
「≪ 世界中の精霊を思うが侭に出来る人物を、野放しに出来ますか ≫」
皺皺に皮膚がしぼみ、肉が溶けてだした指先で、俺を指した。
「≪ 一国を簡単に滅ぼさせるほどの力を、放置できますか。なれば、我ら神殿がその危険な魂を縛り付けねばなりません ≫」
焦点があってない濁った目に、正義の炎が燃え上がっていた。