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見下ろすループは青  作者: 木村薫
4/186

 4 扉 開く

 恐ろしい非現実的な絶景を前に、立ち尽くしていた。

 耳を突き破るような騒音はまだ鳴り響き、階下の地上から悲鳴と怒号が起きている。少々の事では驚かない都市の人々が、命がけで必死に逃げ惑っている。遠くから鳴り響くサイレンの音に、我にかえる。


 「これ、関口がなんとかするのか? 」

 「出来るかよ」

 「だ、だよな……でも、今日のお前変だぞ」


 それは認める。こんなに能力を使うなんて。唄まで唄ってしまうなんて。妖精まで見えるなんて。

 横からの視線に気付き、首を振る。水野には見えてないか、妖精の一人が水野の短い髪を引っ張っているが気付いていない。これについては……黙っていた方がいいだろう。

 

 「俺も訳判んない。急に唄が浮かんで唄ってたんだよ」

 「何語だよ。聴いた事ない言葉だったぞ」

 「俺も知らん」


 英語ではない。第二言語で履修したドイツ語でもない。水野も知らないという事は、水野の第二言語のフランス語でもないという事か。

 

 「でも、唄って風を動かしたよな。あのバケモノを弾き飛ばしたぞ」

 「うん……でも、こいつら全部相手に出来る度胸はないぞ」

 「また唄が浮かんでこないのか? 」

 「そんな都合よく出来ない」

 「なんだよ。役に立たないなぁ」


 その通り。まったく役に立たない。屋上に出たものの、何も出来ない。その事を痛感しただけだ。

 どうする。このまま、逃げるか。いや、出来る事はないんだろうか。

 この騒動とともに、俺の中で変化が起きているのは確実。RPGゲームの勇者気取りのつもりは全くないけれど、何か理由があるのなら、出来る事があるのならば、やるべきかもしれない。

 空とぶ獣を警察が何とか出来るとは、到底思えない。一頭ずつライフルで撃つには、危険すぎるし時間がかかりすぎる。他の場所に逃げ出したら被害が広がる。

 風を、また操るか? さっきの唄を、再び唄うとか。いや、でも……。

 頭の中を、色んな考えが堂々巡り。あぁ、この調子はずれの騒音の中で考えがまとまらない!

 思わず頭をかきむしった、その時だった。

 耳を支配しかけていた騒音の中に、一筋の音が混ざる。

 それは、強くしなやかに響き渡る。灰色の雲間から差し込む光のように、天使が舞い降りてくるように、清らかに美しい。

 知っている。これは『正しい音』。これは、調律の音。乱れた世界の音を紡ぎなおす、縦糸。ならば、もう一つ音が必要だ。縦糸には、横糸。世界という布を織り上げる、秩序を作り出す、もう一つの音は和音を作り出す。

 この音を響かせるのは……そう、この音だ。

 唇を狭め、音を奏でる。空気の振動が広がる。水面に雫を落として広がる波紋のように。そうして、めぐり合う。もう一つの音と触れ合った途端、新たな響きが生まれだした。

 聞いた事のない音。でも、この音を聴きたかった。その感情だけが体中に湧き上がってくる。そうだ。俺が聴きたかったのは、この響きなんだ。

 心地よくて体も心も溶けていく。至福の音。

 互いに求めるように、音はさらに大きくなる。響き渡る。

 飛びまわっていたバケモノ達が、金縛りにあったように宙で止まっている。風にのって踊っていた妖精は、うっとりと漂いだす。


 「関口、あれ! 」

 

 水野の指差す方角から、より強く音がやってくる。噴水広場の中心のシンボル、競泳用プールほどの広さのガラスの池が青く光りだしていた。水面から無数の光が舞い上がり大きな蕾を作り出していく、そんな幻想的な光景に目を奪われて。至福の音がこれ以上なく大きく膨らんだ瞬間弾け跳ぶように、蕾の花弁が開き崩れるように、青い光が霧散していく。その青い光と共に、真っ白な鷹と人影が飛び出して宙を駆けてくる。

 あやうく、口笛の音がぶれそうになる。必死に音を保ちながらも、目を奪われた。

 赤毛の大きな鹿に騎乗している女性が見える。いや、鹿にしてはたてがみがある。しいていえば、ビールのラベルにある麒麟(きりん)の絵に近いかもしれない。そう。古代中国の想像上の霊獣、麒麟(きりん)

 その麒麟(きりん)にまたがったっている女性は、流鏑馬の侍のような格好。ただ、薄汚れた胸当てや所々に赤い染みがある袴が妙に実戦の雰囲気。後頭部で結い上げた漆黒の長い髪が、美しく風になびいている。


 『……!? 』


 女性の叫び声が聞こえる。何か問われたようなニュアンスだけど、意味は判らない。ただ、明らかに異質の響きに思わず水野と顔を合わす。


 『……! 』


 再びの声と共に、上空をすり抜け様に何かを落とされる。思わず反射的に駆け出し、手を伸ばして受け取っていた。

 手に落ちる異様なほどの重み。時代を感じさせる黒い鞘と柄の紐。

 知っている。この刀を知っている。漆黒の刀身。刀であって、これは刀でない。

 俺は、知っているんだ。


 『 抜くがいい。唄うがいい。お前は、唄う為に生き抜いたのだろう? 待っていたのだろう? 』


 頭に響く声に、目の前のネオンの看板を見上げる。先に見た純白の大鷹が見下ろしていた。金色の瞳を、楽しむように細めている。


 『 時と空間を越えて、再び会えた。さぁ、大黒丸(だいこくまる)を抜くがいい。 』


 獣が空を飛んで、妖精が見えて、鷹が喋って、麒麟(きりん)に乗った女性から刀を投げよこされて。俺の頭の中は真っ白だ。

 でも、これは判る。この刀は、抜かねばならない。獣を停止させた『正しい音』は、確かにこの刀から響いているのだから。


 『 唄え 』


 一拍だけ、息を止めた。唇をかみ締め、ゆっくりと鞘を抜いていく。黒い刀身が、夕焼けの赤い光すら吸い込むように輝きだす。宇宙の深みのような、何処までも黒い光。

 見えていた光景が消える。暗闇の中、柄を強く握る自分の存在だけ、心臓の音だけが大きく聞こえた。

 光を。暗闇の存在に相対する、偉大な存在を。この響きを。この唄を。


 『 八百万(やおよろず)の神々の 住まう天地 深淵(しんえん)の果て 全てに響かせ轟かそう 』


 浮かぶままの言葉と旋律を空気に乗せていく。丁寧に、響いていく感覚さえいとおしむように。

 見上げた夕闇の中に、一番星が微かに見える。

 何故だろう。見慣れた空のはずなのに、はじめて空を見上げたように感じる。胸が高鳴る。細胞の一つ一つが激しく身震いしていく感覚。体中を雷のように予感が走り抜ける。全てが変る、そう叫んでいる。


 『 天地合わさる果てにまで 全てを包む風にのせ 汝の(しもべ) 関口晴貴は唄いましょう 』


 風が舞い上がる。屋上いっぱいの置かれた冷房装置のファンから巻き上がった温かい空気を巻き込みながら、風が巻き上がる。妖精たちが踊りだす。

 音が、一音一音輝きだす。空気を輝かせながら響いていく。様々な色の光の粒になり、空間を染め上げていく。

 これは、きっとただの唄じゃない。まるで、光の呪文。全てを輝かして、ゼロに戻す呪文。それでも、このゼロは何もないわけではない。すべてをニュートラルに戻していくゼロ。プラスでもマイナスでも、『無』でもない。これはきっと、始まりの唄だ。

 獣達の気配を、強く感じる。肌に感じるのは、悲しみの感情。怒りの感情。

 あぁ、そうだ。きっと帰りたいんだ。叫ぶ咆哮は、嘆きの叫び。迷子で泣いているんだ。見知らぬ場所に来てしまって、怖くて暴れていたんだ。

 帰ろう。帰ろう。ウチへ、帰ろう。

 君たちのウチは判らないけど、何処に帰るのか判らないけど、俺に出来る事は唄うことだけ。なら、唄おう。丹精込めて、この唄を唄おう。

 見上げる空は、見る間に青く暗くなっていく。日が沈み、新たな世界が広がっていく。

 きっと、俺の中の何かも変る。先までの、俺ではなくなる。

 見知らぬ言葉、聞き覚えのない旋律、見覚えのない光景。ほら、また頭をよぎる。

 それは青。透き通る、微かな青。零れ落ちる雫。あぁ、空の色だ。


 『 この音は音でなく 神の御息吹なり 鼓動なり 』


 抜いた刀身を、再び鞘に収める。(つば)が立てた音が静けさに響き渡った。最後の波紋が広がっていく。獣達が次々に光に包まれ落下していく。音もなく、ただ輝いて漂うように落ちていく。


 「す、すげ……全部、全部、光ってくぞ。退治したのか? 」

 「退治、じゃない、な。戻しただけだ。ただ、戻しただけ」


 足が笑っている。唄い終わった途端に、全身の力が抜けていく。とっさに刀を落とさないよう胸に抱きこんだまま、温かいコンクリートの床に倒れこむ。


 「関口! 」 

 「だ、大丈夫……は、はは……すんげー気持ちいい」

 「大丈夫か、おい」


 水野が不安そうに、俺を支えて座らせる。肩で息をしながら、リュックからペットボトルを取り出す様子を見ていた。

 体は大丈夫だ。ただ、酷く疲れている。そして、とてつもなく気持ちよかった。大音響のヘッドホンでお気に入りのテクノとかを聴いて踊りまくったような、ハイテンション。心が空のように広がって解けて、世界中の全ての存在と交わったような、精神的開放感。体中の細胞を作り変えたような快感。


 


 

 


 


 

 

 


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