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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 35 青い瞳の少女

 軍人達が走り去っていく足音が消えるまで確認した。

 緊張が切れた途端に、体中が痛みに襲われる。呼吸をするたびに、鈍痛が響く。

 文化系だったから、傷とか怪我とかに慣れていないんだよな。

 場違いな事を考えつつ、とっさに庇ったテリンを覗き込む。

 青白い顔に、汗を流して呻いている。


 「雲水うんすい様、大丈夫ですか! 」

 「テリン、テリン、大丈夫? 」


 巻き込まれまいと取り囲んでいた群衆の中からも、幾人もの人が心配げに手を差し出す。

 有り難い。

 素直に手を貸してもらい、さっきまで茶を飲んでいた屋台の椅子に腰掛ける。

 何も言わずとも売り子のおばさんが一杯の水とお絞りを持って駆けつけてくれた。


 「雲水うんすい様に手を出すとは、罰当たりな」

 「おい、そんな事いうなって」

 「でも災難でしたねぇ」

 「ありがとう。大丈夫。ここは大丈夫です。ありがとう」


 知っている単語を丁寧に発音し、集まった人々に頭をたれる。

 心配そうだが、本音は面倒に巻き込まれたくはないんだろう。俺とテリンの無事を確認すると、労わりの言葉を残して足早に去っていく。

 薄情とは思わない。目の前で暴力を見たら、それに巻き込まれたくないのが正直なとこだ。

 俺も反対の立場なら速攻で逃げるから。

 そう思い、ため息をつきながら受け取ったお絞りで丁寧に顔を拭いてやり、茶碗をテリンの口元に近づけた。

 途端、思わず顔をしかめる。

 物凄い悪臭が鼻を突く。肉が腐ったような、真夏に弁当を腐らせたような、耐え難い腐臭。

 手にした茶碗を思わず落としそうになる。

 テリンの口臭? まさか。どこか屋台で食べ物を腐らせているのか。でも、さっき飯を食べている時には、こんな臭いはなかった。

 

 「だめだよ。このおじさん、ほとんど死んでるもん」


 子供の声に、振り返る。

 笑い顔の仮面をつけた、小さな子供。

 すんなりと伸びた手足を動かし歩いてくる。空気が、キラキラと輝いていく。その子供の周りに、精霊が心地よさそうに舞い踊っている。

 埃っぽい雑踏の中に現れた天使。


 「あれ? 雲水うんすい様、ミントゥと同じ? 」


 俺の前で立ち止まり、笑い顔が首をかしげた。

 曲線を描いてくり抜かれた仮面の奥で、青い光が煌く。


 「あなたも、ニライカナイから来たの? 」

 「にらい、かない……」


 脊髄が、瞬間で沸騰した。細胞が沸き立つ。

 その単語は、何? 

 体が硬直した俺の前で、子供は仮面を外す。

 幼子特有の、ふっくらとした頬。少し低いダンゴ鼻。アーモンド形の切れ長な目元。そして、青い瞳。


 「あたしと同じだね。すごいなぁ。おそろいの人、はじめてだよ。でも、雲水うんすい様のほうが、きれい。すっごくきれい」


 ミントゥとは、この子の名前なのか?

 子供の澄み切った青の中で、ぽかんと口を開けた自分が映っている。

 この子は、なんで青い瞳なんだ? なんで、精霊を連れているんだ?


 「あたし、ミントゥ。雲水うんすい様はエリドゥから来たの? なんで、後李こうりに来たの? あれ? 雲水うんすい様、もしかして……あれれ? 」

 「……」


 俺がダショーです。

 そんな事言えるはずもなく。にこやかに自己紹介をするミントゥなる子を凝視する。

 成長期の子供特有の、細い手足。肩で切りそろえられた栗色の髪。質素だけどこざっぱりした身なり。

 きちんとした家の子なのだろう。言葉使いも丁寧だ。

 だからこそ、共生者の能力を隠す事もなく話しかけるのが不気味だ。

 この子、何者?

 そしてこの子も、何か気づいたのだろう。

 俺の顔を、俺の青い瞳をじっとみつめて黙ってしまう。気づいた?


 「おぉい。お待たせぇ」

 「あ、モル兄にシャム兄! ありがとう」

 「うまくいったか? 」

 「ばっちりだよ。助かった」

 「で、雲水うんすい様は大丈夫ですか? ミントゥ、お面つけとけよ。団長にばれたら怒られっぞ」


 人波の中から、さっきのスリ少年コンビが現れる。にこやかにミントゥに挨拶をして、俺に対しても軽くお辞儀をする。

 その礼儀正しさ、不良少年には見えない。罪を後ろめたく思う事もない晴れやかな笑顔に、こっちが戸惑う。

 

 「さっきのひと、さいふ、どうした? 」


 まさか、俺達を助けるためにスリをしたのか? それはまずい。人助けとはいえ、見知らぬ青少年達が罪人になるのはマズイ。

 思わず声を出すと、三人の大きな目が丸くなる。


 「返しておきましたよ。って、雲水うんすい様、エリドゥの人じゃないの? 」

 「本当だ。訛ってる」

 「そ、そんな事、ない。大丈夫」


 慌てて、深く笠の端を下げる。一番、自信ある発音で返す。

 ぐったりしたテリンに肩を貸して立ち上がる。


 「いろいろ、ありがとう。しつれいする」

 「雲水うんすい様っ」


 差し出される手を無視して、雑踏の中へ歩き出す。

 ミントゥの声がしたが、スリ少年達が引き止めるのを背中で聞き流す。

 事情持ちなら、マズイじゃん。お互い、深入りしない方が良いよ。

 あぁ、彼らも事情持ちなのかもしれない。

 まだ小学生ほどの子供が、仮面を被っていた。ミルやテリンよりも青い瞳を隠す為だろうが、その異様さに納得をする。

 この群集の中、事情持ちは俺達だけではなかったという事だ。


 「もう少し、しんぼうしてください」

 「うぅ……」


 先の酷い悪臭は消えていた。うん、気のせいなんだ。大丈夫。

 嫌な予感は、考えないとこう。

 今は、ミルと合流する事を考えよう。人気のない場所へ連れて行き、手当てをする事を考えよう。

 暑さと焦りで流れ落ちる汗が、目に染みる。奥歯をかみ締めて、テリンを担ぐ腰に力をこめて、ふらつく足を叱咤して。

 それでも、ミントゥと名乗った子の言葉が体の中を沸き立たせていた。

 にらいかないから来たの?

 にらいかない。

 それは場所を表しているんだろうけど。

 あぁ、どこだろう。

 ガス栓を閉め忘れたかのような、妙な焦燥感。それに似ている。

 それなら、≪にらいかない≫は思い出し損ねた大切な事だ。

 体中の細胞が、血が沸騰する響き。

 




 「にらいかない、ですか? 」

 「しってる? 」

 「いえ……でも、随分と古い響きですね」

 

 あれから、直ぐにミルと合流出来たのは幸運だった。

 事の成り行きを説明すると、ミルは顔色を変えてテリンを一緒に担いで街から脱出した。

 街道からすぐに逸れ、ぐったりしたテリンを何故か嫌がるシンハに何とか乗せて。

 隠れ家となった旅籠に着くなり、癒しの唄を唄い横にさせた。

 必死に意識を保っていたテリンが崩れるように眠り、寝息を立てたのを見届けてから聞いてみる。

 買ったばかりの刺激的な香を放つ調味料を入れたスープが出来上がるのを見ながら、昼間の騒動での疑問を聞いてみる。

 ミルは首を捻ったまま、何度も≪にらいかない≫と呟き鍋の中身をかき回す。


 「にらいかない……にらい、かない? にらいか、ない? 」


 意味不明な具合に単語を区切り、呟き、考える。

 スープに入れた青菜の色がすっかり抜けてから、ミルは一つの考えをだした。


 「多分、多分ですが。その≪にらいかない≫とはハルンツ様か始祖エアシュティマス様に関係しているのでしょうか」

 「そうだとおもう。はじめの、きおく。『すごく、古い記憶なのは間違いないと思う』』

 「なら、ニライカナイかもしれません。常世の地、という意味ですよ」

 「とこよ? 」

 「死んだ魂が行くという、神々の地に近い異界です。クマリでは、山の高みに神々の家があり海の向こうに祖霊の暮らす異界があると信じられております。もっとも、古い考えです。今はその考えも曖昧になってしまいました。詳しくは私も説明出来ません」


 申し訳なさそうに、ミルは頭を下げる。

 始祖エアシュティマスからの言葉なら、昔すぎて説明出来る人も少ないだろう。日本で例えれば、平安時代の言葉や思想を説明するようなものだ。俺も、詳しくは出来る自信なんかない。

 

 「何か、思い出されたのですか? 」

 「うん、まぁ……『曖昧だよ。死んだ魂が行く所か』」

 

 それは、あの世なんだろうか。この異世界とも、通じているだろうか。そしたら、死んだじいちゃんやばあちゃんにも会えるだろうか。

 ふと、二人の遺影が並んだ仏壇を思い出す。

 鼻の奥に、線香の香りが蘇る。

 このままだと、あの嫌な事まで思い出しそうだ。

 

 「テリンはまだおきないかな。さきに、たべる? 」

 「そうですね。先に頂きましょう」


 すっかり青菜の色が抜けてしまったスープをよそって、二人で食べる。

 久しぶりの二人の食事。市で買ってきた惣菜もあったけど。でも、なんだか嬉しくはない。

 心配事は、山積だ。





 世界は、回る。俺にとって大事なじいちゃんが死んでも、世界はそれでも回っている。

 学校で先生達やクラスメイトに慰めの言葉をもらっても、日常は変わることはない。

 ただ、やらなければならない事は押し寄せる。さっさと答えを出さなければいけないことも。

 大学の志望校を、変更した。

 じいちゃんが死んだ今、俺が下宿する大学へ進学は出来ない。

 早く、自立しなければ。ばあちゃんの心配をなくさなければ。家族を養える程の給料が貰える仕事につかなければ。

 夏休みに入ってすぐ、俺は地元の国立大に志望校を変えた。堅実に、地元の企業に就職活動が有利になるように。

 学校の補習をこなし、予備校の夏季集中講義に申し込み、初盆も勉強三昧で過ぎていく。

 模試では合格圏内だったけど、確実を狙うしかない俺には、何もかもが不安だった。

 ばあちゃんに、安心してもらわなきゃ。これからは、俺が支えるから。

 仏壇の前に座り続けるばあちゃんの後姿が、どんどん小さくなってる気がして怖かった。

 家中に焚き染めるように線香のにおいがしたのが嫌だった。

 俺はここにいるよ。ばあちゃん、ここにいる。ずっといる。

 だから、じいちゃんのトコには、まだ行かないでくれ。


 「なんだよ。想い出に浸ってんのか」

 「浸ってないよ。思い出しただけだ」


 夕食後に、テリンから逃げるように風呂に来た。

 おどけながら俺にまとわりつくシンハの言葉に、俺はようやく納得した。

 俺は逃げたいんだ。思い出したくないんだ。

 傷ついたテリンを見るたびに、死んだじいちゃんを思い出す。ばあちゃんの最後を思い出す。


 「さっさと入ろうぜ。ハルルン、汗くせぇぞ」

 

 尻尾を振って湯気立ち上る風呂に入るシンハを見ながら、ぼんやりと昼間に出会ったミントゥの言葉が蘇る。


 「このおじさん、ほとんど死んでるもん」


 あぁ、そうだ。テリンからは、死のニオイがするんだ。

 だから、死んだじいちゃん達を思い出すんだ。

 

 


 


 

 

 

 


 

 作中に『ニライカナイ』とありますが,沖縄とは何の関係もありません。ただ海の向こうの理想郷,桃源郷的なイメージを頂きました。ここでお断りしておきます。

 前作『千夜を越えて』でも,『ニライカナイ』は出てきます。主に,一章と最終話です。微妙に『ニライカナイ』という単語と周辺の出来事は『見下ろすループ』とリンクしてるので,気になる方はどうぞ。もちろん,読まなくても支障ないように描いていく予定です。


 

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