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見下ろすループは青  作者: 木村薫
34/186

 34 小部屋の記憶

 少々,暴力シーンあり。

 苦手な方,注意してください。

 酷く痩せこけた手を握り締め、男がダショーへ疑いの言葉を吐き出して。それを止める人はいない。

 否定はしないけど、相槌は打てないけど、同意はする。そんな雰囲気だ。

 殺伐としている。この世界は、一体どうなっているんだろう。

 口々に帝国に対する不安や不満を言い募る人もいる。もちろん、擁護する人も。

 どの意見も、筋がある。感情的に抽象的にしか言えない人もいる。反対に、凄く整然と論理を展開する人もいる。

 無学な労働者も、学のある商人や学者らしき者も、思い思いに討論していく。

 

 「反対する民もいるようですな」

 「テリン、どうおもう? 」

 

 真剣な討論をする人々の中に、饅頭を食べながらの俺達の会話に興味を持っている人はいない。

 聞くなら今だ。


 「テリン、後李こうり帝国、どうおもう? 法王国、どうおもう? 」


 何故、俺に蜘蛛の糸をかけたのか。

 ミルがいない今、聞いておくべきだ。

 甘ったるい蜜と、やたら口の中の水分を奪っていく生地を飲み込みながら、俺をテリンを見つめた。


 「テリン、くものいと、つかう。なぜ、つかえる? 」

 「蜘蛛の糸を使う? 蜘蛛とは、あの蜘蛛ですかな」

 

 太く骨ばった指で、宙に昆虫の蜘蛛を描いた。

 わさわさと蠢く、あの八本の足を表現した。

 そして、訳が判らないと困惑した顔をした。

 精悍な不精ヒゲをはやした口元は、への字に下がってしまっている。

 

 「私が蜘蛛の糸を使うとは、何でしょうな……こう、機織ですかな」

 「ちがう。深淵しんえんのくも。俺をしばる。つかまえる、いと。なんでテリン、つかう? 」

 「深淵しんえんの蜘蛛と? 何故にハルキ様を捕まえねばならんのでしょうか? 」


 本当に困惑していた。

 質問した俺も困惑してしまう。あの晩、蜘蛛の糸で確かに襲われた。そして、蜘蛛の糸で俺を束縛するのは深淵しんえんの神官だ。

 記憶が蘇る。その時の感情も蘇る。

 苦しいく、途方もない絶望が神経を喰い漁っていく。





 見上げる空は、小さな窓の向こう。丸い小さな、高い窓の向こう。

 煌く星のささやきも聞こえない。木々を揺らす風の音も聞こえない。

 規則正しく落ちる雫の音。ぶ厚い壁の向こうから聞こえる詠唱。体に侵食するように焚きこめられた、乳香の香り。


 ココハ、イヤダ。イヤダ。ボクヲ、シバラナイデ。オウチニカエシテ。


 何度も繰り返す言葉に、何度も聴かされた言葉が返ってくる。

 ぶ厚い壁の向こうから、濃い乳香と共に。


  ≪ 辛抱なされませ。ここがダショー様のお家でございますよ。貴方様はここにいなければならないのです。≫


 やけに響く低音の男声。その心地よい音で、魂を縛る。真綿のように、やさしく窒息させる。細く紡いだ糸のように、魂に食い込ませて縛り上げてくる。

 

  ≪ エリドゥの都と深淵しんえんの繁栄の為にだけ、貴方様は存在しているのですよ。辛抱なされませ。これが貴方の宿命なのですよ。 ≫


 俺の存在理由? 繁栄の為? これが俺の宿命?

 何度生まれても、蜘蛛の糸に絡め囚われてしまう。違う。俺が生きる理由は繁栄の為じゃない。

 今度こそ。今度こそ、蜘蛛の糸に捕まらないようにしなくては。

 あぁ、どうか。

 オウチヘ、カエシテ。アノソラヘ、トキハナッテ。クモノイトガトドカナイ、トオクヘイキタイヨ。

 ヌシサマ、タスケテ。




 「……ルキ様、ハルキ様? 大丈夫ですかな? 」

 「あ、あぁ、うん」

 「酷く顔色が悪うございますな」 

 「すこし、おもいだした。大丈夫」


 あれは、一つ前の記憶だろう。この世界を追われた時から、一つ前の記憶。

 まだ子供の自分が、小さな小部屋に閉じ込められていた。人々が平伏していても、豪華な法衣を身に着けていても、自由がない。存在する事が仕事。

 前世の記憶があり、自分の一生が籠の鳥と知っていた。

 だから、あの後、小さな子供だった俺は自分の命を自ら絶ってしまった。

 これから続く、長い苦痛と孤独を知っていたから。耐え切れなかったから。全てを悲観して逃げてしまった。

 死んでも、青い蜘蛛の糸から逃れられる事はないのに。

 足元の地面が消えて、星の中心まで沈んでしまいそうだ。

 逃げても逃げても、生まれ変わっても、この絶望は追いかけてくる。蜘蛛の糸は伸びてくる。


 「大丈夫。もう、おちついた」

 「とても大丈夫に見えませぬぞ。人に酔われましたか」

 「うん……」


 そういう事にしておこう。

 生唾を飲み込み、こめかみから流れる冷や汗を手の甲で拭う。

 

 「動けますかな。騒ぎが大きくなって、人目が多くなって参りました故、移動いたしましょうぞ」

 

 テリンが、懐の財布から銅貨を二枚出しながら俺に囁いた。

 

 「しばしご辛抱を」


 目立つのは、避けたい。そう言いたげなテリンの視線に、俺は奥歯をかみ締めて立ち上がる。

 この周りの屋台群から人が参加して、野次馬も入りだしていた。まだまだ見物人は増えそうだ。

 テリンに促されて立ち上がった時だった。一際に大きな声が討論を遮った。

 同時、人垣が真っ二つに割れる。

 進み出てきた人物の身なりに、俺は体が固まる。

 暗緑の甲冑を着けた、後李の軍人達だ


 「これは何の騒ぎだ! 」


 やばい。

 この群集の頭に浮かんだ感情を一言で表せば、そうなるだろう。

 自由な討論の場に軍人が入って、問題がないわけない。

 話せない内容も、沢山議題に上っていたのだから。


 「貴様ら、何を話していた! 聞こえた単語にはクマリへの進軍を非難するようなものがあったのは、気のせいであろうな! 」


 気のせいです。

 そう表現するように、集まっていた群衆が口を閉ざして去っていく。目線を地面に下げ、関わりのない事だけを主張して。

 その流れに便乗して歩き出した俺達の前に、革のブーツが立ちふさがる。

 下げた目線を、辺りに流す。軍人達に取り囲まれていた。


 「この雲水うんすいらが皆を集めたか! 」


 馬鹿でかい声が、屋台村の一角に響き渡る。あれだけ人でごった返していた屋台村の一角、大きな空間が出来上がっている。中心は俺とテリン。取り囲むように軍人達。


 「民衆をかどわかしたか! 深淵しんえんの手先が! 」


 冗談じゃない。その深淵からも追われているんだよ。

 思わず心の中で舌打ち。

 一般人は雲水を尊敬の対象にしていても、軍人からすれば敵国のスパイと同様に思っているようだ。

 最悪だ。


 「それは誤解でございます。我ら、ただこの場所で一膳の飯を頂いていたまで。そのような大それたことは出来ませぬ」


 丁重に、言葉を返す。丁寧な仕草でお辞儀をする。

 テリンの動きを真似、俺はその影に隠れる。同じように。怪しまれぬように。せめて、足を引っ張らないように。


 「お前ら雲水うんすい、どうせ深淵しんえんからの間者であろうが! 何を吹聴しておった! 」

 「滅相もありません。深淵しんえんから追い出された半端者でございます。吹聴など、そのような事するはずありませぬ。どうか、どうかご容赦を」

 

 地面に額をくっつけて喋るテリンを真似るて、地面に伏せる。息をするだけで、口の中に細かな砂が入り込んでくる。

 イラつく軍人達が、立ち並ぶ幾つもの革のブーツの先が、蹴りつけてきた。

 段々と強くなってくる蹴りに、丸めた体が恐怖で固くなってしまう。

 どうなるんだ。今、俺がダショーと判ったら。いや、青い目を持っていると判ったら、どうなるんだ。

 

 「言え! 雲水うんすいらが帝国の足を引っ張っているのは明白だ! 我が軍がクマリ討伐をし、戦の先陣を切る事のどこに批難するのだ! あの獣使いらを処分でねば、民の安全を守れん事が判らんのか! 我ら軍人が命を懸けて、李薗りえんから続く後李こうり帝国の土地と名誉を守っているのだ! 後ろで守られておる御坊が何をぬかす! 」

 「これでも、あの臭い獣使いを擁護するか! この恥知らずが! 貴様ら雲水うんすいの食べた飯は、どこの土地で作られておるか知っているのか! 」


 獣使い。

 その単語がクマリの民を屈辱している事に、すぐに気づいた。

 そして、大きく足が振り下ろされる。俺を庇うように前に出ていたテリンの体が、僅かに浮き上がる程の蹴り。鈍い音と、呻く声。

 思わずテリンに覆い被さる。

 何てこと、何てことするんだ! 

 

 「はっ。庇いあうとは余裕だな。お前達のような木偶の坊がおる故に、民衆が浮き足たつのだ! 」

 「我らに抵抗するのか! その根性を叩きなおしてやろう」


 勝手な言葉と、蹴りが絶え間なく体を打ち付けてくる。

 うずくまったまま動かないテリンの上に、思わず覆いかぶさる。

 脇腹も、太ももも、肩も、硬い革のブーツで絶え間なく蹴り続けられる。

 まるで俺達が鬱憤を晴らすサンドバッグのように蹴られ続ける。奥歯をかみ締めて、この嵐が過ぎるのを待つしかないのか。

 自分には、何もない。テリンやミルのような武術も、出来ない。曖昧な記憶の唄では、何も出来ない。ここでは唄えない。

 なら、テリンの盾になるしかない。

 慣れない痛みに歯を噛み締め、動かなくなったテリンを庇いながら覚悟を決めた。その時だった。

 

 「ごめんよ、ごめんよぉ! 」


 場違いな程に能天気な声が、緊迫した空気を破られる。

 思わず目を開けた視界に飛び込んだのは、二人の少年だった。

 そこに重力が存在しないかのように、軽やかに宙を飛び跳ねて人垣から飛び出した。

 

 「はい、ごめんよぉ! 」


 言葉とは反対に、暴力を振るわれていた俺達の上を舞うように飛び越えていく。

 その軽業に、この場を支配していた殺伐とした空気すら吹き払われていく。

 

 「誰かそいつらを捕まえてくれぇ! 」


 まるでつむじ風が花弁で遊ぶような少年二人の動きに見とれていると、人垣の中から素っ頓狂な声があがる。


 「金をスられた! その悪餓鬼を捕まえてくれぇ! 」

 「はい、ごめんなさいよぉ」


 暢気な声を残して、少年二人が見る間に人垣の向こうへ消えていく。大通りの人波に飲まれていく。


 「い、いかん。追いかけるぞっ」

 「はっ! 」


 暴力を振るっていた軍人達は、民衆の平和を守る正義の味方に変身したようだ。

 執拗に蹴り続けていた俺達の存在すら忘れたように、一斉に規律とれた動作で去っていく。

 助かった。

 緊張と恐怖で固まっていた体が解けた途端、痛みが体中を襲ってくる。

 

 

 

 

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