33 戦の足音
「あれは薪と炎石を燃やしているんです。驚きました? 」
「すっごくおどろいた」
目の前に置かれた茶碗の水を一気に飲み干して頷く。
砂埃の積もった頬を軽く拭きながら、悪戯っぽく微笑んで話すミルに苦笑いしてしまった。
あの自動車もどきを見た俺が驚くのを予想して、今まで自動車もどきがある事を言わなかったんだな。
戸板に椅子の足をつけたような素朴な腰掛で、ようやく一休憩だ。
昼食は、焼きソバに似た何か。炒めた麺の上に内臓らしき肉片が香ばしく焼かれていた。日本語にすれば多分『ホルモン焼きソバ』。
食べる物も、着る物も、想像から激しく逸脱したものはないようだ。何だかアジアの奥地に迷い込んだような感じにさせられる。
でも、そんなものかもしれない。
五本の指を持って、二本足で歩行する動物が進化した世界。そうなれば使う道具も環境も、さほど変わる訳はない。
さらに、街でみた蒸気で動く車が存在する。
蒸気機関が存在する、という事は。
「つぎは、『近代化かな』」
思わず日本語が出てしまった口を押さえて、目の前の往来と屋台の周辺の客に目を走らせる。
そんな俺の慌てっぷりを、テリンは静かに微笑んだ。どうやら、ここは安全らしい。
そんなテリンとは正反対で、ミルは好奇心で溢れそうな大きな目を向けてくる。
「『近代化』とは、何ですか? 」
ここで、ワットの蒸気機関の説明から始めるのは大変だ。
飛行機雲なんて存在しない夏空を仰ぎ、排ガスにも黄砂にも汚染されてない空気で深呼吸。
屋台からだろう。食べ物の甘い香り、香ばしい焼き物の香り、油の香り。
「むかし、いぎりすでおきた。そこから、からくりがすすんだ。かんがえ、かわる。よのなか、かわる」
日本語が使えたら、もっとスムーズに説明が出来た。
手際よく何かを焼いたり揚げたりしているカウンターの向こうを眺めながら、慎重に言葉をつづる。
「ものを、もやす。ゆげ、もくもくでる。その力をつかう。そこからすすんで、みずのうえ、はしる。そらをとぶ。つきへいく。たべもの、たくさんつくる。たくさんのひと、うまれる。まちで、くらす。せかい、かわっていく。みんなで、よのなか、うごかしていく」
ここで君主制の崩壊なんて言ったら、不敬罪なんだろうな。
曖昧に言葉を濁して誤魔化したが、テリンはその意味が判ったようだ。
声にならない空気を口から吐き出すと、軽く頭を振った。
「そのような事が可能とは……。随分と違う世界のようですな」
「呪術がなく、からくりが進んだ世界でしたからね。私も最初は随分と戸惑いました」
「でも、そらとぶの、あった。ほら、天鼓の泉で」
「宙船は、半分は呪術です。風の精霊を閉じ込めた虹玉を用いているそうです」
「にじだま」
何だろう。そう思っていると、ミルが手の平の上で息を吹きかける真似をした。
あの炎や風が飛び出した真珠のような珠だ。
思わず指を鳴らしてしまう。
謎が解けた。そして、確信する。
ここは、現代日本よりは科学は進んでいない。けど、科学と呪術を混ぜた独自の文明を発達させている。
軍艦が空に浮いていたのが呪術の力だったという事は、車以上の馬力は作り出していないという事。そして、呪術と科学を組み合わせた独特の技術は、主に軍事に使われている事だ。
「虹珠は南方の海で採れるんです。それも、夏の大潮の晩だけ。とても貴重なものなんですが、後李帝国はユカタ諸島にも勢力を広げていますからね。流通を牛耳っているんです」
「すごいな」
物流もあり、経済も発展しつつある。
これは、本当に近代化の夜明けなのかもしれない。俺、この世界の歴史的転換期に来たのかもしれない。
胸が高鳴りだした俺だったが、テリンは笑顔でミルを促す。
「話は楽しいが、ミルは買いたい物があったのだろう? ハルキ殿とここで茶でも飲んでおるから、早く行きなされ」
「そうでした。では、テリン、しばらくハルキ様をよろしくお願いします」
「てつだう、しようか」
「いえ、これは私の買い物ですから」
何故か顔を赤くして人波の向こうへ走り出すミルを見送りながら、変な事を言ったかと首を傾げる。
でも、お年頃の女の子だ。逃亡中といえ、買い物を楽しみたいだろうし。
その合間にテリンは売り子のおばさんに声をかけ、なにやら注文をした。
「甘いものはお好きですかな」
「だいすきですっ」
この世界に来てから、食べたものは果物や雑炊や、何かの焼いた肉だったり魚だったり。野趣溢れるものばかりだった。デザートが食べれると思っていなかった俺としては、喜びで顔が綻んでしまう。
「それは良かった。しかし、ハルキ様からみればこの世界、随分と遅れているようですな。色々とお困りではありませんかな」
「みんな、むかしのよう。でも、テリン、いる。ミル、いる。こまること、ない。大丈夫」
大丈夫。そう、この言葉の発音はどんどん上手になっていく。
不安に思うことは山ほどあるけど、戸惑う事も多いけど、ミルがいる。いてくれる。怖いものなど、何もない。
そう言い切った俺を、テリンは穏やかな目を僅かに見開いて見詰めた。
「強い御方だ……。では、我々の目的はご存知なのですな」
「ごぞんじ、です。おれ、きぼう、なる」
「ほう……希望になると、明言されますか」
国を失ったクマリの民の希望になる。
これはミルと俺の約束。俺がミルを繋ぎとめる契約。ミルが俺に罪悪感を抱いてまで繋ぎとめる契約。
ミルが好きだ。
ミルの為になら、俺は多くの人々の想いすら利用する。どんなに罵られようとも、構わない。
「見たところ、ハルキ様はミル様を好いている様子」
「すいてますよ。すきです」
「ほう」
茶色混じりの青が、微かに光った気がした。
「すきだから、きぼう、なる。なんでもする。だから、ここにいる。ここにきた」
じいちゃんに似た、この穏やかな茶色に青の瞳は全てを知っている。
ミルはテリンの事を先生と言ったが、父親に近い感覚なのだろう。
それなら、宣言をしなくては。
「では、ミル様がハルキ様をお嫌いになったら如何しますかな」
「それで、いい。おれは、きぼう、するだけ」
「何故です? それは裏切りでしょう。ならば、嫌いになりませんかな」
「したくてする。それで、きらい、それで、いい」
慌しく行き来する人々。その往来を眺めながら、俺は思わず笑みがこぼれていた。
そうだ。俺が尽くしても、ミルの心が変わってしまう可能性はある。そうならないよう、努力もするけど。心を尽くすけど。
例え、沢山の想いを裏切るようにミルの心を縛っても、ミルの心が離れることだってあるのだ。
でも。そうだとしても。俺の自己満足だったとしても。
俺は好きな相手に尽くしたいだけなのだ。
好きだから、何だって出来る。
見返りを求める訳ではないけど。いや、求めてるんだけど。
相思相愛という見返りが得れなくなっても、俺はミルが好きだから尽くしていくだろう。それで嫌いに思われたら、俺が至らなかったという事だ。
人を愛すって、こういう事なんだろうか。
目の前で流れていく人は、心の中にこんな激情をも抱いていける。いや、俺より想いを抱えて日常を送っている人だっているだろう。
人間は哀れで、そんな人間が営む世界は、こんなにも美しい。
和歌に描かれた世界が、異世界に来てようやく感じられた。
「強い御方だ。ミルは、貴方様のような御方に慕われ、幸せですな」
しみじみといった感じで、テリンが呟く。
こういう場合は、この世界では謙遜していいんだろうか。西洋文化圏のように、当然という形で受け止めるべきなんだろうか。
態度を取りかねていると、タイミングよく売り子のおばさんが茶と「何か」を持ってくる。
「はい、クシの実入りの蜜饅頭二つね。茶はお代わり自由だよ」
繁盛した店の雰囲気は、異世界でも一緒だ。
通りのよい大声でお盆の上の食べ物をテリンとの間に置くと、慌しく走り去っていく。
その素早さにあっけに取られていると、テリンが笑顔で饅頭を渡してくれる。
「お口にあえばよいですが」
「あ……ありがとう」
自然に出された饅頭を受け取り、流れのまま齧りつく。蒸した粉の柔らかな生地の中に、プチプチと弾けるような感触。中からとろりと甘いシロップが出てきて、新しい食感に目を丸くする。
「少し、蜜が少ないですな」
「雲水様、仕方ありませんよ。なにせ、蜜も麦粉も何もかも高くなっちまったもんでさ」
「まだクマリへの討伐は続くんかねぇ」
「今年の年貢もキツイしなぁ」
テリンの呟きに、周りの客や売り子のおばさんが同調していく。
どうやら、民衆はお上を良くは思っていないようだ。どこも一緒だな。
「先日、神苑へ進軍したと聞きましたが、本当ですかな」
「あぁ、天鼓の泉の事かい」
おばさんが持っていた盆で、軽く肩を叩く仕草をしながらため息をつく。周りの客も途端に声を落とした。
「ありゃひでぇよ」
「オイラもそんなに信心深くねぇけど、あの天鼓の泉ってのは世界の中心なんだろう? 」
「昔は、あそこはダショー様の故郷なんだろ? 壊したらマズイんじゃねぇのかい? 壊しちゃったんかね? 」
「しかも、ダショー様の星が出てきた日に壊さなくっても、なぁ」
「本当に、ダショー様は還ってこられたんかな」
「俺達ぁ、お上の考えが判んないよ。戦してもよ、ダショー様を敵にしちゃマズイんじゃねぇのかい」
「でも、法王国に対抗するにゃクマリの領土が必要だぜ」
「だからってよ」
集まった人々の中、一際汚れた身なりの男が苦しそうに言葉を吐き捨てた。
「大体、ダショーって本当にいるのかよ。いたら、何でこんな世の中を変えてくれねぇのさ」
その言葉に、一瞬で群集が口を閉じる。
終わらない戦。不足する物資。その苛々は、ダショーという信仰対象を罵倒するところまで高まっていた。
その事実に、俺は群集を見詰める。
俺は、甘かった。
今までミルやテリンが大事に扱ってくれる事に慣れていた。俺の存在はこの世界で求められていると思い込んでいた。
でも。
ダショーとしての役割も果たしてない今、俺の存在を疎んじる人だって多くいる。
それは、当然の事だ。判る。
でも。
存在を罵られるってのは、結構キツイんだな。
引き締めた口元が、僅かに痙攣した。
ワットの蒸気機関やら近代化との単語が出てきましたが,これはファンタジー。
SFに走る予定はございません。軽くスルーしてください(汗)。