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見下ろすループは青  作者: 木村薫
33/186

 33 戦の足音

 「あれは薪と炎石(えんせき)を燃やしているんです。驚きました? 」

 「すっごくおどろいた」

 

 目の前に置かれた茶碗の水を一気に飲み干して頷く。

 砂埃の積もった頬を軽く拭きながら、悪戯っぽく微笑んで話すミルに苦笑いしてしまった。

 あの自動車もどきを見た俺が驚くのを予想して、今まで自動車もどきがある事を言わなかったんだな。

 戸板に椅子の足をつけたような素朴な腰掛で、ようやく一休憩だ。

 昼食は、焼きソバに似た何か。炒めた麺の上に内臓らしき肉片が香ばしく焼かれていた。日本語にすれば多分『ホルモン焼きソバ』。

 食べる物も、着る物も、想像から激しく逸脱したものはないようだ。何だかアジアの奥地に迷い込んだような感じにさせられる。

 でも、そんなものかもしれない。

 五本の指を持って、二本足で歩行する動物が進化した世界。そうなれば使う道具も環境も、さほど変わる訳はない。

 さらに、街でみた蒸気で動く車が存在する。

 蒸気機関が存在する、という事は。


 「つぎは、『近代化かな』」


 思わず日本語が出てしまった口を押さえて、目の前の往来と屋台の周辺の客に目を走らせる。

 そんな俺の慌てっぷりを、テリンは静かに微笑んだ。どうやら、ここは安全らしい。

 そんなテリンとは正反対で、ミルは好奇心で溢れそうな大きな目を向けてくる。


 「『近代化』とは、何ですか? 」

 

 ここで、ワットの蒸気機関の説明から始めるのは大変だ。

 飛行機雲なんて存在しない夏空を仰ぎ、排ガスにも黄砂にも汚染されてない空気で深呼吸。

 屋台からだろう。食べ物の甘い香り、香ばしい焼き物の香り、油の香り。

 

 「むかし、いぎりすでおきた。そこから、からくりがすすんだ。かんがえ、かわる。よのなか、かわる」

 

 日本語が使えたら、もっとスムーズに説明が出来た。

 手際よく何かを焼いたり揚げたりしているカウンターの向こうを眺めながら、慎重に言葉をつづる。


 「ものを、もやす。ゆげ、もくもくでる。その力をつかう。そこからすすんで、みずのうえ、はしる。そらをとぶ。つきへいく。たべもの、たくさんつくる。たくさんのひと、うまれる。まちで、くらす。せかい、かわっていく。みんなで、よのなか、うごかしていく」


 ここで君主制の崩壊なんて言ったら、不敬罪なんだろうな。

 曖昧に言葉を濁して誤魔化したが、テリンはその意味が判ったようだ。

 声にならない空気を口から吐き出すと、軽く頭を振った。


 「そのような事が可能とは……。随分と違う世界のようですな」

 「呪術がなく、からくりが進んだ世界でしたからね。私も最初は随分と戸惑いました」

 「でも、そらとぶの、あった。ほら、天鼓(てんこ)の泉で」

 「宙船(そらぶね)は、半分は呪術です。風の精霊を閉じ込めた虹玉(にじだま)を用いているそうです」

 「にじだま」

 

 何だろう。そう思っていると、ミルが手の平の上で息を吹きかける真似をした。

 あの炎や風が飛び出した真珠のような珠だ。

 思わず指を鳴らしてしまう。

 謎が解けた。そして、確信する。

 ここは、現代日本よりは科学は進んでいない。けど、科学と呪術を混ぜた独自の文明を発達させている。

 軍艦が空に浮いていたのが呪術の力だったという事は、車以上の馬力は作り出していないという事。そして、呪術と科学を組み合わせた独特の技術は、主に軍事に使われている事だ。

 


 「虹珠(にじだま)は南方の海で採れるんです。それも、夏の大潮の晩だけ。とても貴重なものなんですが、後李帝国はユカタ諸島にも勢力を広げていますからね。流通を牛耳っているんです」

 「すごいな」


 物流もあり、経済も発展しつつある。

 これは、本当に近代化の夜明けなのかもしれない。俺、この世界の歴史的転換期に来たのかもしれない。

 胸が高鳴りだした俺だったが、テリンは笑顔でミルを促す。

 

 「話は楽しいが、ミルは買いたい物があったのだろう? ハルキ殿とここで茶でも飲んでおるから、早く行きなされ」

 「そうでした。では、テリン、しばらくハルキ様をよろしくお願いします」

 「てつだう、しようか」

 「いえ、これは私の買い物ですから」


 何故か顔を赤くして人波の向こうへ走り出すミルを見送りながら、変な事を言ったかと首を傾げる。

 でも、お年頃の女の子だ。逃亡中といえ、買い物を楽しみたいだろうし。

 その合間にテリンは売り子のおばさんに声をかけ、なにやら注文をした。

 

 「甘いものはお好きですかな」

 「だいすきですっ」


 この世界に来てから、食べたものは果物や雑炊や、何かの焼いた肉だったり魚だったり。野趣溢れるものばかりだった。デザートが食べれると思っていなかった俺としては、喜びで顔が綻んでしまう。


 「それは良かった。しかし、ハルキ様からみればこの世界、随分と遅れているようですな。色々とお困りではありませんかな」

 「みんな、むかしのよう。でも、テリン、いる。ミル、いる。こまること、ない。大丈夫」


 大丈夫。そう、この言葉の発音はどんどん上手になっていく。

 不安に思うことは山ほどあるけど、戸惑う事も多いけど、ミルがいる。いてくれる。怖いものなど、何もない。

 そう言い切った俺を、テリンは穏やかな目を僅かに見開いて見詰めた。


 「強い御方だ……。では、我々の目的はご存知なのですな」

 「ごぞんじ、です。おれ、きぼう、なる」

 「ほう……希望になると、明言されますか」

 

 国を失ったクマリの民の希望になる。

 これはミルと俺の約束。俺がミルを繋ぎとめる契約。ミルが俺に罪悪感を抱いてまで繋ぎとめる契約。

 ミルが好きだ。

 ミルの為になら、俺は多くの人々の想いすら利用する。どんなに罵られようとも、構わない。


 「見たところ、ハルキ様はミル様を好いている様子」

 「すいてますよ。すきです」

 「ほう」

 

 茶色混じりの青が、微かに光った気がした。


 「すきだから、きぼう、なる。なんでもする。だから、ここにいる。ここにきた」


 じいちゃんに似た、この穏やかな茶色に青の瞳は全てを知っている。

 ミルはテリンの事を先生と言ったが、父親に近い感覚なのだろう。

 それなら、宣言をしなくては。


 「では、ミル様がハルキ様をお嫌いになったら如何しますかな」

 「それで、いい。おれは、きぼう、するだけ」

 「何故です? それは裏切りでしょう。ならば、嫌いになりませんかな」

 「したくてする。それで、きらい、それで、いい」


 慌しく行き来する人々。その往来を眺めながら、俺は思わず笑みがこぼれていた。

 そうだ。俺が尽くしても、ミルの心が変わってしまう可能性はある。そうならないよう、努力もするけど。心を尽くすけど。

 例え、沢山の想いを裏切るようにミルの心を縛っても、ミルの心が離れることだってあるのだ。

 でも。そうだとしても。俺の自己満足だったとしても。

 俺は好きな相手に尽くしたいだけなのだ。

 好きだから、何だって出来る。

 見返りを求める訳ではないけど。いや、求めてるんだけど。

 相思相愛という見返りが得れなくなっても、俺はミルが好きだから尽くしていくだろう。それで嫌いに思われたら、俺が至らなかったという事だ。

 人を愛すって、こういう事なんだろうか。

 目の前で流れていく人は、心の中にこんな激情をも抱いていける。いや、俺より想いを抱えて日常を送っている人だっているだろう。

 人間は哀れで、そんな人間が営む世界は、こんなにも美しい。

 和歌に描かれた世界が、異世界に来てようやく感じられた。


 「強い御方だ。ミルは、貴方様のような御方に慕われ、幸せですな」

 

 しみじみといった感じで、テリンが呟く。

 こういう場合は、この世界では謙遜していいんだろうか。西洋文化圏のように、当然という形で受け止めるべきなんだろうか。

 態度を取りかねていると、タイミングよく売り子のおばさんが茶と「何か」を持ってくる。


 「はい、クシの実入りの蜜饅頭二つね。茶はお代わり自由だよ」


 繁盛した店の雰囲気は、異世界でも一緒だ。

 通りのよい大声でお盆の上の食べ物をテリンとの間に置くと、慌しく走り去っていく。

 その素早さにあっけに取られていると、テリンが笑顔で饅頭を渡してくれる。

 

 「お口にあえばよいですが」

 「あ……ありがとう」


 自然に出された饅頭を受け取り、流れのまま齧りつく。蒸した粉の柔らかな生地の中に、プチプチと弾けるような感触。中からとろりと甘いシロップが出てきて、新しい食感に目を丸くする。

 

 「少し、蜜が少ないですな」

 「雲水様、仕方ありませんよ。なにせ、蜜も麦粉も何もかも高くなっちまったもんでさ」

 「まだクマリへの討伐は続くんかねぇ」

 「今年の年貢もキツイしなぁ」

 

 テリンの呟きに、周りの客や売り子のおばさんが同調していく。

 どうやら、民衆はお上を良くは思っていないようだ。どこも一緒だな。


 「先日、神苑(しんえん)へ進軍したと聞きましたが、本当ですかな」

 「あぁ、天鼓(てんこ)の泉の事かい」


 おばさんが持っていた盆で、軽く肩を叩く仕草をしながらため息をつく。周りの客も途端に声を落とした。


 「ありゃひでぇよ」

 「オイラもそんなに信心深くねぇけど、あの天鼓(てんこ)の泉ってのは世界の中心なんだろう? 」

 「昔は、あそこはダショー様の故郷なんだろ? 壊したらマズイんじゃねぇのかい? 壊しちゃったんかね? 」

 「しかも、ダショー様の星が出てきた日に壊さなくっても、なぁ」

 「本当に、ダショー様は還ってこられたんかな」

 「俺達ぁ、お上の考えが判んないよ。戦してもよ、ダショー様を敵にしちゃマズイんじゃねぇのかい」

 「でも、法王国に対抗するにゃクマリの領土が必要だぜ」

 「だからってよ」

 

 集まった人々の中、一際汚れた身なりの男が苦しそうに言葉を吐き捨てた。


 「大体、ダショーって本当にいるのかよ。いたら、何でこんな世の中を変えてくれねぇのさ」


 その言葉に、一瞬で群集が口を閉じる。

 終わらない戦。不足する物資。その苛々は、ダショーという信仰対象を罵倒するところまで高まっていた。

 その事実に、俺は群集を見詰める。

 俺は、甘かった。

 今までミルやテリンが大事に扱ってくれる事に慣れていた。俺の存在はこの世界で求められていると思い込んでいた。

 でも。

 ダショーとしての役割も果たしてない今、俺の存在を疎んじる人だって多くいる。

 それは、当然の事だ。判る。

 でも。

 存在を罵られるってのは、結構キツイんだな。

 引き締めた口元が、僅かに痙攣した。

 


 

 

 





 

 

 

 

 ワットの蒸気機関やら近代化との単語が出てきましたが,これはファンタジー。

SFに走る予定はございません。軽くスルーしてください(汗)。



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