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見下ろすループは青  作者: 木村薫
32/186

 32 忘れてしまった大切な事

 早朝の涼しさは消え、立っているだけで汗が噴出す暑さになってきた。

 田んぼなのだろうか。腰丈の植物が整然と水が張られた農地に植えられている。濃い緑の葉が、僅かな風にそよぎ波をつくっている。

 あぁ。風が吹き出したのなら、涼みたいな。

 思わずきつく締めた顎紐に手をやると、やんわりとミルに止められる。


 「ここから先、決して笠を取らないで下さい」

 「きびしいね」

 「言葉もかなり喋れるようになりましたが、まだ日本語の訛りがあるので喋らない方が良いですね。言葉に不慣れな者は、隣の大陸からの移民ぐらいですから」

 

 隣の大陸からの移民。

 ミルの言葉に興味をそそられたが、向かいから農具らしきものを担いだ集団が近づいたのに気づいて目線を地面に落とす。

 着ている着物は俺達の法衣より薄く粗末で土に汚れていた。農民だろうか。


 「こりゃ雲水様、暑い中お疲れ様でございます」

 「ご苦労様です」


 軽く笠の端を抑えて会釈するミルとテリンの仕草を真似すると、彼らはひざを折ってお辞儀をしていった。

 

 「雲水うんすい深淵しんえんの神官なんです。神殿を離れて修行中という身分ですが、実際は神殿でも勢力争いに巻き込まれて地方に飛ばされたり、自分から避難してきた者もいます。とりあえず、学問を修めていますから尊敬の対象なんです」

 『世俗から離れた場所のはずなのに勢力争い? 「ここにも、嫌なけんか、あるんだ」』

 「それでも、深淵しんえんの信仰が民衆に支持されているのは雲水うんすい達の働きが大きいですな。子供達に読み書きや勘定、人々に簡単な医術を施すのを仕事にしとります」

 「そうですか」

 

 社会的な地位、道徳心、様々なものが存在しているようだ。文化的な成熟度も高そうだ。

 テリンの解説に頷き、農民達の後姿を見送る。

 今日は、これから雲水うんすいを隠れ蓑にして人里へ。

 この世界に来てから半月ほど。テリンの傷の癒えた今日、ようやく動き出した俺達。植物の繊維で編んだサンダルのようなものを履き、勾玉を下げた杖を手にして笠を深く被った俺達の姿は、まるでお遍路さんにも似ている。ミルが縫い上げた袈裟けさに似たニセモノの法衣に身を包み、背の籠には山菜や薬草香草を摘んできている。人里離れて修行している雲水うんすいが、ちょいと買い物に出かけているように見えるだろうか。

 人間が暮らすには、それなりの金銭が必要となる。それにクマリの人々の動向も気になる。何時までも影に隠れても進展はない。

 朝早くに旅籠を発ち、街道からやや離れた森まで玉獣ぎょくじゅうで飛んできて街を目指している。

 この異世界に来てから初めて、人が生活する集落が見れる。不謹慎だが、俺はその事に少し興奮していた。

 どんな町並みだろう。旅籠が江戸時代みたいだったから、やっぱりお江戸な感じだろうか。

 人々は、どんな格好なんだろう。どれだけの人がいるんだろう。その営みから聞こえる会話は、どんなものだろう。

 俺は、何を感じるんだろう。何が見れるんだろう。


 「あまりキョロキョロされないで下さいね」

 

 そんな俺の心の内を読んだようなミルの言葉に、思わず蛙の鳴き声のような音を出してしまう。


 「だめ? 」

 「駄目ですよ。雲水うんすいに変装ですからね、落ち着いた風情を出してください。それに、目元を見られては困りますから」

 「あぁ。顔、みられる。よくないか」

 「そうではござらぬ」


 テリンの低く落ち着いた声が諭すように空気を震わした。


 「ハルキ様の目は浄眼じょうがんですからな。その深い青色を見られてはなりませぬ」

 「じょうがん? この世界には、青はめずらしい? 」


 思わず目元を押さえると、ミルがテリンから引き継ぐように解説を始める。

 テリンは、微笑んでミルを促す。

 愛弟子を見るというより、出来のよい自慢の娘を見詰めるような仕草だ。


 「いえ。単に色が青いなら存在します。この大陸の西北、メロゥイン公国には青や紫も珍しくありません。エリドゥ法王国の民にも多いです。ただ共生者の力が強い者の瞳には、青混じりの色が多いのです。よって、青色を持つ者は強い呪術が扱えると考えるのが普通なのです」

 「共生者きょうせいしゃ……あぁ、この力か」


 唄で、精霊に力を借りて不可思議な現象を起こせる、この能力。

 こちらの世界では、不思議だった俺の能力に名前がついていた。その事に素直に驚き、納得した。なるほど俺がいた世界か、と。


 「ダショーが歴代、美しい青の瞳だった事はこの世界の常識です。もちろん先に申し上げたとおり、共生者きょうせいしゃでなくとも青い瞳を持つ者もいて直ぐにダショーと思われる事はないですが、とても注目されますから」

 「ダショーは、ずっとこの目の色なんだ」

 「えぇ。何故でしょうね。共生者にも青混じりが多いのも、不思議な事です。さぁ、人の通りも多くなってきた様子です。深く笠を被って下さい。決して顔を上げないように」


 馬のような生き物の背に、荷物の山を絶妙なバランスで積み上げた商人らしき集団が近づいていた。

 まずテリンが先頭になり、堂々とした風情を作り出す。

 さすがは武人。蜘蛛使いの件があるが、あの夜以来、不審な事は起きていない。シンハは気をつけろというが、信頼しきっているミルの姿に杞憂と思う事にしていた。

 街道に入るために影に入る事を最後まで文句を言っていたシンハは、苛立っているだろう。けど現に、この状況で一番場慣れしてるのはテリンだ。

 ミルは俺の背に入りながらも、辺り一帯に気を配る。

 二人に挟まれながら、俺は俯いて足元を睨みつけた。

 俺の目が青い訳が、酷く気になる。青い色混じりの瞳と、共生者の力。そこに何かの秘密を隠したような気がする。とても、大切な事を忘れているような気がする。 

 お出かけ前に、ガスの元栓を締めたか。そんな曖昧な記憶に苛立つようなこの感覚。

 俺は、まだ大切な事は思い出せていないようだ。

 昼前なのに、太陽は遠慮なく地面を焦がしていく。砂利道に落ちた俺の汗の雫が、乾ききった地面に吸い込まれていった。





 砂埃と煙に燻された街。

 舗装されていない道を、絶え間なく行過ぎていく人々。その足元から舞い上がる砂埃で、着物も手の甲も薄化粧をしたよう汚れていく。

 人波の間を馬や荷馬車が歩いていく大通りの両端には、大きな店が軒を連ねている。その様子は、やっぱりお江戸のようだった。

 瓦屋根に、木造の建物。漆喰の壁。ただ、大きな店ほどガラスを多用している。看板も色鮮やかだ。

 そして、建物の下半分を石材を積み上げている建物も混在している。

 これぞ、異世界ロマン。


 「そうさね。銀貨五枚ってとこかな」

 「冗談だろう。まぁ良い。他をあたろう」

 「お、おいおい。そんなに慌てなさんな。買わねぇとは言ってねぇよ」

 「では、この茸の正当な値をつけれるのか? 」

 「雲水様、きびしーですねぇ」

 「滋養強壮にこれ以上の珍品はないぞ。当たり前だ」


 テリンの言葉に、店主が慌てて腰を上げた。

 まるで観光地にある古寺の門前町のような、活気付いた市場だ。

 ここは後李帝国の端にある都市らしいのだが、それでもこの人の多さに驚いた。

 正直、ミルや旅籠の設備からして現代日本より未発達だと思っていた。それが、末端の都市であってもこの繁盛ぶり。この人口密度。

 確かに、江戸末期は百万の人口を抱える大都市が東京を含め存在していた。不可能ではない。

 都市の大通りの裏には、畳二畳ほど幅で隙間なく立ち並ぶ商店が迷路のように存在していた。干した海産物を売る店、ど派手な香辛料の粉末を売る店から、猛烈なニオイが人々の熱気と混ざり合って襲ってくる。

 動物の頭が棚に並び、巨大な肉片を見事な包丁裁きで素早く切っていく職人。その凄技を口を開けたまま見ている子供。かと思えば、前合わせの着物を肌蹴させ、露わになった乳房に赤ん坊がしがみついている状態で店先に座り売り声をかける女性もいる。

 逞しすぎる。活気に溢れすぎている。

 ニオイと、強烈な光景と、人々の熱気でぼんやりとしている俺の前で、テリンは店主相手に猛烈な交渉をし続ける。


 「これほどの猿耳茸さるみみだけなら、十年ものだ。銀貨八枚とは、ありえん」

 「向こうの店で金一銀五で買い取りをしておりました。そちらへ行きましょう」

 「そうだな」

 「ま、待ってくれぇ」


 ミルまで助っ人で入りだし、テリンが体の向きを変えると慌てだした店主の様子に、見物人になった周りの人垣から笑いが起きる。

 

 「判った! 金一銀三だ! おまけで盆糖をつけるっ」

 「これがおまけか? 」 

 「しょうがねぇ。盆糖つけて金一銀五だ! 」


 店主の掛け声に、人垣から拍手とどよめきが湧き上がる。

 これはテリンを称えているのだろう。いや、店主もか?

 お互いに笑顔で握手を交わして、商品と硬貨を交換する。その姿はフェアプレーを称えあう試合後のスポーツ選手のようだ。

 

 「いやぁ。雲水うんすい様には負けましたよ」

 「お互いに良い買い物が出来た。ありがとう」

 「毎度おおきにー! 」


 店主の張りのある声に見送られ、再び人波にもまれるように歩き出す。

 背中の籠も軽くなり、テリンの懐に金貨が何枚も蓄えられた。

 商売は成功したのだろう。あまり表情を変えない穏やかなテリンの口元が綻んでいる。


 「疲れたでしょう。昼飯を食べて行きましょう」

 「何か食べたいものはありますか? 」

 「うーん。どんなもの、あるのか」


 判らない。

 そう言おうとした途端、目の前の人波が真っ二つに別れていく。

 素早くテリンとミルに引っ張られ、道端に押し込まれた人垣の中にもぐりこむ。

 

 「笠を深く。しばし、ご辛抱を」

 

 テリンの言葉に、身を固くする。繋いだミルの手が、強く俺の手を握る。

 何が起きたんだろう。

 困惑する俺の前を、猛烈な煙と爆音を響かせて巨大なモノが走っていく。

 幾つもの何かが通り過ぎてから視線を上げると、砂煙と硫黄臭い煙の向こうに見覚えがある物影が消えていくところだった。

 

 「歩兵の移動のようですね」

 

 ミルの言葉に、口があんぐりと開いてしまう。

 西部劇に出てきそうな荷車に、煙突がついて自走していた。

 暗緑色の揃いの服と防具に身を包んだ若者を十数人と乗せ、後部についた煙突から猛烈に蒸気と煙を吐き出しながら、砂煙とともに疾走していく乗り物。

 あれは、蒸気自動車か?


 

 


 

 

 

 

 異世界の様子を描きました。

 中に金貨が出てきましたが……詳しく設定していません(汗)

 経済は苦手で逃げてきたから,いい加減です。そうですね。『千夜を越えて』では金貨一枚で日本円で25万~27万の価値でしたから,30万程にしましょうか。いい加減です(苦笑)。すみません。


 次回,28日水曜日に更新予定です。

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