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見下ろすループは青  作者: 木村薫
29/186

 29 蜘蛛の糸

 パチパチと、薪が燃える音が間をつないだ。

 ダショー・ハルンツは、俺の中の最初の頃の記憶だ。

 昼の雲上殿(うんじょうでん)の騒動で、僅かに蘇った記憶を辿ってみる。鮮明に浮かぶあの町並みはクマリの物だろうか。確かに、この宿場の建物と似通っている。


 「ダショーは、私達クマリそのもの。世界の秩序を唄い整える存在は、クマリの存在と重なります。その存在は、過去の栄光思わせます。深淵(しんえん)の大神官となった歴代のダショーも、クマリの民と名乗っていました。クマリの誇りでした」


 難しくて、半分も判らない。それでも、クマリにとってダショーの存在が重要なのはわかった。希望なのは、よく判った。

 お椀を置いて、ミルは少し座りなおす。そして、額を板間につけるほど深く頭を下げた。


 『ずるい、いってもいい。ハルキがわたし、すきといった。それ、しって、いうのはずるい。おこっていい。「どうぞ罵ってください。軽蔑して下さい。ハルキが私の事を好きと思っている事すら、私は利用したい。どうしても、クマリの民を考えてしまう。私を卑怯と罵倒しても構わない。……嫌いになってもいい」。きらい、それでも、いい。どうか、どうか、クマリのひとたち、たすけてほしい。きぼう、なってほしい! もっと、はやく、いわなくちゃ、いけない。でも、でも』

 『怖かったから、聞けなかったんだ。でも、聞けてよかった』


 卑怯じゃない。軽蔑なんか、しない。

 それは、俺だから。


 『俺も、ずるいよ。俺は、この世界の事なんか、考えてない』


 ミルの顔が、跳ね上がる。その途端、大きな瞳から涙が幾筋も流れ落ちていく。


 『この世界の事は、まだ判らない。世界のパワーバランスなんて、知ったことじゃない。でも、俺はミルの事が好きだから、ここにいる。ミルのそばにいたいから、コッチに来たんだから』


 ミルが望むなら、クマリの希望になるよ。誇りにでも、なるよ。

 ミルが望むなら、なんだってやるよ。

 俺にとって、大事なのはミルなんだ。

 ミルにとって、俺は大事?

 クマリという国と俺、どっちが大事なんて無意味な事はしないけど。無意味な比較はしないけど。愛してる事は、比べられないけど。キミが好きだから思わずにはいられない。

 俺が大事と、言ってくれ。こんな自分勝手な俺でも、好きだと言ってくれ。


 『ミルの望むように、俺はクマリの希望になる。なんでもする。だから、俺のそばにいて。そしてら、俺はミルの望むままになるから』

 「ハルキ、ハルキ、私は貴方を利用しようとし」

 『俺は、ミルの願いを叶える。ミルの気持ちを知って、ミルを縛る。だから、俺を都合よく使っていいんだ。だから、俺を好きでいてほしい。ミルは、俺の事好きでいて欲しい。俺は、すごく残酷な事してる。それでいい? 』

 「違う……それは、私の言葉です。残酷なのは、私の方なのに……」

 

 キミのそばに、いさせてくれるのなら。

 俺を道具として扱えばいい。自分を卑下しないで欲しい。その心を、傷つけないで欲しい。

 ミルの為なら、俺は何でもするよ。何だって出来るんだよ。そう。俺は何でも出来る。どんなに残酷な事も。

 俺は、キミが思うほど綺麗じゃない。優しくない。聖人君主じゃ、ないんだよ。

 だから、俺に気を使う事はないんだ。キミは、いつだって清らな高みにいて欲しいんだ。

 だから。


 「だから、なく、ない。『ミル、泣かないで。笑って』」

 「ハルキは、優しすぎます。優しすぎて、私、どうすればいいか判らないのです」

 「わからない? 『じゃあ、笑って。ミル、笑ってよ』」


 ミルの気持ちが零れていく。

 零れる涙が綺麗すぎて、もったいなくて、気づいたらミルの頬を流れる涙に唇をつけて舐めていた。

 口の中に染みる涙は、少ししょっぱくて。

 ミルが驚いたまま、固まっている。

 僅かに開いた唇が、薄桃色の唇が、とても美しくて。

 引き寄せられるように、唇を合わせていた。

 薄い皮膚を通じて、体温を感じる。

 温かく、しょっぱい、キミの心。





 暗闇は苦手だ。

 常夜灯もなく、月明かりも届かない闇の中、目が覚めてしまった。

 ようやく屋根の下で眠れてカビ臭いとはいえ、布団の中で眠れるのに。

 寝返りを打つと、ミルの寝顔が見える。思わず、口元が緩んでしまう。唇を、軽く触る。

 初めて、キスしてしまった。

 とても柔らかなキスの後、見詰め合っている間にミルの顔は真っ赤になってしまった。

 うろたえた視線が宙を彷徨う様も、頬に両手を当てる様も、全てが愛らしくて。

 俺も初めてだったけど、ミルも初めてだったんだなと、そう思ったら嬉しくて。

 も一度しようと顔を近づけたら、真っ赤な顔で「片付けをする」とお椀を持ってシンハの眠る土間へ降りてしまった。

 まぁ、いいや。

 これから少しづつ、進めていこう。大好きと、たくさん伝えよう。愛していると、側に寄り添っていこう。

 その為に、ここに来たのだから。

 闇になれた目で、ミルの寝顔を見つめた。このまま、もう一度眠りに落ちるまで見つめていよう。

 これで、闇は怖くない。ついでに、その手を握ろう。

 そう思って、布団から手を出して気づく。

 指の間に、何かを挟んでいる微かな感触。糸くず、だろうか。何せ、十年も使われていない布団だし。

 手探りで指に絡まった糸を摘む。何気なく、目の前に持ってきて目を凝らした。

 淡く、光るソレ。淡く微かに、輝いた。

 青い、糸。


 『糸?』

 

 思わず、呟いた。

 その途端、布団の中で無数の何かが体をまさぐりだす。細かい何かが、無数の何かが、俺の体に絡み付いてくる。

 恐怖で体が強張ったまま、背筋を駆け上がる悪寒に耐えながら、落ち着けと何度も頭の中で叫ぶ。

 どうせ、虫だ。十年間の間に布団に巣くった虫だ。

 そう固まる俺の目の前に、一匹の蜘蛛が横切る。

 青い糸を尻から吐き出しながら、横切っていく。

 無数の糸が、見る間に体を包んでいく。俺だけを。目の前のミルには一匹も近づかないで、俺だけに糸を絡ませていく。

 嫌だ……嫌だ……蜘蛛は、その糸は嫌だ……その糸で俺を縛るな……吾を束縛するな!


 『い、い、いっ』


 恐怖で声が出ない。蜘蛛を払えない。いつの間にか、布団からあふれ出した蜘蛛が吐き出した糸に、繭のように包まれようとしていた。

 嫌だ! 誰か、ミル、助けてくれ!


 「おいらのハルルンに手ぇ出すんじゃねぇ! 」


 獣の咆哮と共に、鋭い一喝が空気を震わした。その途端、蜘蛛が消えた。

 体を覆うところだった青い糸も、体中を這い回っていた無数の蜘蛛も、消えていた。


 「あぶねートコだったな。安心しな。おいらが側にいてやるよ」


 先の声が柔らかな声色になって耳元でささやく。

 誰?

 

 「大丈夫だよ。クマリの姫様も守ってやるからさ」

 

 声はそう囁くと、ざらついて生暖かい何かがベロリと頬を舐めた。


 「だから、明日はボレボレの歌をたくさん歌えよ」


 指先に、ふわふわの毛が触れた。視界を遮るように、枕元に大きな影が座り込む。

 あぁ、そこに座ったらミルの顔が見れないじゃないか。


 「おっ、命の恩人より恋人を優先するのかよっ」


 当たり前だろ。ミルの寝顔、見れなくなる……。

 もう大丈夫。そう思った途端に、意識が遠くへ飛んでいく。

 誰かのため息を聞きながら、俺は不満を感じながら気を失った。今のは、何だったんだろう。





 思わず上げた叫び声に、両岸の木立から小鳥が飛び立つ。

 のどかな昼前の陽の下で、俺は手の中の泡に感動していた。

 桃太郎のおばあちゃんの如く、川で洗濯をしにきた俺は異世界を満喫している。

 ミルに渡された、木のタライと大量の洗濯モノの中にあった木の皮を入れた小さな布袋。

 使用方法が判らずにいたら、態度のでかいシンハが「水に濡らして揉め」と教えてくれた。 

 朝起きてから始終ついてきて困っていたが、シンハがようやく役に立った。


 『すげっ。これ、面白いよ』

 「能天気だなぁ。そんなに面白いか? 」

 『俺のいた世界は洗濯なんて機械がやってくれたからね。木の皮から泡が出るなんて考えられなかったし』

 「機械が洗濯? なんじゃそりゃ。とにかく、包泡(ほうほう)の樹皮なんて常識だから驚くな。早くボレボレの歌を唄ってくれ」

 『何で唄わなきゃいけないんだ』

 「約束したんじゃボケェ! 」


 今日は洗濯掃除の日となった。

 雲上殿(うんじょうでん)から逃げてきたが、怪我をしたテリンが動けるまではあの宿に留まる事にした。

 そうなると、居住環境を整える事が先決。今日の目標は屋内のかび臭さを取って、風呂を使えるようにする事らしい。

 張り切ったミルは、朝から宿の中にあった布という布や畳、ゴザを外に運び出して日光消毒している。

 俺も手伝おうとしたのだが、顔を合わせるたびにミルは赤面してしまった。

 昨晩のキスは、刺激が強かったのだろうか。でも、脳みそまで溶けてるんじゃないかという程に、ミルは顔を赤らめていた。

 可愛いんだけど、可哀そう。

 出来れば、ミルのそばにいたいんだけど。しかたない。

 口の悪い大型肉食獣と一緒に小川で洗濯だ。ひときわ大きな岩の上で、真っ白く泡立てたタライの中に持ってきた着物を突っ込んでかき回す。


 「見てらんねぇな。そんなんじゃ綺麗になんねぇよ! 」

 『洗濯機はクルクル回してた』

 「信じられねぇ! いい歳なのに洗濯も出来ねぇのかよ!」

 『したことないな。シンハ、出来るのか? 』

 「こうやるんじゃボケェ! 」


 トロイんじゃあ! 脳ミソ勝ち割ってかき回したろか、オラァア!

 台詞は物騒だが、シンハは四本の足を器用にタライに突っ込みタップダンスを踊るように飛び跳ねる。

 タライからシャボン玉が飛んで、白い泡が見る間に薄汚れていった。

 衝撃の映像、洗濯をする肉食獣。

 シンハは、口は悪いが面倒見がいい。そして、単純。威厳ある巨体を泡だらけにして洗濯に夢中のシンハは、可愛らしいものだ。

 スラックスを膝上まで折りあげて川に入り、綺麗な水をくみ上げる。このまま着ている服も洗濯してしまいたい。このシャツ四日目で、かなりニオイがきつくなってきた。

 流れる水に頭を突っ込み、顔を洗う。ヒゲが伸びてザラリと手を擦っていく感触に息を吐き出す。二日三日ヒゲを剃らなくても平気な性質だが、さすがに伸びてきたらしい。

 風呂に入れるのなら、新しい服と髭剃りをしたい。服……この世界だと、着物みたいなアレだろうか。

 ふとミルが着ていた侍モドキの格好を思い出していると、シンハが叫ぶ。ようやく気づいたか。

 

 「し、しまった! つい本気になってしまった! 」

 『次はすすぎを頼む』

 「ハルルンの仕事だろうが! 」

 『洗濯したことない』

 「じゃあ、洗濯するなんて引き受けるなよ……。いいのか? 姫さん、夜の蜘蛛使いと一緒に留守番させててさ」

 『蜘蛛使い? 』


 その言葉に、昨晩の悪夢を思い出して凍りつく。

 あれは、夢じゃないのか? あんな恐ろしい事、夢じゃないのか? 

 川の中で動けなくなった俺を見下し、前足についた泡を払いながらシンハは鼻を鳴らした。

 

 「やっぱり寝ぼけてたか。蜘蛛だらけで糸に飲み込まれそうになったのを、俺の一喝で術を解いたんだろうが。あのテリンって奴、気ぃつけな」

 『テリンが、あの蜘蛛の糸を出したのか? 』

 

 だって、テリンはクマリの民だろ? ミルの仲間なんだろ?

 

 「あいつは、危険だぜ」


 なんで、テリンが蜘蛛の糸の呪術を使うんだ。あれは、深淵(しんえん)の神殿がダショーを束縛するための呪術だ。

 なんで、クマリの民テリンが俺を束縛しようとしているんだ。


 


 

 

 

 

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