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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 28 揺らぐ記憶の炎

 弦を弓で擦っていく。弦が細かく震えて、抱えた胴体で共鳴していく。弦の震えが、大きく空気へと広がっていく。

 空気の震えは、心地良い? じいちゃん、心地良い? 

 カノンは、好きだったっけ。バッハのカノン。繰り返されるメロディ。振動であるはずの音が、まるでキラキラ輝く粒のように零れていく。形見のチェロから零れる音は、芯が強いのに柔らかい。まるで、淡く輝く真珠のようだ。

 あぁ、なんて心地良いんだろう。

 チェロから、じいちゃんのニオイがするんだよ。

 大好きだった、タバコのニオイがする。よく腰に張っていた湿布のミントのニオイがする。

 まるで包まれているようだ。

 小さな頃、こうやってチェロを教えてもらったよね。

 じいちゃんが、弦を押さえて。俺に弓を持たせて。恐る恐る弓を持った俺の手を包むように、じいちゃんが手を添えて。まるでじいちゃんに抱きしめられるように、腕の中でチェロの弓を弾かせてもらった。


 そうだ。あの頃の俺は、両親を亡くしたばかりで。

 交通事故。

 運が悪かった。

 『晴貴くんが無事だっただけでも』

 そんな心ない言葉を我慢しても、どれだけ泣いても、両親が帰ってくる事はなく。

 難しい事は判らなくても、喉に血が滲むほど泣き叫べば、両親に会えない事が幼子でも判った。

 唯一の父方の祖父母に引き取られても黙り込んだ俺に対して、じいちゃんはチェロを弾いてくれた。

 その音がとても美しくて。とても綺麗で。俺は一日中、チェロを弾かせてもらった。

 朝から寝るまで食事の時間以外はずっと、じいちゃんとチェロの音に包み込まれていた。音の向こうから、ばあちゃんのうれしそうな笑顔が見える。

 ここで生きていける。そう思ったんだ。そう感じたんだ。


 沢山の人が弔問にきている中、俺はずっとチェロを弾いていた。

 入院する前まで所属していた市民オーケストラの人、退職してからも非常勤で顔を出していた会社の関係者、学生時代からの友人というご老人達。

 それから。

 真っ黒な喪服の波の向こうに、見えた真っ赤な口紅が微笑む。

 死神が、まだいた。

 遺産目当てで、遺族面して、ばあちゃんの側に立って笑顔で弔問を受けていた。

 視線をそらせて、祭壇前の蝋燭を睨みつける。音を奏でる手に、力が僅かにこもってしまう。

 ここで炎が操れるのなら、あいつを燃やしてやるのに。今すぐに。





 俺は、また昔を思い出していたようだ。同じ炎なのに、こんなにも印象が違うのに。あんな事を思い出してしまうなんて、俺かなり疲れてるな。

 軽く頭を振って、目の前で踊る炎を見つめる。

 囲炉裏のように板間の中に作られた開放的な暖炉が、力強く質素な部屋を照らし出す。

 最後に炎の明かりを見たのは、高校3年の誕生日ケーキか。いや、仏壇に蝋燭を灯す時とか。

 仏壇の前で揺れる炎は、とても小さく暗かった。頼りなかった。誕生日ケーキの蝋燭も、細くて消えそうだったけど。

 それは電気の明かりの下だったからだろうか。

 真っ暗な闇を経験した今、炎の明かりはとても明るかった。そして、温かい。

 炎は景気よく燃え上がり、五徳のような金属の器具に置かれた鍋を熱している。

 鍋からは穀物を煮る甘い香りが漂っていた。明るさと、温かさ、食欲を満たす食べ物の存在。今まで当たり前だったものが、これほど有り難いとは思わなかった。

 ミルの作ってくれた山菜入りの雑炊は、かなり和食に近く素朴で甘く温かかった。体の奥から疲れが滲み出てきて、今まで緊張していた事に気づいたぐらいだ。

 まだ温かさが残る木の椀を包み空腹が満ちたところで、俺は疑問を慎重に異世界語に変換する。

 

 『こんなに明るいと、後李(こうり)や法王国の追手に見つかるんじゃないのか?……えぇっと、「これ、だめ」あぁ、その』

 「大丈夫です。この建物に陰の呪術をかけておきましたから。『だれも、ここ、みえないはず』」

 『かげの、まじゅつ? いや、でも、魔術使ったら腹黒の法王国にバレるだろ? うーん。「法王国、わたし、だいじょうぶ、おもう、ない。法王国、まじゅつ、つかう。あぶない」』

 

 異世界語を早く習得したくて、ミルに出来るだけ異世界語で話しかける。

 昼間の逃走劇で蘇った記憶のせいか、僅かに異世界語の単語が浮かんできていた。

 ミルも察してくれて出来るだけ異世界語を使ってくれるのだが、ややこしい事になってしまっている。

 半端な異世界語と、半端な日本語の会話。時間がかかる上に、意味が通じているのか不安になってきた。


 『法王国、魔術つかう。でも、玉獣のこわさ、しっている。このまわり、玉獣いる。こわくてちかづけない。「後李帝国は魔術に詳しくありませんし、法王国は玉獣を恐れてここ周辺へ深入りは出来ません。大丈夫だと思いますよ」』

 「わかった。だいじょうぶ」

 

 ミルが言うのなら、大丈夫なのだろう。それに今さら目の前から囲炉裏の炎とお鍋を取り上げられるのは辛過ぎる。

 火箸で燃える薪を動かす。鍋下の火の調節をしながら、ミルは俺に笑いかけた。


 「古い米しかなかったので、少し臭みがありますがお代わりしますか? 少し落ち着いたら、里へ買出しに行きましょう」

 『うん……』

 「食べにくいですか? 」

 『え? あぁ、「たべる、だいじょうぶ」その……テリンさんの怪我、いいのかな』

 

 板間の端に寝かしたテリンに視線をやると、ミルは柔らかな曲線の眉をひそめた。

 

 「心配ですが、テリン自身が起きないと何も出来ないのです。『いっしょに、うたう。からだのなかから、ひびく、ひつよう、ある』」

 『そっか。うん。「わかった。まつ」』


 体中に打ち身や切り傷だらけのテリンに癒しの唄を唄おうとしたのだが、意識のない相手には癒しの唄は効果が無いらしい。

 確かに、ミルに唄った時は一緒に唄ったし。だが、水野に唄った時は俺だけで治した。それを話すと、意識があり聞く耳がある事が大事らしい。

 どうも、呪術とか魔術というのは不思議なものだ。


 「テリン、おきる、まつ」

 「えぇ。早く起きてほしいです。聞きたいことは、山ほどあるのですから」

 

 匙を運ぶ手を止めて、ミルはテリンを見詰める。

 聞きたい事は、俺も山ほどある。

 

 『雲上殿で他の仲間と待ち合わせたって言ってたけど、他に何人の仲間がいるの? 』

 「『たくさん。でも、天鼓の泉まで辿りついたの、すくない。十人ほど』。後李の攻撃は、激しかったですから」

 『そっか。辛い事聞いて、ごめんな。「ごめんなさい」。でも、どうしても聞きたい事があるんだ』


 仲間を思って目を伏せるミルに、俺は問いかける。

 残酷なのかもしれない。ミルの心を傷つけるかもしれない。でも、この事は早くに聞いておかなくてはいけないと思うんだ。

 お椀を持つミルの手に、青い指輪が淡く光る。

 大丈夫。あの指輪がある限り。俺の気持ちがミルに届いている限り。大丈夫。


 『クマリは、俺をこの世界に呼び戻して何をしようとしてる? 』

 「ハルキ? 」

 『俺が、ダショーの存在がこの世界で鍵になるのは、判った。俺を連れ戻したのはクマリだっていうのも判った。じゃあ、俺は何をするんだ? 何を求められてる? こんな事を聞くのは可笑しいかもしれないけど、俺がこの世界に来たのは、世界を救う立派な志があっての事じゃない』

 

 茶色交じりの青い瞳が見開かれる。

 

 『クマリの惨状は見た。後李帝国やエリドゥ法王国も、何となく判った。危険なのに俺を連れ戻したのはクマリなんだろ? 俺は、クマリに何を求められてる? 』

 

 俺は、ミルを傷つけるかもしれない。

 でも、曖昧なままには出来ない。

 ハルンツの記憶を強く思い出して、この世界での俺の立ち位置が見えてきた。謎も出てきた。

 おぼろげな記憶では、危険を誘うかもしれない。全てを、早く知っておかなければ。


 『俺は、ハルンツの魂を持つダショーは、深淵(しんえん)に囚われていたのを思い出したんだ』

 『とらわれる……? 』

 『理由はまだ思い出せない。けど、俺の意思なんか関係なく深淵(しんえん)は俺を神殿に閉じ込めたがっていた』

 『まさか』

 『昼間の騒動で少しだけ思い出して、深淵が、聖エリドゥ王国が俺の味方じゃないのは判った。あいつらが俺を欲しがっても、俺は自分の意思で法王国に行く事はない。でも、クマリは何で俺を必要としてるんだ? それが判らないと、俺は何も出来ない』


 俯いたミルの瞳が、酷く不安で揺れていた。

 でも、それは一瞬の事。

 再び俺を見つめてきた茶色交じりの青い瞳は、力をみなぎらせていた。

 強い光を、宿していた。


 

 『クマリは、ダショー・ハルキ、いる。「そうです。クマリの民はダショーを求めて、僅かに残った力で後李帝国に挙兵しました。天鼓(てんこ)の泉を抑えていた軍に立ち向かいました。全ては、ダショーを我らクマリに取り込む為です」クマリのちから、おおきくする。だから、ダショーがほしかった』

 『戦を、するのか? 』


 思わず口にした言葉に、ミルは薄桃色の唇を噛んで白くした。


 『クマリの人、すこし。みんな、ばらばら。「十年前の戦で、クマリの民は二割ほどしか生き残らなかった。残された女子供も、多くは売り飛ばされて、もうどれだけの人が生き残っているかも判らない。国を失った民の行く末は、惨めです。せめて生き残った民をまとめたい。身を寄せ合えば、僅かに誇りを取り戻せるかもしれない。生き残る可能性を上げられるかもしれない。小さくとも、クマリここにありと宣言すれば、遠く異国で虐げられている同胞に勇気を与えられるかもしれない。小さな希望を掲げたい。あなたが、ハルキが希望なのです」。ダショーなら、クマリ、つくれる。きぼうだから。クマリのきぼう』

 『でも、ダショーは聖エリドゥ法王国の大神官なんだろ? 王様なんだろ? 』

 『ダショー・ハルンツ、もともとはクマリの血族。エアシュティマスは、わたしのいえ、「クマリの守り人」大連(おおむらじ)の一つ(すばる)家のひと」』


 今度は、俺が目を見開く。

 俺の中の記憶に、クマリがあるのか? ミルの故郷が、あるのか?



 


 

 

 

 という訳で。連載再開です。

 でもその前に。


 連載休止中に突然,前触れなく,前作を消してしまって申し訳ありませんでした。

 3月に起きた『小説家になろう』でのR指定問題。

 この『見下ろす~』はこれまでR指定的な「アハ~ン」な描写は露骨にありませんでした。個人的にも,描く予定はありません。

 が,社会人が主人公な今作。正直,前作の『千夜を越えて』より踏み込んだ恋愛感情を描くのは確かです。予定に入ってます。そうなると,ですね。少しオマセさんな小学校の女の子には「恥ずかしい」「ドキドキ」な場面があるやもしれません。

 小学生は対象外で描き始めた為,今回のR指定には慌てました。

 正直,最近の少女マンガの方が露骨な描き方してるので「このぐらい大丈夫」と高をくくっていました。

 が,改めて小学生でも読めるという事を意識した時,このまま野放しで公開していてはいけないと思いまして。子供を持つ,親の立場で作品を見詰めると念のためにR指定をかけるべきだと,そう思い直した次第です。


 その為,連載休止中でしたが「一刻も早く子供の目から避けられるべき」と思い,予告なくR指定前の作品を削除してしまいました。

 お気に入り登録をして下さった方々。突然,作品が行方不明になるという惨劇を起こしてしまい,申し訳ありませんでした。

 コメントを書いて下さっていた御三名様。消えてしまった事,本当にすみません。消えてしまいましたが,大切に脳内にしまってあります(涙)。ゴメンなさい。


 今回の件は,私の思慮の浅さで起きた事です。この場ですが,深く謝罪します。

 すみませんでした。


 休止中に読んでくださった方,新たにお気に入りに登録していただいた方,ありがとうございます。こんな騒ぎを起こした私ですが,読んでくだされば幸いです。

 

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