27 陽気な仲間
『ボッボレローボレボレボレロー』
しなやかに伸びる尻尾が愛想よく振られる。
俺のリズムに乗って、右、左、右、左。両肩の筋肉や骨の動きも、尻尾の動きも、とても滑らかで美しい。
『ポレポレロー』
今頃、日本は正月だろうか。
こちらの世界に来てから二日だから、時差があってもそろそろ正月だろう。
今頃、スパークリングワインなんかコタツで飲んでた予定だったんだけど、俺は鬱蒼とした森の中を大型獣を引き連れて歩いている。
思わず口にしてリズムを取っていたボレロを、こいつは気に入ったようだ。緑色の瞳が何となく笑っているようにも見える。
ラヴェルの、ボレロ。名曲だ。カラ元気を出して歩くには、ちょうどいい。
『ボレボレロッレロレー』
右、左、右、左。ゆらり、ゆうらり。
『ボレボーボレロー』
俺、何やってるんだろうなぁ。
異世界に来た途端、いきなり襲われるし。何も出来なくて、ミルの足を引っ張ってばかりだし。いや。引っ張ってしまう事は判っていた。それでも、何も出来ない自分にはうんざりだし。
ため息のかわりに、ボレロを口ずさみながら森を歩く。
見つける木の実やキノコを、手にした籠に投げ込みながら。
水野は、どうしてるかな。教務は、怒っているかな。生徒達は、俺の事をどう思っているだろうか。
突然、失踪した俺を。行方不明になった俺を。
聞こうにも、もう聞けないだろうけど。この世界に来た天鼓の泉は破壊されたし。
もう、地球にも戻れないかもしれない。戻れないだろう。
覚悟はしてきた。でも、その結果、俺は何をやっているんだろう。
実力テストは作っておいたけど。受験前の三年生も担当してけど。あいつらには申し訳ない。難関公立校を目指す生徒達用の対策授業、出来ないなぁ。あぁ、それから。
単調でどことなく陽気なリズムを適当極まる作詞で歌いながら、仕事の事なんか考えている俺は滑稽だ。
仕事の事を思い出さないと、教師としての俺を思い出さないと、俺は自分か無力すぎる事を痛感してしまう。何も出来ない俺。それを認めるのは、とても辛い。
『俺、何やってるんだろうな』
そう呟いた途端だった。
背後に気配を感じて足を止める。
口ずさんでいた適当ボレロを止めると、前を歩いていた玉獣が振り返ってくる。その緑色の瞳に『何で止めたんだよ』という怒りを感じたのは気のせいだろうか。
僅かだけソイツに恐怖を感じながら、俺は背後を振り返る。
足が、すくんだ。背筋の筋肉が、凍りつく。
木々の陰から、何十頭もの玉獣が歩いてきていた。大きさも、種類も様々な玉獣が、俺の後ろについていたらしい。
『う……うわぁ! 』
食われる!
本能で足は猛スピードで動いていた。不摂生な生活を送ってきた俺の心臓は、恐怖と急激な駆け足で破れそうなほどに脈打つ。
全速力で、ミル達がいる建物に逃げ帰る。
『ミ、ミル! 』
「どうしました?! ……あら」
俺の叫び声で外に飛び出してきたミルは、慌てる事もナイフを取り出す事もしない。
それどころか、にっこりと笑った。
日向で干した布団に顔を近づけて、カビや湿気のニオイが消えているのを確認。十年前の布団も使えそうだ。
俺とミルは、日向に並べた膨大な量の布団や布を取り込んでいく。
例の玉獣は、もはや定位置のようになった土間の片隅で呑気に尻尾を揺らして大あくびをしている。
『つまり、ハルキのうた、きもちいい。この子達、精霊そのもの。精霊のかたちのひとつ。だから、ハルキのうた、だいすき』
『そう言われても、困るなぁ』
『わたしも、すき。ハルキのうた、だいすき』
穏やかな日差しを受け、縁側で布をたたむミルが笑いかけてくれる。
……可愛い。可愛いすぎるよ。
ミルがそう言うなら、俺は唄っちゃいましょう。
そして庭を振り返れば、何十頭も大型獣が寛いで尻尾を揺らしている。
現実に引き戻されるなぁ。まるでサファリパークに迷い込んでしまったような光景だ。
完全に食われると必死の全速力で逃げ帰った俺に、ミルは笑顔で説明してくれた。
ミルが言うには、俺の存在は少し変わっているらしい。
この世界で俺がダショーと呼ばれ特別視されるのは、俺の声に大きな魔力があるから。
声は、その人の魂の響きそのもの。
だが、声の振るえだけでは通常では精霊は動いてくれない。
その為、万物に存在し力を持っている精霊に力を貸してもらう術が魔術。
精霊が動きやすい場を造る為に、香を焚く。
こちらの願いを判りやすく伝える為に、精霊文字を宙や地面に描く。
精霊の気持ちを和ませる為に、舞を踊る。
唄いながら、様々な手段を用いて精霊の御力を貸してもらう。それが魔術。
ところが何故か、俺の魂は精霊に好まれているらしい。即ち、俺の声も心地よく好意的に受け取られる。そうなると、魔術の効率は良いに決まっている。なるほど。ダショーと崇められるわけだ。
だから精霊のひとつの形として扱われる玉獣にとって、俺の唄は最高に心地よい存在なのだとか。
つまり俺が唄った適当すぎるラヴェルのボレロも猫にマタタビ状態、ブレーメンの笛吹き男とネズミ達状態になってしまった。
なんてこった。
簡単には信じられない事だが、何十頭もの玉獣達を餌付けするように連れて来ていた事実。
信じるしか、なさそうだ。
『しっかし。あいつは態度デカイな。一頭だけ土間に上がりこんでる』
『あの子、すごくつよい。だから、ほかの子、こわくてちかづけない。ハルキ、きょうだいする、いいとおもうけど』
『どうやって兄弟になるわけ? 』
『なまえ、つける』
『そんだけ? 』
『なまえ、つける。つけた人のモノになる。これ、いちばんかんたん、まほう。「名前という言葉で、その者の魂を縛るのです。呪術の基礎ですよ」』
ミルの説明に、唸る。
簡単そうで、これは難しい事だぞ。こいつ、いい加減な名前でもつけたら俺の事喰っちゃいそうだし。
でも、まぁ、面倒くさいからここは……。
『じゃあ、ポチとか』
『だめ。タマもだめ。ちゃんとかんがえる』
真顔で注意してくるミル。
それは、日曜夕方のアニメの猫ですか? 何故、知っている?
とにかく、俺の性格を熟知したミルに先手を打って否定されてしまった。まいったな。
しばらく唸り、今まで溜め込んだ雑学を駆使して単語を見つけ出す。
『シンハ。獅子、ライオンの別称。これならいいだろ? 』
『ほんとう? 』
『サンスクリット語で獅子。本当だってば』
疑いの眼差しを受け、必死に弁護に入ると突然、獅子 玉獣が立ち上がる。
言い合う俺達は思わず固まってしまう。
俺の腰ほどの高さがあるソイツは、本当に恐怖を感じるほどに気迫がある。
やばい。今のやり取りを聞いてたんだろうか。怒って俺を食うことにしたんだろうか。冗談じゃない!
『お、俺の側にいたいんだら、お前の名前はシンハ! 誇り高き王者、シンハ! 』
『けっ。しけた異世界の名前つけやがって』
今、何と言いました?
鼓膜を震わさずに聞こえた音に、耳を疑う。
『もうちょっと、かっこいい名前付けろよな。まぁいいや。おめぇ、何て名前なんだよ』
『……』
『名前きぃてんだよっ』
『せ、関口晴貴!』
鋭い牙が並んだ口を見せられ反射的に答えると、目の前の獣は俺の頭からつま先までをじろりと睨みつけた。
まるでコンビニの前でカツアゲに遭遇したような気分なのは、何故なんだ。
『ふーん。じゃあ、ハルルンって呼ぶぞ』
は?
『ハルルンがまたボレボレの唄、唄ってくれるんなら、お前の双子星になってやる。ボレボレ、唄うか? 』
ボレボレとは、ラヴェルのボレロの事だろうか。
ハルルンとは、俺の事だろうか。
訳の判らぬまま、俺は首を縦に振る。とりあえず、このカツアゲ状態から逃れたくて。
『しょうがねぇ。今日からハルルンとは双子星だ。仲良くやってこうぜ。とりあえず、夜露死苦っ』
時として、ハッタリは危機を救う。が、新たな問題をも生む。
ミルの手前で回れ右して逃げる事も出来ず、「お座りっ」のように指差した人差し指に、濡れた鼻先をくっつけて、ソイツは言葉を発した。
明らかに肉食獣という口を開き、鋭利な牙を見せ、まるで一昔前のグレた中学生のような口ぶりで決め台詞を吐いた。
何が、起きていた? 今日から双子星、と聞こえた。夜露死苦って、そう聞こえたぞ。
悠然と尻尾を動かし定位置に戻って、そして土間の定位置で横になった。
「す、すごいです! 説明も補助もなく、あれ程の玉獣を一回で双子星にしてしまうなんて! 『やっぱり、ハルキ、ダショー! 』」
どういう事なんだ。
俺が、名前をつけてシンハを縛ったんじゃないのか? それとも、俺が名前をつけられて縛られたのか?
しかも、小学生がつけたような半端なニックネームみたいなもん、つけられたし……。
納得しないまま、感動してるミルの横で頭をかかえてしまう。
なんだか、厄介な奴と知り合いになってしまったようだ。
異世界に来てまでグレた中学生ぽいキャラと仲間になるとは、神様の悪戯なのだろうか。