25 空から降ってくるもの
思わず後ずさり、ミル達にぶつかって倒れてしまう。
『ハルキ! 』
『こ、こいつら……何でここにいるんだっ』
「テリンをお願いします! 『はなれる、にげる! 』」
ミルが俺にテリンと呼ぶ男を預け、果物ナイフを抜き取る。
薄暗い室内に、ナイフの鈍い光が反射する。その途端、神殿の男達が一斉に離れる。
それは、油を落としたよう。一定の距離を開けて飛びのきながら、周りからジワリと様子をうかがっている。十数人はいる男達が有利だ。
『無理、無理だっ……!』
このままじゃ、真っ先にミルがやられてしまう。
そう直感した時に、倒れた拍子にしたたか打った尻に感じた違和感を思い出す。
そして、迷わずソレを取り出した。
薄暗い室内に潜んでいた奴らになら。
科学を知らない奴らになら。
それは、一か八かの勝負。
『ミル、目ぇ閉じろ!』
日本語で叫び、尻ポケットから取り出した携帯電話の小さなボタンを押す。
途端、俺の手の中から暴力的な白い閃光が真昼の太陽以上の輝きで現れる。
『どけぇええ! 』
ボタンを押し続け、室内は稲光のような連続するフラッシュに光に照らされた。
まるで獣のような悲鳴を上げて、男達は顔を抑えうつぶせていく。
口々に許しを請うような、懺悔のような声を呻いて倒れる前を、俺はテリンを引きずりながら小走りで走っていく。
手の中の携帯電話の液晶画面には、パニックになった男達の姿が写真になって『保存しますか』と表示がでていた。
『こ、こっち! 』
混乱から素早く立ち直ったミルが、果物ナイフを片手にテリンの肩を担ぐ。
息絶え絶えのテリンを乱暴に、二人で担いで引きずって走る。
出口へ。外へ。
まるで夢の中の逃避行のように、まどろっこしい足元。思わず舌打ちすると、背後から足音が追ってくる。初めてカメラのフラッシュを浴びた割には、復活が早いじゃないか。
映画やドラマみたいに、都合よくいかない。
さらに、現実の厳しさを屋内から外へと目の前に広がった絶景で確認した。
『何だコリャ……』
「テラス……お披露目の間だなんて……何てことっ」
「ダショー様、クマリの姫宮、お待ちくだされ」
荒い息と共に、声をかけられて振り返る。
それは、悪夢。
目の前に広がる、茶色の砂漠。地平線まで、荒涼と物陰一つない砂漠が続いている。
背後には、神殿の男達。巧みな彫刻が施された柱の影から飛び出してきた。
統一され無駄のない動きに、手の中の携帯電話を思わず投げ捨てる。
液晶画面に表示されたバッテリー残量は、残り僅か。どちらにせよ、電波も存在しないこの世界では無用の物となってしまった。
「妙な魔術は、お使いなされますな……。そう、身の為ですぞ」
丁重な言葉遣いの裏に、隠し切れない苛立ちを感じる。
人をボロ雑巾のように痛めつけ、囮にする考え方気に入らない。
相手に下手に出てるように接しながら、自分達の意思を強引に押しすすめる手段も、気に入らない。
自分達が正義だと言わんばかりの、その考え方全てが、腹立だしい。
『お前達の思い通りにいってたまるかよっ』
何か手があるはずだ。何か、何か!
このまま捕まる訳にはいかない。そうだ。俺は何時だって、縛られていたんだ。俺が欲しいのは、自由だったんだ。
『 《……自由を、ボクに自由を……深淵に落ちたボクは、見上げていた。小さな、小さな、青い空。その向こうへ行きたくて。広大な空を下を駆け巡りたくて 》……黙れ、黙れ! 今はそうじゃない! でも』
頭の中で誰かが叫ぶ。
《自由が欲しい。野山を駆け巡る風になりたい。大海原へ漕ぎ出す風を感じたい。世界を巡る風に乗りたい 》
狭い世界に落ちた我が身を嘆き、ただ風の青い匂いに恋焦がれる激情に体も精神も支配されかかる。
『お、お前ら……俺に何しやがった! 』
湧き上がる過去世の想いに、怒りが爆発しそうだ。
そうだ。コイツラに、俺の人生を何度も滅茶苦茶にされたんだ。
思い出したぞ。
『俺は何度生まれても、深淵に落とされたんだ! 何度も何度も、お前達の術から伸びる蜘蛛の糸に絡め取られて、俺は深淵のあの小部屋に閉じ込められたんだ! 俺の意思は無視されて、何度生まれてもダショーをやらされたんだ! 』
『ハルキ……』
『もう嫌だ! 絶対にお前達に捕まりたくないんだ! だから……エアシュティマス、俺の中のエアシュティマス……あっ』
『ダメ! 「ダメです! 体を貸してはなりません! エアシュティマスの記憶に囚われては、貴方の精神が消えてしまいます! 」』
「何と……エアシュティマス様の御記憶を自在に引き出せるのか?! 」
「はよう覚醒せぬうちに! 」
俺は。俺はその時、何も聞いてなかった。
目の前の危機と周囲の怒号は、まったく眼中外になってしまっていた。
生き物の気配のない茶色の砂漠と青い空。今目の前に広がる景色と重なって蘇る記憶のワンシーンに興奮していたから。
ミルと初めて出会った時に、最初に思い出した映像。
アレは、この場所へ落ちる場面だった。大神官を最初に名乗ったハルンツの、この場所での記憶だったんだ。
青く澄み渡った空の白い入道雲。広がる大海原。青い蓮。零れる、一滴。
あの夏の日、青空を突き破るように伸びた入道雲から、世界へ向かって飛び降りた。愛しい人を腕に抱いて、雲から飛び降りたんだ。世界を変えるために。大好きな人たちの幸せの為に。歪ませたくない、信条の為に。
ハルンツが空から見下ろした世界は、青かった。大地は黄金色に輝いていた。流れる河は銀色の糸のように煌めいていた。人の営みは、世界に心地よい音を響かせていた。風は緑の薫りを含んでいた。そう、玉獣の乱舞の中を通り抜け、俺はこのテラスに舞い降りたんだ。大神官を名乗るために。
あぁ……全てが美しかった。
ハルンツの時代から、何が世界をこんな姿にしたんだろう。
「さぁ。ダショー様、おとなしくこちらへ」
『……』
空を見上げたまま、過去の記憶に流されかかった俺に、男が少しづつ近づく。
ミルが果物ナイフを前に突き出す。その小さな手を、片手で包み込む。
空を見上げたまま、俺はミルの肩をそのまま抱いた。テリンごと、抱き込む。
『あの日の再来だ……』
『あっ』
見上げた天頂に光が一つ。いや、いくつもの光が、大きくなっていく。増えていく。
何かが、光りながら猛烈な勢いで落ちてきている。
アレは、あの日の俺だろうか。
そんなはずはない。じゃあ、爆弾だろうか。まさか。
段々と大きく、そして増えていく空の光に気づいた男達が、腰を抜かしていく。座り込む者、立ち尽くす者。皆が口を開けたまま、目を見開いたまま、動けずにいた。
「どうやら、間に合ったようじゃな」
真っ白に輝く光が、雷のように床へ突き刺さっていく。猛烈な風と衝撃を伴って周囲に光の塊が着弾していく中、聞きなれた音無き声を聞いた。
「……主様!」
ミルの声に、眩しい光の中に目を凝らす。
光と同化してしまった白い鷹が、金色の瞳を細めてテラスの欄干に止まっていた。
「おや。ずいぶんと汚れておる」
『お、お前が俺をココに飛ばしてから大変だったんだぞ! 今まで何処行ってたんだよっ』
思わず罵ってしまう。さっき玉座で思ったことは、とりあえず横に置いといて文句の一つは言いたい。
異世界に人を移動させたんだ。飛ばしっぱなしは困る! アフターケアぐらい、してくれ!
「ふむ。時間を合わせるのが難儀でな。娘を地球へ移動させた時も、十年以上ずれてしまった。そう思えば、今回は可愛いものであろう」
周辺の光の塊がゆっくりと形を成していく。消え行く光の中から、輪郭が見えてくる。
「あの時の妖獣を、そのまま神苑に置いてコイツラに悪戯されても困るのでな。玉獣に変化するまで置いといてあったのよ」
どこに、何を置いておいたんですか。
その問いを飲み込み、光の塊から現れたソレに、息を飲んだ。
テラス周辺に落ちた光の隕石から、獣が現れていた。
鮮やかな紅色の翼を広げた大きな鳥。逆立つたてがみをもった獅子。光沢ある大きな角を抱いた大鹿。翼を持った馬。
それは、神話に登場する霊獣達。これが、玉獣?
「この子らが急に変化すると駄々をこねるので落としてみたらまぁ、成る程。恩人の危機に駆けつけたかったのだな」
『恩人? 』
「あの時も同じ唄を唄ってやっただろう。最初にワシが来た時だ」
『あのときの、そらとぶ、どうぶつ! ひかり、した、あのこたち! 「最初に出会った時、私と一緒に噴水から出てきた獣達です! あの時の妖獣です! なんて美しく変化したのでしょう!」』
ミルの言葉に、深淵の神官達がどよめき後退した。




