23 凋落の城
『つまり、俺は後李 帝国に狙われている訳? 』
『とりあえず』
『じゃあ、えーっと、エリドゥ法王国に助けを求めるのは? 』
『……法王国、きてない』
『じゃあ、どうすればいいんだ? 』
『いま、むかってる。クマリの、しりあい』
『って、誰? 』
『まだ、わからない』
まるで禅問答。
神苑と呼ばれる深い森の中を、ミルは迷う事なく進んでいく。雷光の背に乗り、木々の茂みの間を低く飛んでいく俺達の目的地は、一体どこなんだろう。
どうやら、俺の立場というのは、非常に危うく曖昧のようだ。
ミルの説明によれば、俺すなわちダショーという存在は国によって正反対の立場を持っているらしい。
ミルが一時過ごした聖エリドゥ法王国では、大神官という最高位。
この世界の信仰や信頼を集める魔術呪術の、最高峰。かつ、宗教の中心である神殿を形作ったエアシュティマスの記憶を継いでいる人として、ダショーは信仰されているらしい。
対して、ミルの国クマリを滅ぼした後李帝国は、その信仰が最も薄い国。魔術よりも、科学的なカラクリに国力を注いでいるらしい。確かに、天鼓の泉を爆破したのは火薬。あれだけ大量の火薬を製造して空飛ぶ軍艦を作り上げる技術があるんだから、考え方は無信仰で科学を信じる現代日本の感覚に近いのかもしれない。
『じゃあさ、なんで後李はクマリを攻めてダショーを狙う訳? 』
「それは色々ありますが一つは、。恐れでしょうね。『まほう、こわい。きらう。クマリ、とくべつなばしょ。とくべつなひとびと』。クマリの民の力を何と言い表しましょうか……」
雷光にしがみつく俺を見て、しばし言葉を考えたミルが雷光の腹を僅かに叩く。
すると、緑の茂みを突き抜けて樹海の上に飛び出る。緑の地平線が広がり、進行方向にあった白い頂の山が近くになっている。いや、山に見えたけど、山ではない。陽の光を僅かに反射した瓦に気づき、人工の建築物だと判る。
あれは、岩山の上に建てられた城のようだ。白い漆喰の壁が、まるで高い山の頂に残った雪のように見えていただけ。近づくほどに、青の窓枠や巨大な城の周りに巻かれた色とりどりの小旗が見えてくる。
『クマリのひと、まほう、すこしだけ、つかう。そらとぶ……『この雷光がそうなのですが』そらとぶ、いきもの、つかえる。玉獣、いいます。とても、たいせつ。すくない』
『この雷光は、玉獣っていう生き物? それをクマリの人は扱えるのか?』
『そう。玉獣、べんり。でも、ふつうのひと、つかえない。玉獣、神苑だけ、うまれる。たいせつ。たかくうれる。あと、クマリのむこう、エリドゥ法王国。いくさ、しやすい』
『後李は法王国と戦争したい訳?』
『ふたつのくに、なかわるい。でも、クマリ、もの、たくさん。ひと、たくさん。玉獣もいる。神苑もある。だから、後李も法王国も、ほしがる』
『……性質悪いな』
『ほんとうに』
何となく判ってきた。
つまり、魔術が主な技術のこの世界。車もなし飛行機もなしでは、空飛ぶ玉獣は貴重な移動手段。しかも、クマリの神苑でしか生まれず、扱える人材もクマリの国民だけ。クマリを手に入れれば世界の動向をある程度は手中に収めやすくなる。
その上、科学を発達させている後李帝国は呪術的なクマリや聖エリドゥ法王国を恐れている。神苑を持つクマリを滅ぼして法王国と喧嘩する気満々だ。
聖エリドゥ法王国も腹黒のようで、クマリの神苑を手に入れようとしているようだ。人質のようにミルを預かりながらも、クマリ復興の為に軍隊を派遣する気もない事から明らかだ。
まったく。厄介な事になっている。
ミルに確認すると、大きく頷いた。
『それに、ダショー、ハルキがうまれる、後李帝国、きづいた。だから、十ねんまえ、クマリ、せめた。おんな、こども、すべて、ころした。『何度もクマリは攻め入られていて、すっかり国力も劣っていましたから、もう耐え切れなかった』。後李にとって、ダショー、ころせる。クマリ、てにはいる』
『一石二鳥か。でも、それじゃあ、俺がクマリで生まれようとしてたから、クマリが攻められたのか……? 』
「それは違います! いえ……『きにしない』。確かに、そうですが……『しょうがない。きにしない。クマリ、とめられなかった。それ、わるい』」
『……』
俺がいなかったら、クマリで生まれようとしなかったら、ミルの故郷は無くならなかったんだろうか。そうしたら、ミルは両親と暮らせたのだろうか。
喉元まで出かかった言葉を、飲み込んで雷光にしがみつく。
俺は、知らないうちに多くの人の運命を変えてしまっているんだろうか。
ミルは、俺が存在する事で幸せなんだろうか。
不安は連鎖反応を起していく。
心の中が重くモヤモヤとした曖昧な気持ちで満杯になったまま、雷光は樹海の上を疾走していく。
『あれ、クマリのたてもの。雲上殿。たぶん、なかま、いる。天鼓の泉で、ハルキをむかえにいく、みんなでしていた。クマリ、やりなおしたくて、みんなであつまった。でも、後李帝国、きづいて、いくさ、してきた。みんな、にげた。いきてたら、雲上殿であう、やくそくした』
『仲間がいるのか? その雲上殿っていう建物に?』
『はい。「十年前のクマリの乱と呼ばれる戦で、唯一残った建物です」もう……あれだけ。あのむこう、クマリのまち、あった』
『町? だって、向こうにあるのは……』
雲上殿と呼んだ建物は、樹海への入り口のように存在していた。雲上殿の向こうは、茶色の大地と地平線が続いている。
まるで砂漠のような光景に、ギョッとする。
あそこにかつて、町があった。静かにそう告げるミルの言葉は、過去形だ。
『すべて、もやされた。後李帝国、うばう、ころす、もやす。すべて、きえた』
遠目にも、充分に荒涼とした土地だと判る。
広大な場所にかつてあったクマリの町は、大きな都市だったのだろう。それを燃やして消し去る戦とは、一体どれほどのものなんだろう。
想像も出来ない規模の話に、背筋が強張っていた。
雷光は速度を落とし、再び緑の茂みに入っていく。
『雲上殿、いきます』
ミルの声は、先と変らないままに予定を告げる。
キミは、辛い感情はないのか。
そう問いたくなる気持ちを、心の中で打ち消した。
辛くないはずは、ない。悔しいはずだ。悲しいはずだ。腹立つはずだ。
それでも、過去の事実を告げるミルの声に感情の色が入らない。
それは数え切れないほど、自分の中の激情と戦った証拠。俺が知る事の出来ない、ミルの心の闇なんだろう。
宮殿。
そう呼んだ方が相応しい建物だった。
これも過去形。それは、建物が死んでしまっているから。
ここに人はいなくなって、どれだけ経つのだろう。十年前の戦で、人も消えてしまったんだろううか。
ひっそりと、ただ埃と時間だけが流れた空間。流れた記憶までにも、埃を被せた静けさ。
かつて純白だった名残りはあるが、壁の漆喰も薄汚れたり所々に欠けて崩れている。また、幾つかの場所に乱暴にモノを倒した跡が目に付く。金目のものを奪った跡だろうか。
そうだろう。これほどの巨大な建物を作った国ならば、金銀財宝で飾られていても不思議はない。
木造で作られる、最大級の建物。その中に沢山の小部屋が連なる最下層から進んで、幾層も上がり、ようやく巨大な空間が広がる大広間にたどり着く。
『……凄いな……』
思わず、声を潜めていた。もちろん、伏兵を恐れて慎重になっていたけど、それ以上に圧倒されてしまった。
見上げるばかりの高い天井には、雲間を翔ける数多の玉獣や人々が描かれていた。躍動する命。美しい自然。楽器を手にする伶人。妙なる音の調べが聞こえてきそうな壮大な天井画は、創世の物語を描いているんだろう。描かれた英雄や聖女らしき麗人達を、息を止めてみつめる。
まるで大聖堂だ。
『ここ、玉座の間。ハルキ、みてほしい。「あなたに、どうしてもクマリが繁栄していた残像を見て欲しかった。こんなに、この国は栄えていたのです」』
ミルの声も、静かに囁いた。
俺達の潜めた声が、立ち並ぶ太い柱の間を流れていく。
それは、畏怖をも抱かせる、かつての繁栄の跡。
壁や柱の間を伝う薄絹は、かつての鮮やかだったろう色を潜めて虫食いの穴だらけになっている。
柱に彫られた精巧な彫刻の溝には、埃が蓄積されている。
正面奥に鎮座する、一つの椅子。
天井から銀細工の鷹が包み込むように広げた翼の下に、その椅子はあった。
それが、クマリの玉座なのだろう。
俺は、あの白い鷹の意味が何となく判った。
あの鷹は、クマリの護り神のような存在なのかもしれない。あの白い鷹の存在があって、玉座が存在するんだろう。いや、白い鷹が玉座に座るものを名指ししていたのかもしれない。
今は埃を被った巨大な鷹の彫刻に、その存在の大きさを知った。