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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 2 歪んだ扉の音

 床から天井まで、道路側の側面はガラス張り。十二階からの絶景に目もくれず、とり合えず研修資料を読みふける。

 最新の授業を。最新の情報を。最高の方法で。

 あの狭い会館で五時間も研究会をしたんだから、それなりの成果が欲しい。世の中教師にキツイ目を向けているが、それなりに努力をしているのだ。

 灼熱の夏休みを部活で費やし、たまに部活を休みにした時は研修。俺って、まじめだ。


 「お待たせしましたぁ」


 緊迫感のない朗らかな声と共に、大ジョッキになみなみと注がれたビールが二つテーブルに置かれる。

 白い泡をブルリンと震わし汗をかいて黄金色に輝くビールと、二センチの厚みの研修資料。

 互いに手の中の資料とビールを無言で見比べる。水野の喉仏が上下して、生唾を飲み込む音まで聞こえる。


 「後だな。俺の資料、後で水野の中学に送るよ。国際理解で使うだろ」

 「お、おう。オレの道徳の資料も関口ん学校に送るよ。川東中だったよな」

 「うん。とり合えず、一杯いくか」

 「だな! 」


 このくそ暑い夏の夕方に、ビールの誘惑に勝てる奴などいない!

 

 「っつかれーっす! 」

 「まじめな俺たちに乾杯っ」


 喉を通る炭酸と苦味に、「今日の俺頑張った」と一人満足。吐き出す息がひんやりと冷えている心地よさに、ようやく一息つけた感覚。

 慌てて資料をリュックに入れる。ここで油の染みでもつけたら、職員室で広げるのが恥ずかしい。向かいの席の水野も、ジョッキを戻すと資料を仕舞っている。

 繁華街の中心部の広場を見下ろす総合ビルの十二階。うだる暑さの下界を見下ろしてのビールは、美味しい。

 水野が彼女と来る店なんだろうか。若い女性客や合コンらしき団体も見える。イタリアン中心の洒落た店だ。繁盛している店独特の明るい喧騒が心地よい。厨房からの掛け声も、華やかだ。


 「大塚さん、いればなぁ」

 「彼女に言うぞ」

 「あ、勘弁。それよりさ、お前本当に彼女まだ出来ないのか? 」

 「しょうがない。事情が事情だから。俺の場合は性格重視でハードル高いんだ」

 「まぁねぇ。しかし勿体無いよ。関口、外見は結構モテてるのにさ。青い瞳のクールな王子で」

 「勝手だよ。こっちの事情も知らないでさ」

 

 確かに、そう噂もされている。新任で入った時は、女子生徒からそれなりに黄色い声をうけた。けど、誰も目をあわそうとしない。

 俺の目は青い。何故だろう。小さい頃に亡くなった父と母も、祖父母にも、青い目はなかった。先祖に異国の血が混ざっている訳でもない。

 純正の日本人から、真っ青な青の目。でもそんな事を説明したところで、ありもしない噂を立てられるのは目に見えている。曽祖父がイギリス人という事にしているのも、冷静に考えれば笑っちゃう程に滑稽だ。要らない噂をされないのはは良いけど、見たことのない曽祖父を勝手にイギリス人にした事は申し訳なく思っている。死んで黄泉の国で会えたら謝っておこう。うん。


 「でも結婚とかどうするよ」

 「彼女いないのにそういう話してどうする。あ、水野……」

 「まぁ、秋に結納しようかって話だ」

 「おめでとう」

 「まだ早い」


 ジョッキをあわせ、ビールを煽る。

 さっきより水野の日焼けした顔が赤いのは、酔いのせいではないだろう。

 そろそろ三十が見えてきた。結婚の字がちらつきだすのも、不思議ではない。さっきの大塚さんだってそうだ。

 アルコールを含んだ息を吐くと、「アンチョビのピザでぇす」がテーブルの中央に置かれる。二人同時に手を伸ばし、塩辛さと苦味を堪能。一口食べると、空腹に気付いたのは水野も同じようだ。あっと言う間にピザは半月状態になっていく。


 「式には呼べよ」

 「おう。二次会の幹事も頼もうかな」

 「よし。余興のマジックはまかせとけ」

 「関口のマジックは本物だからヤバイんだよ。ほら、大学四年の卒業飲み会でさ、お札がテーブルを貫通するのやっただろ」

 「あぁ、投げたコインがグラスを貫通するのとか」

 「あれは傑作だったなぁ。教授、目ぇ丸くしてた。今や伝説だぞ。伝説」

 

 そりゃそうだ。タネがあるのがマジック。俺のはタネなんてない。それこそ本物の超常現象。

 少年漫画とかだと、こんな能力があれば世界を救うヒーローだ。でも、現実なんてこんなものだ。こんな能力があっても、役に立たない。せいぜい忘年会やコンパのマジックモドキをして余興に使うぐらいだ。本気で人に見せて生活しようと思ったら、ろくでもない稼業の人に利用されて化け物扱いされるだろうし。

 こんな能力があっても、使えないのならないのも一緒。使わないのなら、ないのも一緒。そう思ってる。だから、教員して人並の生活を目指している訳で。

 それでも、目の前の親友には結婚が控えている事実。対する俺は、何もない。

 だって、こんな妙な能力があること、人に言えない。今の人生で満足しているのに、余計な雑音はいらない。

 いっそ、俺が強欲で野心的だったらどんなに楽だろう。それこそ、宗教でも立ち上げれば楽な人生かもしれない。でも、望むのは、『普通な生活』だ。

 衣食住がそろっていて、一緒に暮らせる家族や子どもがいて、笑いあって暮らせるのなら、何もいらない。両親が早くに死んだ俺にとって、祖父母の温かさは有難かった。でも、だからこそ『普通の生活』に憧れる。それなのに、この能力。いやになる。


 「もうさ、宇宙人でもいいから運命の女だった思ったら、離すなよ」

 「……宇宙人は困るな」

 「なんだよ。関口も同じようなもんだろ」


 水野の遠慮ない言葉に苦笑。確かに宇宙人のようなもんだ。未確認能力なんだから。


 「そうだ。未確認生物ってたら、さっき白い鷹みたぞ」

 「どこで」

 「会館出たとこで」

 「……白いカラスだろ。ここ、街だぞ。県庁所在地だぞ」

 「だな。うん。見間違いか」


 ましてや、鷹が笑うはずはない。気のせいだ。

 そう思おうとして身震いをする。強い意志を感じる金色の瞳。『潮時ぞ』との言葉。あんなもの、見たことない。


 「なんだよ。関口にも怖いもんあるんだ」

 「あるよ。まぁ、でも、ありえんよな。気のせいだ」


 水野の気遣わしげな視線を断ち切る為に、ジョッキを一気にあおる。食道を通り抜ける炭酸に眉をひそめ、憂鬱とともに息を吐き出す。

 何もかも、なかったことにしたい。そんな思いが頭を掠める。この能力さえなかったら、どれだけ楽に生きられるんだろうか。水野みたいに、人生を共に行きぬく伴侶を得たい。そんな事すら不可能なら、使うことも出来ない能力なら、なんの意味もない。


 「吉兆かもよ。白い鷹なんてさ、神様の御使いって感じじゃんか」

 「蛇なら聞くけど。まぁ、そだな。そう思っとくよ」

 「そうしとけ。深く考えるとハゲるぞ」

 「あいにくと、俺の家系はハゲじゃない」

 「……オレんとこはハゲなんだよ」

 「ハゲる前に結婚できそうでよかったな」


 俺は、いい友達を持ったよ。ホントに、サンキュ。

 言葉には出さず、微笑んでピザに手を伸ばす。

 水野の存在がなかったら、きっと自暴自棄な人生だった。なら、今のままで頑張っていくしかない。そう、判ってた事だ。アルコールと疲れで少し弱音が出ただけだ。


 「明日は、ゆっくりしようかな」

 「え、関口、部活いれてんのか? 」

 「いんや。休みだよ。夏休みの最後の週ぐらい休みにしないと、宿題やれんだろうし。俺が仕事しようか迷ってたんだ。新学期の実力テスト、プリントしとこうかなって」 

 「だよなぁ。オレんとこも休みだよ」


 褐色に近いほど日焼けした顔が、溶けるように緩む。あ、デートにでも行くんだろう。

 となれば一緒にツーリングなんて誘えないな。野暮な事はしない主義だ。心の中で「ご馳走さん」と囁きながら、メニューに手を伸ばす。


 「パスタでも、追加するか? 」


 食欲をそそる文字に目を落とした途端だった。

 聴いた事のない音に頭を殴られる。

 それは、グラスが割れる前に響く音。花火が爆ぜる前の音。空気が震える音ではなく、何かが壊れる前に響く、音なき音。

 破壊の前兆の音が、今まで聞いたことない爆音で響き渡る。

 首筋の髪が逆立つのを感じながら、跳ねるように飛びあがり震源地を目で追う。

 街路樹の向こう、生い茂った葉の向こう、広い四車線四車線の道路の合間に作られた噴水公園。その水の気配がブレている感覚。

 

 「関口? 」

 「しゃがめ! 」


 反射的に手を道路側のガラス張りにかかげた瞬間、外からすざまじい勢いの空気がガラスに叩きつける。

 一瞬で真っ白なヒビが入るガラスの壁に、とっさに頭に浮かんだ音を口笛で吹いていた。頭の中にガラスの粒子が水へ変化するイメージが浮かんでいた。

 衝撃に耐えられないガラスが、砕け散りながら空中で水の粒へと変化していく。

 俺、ガラスの粒子の配列を変えて水に変化させたのか? 今までこんな事出来なかったのに。

 呆然と見ている間に、店内に突き刺さるガラスが横殴りの雨粒のようになって降り注ぎ、あたり一面を水浸しにしていった。

 俺も何が起こったか分からないままズブ濡れで立ち尽くしていると、外からの悲鳴が目を覚まさせる。


 「な、なんだ、今の」

 「判んない。けど……まだ何か、来る」


 吹き抜けになった壁から、風が舞い込む。道路からの悲鳴や怒号が、現実離れしたこの場を夢ではないと知らしめる。

 テーブル向こうの水野に手を貸し、立ち上がらせる。


 「何か来るんだ。ここから、離れたほうが、いいかも」

 「何かってなんだよ」

 「聞こえるだろ。この酷い音」

 「聞こえねぇよ。何? ヤバイ音か? 」


 水野との会話を聞いているのだろう。周りの人々が何も言わずに立ち上がり、ジワジワと壁があったはずの場所へ近づく。人間の好奇心というものは、恐怖心を凌駕するらしい。

 気味悪げに投げかけられる視線。気付きながらも、視線は噴水広場から離せられない。

 俺にだけに聞こえるような音。まるでそれは、チューニングをしないまま始めたフルオーケストラに似ている。

 幾つかの音が奏でる旋律は美しかったはずだ。リズムも、整えれば美しいはずだ。

 でも聞こえるのは、指揮者なしで初見で勢いのまま演奏をしてしまった素人のような、無秩序で乱暴な音の固まり。

 胸の奥の不安や苛立ちや怒りを、ざわりと逆さに撫でていく不快感。


 「あぁ……咲く、花が咲く……通じる」

 「お、おい? 」


 脳裏に、フラッシュのように幾つモノ映像が焼き付けられて消えていく。

 青い蓮。零れる光。稜線を描き広がる地平線。白い山々の頂。抱きしめる温もり。見上げる宇宙の空の藍。藍。藍。


 

 


 

 



 


 

 



 

 

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