19 還ろう
「若宮大通りは封鎖中です! 速やかにここから退去して下さい! 警告します! 原因不明の事故により、若宮大通りは封鎖中! 」
苛立つ色を隠さず、警察の拡声器を通した警告がビルの谷間に響き渡っている。
その声が呼び水のように、野次馬をひきつけている気がする。周辺のビルには、ガラス越しに様々な人々が高みの見物に入っているのが下から見えた。
「日本刀持った女の子がいたらしいぞ」
「撮影じゃね? 雑誌とかの」
「じゃ、あの風なんだよ。すげーぞ。噴水公園辺り、竜巻みたいなんだって。事故じゃないね」
「見た見た。リアルCGすげぇ」
お気楽で危機感の欠片もない会話が、人垣の合間から聞こえてくる。
間違いない。この向こうにいるのは、ミルだ。
この人垣を越える? 警察に捕まらないで、どうたどり着く?
手の中の携帯を握り締める。野次馬に囲まれたまま、空を見上げる。この空は、見納め。
目を閉じる。
さぁ。俺の中の『エアシュティマス』。お前に俺の体を貸してやる。
思い出せ。あの時の音を思い出せ。
「……『 耳を傾けよ 吾らが父なるエンが 母なるナンムが囁く言葉に 』」
早送りのように、様々な映像が頭の中を駆け巡る。どうしようもなく悲しくて切ない感情が弾け飛びそうで、思わず目を開ける。俺は、ここにいる。大丈夫。
そう言い聞かせ、息を整える。大丈夫。動物園の時のように乗っ取られはしない。
あぁ、それなのに。世界を作る程の力を持った人物が、何故にこんなに悲しいんだろう。憎しみを抱かなくてはいけないんだろう。
いいよ。それでもいい。その激情で俺の気持ちを切り裂いてもいい。体だって、貸してやる。
だから、ミルを助けさせてくれ。俺を、あっちの世界へ連れてってくれ。
心地よい響きと共に、体の周りから青い炎が立ち上る。
格闘モノの漫画の主人公のように格好よくないのが悔しいな。これじゃ妖怪じみた光景。巻き上がる風に、野次馬の悲鳴が混ざっていく。人垣が崩れていく。
「『 この世を駆け巡る風よ その最も強い力よ 吾らを護れ 』」
音を立てて、風が舞い上がる。
細い幹の街路樹が大きく揺れ、枯葉を撒き散らしていく。季節外れの小型台風のような風の中で青い炎をまとった俺の姿を見て、野次馬が逃げ惑う。
目の間の人垣が次々と逃げ去り、警察官とパトカーと非常線がようやく見えた。
噴水公園は、吹き荒れる風の壁に包まれている。猛烈な不協和音は、ここからだ。
「と、止まりなさい! ただちに止まりなさい! 警告を無視して……」
「どけぇえ! 」
警告を無視して、走り出す。その向こうへ。
飛び越えろ!
警棒を抜き出した警察官の必死な顔を見て、思わず鋭く口笛を吹く。ここで捕まる訳には行かないんだ!
突風が俺の体を持ち上げる。その瞬間、強く踏み込んで四車線を飛び越える。巻き上げた落ち葉を踏みしめるように、宙をクロールで無茶苦茶にかき出すように、空を飛んでいく。
足元で警察官が口を開けて見上げているのを、スローモーションで見下ろしながら吹き荒れる風の壁にぶち当たる。
「ちくしょぉおお! 」
吹き荒れる風の壁に弾かれそうになったのを、腕を差し込んで渾身の力を込める。
鋭い風が腕を切りつけていく。目の前でYシャツが千切れていく光景に、寒気がする。切り刻まれるのか?
「ミルーーっ、おわ! 」
思わず上げた絶叫と共に、風の壁が一気に俺を引きずり込む。
まるで洗濯機に放り込まれた靴下状態で、宙を何回転かさせられて中央の噴水へ盛大な水柱を上げて着水。
真冬なのに全身濡れてしまった。これじゃ、体を張った芸人並のアクションだ。
火照った体が急速に冷えていく。携帯を握ったままなのを思い出し、慌てて立ち上がり気づく。
目の前に、いた人影。
「ハルキ……」
「よ、よかった……間に合った……」
茶色交じりの青い瞳を見開き、胸の前で刀を握り締めたミルの姿に脱力。
再び噴水の中に座り込んでしまう。
足も、瞳も、声も、全て、あった。
ミルにまた会えた。
息を切らして、水の中を這うようにミルの傍へ歩み寄る。
抱きしめさせて。その感触で、俺に安らぎをくれ。
夢中で、ミルの腰に抱きついた。
「勝手に還るなよ! 約束したじゃないか! どうしたらいいか考えようって! 」
「でも、でもハルキ、つれてく、だめ」
「一緒にいたいって、そう言った! 」
「こわかった、ちがう? いやだった、ちがう? 」
「それは……うん。ミルの世界に行くのは、怖いし嫌だった」
温かなな感触に、ようやく俺の気持ちが落ち着く。水が滴る前髪をかき上げて、立ち上る。
そうだ。俺は怖かった。
今持っているモノを失うのが怖かった。職業も資格も、僅かな財産や家。周りからの評価。
今まで積み上げたモノを全て失うのが怖かったんだ。
」
「だから、ダメ。 ハルキ、ここでいきる! もどる、だめ! しぬ! いいことない! 」
「そこはね、ミルが決める事じゃない。俺の人生だから、俺が決めるんだ」
「でも、ミル、かんがえた。ハルキ、だいじ。ミルの、だいじ。しなせない。まもる。だから、ここ、いい。かえるは、だめ! 」
「ありがとう。だけど、俺も考えたんだよ。判ったんだよ」
ミルは俺の身の安全を一番に考えてくれたんだろう。きっと、動物園の日から、最善の方法を考えてくれたと思う。俺を連れて還らなかったら、きっとミルの立場が危うくなるのだろうに。
自分の身より俺を案じてくれた。そんなミルの気持ちはとても嬉しい。けど、俺は判ったんだ。
掴んだ安定な生活を失うより、ミルがいなくなる事が怖いんだ。
ミルがいない世界で生きていく事が、何よりも恐ろしいんだ。
「俺はこんな力を持ってるから、ずっと一人で生きてくつもりでいた。それで、いいと覚悟してた。でも、ミルに出会えたんだ! 聞こえる? 水野、聞こえてる? 」
携帯を耳元に、ミルを瞳を見続ける。茶色交じりの大きな青い瞳に、涙があふれてくる。
君が教えてくれたんだよ。二人で過ごす心地よさを。一人ぼっちは悲しいって事を。
「なのにミルが還ったら、また俺は一人になっちゃうよ。そしたら俺の人生、空っぽになる。何しても、楽しくない時間を過ごしてくと思う。悲しい気持ちさえ、きっと無くなる。ミルがいないこの世界にいても、決断しなかった瞬間をずっと後悔しながら生きていくと思う。それなら、俺は、ミルのいる世界に行く」
不可思議な力が跋扈して、刀で戦争してる世界だとしても。帰り方も判らない異世界だとしても。
ミルがいない世界で何事もなく生きるより、ずっと幸せだと思う。
例え命の危険があっても。どんなに悲劇的な結末を迎えても。どんなに辛い試練があろうとも。
愛する人と同じ空の下で生きていけれれば、幸せだ。
どんなに辛くても、キミが傍らに居てくれるのなら。俺がキミを支えていけるのなら。
二人で分け合えば、どんな運命だって乗り越えられる。
「俺は、俺の幸せを自分で決めるんだ。他人から見たら、どうしようもなく要領悪く見えるかもしれないけど。これが不幸な境遇に見えたとしても、俺が幸せだと思えばどんな結末になろうと満足なんだよ。俺、自分の事幸せだと思ってるよ。好きな人を見つけられたんだからさ」
「ハルキ……いいの? いいの? だって、しぬかも」
「いいよ。だって、ミルが守ってくれるんだろ? 」
こんなに好きだからこそ、俺達は反対の事を考えていたんだろう。例え死んでも、傍に居たい俺の気持ち。自分が辛くても、俺を守ろうとしてくれる気持ち。
どちらがいいのか判らない。もしかしたら、事情を全て知っているミルの意見の方が正しいかもしれない。
けど、さよならなんて、嫌だ。
何度も何度も、ミルの頬を撫でる。
涙で潤んだミルの瞳に力強い光が満ちてくる。見つめる瞳に、生き生きとした表情が現れる。
そうだよ。キミが守ってくれるんだから、キミの傍にいられるのなら、俺は何も怖くない。
「水野、あと頼む」
《……行って来い。後は、何とかするから。絶対、ミルちゃんの手を離すなよ! しっかり掴んどけよ! 》
「判ってる」
《気が向いたら還ってこい。待ってるから》
「うん……ありがとう。色々、ありがとう」
《おう、じゃあな。またな》
「さよなら。またな」
ありがとう。その言葉より、沢山のありがとうの気持ちを込めて、さようなら。
いつか、また会おう。いつか。
通話ボタンを押して、俺の二十八年の人生を終わらせた。
ありがとう。水野。お前も幸せになれよ。
言えなかった言葉が頭の中を駆け巡る。もっと伝えたい事もあったけど、大丈夫。あいつなら、全部判ってくれる。
そう、甘えさせてもらおう。
手の中の携帯をポケットに仕舞い、ミルに笑いかける。
「還ろう。ミルの生まれた世界へ、一緒に還ろう」
「……うん。うん」
『出立の準備はできたようだな』
唐突に、二人しかいないと思っていた空間に現れた白い鷹。
羽ばたく事もしないで俺達の頭上に浮いている。こいつ、何時からいたんだ。
「……ミルに代償を払ってもらうとか何とか適当な事言いやがって! 」
『おや。覚悟を決めれただろう? 』
こいつ、こんなに性根悪くて何で神様みたいな事出来るんだろう。
腹立つ気持ちも、悠然と見下ろす金色の瞳を見ると萎えてしまう。これは敵わない存在。
「お前の正体、鷹じゃなくてサギだろ。絶対」
『ホッホッ。良いな良いな』
俺の苦しい言葉すら、楽しんでる。
そんな俺達の会話を聞いてうろたえているミルを、強く抱きしめて俺も笑う。
きっと、俺はこいつら神様の駒かもしれない。
俺達の嬉しさも、苦しさも、ちっぽけなものだろう。俺はきっと、こいつらの小さな駒。それなら、精一杯に駒を演じてやろう。
喜怒哀楽しまくって波乱万丈な人生を送ってやろうじゃないか。
ミルが一緒なら、怖いものなんてないから。
さぁ、唄おう。
陽の光の音、風の音、植物がそよぐ音、水のせせらぎの音、アスファルトで覆われた大地が脈打つ音。全ての音に重なるように。全ての音を紡いで織り上げていくように。
『エアシュティマス』の記憶、『ハルンツ』の記憶、過去の記憶から溢れ零れる想いも込めて。
「 この想いは 星の想い 幾千年と響き渡る唄 宇宙の果てまで震える唄は…… 」
『 震える唄は 祈りの光り 』
体の粒子が震えていく。蛍火のように水が光り、宙へ螺旋を描いていく。溶けていく。光の粒になって、ミルの体と溶け合って、空へ昇っていく。
行く先は天国か地獄か。俺が決めてやる。
意識だけが、空から世界を見下ろす。
コンクリートとアスファルトに覆われた、この世界。
見上げる冬の空は、太陽の陽の光で溢れている。
還ろう。キミと、還ろう。
真っ白な眩い光に包まれ、全身でミルを感じながら、全てに身を委ねた。