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見下ろすループは青  作者: 木村薫
18/186

 18 走れ!

 校舎から出てくる生徒も、いつの間にかいなくなっていた。手にしたカップは空になり、すっかり冷たくなっている。

 そろそろ、職員室に戻るべきかもしれない。


 「昼飯、一緒にどうだ? 」

 「近くに煮物が美味い定食屋あるよ。そこでいいか? 」

 「いいねぇ」


 栗山先生も、そろそろ仕事が終わった頃だろう。飯を食べて、仕事納めして、とっとと帰ろう。

 大あくびと伸びをして、回れ右をした途端だった。一陣の風が吹き荒れる。


 『風が吹くぞ』


 懐かしい声に、とっさに閉じた目を開ける。見上げる緑のフェンスのてっぺんに、懐かしい白い鷹がいた。


 「『主様』……」


 思わず零れた言葉に、鷹は金色の瞳の瞳孔を細めた。

 何でここにいる? その疑問に答えるように、音なき音が頭をつんざく。

 夏の再来のように。


 『クマリの娘は行く末を決めたようだ。残念な事だ。ワシはあの娘を気に入っておったのだが』

 

 夏の比じゃない。とてつもなく音程ハズレな爆音が弾けるように押し寄せる。

 その音源の先を見ると、ターミナル駅のビル群一帯から霧のようなものが噴出すのが見える。

 もや? 違う、あれは……。 


 「なんだあれ!? 」

 

 本物の風が吹き荒れる。音源の摩天楼付近から猛風が押し寄せ、同時に周辺の鳥達が一斉に飛び立っていく。その羽ばたきがさらに風を作り出していくようだ。

 摩天楼から逃げるように、カラスもスズメも鳩も、ありとあらゆる鳥が飛び立っていき、住宅地から犬の遠吠えや猫の叫び声が響いていく。

 逃げろ。天変地異のはじまりだ。そう、叫ぶように。まるで、あの日の動物園のように。


 『さて。お前はどうする? 関口晴貴として生きるのか? ダショーとして生きるのか? 』

 「何、言ってるんだよ」 

 「関口、ミルちゃんが昨日お前に色々話した理由、言ってないのか?! 」

 「……まさか」


 水野の声に、体中の筋肉が固まる。まさか、まさか。

 この爆音は、この風は、この騒動は。

 あちらの世界の扉が、開くのか?

 昨晩からの事が頭の中をかけめぐる。

 急に、ミルは自分自身の事を話した。

 手を繋いでいたいと、せがんだ。

 「いってらっしゃい」と、玄関の外まで見送ってくれた。とびきりの笑顔で。

 全て、別れを覚悟していたからなのか?


 『こっちに来るのに大層な手間をかけておったからな。深淵(しんえん)の輩ども、玉獣(ぎょくじゅう)を殺させて神苑(しんえん)を穢しよった。還るのはさほど手間はかからぬはずだったが、わざわざ歪みを大きくしよったわ。これでは、代償を払わねば帰れぬぞ』

 「還る……ミルが、還る? 」

 『おう。さて、代償として何を頂こうか』


 毛づくろいするように、何度も羽を広げ、純白の羽に鋭いクチバシを差し入れる。

 

 『白く緩やかな脚線を描く足にしようか。美しくさえずる声か。澄み切った瞳でもよいな』

 「何言ってるんだよ! 」 

 

 代償ってなんだ。ミルをどうするつもりなんだ!

 

 『穢れない魂がよいな。あれは本当に美しい』

 「何するつもりなんだ! ミルに何かしてみろ! 」

 『それなら、ハルキが行なえばよい。お前が還るのなら、筋が通る』


 呆然と立ち尽くす俺と水野を見下ろして、白い鷹は悠然と羽ばたく。


 『お前なら、扉は容易に開けられる。お前自身が歪みだからな。ハルキが還るのであれば、ワシが力を貸す筋も通る。何しろ、ワシがこちらを説得してお前を入れたのだからな』

 「筋とか何とか……判らないけど、けど……ミルは何をしてるんだ! 」

 『判っているのに、ワシから言わせるのか? 』


 全く面倒な。

 そう呟いて、飛び立つ。

 一瞬の羽ばたきの後、宙に消えてしまう。目標を失った視線が、宙を彷徨ってしまう。

 そういう事だ? 何が起きてる? ミルは? ミルはどうなる? 俺は?


 「関口! 」


 水野の一喝に、ハッと正気に戻る。

 けたたましく泣き叫ぶ動物の声に、現実を感じる。

 夢じゃない。幻でもない。だから、俺が何とかしなくちゃダメなんだ。

 あの夏の日の続きをしなくちゃ、いけないんだ。


 「俺、俺……」

 「お前が決めろ! 後悔しないように、お前自身で決めろ! 」

 「水野、俺……」


 水野の結婚式。お前と由美子さんの赤ん坊。挑戦してみたい授業。ミルと過ごしたかった時間や場所。一緒に正月して、桜を見上げて、それから沢山の事。

 胸に言葉があふれ出す。やりたい事が、頭いっぱいに浮かび上がる。

 でも。でも、その全てにミルがいないのは、想像ができない。

 ミルが、いなくなる?


 「ごめん……俺、行く! 」


 空っぽのカップを水野に押し付け、走り出す。

 突っかけのサンダルのつま先に力をこめて、埃だらけの階段を駆け下りる。

 

 「凄い風ですなぁ。関口先生? 」


 職員室に飛び込んだ俺を見て、教務が暢気な声をかけてくる。自分の机の上に置きっぱなしの携帯と車のキーと財布を掴んで、思いっきり頭を下げる。


 「すみません! 今日付けで俺、退職します! ご迷惑をおかけしますが、今までありがとうございました! 」

 

 それだけ叫んで、職員室を飛び出る。

 背中に投げられる教務のうろたえた声を無視して、グランドまで駆け下りていく。

 間に合え! 間に合え! 間に合え!

 花壇を飛び越え、飛び越え、駐車場の自分の車に倒れこむように、シートに座り込む。

 携帯と財布を助手席に放りだし、車のキーを差し込もうとして自分の手が震えている事に気づく。

 息が乱れてるとか、疲れているとかじゃない。

 俺は怖いんだ。

 ミルがいなくなる事が、何よりも怖いんだ。


 「間に合え! 」


 自分に気合いを入れ、クラッチとブレーキを思いっきり踏んでエンジンをかける。間に合え!

 爆音を出して回転数を上げるエンジンに励まされるように、クラッチからアクセルを踏み込む。間に合え!





 車線が増えるたびに、幹線道路に入るたびに、交通量は増えていく。

 万年渋滞のポイントを避けて、勝手知ったる裏道をスピード違反承知で爆走していく。古いビルや民家の道を駆け抜け、摩天楼への入り口のような都市高速の高架下を走り抜け、とうとうオフィス街で通行止めに当たってしまった。

 すでに何十台もの車が止まり、クラクションが鳴り響いている。

 頭の中に響く不協和音と重なり、頭痛がおきそうだ。


 『さても、不便なものよな』

 「……っ! 」

 『油を爆発させ四つの輪を転がし走るとは、考えたものだ。だが、止まってしまってはただの鉄の箱』

 

 前方を確認しようと運転席から降りた途端、屋根に止まっていた『主様』から痛烈な批判を受けてしまう。


 『おう。後も数珠繋ぎに止まっていくな。これでは動かせまい。さてはて。どうするのか? 』

 「他人事みたいに」

 『さて、急がんと間に合わぬぞ』


 あれから何十分経っているだろう。腹が立つが、『主様』の言う事はハズレではない。

 思わず舌打ちして、携帯と財布を取り車道から歩道へと走り出す。

 車を置いていく俺を見て周りのドライバーから非難の声が出るけど、しょうがない。 

 待ってられない理由がある。後の事なんか考えてない。ただ、この不協和音が鳴っているうちはミルがいる。この世界にいる。

 それだけ信じて走るしかない。

 Yシャツに汗が滲むのが判る。サンダル履きでは、もどかしいぐらい走れないのが苛立つ。

 日頃運動なんかしてないのも後悔しながら、ビルの谷間を走りぬけるしかない。

 日陰のオフィス街を駆け抜け、騒動が大きくなっていているんだろうか。ビルから出てくる人々は、何か興奮するように話しながら一つの方向を指差す。不協和音の音源だ。

 もう、キツイ。でも、あと少し、ソコまであと少しだ。この坂を上りきれ!

 夏の続き。ミルと出会った、あの噴水広場だ。あそこが音源なのは間違いなさそうだ。

 このブロックを、忌々しいビルの区画を三つ越えたら、その大きな通りを越えた所に、ミルがいるはずだ。

 吐く息が切れ切れにのろくなった足を無理やり動かした俺をあざ笑うように、手の中で握り締めていた携帯が電子音をたてる。

 握り締めてた財布をズボンのポケットにねじ込み、携帯を開く。

 殆ど、早足状態の歩みだ。


 《もしもーし! おおーい》

 

 水野だ。

 

 「……今、走って、る……」


 もはや、歩いてる速さになってるけど。

 ネクタイを緩め、ビルに切り取られた細長い冬の空を見上げる。


 《交通止めだろ! 今、どこら辺だ? 》

 「キャッスル、ホテルと、さくら大通の、西の、交差点で、車捨てて、テレビ局の、ビルの前……」

 《えーっと……切るなよ。回線込んでて、ようやく繋がったんだからな。切らないでそのままにしとけよ。えーと》

 

 何かを調べているのだろうか。職員室のざわめきだろうか。幾人もの人の話し声が受話器越しに聞こえる。

 テレビ、つけろ。他のチャンネルも映せ。


 《あぁ……判った。その先の若宮大通、交通規制かかってる! 》

 「その向こうなんだよ! 」

 《ミルちゃん、そこなのか? 》

 「夏の続きだよ! 」


 水野の声に、少し元気がでる。

 あと少し。

 心臓が壊れてもいいから。肺が破れてもいいから。

 あと少し。

 耳に当てた携帯から、水野が何か言っている。

 あと少し。


 「俺の、銀行の、暗証番号……太宰治の誕生日だから! 」

 《はぁ?! 関口、何言ってるんだよ!》

 「パソコンの暗証番号、夏目漱石の誕生日! 」

 《おい!》

 「机の右上の引き出し、の、奥! 弁護士の名刺、入ってるから! 」

 

 あと少し。 上りきった坂の向こうへ。

 目の前の若宮大通に、人垣が出来上がっている。

 警察の拡声器の声が響き渡る。リアルに、これは現実なんだ。


 「あと、頼むから! 」

 《関口! 切るな! 電話、切るな! 》


 あと少し。

 ミルまで、あと少し。

 この世界にいるのも、あと少し。


 「まだ切らない。あと少しだけだから」


 この人垣を、越えなくては。

 黒山の人だかりを前に、俺は息を整える。

 俺の中の『エアシュティマス』。すんごい野郎なら、今すぐ俺に力を貸せ。

 お前の世界に帰ってやる。俺の体、少しだけ貸してやる。

 だから、その力を、貸せ!


 


 



 

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