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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 17 北風吹く先

 「年末年始でも、生活リズムは崩さない。手洗いうがいで、風邪予防。少しずつでも毎日勉強。休まず焦らず風邪引かず。いい年過ごせよ。以上! 」


 毎年恒例になった文句と共に、今年最後の補習を終える。

 伸びをするように立ち上がる生徒達の顔には、安堵感が漂っている。難関コースの生徒も、平凡コースの生徒達も、ほんの僅かな息抜きの年末年始を楽しみにしているのだろう。朗らかな笑い声が、チャイムと共に隣の教室からも聞こえる。


 「センセー、ばいばーい」

 「こういう時は「良いお年を」って挨拶」

 「ジジくさぁ」

 「親戚のおじちゃんにはそう言っとけ。お年玉倍増計画だ」

 

 一際明るい声を上げて笑う生徒達に助言すると、とびきりの笑顔で教室を飛び出していく。

 来年も、みんな元気に会えますように。

 そう願いながら、教室を去っていく生徒達に「学校閉めるから、忘れ物してくなよ」「車、気ぃつけろよ」と声をかけながら、戸締りをしていく。

 今日は部活はないし、最後に気になる生徒達の家に電話かけたりして、後は……家に帰るか。

 快晴となった冬の陽の中、温かくなった教室で大あくびをして黒板の源氏物語を消していく。

 結局、昨晩は寝れなかった。大好きな相手と、布団を並べて、手を繋いで、平常心で寝れる訳がない。窓に白い光が滲むまで、悶々としていた俺は、定刻に鳴り響く目覚まし時計にたたき起こされた。

 ミルの「いってらっしゃい」で送り出されるまで笑顔で通したものの、学校についてから気を抜くとアクビが止まらない。


 「ふあぁぁあ」


 ガラスに映るマヌケ顔の俺の目の下には、立派なクマが出来上がっている。それでも、ミルは嬉しそうだったからいいか。

 手を繋ぐ。

 視線が合う。

 それだけで、俺達は布団の中で笑いあった。視線で、沢山の想いを交わしたような気がした。手を繋いで、こんなにも満ち足りた気持ちになれるなんて。ゆっくりと目蓋が閉じていくミルの寝顔は、とても可愛かった。あぁ、やっぱり大好きだ。何度もそう思った。そう思って、悶々と苦しんだわけだけど。

 家に帰ったら、約束していた年末の大掃除をしよう。明日は、年末の買出しだ。

 注連縄に、松や千両を買おう。おせちも買おう。甘口のスパークリング・ワインも。ミルも一緒に飲めるといいな。それから、一緒に年越しソバ食べながら紅白見て。N響聞いて初詣行って。

 やりたい事は沢山ある。

 今までは、たった一人で過ごしてきた年末年始。二人だと、どう変るのだろう。

 今年のクリスマスは、大好きなミルと一緒にケーキを焼いて食べて過ごせた。ただ相手がいるだけで、何気ない事がとても楽しかった。何をしても楽しかった。

 一年の中で一家団欒や恋人同伴を強調される大嫌いだったこの時期が、今年は凄く楽しみだ。

 木枯らし吹く渡り廊下を施錠しながらも、鼻唄が出てしまう。

 

 「お疲れ様ーっす」

 「あぁ、関口先生。補習ご苦労様」

 「北館、渡り廊下も施錠しときました」

 

 教務に鍵束を渡して、机に座る。 

 前日までの仕事の資料が山積みだ。ある程度片付けないと、用務員の加藤さん「机が拭けない」って怒るだろうな。

 慌てて引き出しに入れだすと、聞き慣れた声が飛び込んできた。


 「関口センセー、一緒に昼飯どうっすか」

 「……なんで水野がここにいるんだよ」 

 

 和やかな陽だまりの応接セットに、アイスバーを咥えた水野が笑顔でソファに座っていた。

 

 「野球部の練習試合」

 「水野先輩と関口先生、お知り合いなんですか? 」

 「悪友」

 「親友でしょ、親友」

 

 新任の体育教師、栗山先生が初々しい顔に驚きの表情。世間は狭いもんだ。

 そっちこそ、知り合い? そう俺が聞く前に「高校の後輩」と水野はアイスバーを口から出して答える。

 確かに、部活してたんだろう。埃っぽいジャージを身に纏っている。が、十二月にアイスバー。アイス好きにも、程がある。


 「関口も食う? ガリガリくん」

 「食べない」

 「プレミアチョコ味だぜ」

 「俺はこっち。学生ん時から変らない味覚してるんだなぁ。年取ると冷えて大変だぞ」

 「まだ若いからいいんだよ」


 水野と栗山先生がバリバリとアイスバーを齧るのを横目に、マグカップにコーヒーを注いで応接セットへ向かう。

 

 「こっちにくるなら、一声かけてくれればいいのに」

 「急に決まってさ。しかも部活ラストの日。お前さぁ、もう少し余裕くれよな」

 「す、すみませんっす。あ、体育館の施錠しなきゃ。ごゆっくりー」


 水野の攻めに、栗山先生が逃げていく。その後姿を笑いながら見送る。

 

 「あいつ、大丈夫かよ」

 「それなりに。生徒にナメられてないし、指摘はよく聞いてるし。俺は二年の国語担当で、あんまり接点ないけど、いい人だよね」

 「まぁ、な。で、どうよ、どうよ。ミルちゃんとは上手く……」

 「その話題は、外にしてくれよ」


 以前、ミルが学校に来たと話した事を思い出したのだろう。

 水野は苦笑いをして、人様の学校の冷凍庫から新たなコンビニ袋を取り出して歩き出す。

 どことなく休み前で浮ついた職員室を出て、人気のない屋上へ向かう。

 マグカップのコーヒーだけが、湯気をさかんに出している。

 

 「あれからどうよ。動物園デートで愛を確かめ合った二人は、どうよ」

 「どうよって……進展はないよ」

 「ない? 何か話したんじゃねぇの? 」

 「いや、話はしたけどさ」


 古びた扉を開けると、緑のフェンスに囲まれた絶景が広がる。

 狭いグランドの向こうにそびえる、家の屋根の海。その彼方にそびえる、ターミナル駅の摩天楼。そびえるガラスの塔の数々が、冬の柔らかな日差しを乱反射して輝いている。


 「あの日、あそこを飛んだんだよな」

 「おう。今でも信じられない」

 「もう四ヶ月経ったんだよね」

 「だなぁ」


 緑のフェンスに寄りかかり、息を吹きかけながらコーヒーを啜る。水野は袋からソーダ味を取り出しながら、ぼんやりと頷いていた。

 

 「昨日さ、ミルが色々話してくれたんだよ」


 下校していく生徒達を見下ろしながら、ポツポツと話していく。

 ミルの家族の事。祖国が焼け野原になった事。俺のもう一組の両親の事。

 相槌も打たず、黙々とアイスバーを食べてる水野。名残惜しいのか、食べ終わってもアイスの棒を咥えたままだ。


 「やっぱりさ、俺を連れ戻しに来たらしい。俺、半分はミルの世界の人間だったらしいけど」

 「そんな事出来るんか」

 「あの白い鷹が運んできたらしい。俺はその辺りはよく憶えてないけど、確かに……空を飛んでく記憶や感覚はあるんだよ。あれが、ソレなら、本当なら、そうなんだろうけど」

 「あれがソレで、これがあれ、か」

 「茶化すなよ」

 「うん。まぁ、事実、関口の力って人間離れしてるもんなぁ」

 「はは。未確認能力だったっけ」

 「ソレソレ」


 夏の研修帰りにふざけながらの会話を思い出し、二人して笑いあう。

 あの時は笑っていた事が、こんな未来に繋がっていたなんて。想像もしていなかった。

 水野もそう思ったのか、アイスバーの棒を咥えたまま黙ってしまう。

 乾燥した北風が、何もない屋上を吹き荒れていく。年末に向かって浮かれ出した世間の雰囲気が、空気に溶けて伝染しているのかもしれない。帰宅していく生徒達のはしゃぎ声が、いつもより明るく甲高くリズミカルだ。そんな世間の中から出てしまったのか、俺達は屋上からの絶景をぼんやり眺めていた。

 

 「ミルちゃんの世界、行くのか」

 「……判んないよ」 

 「でも、ミルちゃんは全部話したんだろ? あとは関口が決めるんじゃね? 」

 「それはそうだけどさ。水野だったら、いきなり異世界に行けるか? 戦争してて、科学も進んでなさそな世界だぞ」

 「……でも、関口は魔法使いなんだろ」

 「だった。過去形。それにさ、魔法使いって言うより……唄使いとか精霊使いとか、呪術師って雰囲気じゃないか? ミルは言葉を知らないから魔法使いの単語を使ったけど」

 「そうだよなぁ。関口があんな服着て魔法使いってのは……想像するもおぞましい」

 「どういう想像してんだよ」

 「や、でもミルちゃんがあーんな露出度高い服着るのは歓迎かも……」

 「妄想やめろっ」

 

 とりあえず、アブナイ妄想を始めた水野を叩いて溜息。

 そう。俺の前の人格は魔法使いやっていたんだろう。ダショー何とかだったんだろう。でも、俺は、関口晴貴は違う。普通の成人男性で、公務員で、国語教師で。

 俺に魔法使いを求められても、困ってしまう。RPGのゲームに入っていくには、年を取ってしまった。いや、新しい環境に飛び込む勇気が、もうないんだ。ようやく掴んだ安定を失いたくないんだ。

 かといって、今のままではミルに対して中途半端になってしまう。

 この冬休みに答えを出すべきかもしれない。でも……。

 

 「行かないなら、ミルと別れる事になるし。一緒にいたいのなら、あっちの世界に還る事になるし……」

 

 俺が向こうに行けないように、ミルにはこの世界は居心地悪いかもしれない。


 「もし、もしも行くのなら、色々と整理して行きたいし。家とか整理して、退職して引継ぎして……やっぱり、そんなの出来ないかな……」

 「行くのも行かないのも、いいけどさ。とにかくオレの結婚式には出席してからにしろよ」

 「まだ何も決めてないし……でも、行くなら、水野の結婚式には出るよ」

 「おう。二次会のマジック、頼むぞ。山ちゃん、安西先生にも声かけたってさ。吉田先生と来るかも」

 「前代未聞のマジックを披露してしんぜよう。まかせろ」

 「あんま張り切るなよ。関口のマジックは本物なんだってば」

 「ははは」

 

 水野との軽口に、何度救われただろう。何度、絶望から救い出して貰っただろう。

 こうやって、何度もくじけそうな気持ちを救い出してもらった。孤独に耐えられた。

 そろそろ、ひとり立ちなのかな。ミルという人を見つけられたのだから。水野は伴侶を得て道を進んでいくのだから。

 俺達の道は、こうやって進んでいくんだろうか。

 互いに支えあった学生時代、独身時代から、こうやって伴侶を得て互いの声の届く所でレールを敷いて進んでいくんだろうか。

 俺の敷いていくレールは、何処へ延びていくんだろう。

 この北風が吹いている所だろうか。それとも、まだ感じた事のない風が吹く所なんだろうか。

 灰色の雲を風が突き飛ばした、晴れ渡った青い空を見上げていた。

 ずっと、ずっと。体が冷えるまで見上げていた。

 

 

 

 


 


 


 


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