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見下ろすループは青  作者: 木村薫
16/186

 16 願い

 遠くから救急車のサイレンが聞こえる。

 築四十年の家は、外の木枯らしの寒さも音も完全には塞げない。湯上りの体から急速に熱を奪っていく。まだ濡れた髪をタオルでガシガシとかき回しながら、灯りがついたリビングの扉をそっと開ける。ミルは、もう寝ただろうか。

 

 「あれ? まだ起きてるの? 」

 「あぁ、うん。その、みてた」


 基本、早寝早起きのミルが十一時過ぎまで起きてるのは珍しい。リビングの暖房もまだついたままで、その温かさにホッとすると同時に首を傾げる。

 「お茶を入れ直す」というミルの後姿を何気なく追いながら、ミルが座っていた椅子に座ってみる。視線の先には、隣の仏間。壁の本棚に置かれた両親のスナップ写真が見える。これを見てたんだろうか。


 「寝れなかった? 」

 「うん」

 「思い出してた? 」

 「なに? 」

 「家族の事。ミルの家族の事、思い出してた? 」


 驚いた顔のミルが、二つのカップを持って戻ってくるのを笑って迎える。

 本当に、ミルは何も言わない。言わないで、何かを抱えている。

 俺には、頼りなくて話せないのだろうか。辛すぎて、話せないのだろうか。いつか、何でも話してくれるようになるだろうか。


 「ミル、そういえば家族の事話してないよね」

 「なんで? 」

 「俺の家族の写真見て、何か考え込んでいたんじゃない? 最近、何か変だよ」

 「へん、ハルキ、いっしょ。さっきも」

 「さっきは、その、アレさ」

 

 やぶ蛇だった。


 「ミルのお父さんとお母さんって、どんな人なの? 」

 

 どうにか話の向きを変えよう。そう振った途端、ミルは小さく口元で笑った。


 「すこし。あまり、おぼえる、ない。わたし、しんでん、そだった」

 「しんでん……神殿? 神様を祭る、神殿? 」

 「わたし、クマリ、さいごの『大連(おおむらじ)


 先週聞いたような単語。半乾きの髪を思わずかき上げる。『大連(おおむらじ)』というのが、ミルの地位なのだろうか。


 「じゃあ、お父さんともお母さんとも、あんまり一緒じゃなかったの? 」

 「三つで、しんでん、いった。八つで、ぜんぶ、きえた」

 「……消えた? 」

 「しんだ。クマリ、なくなった。みんな、しんだ」

 「……そうか。ごめん」

 「ごめん、ちがう。わたし、ちゃんという」


 何て事を軽く聞こうとしたんだろう。そう思ってカップを持って立ち上がろうとした途端、ミルが手を押さえた。

 冷たい手に、青い石の指輪が光っていた。

 

 「ハルキ、しって。きいて。わたし、はなす」

 「ミル……辛かったら、無理しなくていいんだよ」

 「はなす。はなす、する」


 茶色交じりの青い瞳が、まっすぐに俺を射抜いた。心を摘まれたまま椅子に座り直した俺は、壮大な話を聞いてしまった。

 八つで、ミルの生まれた『クマリ』という国は滅んだ事。

 隣の『後李帝国』に攻め入られ、ミルが人質のようにいた神殿が治める国『聖エリドゥ法王国』に助けを求めたが、援軍すら出してもらえなかった事。

 僅かな家臣と神殿を抜け出し『クマリ』に着いた時には、全てが燃やされた後だった事。

 八つの女の子が、何が出来るのだろう。まだ大人に保護してもらう年齢じゃないか。

 大変だったね。辛かったね。

 そう声をかけても、楽になるのは自分の心だけだ。必死にその時間を生き抜きてきたミルに、何て言えばいい? 沈黙しかないじゃないか。

 カップを包んでいた俺の手は、ミルの手を包んでいた。

 ただ、心に触れられるよう。そう思って。


 「クマリついたとき、みた。そら、のぼる、ひかり。『主様』、ダショーのいのち、はこんだ。それ、ハルキ」

 「『主様』……あぁ、最初に会った白い鷹だね? あいつ、俺を地球へ運んだって事か」


 数ヶ月前からの記憶の欠片が、再び音を立てて組み合わさっていく。

 荒涼とした大地。灰色の薄暗く重たい空。空を駆け上がる感触。この記憶が、その時のものだろう。

 目を閉じて、その光景を思い出す。俺、一度、死にかけたんだ。それを助けてくれたんだ。

 あおの白い鷹が『忘れたのか』と驚いたのも、無理ないかも。


 「だから、ハルキ、おとうさんおかあさん、ふたりいる。クマリと、ここ」

 「ミルの世界での俺の両親かぁ。不思議な感じだな。ミルは、その俺の両親には会った事あったの? 」

 「おとうさん、ない。でも、はなし、きいた。おとうさん、かたなつくるひと。とても、とても、ちから、あった」


 ミルの目が、微笑む。

 ようやく、柔らかな表情をして見つめてきた。

 動物園で俺の両親の写真を見て「ちがう」と言ったミルは、この事を伝えたかったんだろう。

 両親は、もう一組いると。俺の為に死んだミルの世界の両親を、無視するなと。沢山の人が死んだという、その光景を忘れるなと。

 そんな無茶苦茶な話、簡単には信じられないのに。でもどうしてだろう。今の俺は素直に信じていっている。

 微かに残っていた記憶の欠片のせいだろうか。繋いでいるミルの温かさのせいだろうか。


 「おかあさん、さいご、わたし、みた。うつくしい、きれい、ひと。おなかのハルキ、『主様』にあずけた。なまえ、つけた。なにか、わかる? 」

 「ミルが看取ってくれたのか? 名前、つけてくれたのか? その……ミルの世界の、俺の母親? 」


 口にする単語、おかしくないだろうか。ミルの世界の俺の母親。俺の知らない、知らなかった母親。もう一人の母親。その人が、死ぬ間際につけた俺の名前はなんだろう。

 息を飲んだまま見つめる俺に、ミルは泣きそうな顔で微笑んだ。


 「ハル。ダショー・ハルンツの、ハル。こっちのなまえ、ハルキ。ハル、いっしょ。すごい」

 「……そう。そうか」


 こんなのは偶然だよ。

 そう言いそうになるのを、飲み込んだ。きっと、ミルはこの言葉を伝えたかったんだろう。この言葉を信じてきたんだろう。異世界にいった俺の名前にも『ハル』がついている偶然を、必然として信じていたいんだろう。だからこそ、ミル達を救ってくれると信じてきたんだろう。

 沢山の期待と希望。俺の名前を知ったミルの心に、どれだけの希望が生まれたんだろう。その後、俺がこの世界で足つけて生活している事を知って、どれだけ自分を責めたんだろう。どれだけ絶望して葛藤したんだろう。自分の世界と、俺の幸せと、一緒にいたいという思いと、引きちぎられそうになったんだろう。あの日、職員室で流した涙は重かったんだ。こんなにも想いや願いが詰まっていたんだ。

 押しつぶされそうな想いを、否定できない。とてつもない絶望を耐えるために信じてきた希望を、打ち砕けない。

 ミルが押しつぶされそうなら、俺もその絶望を背負おう。けど……。


 「じゃあ、俺は本当に、ダショー・ハルキなんだろうね」

 「うん」

 「少し、恥ずかしいけど」

 「ダショー、しんでんのぬし。『聖エリドゥ法王国』のおうさま。じしん、もつ」

 「いきなり凄い話なんだけど」 

 「うん」

 

 世界を救う勇者になんか、なれない。

 王様になんかにも、なれない。

 出来るのは、ミルの手を握る事だけ。

 そんな俺が、何を出来る?

 

 「ハルキ、あえてよかった。こっちのおや、ハルキそだててくれた。ありがとう、きもち、いっぱい」

 「俺も知らなかった。ミルの世界で、一度死にかけたんだな。両親が、いたんだな」

 「ハルキ……いきてて、ありがとう」


 ミルの瞳が、まっすぐに俺を射抜く。

 俺は、どうすればいい? 異世界に、行くのか? 何も知らない世界へ。ただ、ミルを想う気持ちはあるけど、それだけでトンデモナイ世界へ、行くのか?

 魔法が存在して、魔法使いがいて、四本足の動物も空を飛んでて、どうやら戦争してて、治安が悪そうで科学も進んでなさそうな場所へ?


 「びっくりした? おどろく、した? ハルキ、だいじょうぶ? 」

 「あぁ、うん。驚いたけど、大丈夫だよ」


 笑った顔が、僅かに遅れたのに気づかれただろうか。思わず顔を伏せて、ミルの手を離す。

 怖いんだ。恐ろしいんだ。自分がどうなるか、怖いんだよ。

 こんないい大人になって、知らない世界へ飛び込む事が、怖いんだよ。

 きっと今、人生の選択の崖っぷちに立っているんだ。その事が怖いんだよ。

 そんな事にビビる俺の顔を見せたくなくて、偽りの笑顔をのせた顔を上げる。

 ごめん、ミル。俺は怖いよ。


 「ねぇ……ハルキ。わたし、おねがい、ある」


 ミルの口から零れた『お願い』の言葉に、思わず体を固くする。まさか。


 「いっしょ、ねて。てをつなぐ、ねて。はなしたくない」

 「……は? 手を繋いだまま、寝たいの?! 」

 

 てっきり、一緒に私の世界に戻って欲しいと言われると思った俺は、口をぽかんと開けた。

 手を繋いだまま一緒に寝る……一緒に寝る?! 一緒に寝るって?!


 「おねがい……だめ? 」


 困ったように首を傾げるミルを見て、俺の体温が急上昇する。

 そ、そりゃ、寝たいよ。寝たいけど、手を繋いだままっていうリクエストの意味は、「手を出すな」という事でしょ。その、いや、明らかに未成年で、そーいう関係はいけないし。

 違う! 俺、何考えてる!

 でも男にそのリクエストは難題だろ!

 僅かな間で悶絶する俺を見て、ミルは俺の手をとった。


 「ハルキ、おおきいて、だいすき。やさしい、て。あったかい。きっと、ねれる」

 「そ、そっか。うん。じゃあ、手を繋いだまま、寝ようか」

 

 ミルに邪心はない。煩悩だらけは俺の頭だ。

 幼い子どもが、寝れない時に母親の温もりを求めるようなものだ。そう、そういうものだ。

 でも……今夜は寝れそうにない。


 

 

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