12 魂の履歴書
「『 その大地に一滴の血を零す事なく、命を絶てばよい。その魂は還る事なく、永遠の闇を彷徨うがよい。二度と光を見ることなく失せろ。劫火よ燃え上がれ! 焼き尽くせ! 』……違う、違う、違う、俺じゃない! これは俺じゃない! 『許さぬぞ。ナキアを穢した者を許さぬ! その男を父祖に持つ一族全て許さぬ! 白王家、エリドゥ王家、マリ王家もメロヴィン家も、その血族全てを許さぬぞ! 』……止めろ、止めろ、止めろ! 」
感情が爆発する。迸る呪いの言葉と共に、感じたことのない熱さが湧き上がる。見下ろす俺の手から、青い炎が燃え上がっている。
恐怖に身を竦めた途端、一瞬の隙をついて無意識から新しい怒りの感情が噴出した。同時、周りの空気が爆ぜる。何もない空中から、真っ赤な炎の固まりが飛び出す。空気の間から、真っ赤に燃えた髪の小人が、威嚇するように激しい踊りで飛び交っていく。
頬に熱を感じる。本物の炎。まるで漂っている可燃性のガスに引火したように、風が炎を纏ってうねる。テーブルの上のケーキが僅かに触れただけ炭化した。真っ黒な固まりが風に吹かれて崩れていく。
燃やされる……自分が出した炎で、全てを殺してしまう。背筋に流れる汗が凍りつく。体中が脈打つように震える。ダメだ、抑えられない。噴出す感情のまま、このまま燃やされてしまう。
「ハルキ! 」
僅かな衝撃。柔らかな香り。温かな感触。
「ハルキ、ハルキ! 」
繰り返される名前に、心が落ち着いていく。鼻先をくすぐる甘い微香が、噴出す感情へ大きく重い蓋をしていくように心が静まっていく。纏っていた青い炎が消えていく。炎を帯びた風が消えていく。
胸に飛び込んできたミルが、強く俺にしがみついていた。その事に気づいた途端、体中の筋肉が緩んでいく。緊張がほどけていく。先の恐ろしい負の感情が意識の底へと隠れていく。
「俺……俺、あれは、俺じゃなかった」
「わかる。あれは、ダショーのきおく。『始祖エアシュティマス』のきおく。もう、だいじょうぶ。あなたは、ハルキだから」
「ミル……ありがとう」
「そこ、すわる。やすむ」
あまりの脱力感で動けない俺の額の汗をそっと拭いながら、ミルはゆっくりと椅子へ座らせてくれる。
運の良いことに、周りに俺達以外の入園者もスタッフもいなかったようだ。ただ、異変を察知したのだろう。遠くからライオンの雄たけび、鳥類コーナーからけたたましい鳴き声が園内に響き渡る。真冬の午後、人気のない動物園に咆哮だけが響き渡る。
「誰も、見てなかったみたいだな。ラッキーだよ」
「……あぁ」
「お前、火事はいかんぞ」
「やりたくてやった訳じゃ、ない。もう……訳わからん」
テーブルの上のケーキとコーヒーは、残らず炭化してしまっていた。気を取り直した山口さんが、素早く売店へ駆けて行く。その後姿を追いながら荒い息を整える。横のミルも、荒い息で座り込む。よく見れば、胸の前で硬く祈るように組んでる両手が細かく震えている。
「なんかね。えらい動物達が騒いでるねぇ」
「ホント何でしょうね」
「地震でも、起きるんでないかね? 嬢ちゃん、早く帰りぃよ。私も寒いで帰りたいわ」
ゆっくりと奥から出てきたおばちゃんは、かなり勤労意識の薄い口調で熱々の肉まんとあんまんを包む。
何食わぬ顔で会話をし、シラをきって笑顔で戻ってきた山口さんは苦笑いをしていた。
「ばれてないよ。このケーキ、捨てとこ」
「ありがとう」
「でも、関口さんには驚かされっぱなしだよ。最初にミルちゃんを治した時も驚いたけどさ」
「今回は、俺も訳わかんない」
「でも、ミルちゃんは知ってるんだろ? 関口の暴走を止めたんだから。止めれたんだから」
水野の言葉には、強さがあった。責め立てる色があった。まっすぐ睨むような水野の視線を、ミルは正面から受け止めていた。
祈るように手を組んだまま、まっすぐに受け止めていた。
「まだ、聞いてないよな? 関口、お前はミルと話をしてないのか? 」
「……話って、なんだよ」
心臓が、さっきとは違う理由でリズムを変えた。ビートが早まる。耳元で脈打つ音がやかましい。繋いだ手に、再び汗が滲む。
「判ってるだろう? ミルがここに来た理由だよ。お前目掛けて来た理由だよ。関口と何の関係があるのか、聞いてないのか」
「だって言葉が」
「もう通じてるだろ。ミルちゃん、 もう話せるよな」
「水野! 」
聞かなくていい。そんなのは要らない。ただ、一緒にいたいだけだ。横で笑顔を見たいだけなんだ。ささやかな、俺の幸せなんだ。
「このままじゃ、マズイだろ。お前、今みたいな事学校でやったらどうなる? 人目がなかったから良かったけど、今回はたまたまだぞ。また同じように火を噴出してみろ。お前が大事にしている平凡が消えてなくなるぞ! 」
水野の言葉が突き刺さる。それは、判る。そうだけど、知りたくない事だってあるんだ。このままでいたいんだよ。
唇をかみ締めて、横のミルの横顔を見つめる。
どうしてだろう。どうして、俺はキミに恋してしまったんだろう。こんなに苦しいのに。矛盾を抱えなくちゃいけないのに。
怖くて苦しいのに、こんなに恋しいんだよ。
男でもビビるような水野の強い視線を受けていたミルの顔が、ふっと和らぐ。泣きそうな微笑みを浮かべて、ミルは俺を見つめた。
「すべて、はなす。だから、て、つないで」
「うん」
ミルの細く小さな手を、しっかりと握る。
どんな衝撃にも、耐えれますように。
ミルは、空を見上げて話し出した。
「ながい、ながい、はなし。むかしむかしの、おはなしです」
いつだったか、俺が読んであげた童話の冒頭を真似ながら、ミルは囁くように語りだした。
拙い日本語で語られる物語は、とても判りにくかった。それでも、ミルは伝わるまで懸命に言葉を紡いでいく。
ミルの世界には、御伽噺のように魔法が存在する事。魔法使いが英雄のように存在する事。ミルも、魔法使いである事。
話を進められるほど、頭の中が悲鳴を上げる。動物達の咆哮は、ますます激しくなる。
「それで、魔法使いがいる世界から、なんでコッチに来たの? 」
「……ハルキ、さがすから、きた」
「なんで関口なのさ? 」
「ダショー、だから」
水野の責めるような疑問に、ミルはまっすぐに答えていく。そして出た単語に、思わず眉間に皺を作ってしまう。その単語は、最初から大きな疑問だ。
思わず、握っていた手に力が入る。
「ダショーって、最初の頃から言っていた言葉だよね。それ、どういう意味なんだ? 」
「むずかしい……ダショーは、ダショー。う、ん」
首をかしげ、ミルは宙を睨む。猛回転で頭の中から単語を探しているのだろう。慎重に、口を開いていく。
「たいせつ、ひとつだけ、さいしょ、ぜんぶのうえ。ダショー、せかいつくった、ひと。さっきの『エアシュティマス』、ダショー」
「ダショーってのは、尊称かな」
「名前の前につけるヤツ? あぁ、それなら話が通る」
「じゃあ、『えあしゅてぃます』ってのは人名か。人の名前だね。魔法使いの名前かな」
俺の言葉に、カクカクと頷く。日本語を理解するのは、ほぼ出来るようだ。
「ちょっと待てよ。じゃあ、関口さんは異世界の偉い人? ミルちゃんの言うとおりなら、その『えあしゅ』なんとかって人の記憶が関口さんにある事になるよ? 関口さん、りっぱな地球人でしょ。何で異世界の人の記憶があるわけ? 」
「立派かどうかは疑わしいけど、そういう事だよな」
「そこでツッコムなよ。でも、だから俺、さっきみたいな事おきるのかな」
異界の言葉を喋ったり、唄を唄ったり、炎を噴出したり。どれも非常識な事だから、ここは常識を取っ払った方がよさそうだ。
「ダショー、さいしょのひと、きおく、おなじ。『エアシュティマス』きおく、こころ、おなじ」
「どういう事? 」
「『エアシュティマス』のきおく、『ハルンツ』うけとる。ダショー・『ハルンツ』、なる。つぎ、ダショー・『ラインハルト』。つぎ、ダショー・『コウエン』。つぎ、ダショー……」
「ちょっと待った! ダショーってのは、『エアシュティマス』の記憶を持つヤツの尊称なのか? そんなに『エアシュティマス』って奴の記憶を持っている人間がいるのか? 」
「そうじゃなくて……同じなんだ」
ざわり。
心の中が揺れる。ここ三ヶ月ほどで勝手に頭に湧き出る映像や感情に、ミルの拙い単語が引っかかる。
動揺を、口の中の生唾とともに飲み込む。
「俺が、『ハルンツ』なのか? 『ハルンツ』でもあって、『ラインハルト』でもあって『コウエン』でもあるって事か? 」
「何だよそれ」
「『エアシュティマス』ってのは、さっき火を出した最初の魔法使いだ。その記憶が俺の中にあるんだ。いきなり記憶が出てきて火を噴いたんだけど。そいつの記憶を持っているのが、ダショーって尊称をつけた『ハルンツ』で『ラインハルト』とか、色々。ただ、『エアシュティマス』以外の人間は全部同じ奴だ。名前が変わって体が変って、まるでどんどん生まれ変わっているけど、そいつは『ハルンツ』なんだよ。俺は、俺は関口晴貴って名前で、この意識を持っているけど、『ハルンツ』の……そうだ、魂が同じなんだ」
普通だったら、こんなアブナイことは言わない。自分がかなり荒唐無稽で恐ろしい事を言っているのは判っている。でも、三ヶ月で湧き出てきた映像のパズルが一気にはまっていく音を聞いた。
俺は、『エアシュティマス』の記憶を継いだ『ハルンツ』の魂を持っている。
何度も、何度も何度も生まれ変わって、膨大な記憶を抱えて、俺はここに生きている。
「土壁が崩れるのを見た。真っ赤な海に向かって、唄を唄ってた。それは何か夢のようで……これが『エアシュティマス』の記憶かな。だけど他の記憶は凄く生々しいんだ。感覚があるんだ。真っ白な入道雲を突き抜けて空を駆け下りてた。河の中で、誰かと手を繋いでいた。迷路のような細い裏路地を駆け巡っていた。砂浜に立って、真っ青な空を見上げてた。真っ暗な夜空に流れる灰色の雲も見上げてた。タイルの壁に囲まれた部屋で、水に手をつけて世界を覗いていた。その生々しい記憶の方は『ハルンツ』の魂が記憶していった思い出なんだ、多分」