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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 荷運び船頭・ラヴィは見た2

 陽がいつの間にか街の向こうへ傾きかけている。

 心も体も消耗しきって屋敷を出て、裏通りの船着き置場の影でテン兄を見た途端に膝から崩れてしまった。肌を撫でた河からの風で冷やされて、大汗をかいていた事に気づく。


 「上出来だ。よくやったな」


テン兄は満面の笑み。動けないオレの腕を動かして、器用に着替えを手伝ってくれる。体の周りにまとわりついた他人の服の臭いからようやく解放されて、深呼吸をしてしまう。


 「初めてのわりにはよくやってたよ。お蔭でこっちの仕事も無事に済んだし、万々歳だ」

 「……こっちの仕事って」

 「お前が行商人になって屋敷の者達をひきつけておいてくれたからな。その間に水瓶に細工をさせてもらったんだ」


 オレの懐から、その屋敷で行商人のフリをして朝鳴き鳥を売った代金、銀貨1枚を取り出してニヤリと笑った。

 裏庭で油壷を割り、明日の供物の朝鳴き鳥を猫に襲わせ、混乱の極みに陥らせたのは、オレが屋敷の者達をひきつける為。オレが訳も分からず行商人のフリをしている間に、ナニをしていたのだろう。

「銀貨一枚で売れるなんて、お前商売上手いなぁ」などと言いながら、まだ気絶した行商人の手の平に乗せる。


 「で、これはオレからの迷惑料だ」


 そう呟いて、テン兄は豆金貨も一枚、行商人の手に乗せて優しい手つきで握らせた。

 もう、訳が分からない。

 人様の商売モノを壊したり、殴ったり、屋敷に忍び込んで何かしたり。

 人懐っこい笑顔は、さっきみたいな優しい所は変わらないけど、オレの知らないテン兄が、とんでもない事している。とんでもなく荒っぽい事になってる。

 

 「そんな目で見るなよ。でもまぁ、色々説明しなきゃいけないな。オヤジさんにもさ。だから、そろそろ帰るか」


 なんでそこでオヤジが出てくるんだ。

 何か、色々と納得がいかない。色々と。





 陽は西へ 船は東へ 明日の支度さ さあ漕げや 風吹けや 

 ダショーの見守るこの河さ 廻る息吹や 吉兆あれや


 神殿への巡礼者を運ぶ船だろう、風に乗っていつもの唄が聞こえる。河渡しの船頭達は、夕方になればこの唄を巡礼者に請われるままに唄う。ご利益とか旅路の無事とかあるとかっていうけど。

 けどな。オレはダショーを知ってしまったからなぁ。ご利益あるとか思えない。

 夕焼けで橙色に照らされた水面を、何十艘もの小船が行き交う。いつもの光景の中で航路を取る自分の動きが、酷く不思議な感じだ。

 オレはさっき、行商人に化けてたんだよなぁ、とか。まだ耳に油壷が割れて猫と朝鳴き鳥の怒涛の悲鳴が聞こえる感じ、とか。

 そして、ちらつく不思議な男。

 だって、ただの兄ちゃんだぞ。しかも「干からびた瓜」。

 そりゃあ、目は青かったさ。でもヒョロリとした背にも、優男の面にも、威厳ってぇもんがないと思うね。

 なんでテン兄はあんな奴に従っているんだろう。躊躇いもなく人を気絶させて、泥棒まがいな事もして。

 そんなテン兄は嫌だ。大人になって人が変わったなんて、そーいうのもやだ。信じられないし、信じたくないし。

 

 「はぁ」


 でも、そんな事考えてる自分は酷く子供みたいだ。道端で喉が渇いて駄々をしているガキと同じじゃねぇか。

 テン兄に対する憧れと現実に、船を操る手も重くなる。風を受けて膨らむ帆を見て、いつものように操る舵が今日は重い。


 「色々話せれなかった事があるからさ、お前はオレの事を良いふうに見てるから納得出来ない事がたくさんあるだろうけど」

 

 帆を固定する綱を慣れた手つきで縛りながら、テン兄はオレの心の中を読んだかのように話し出す。


 「オレはあの方を信じてるんだ」

 「あの方って、あの髷が半端にしか結えない人? 」

 「お前まだ信じてないな。まぁ、そのほうが好都合だけど、そういう言い方はあの医僧と薬師の師範の前ではするなよ」


 オレとしては遠慮して「干からびた瓜」という表現はしなかったけど、テン兄は顔を顰めた。

 本気か、テン兄。信じてるのか?


 「優男に見えて、あの方は強い。とてつもなく恐ろしい。今はあの方を護衛できる立場で良かったと心底思う」

 「はぁ? 」

 「信じられなくてもいいさ。そのうちお前も実感するさ。見てろ、もうすぐ世界は変わるぞ。精霊が消えたこの都にも、歓喜の唄が響くはずだ」

 「明日は冬至の大祭だしな」

 「そうじゃない。本当に世界が変わる」


 赤みを帯びた陽の光に照らされたテン兄の横顔が真剣そのもので、「何言っちゃってるの」と言いかけた息を飲み込む。

 怖い程に、まっすぐに前を見据えて。

 船着き場へ急ぐ夕方の河の喧噪の、さらに遠くを見つめて。

 

 「共生者の動きも、国の勢いも、全て変わる。腐りきった世を、あの方は変えてしまう。ラヴィは、強さは力や金だけと思ってるだろうけど……いや、オレもそう思っていたが、違う」

 「何がさ。金と地位と力だろ。エライのは……」

 「圧倒的な力も必要だが、それを何に使うか。何の為に使うか、だ。あの方は、自分の為には使わない。どれだけ辛くとも、自分を信用する者に、自分が信じる事に己の力を惜しみなく身を挺して下さる。それほど恐ろしい事はない。自分の為ではなく、人の為にしか動かない。それも鋼のような強い意志で貫こうとする。その心を相手にしようとなど、オレは出来ん。自分の身を顧みない攻撃ほど恐ろしいものはない」


 テン兄の言う事はよく分からない。

 世界が変わるなんて事、あるんだろうか。

 精霊の歓喜の唄が響くなんて事、あるんだろうか。

 そんなの、昔話に出てくるエアシュティマス様とかじゃないか。

 

 「……」

 

 ゾワリ、腹の底が震えた。何気なく浮かんだ自分の連想に、深淵の神殿にある水神様の淵を覗いたような恐怖が湧き上がる。果てしなく透明で青い、底が見えないあの淵が漂わす雰囲気を思い出した。

 あの優男の兄ちゃんの青い瞳、どことなくあの淵に似ていなかっただろうか。

 いや、まさかそんな事、あるはずない。


 「まさか」

 「信じられなくていい。それがお前の身の為だよ」


 横顔を夕焼けで染めたまま、テン兄はそう言い黙ってしまった。

 まるで、これ以上真実を話さない為かのように。





 夕方、陽が沈む前に港に着き家に帰った。すでに一杯始まってたオヤジは、再び顔を見せたテン兄に大喜びした。話しだけを聞いていたお袋も、大喜びだった。

 まるで祝いの宴のように酒と肴を進められるのを丁重に断ったテン兄は、素早く話を打ち明けた。

 オレが信じられなかった全てを。ダショーが現れた事。深淵にいる姫宮を救い出したいが、時期尚早な事。それ以外、聞きなれない単語が連なる話。

 見る間にオヤジとお袋の顔が変わった。陽気な酔っ払いの雰囲気は消えた。

 

 「クマリは再興するのか。姫宮様はどうされるんだ? あの方は深淵にいるだろう」

 「その為の、今回の発起です。詳しく説明も出来ませんし、まだ準備の準備ですが、今回巻き込んでしまった以上は神殿に捕まる前にクマリへお越しください。まだ何の準備も出来てない土地ですが、命は保障されます」 

  

 そんなムチャクチャな言葉に、オヤジもお袋も大真面目に頷いた。目に涙まで浮かべている。

 それは嬉し涙なのか、無謀な申し出に対する哀しみの涙なのか。

 オレが信じられないのが、間違いなのか。これは、本当の事なのか。

 オヤジとお袋がクシャクシャの顔になって泣く所を見て、急に現実味に襲われる。

 どうしよう。これから、オレは、どうすればいいんだ。

 話し込む三人の後姿を、勝手口近くに蹲って眺めいた。まるで夢でも見てるかのようだ。

 どれだけぼんやりしていたのか分からない。

 ただ、気づいたらオヤジとお袋が慌ただしく家の中を片づけ始めていた。


 「ラヴィ、船にこの箪笥は乗せられるかしらねぇ」

 「デカすぎるだろ、ってお袋、どーすんだソレ、そのデカい長持」

 「持っていくに決まってるじゃないかい。私の大事な花嫁衣装が入ってんだから」


 あんた、また花嫁衣裳着てどーすんだよっ。

 皺とか腹肉とか、もう着れないのにソレどーすんだよっ。

 つーか、親父まで頷いてどーする。


 「これはなぁ、ラヴィの嫁さんに着せる約束でお祖母さんが作った衣装だからなぁ。ラヴィ、絶対船に乗せて持っていくぞ」

 

 あ、そういう、そういう事か。

 一瞬、お袋が花嫁衣裳をもう一度着るのかと恐ろしい想像をしてしまった。

 安堵して適当に頷いていると、横で肩を震わせているテン兄に気づく。


 「お前、今すげー想像してただろ」

 「うるさいっ」

 「いやぁ、全然お前変わってないなぁ」

 「うるさいなっ。頭触るなっ」

 「……ごめんな」


 唐突にまじめな声がして、見上げればテン兄が頭を下げていた。


 「こんな事に巻き込んでしまって、ごめんな。あのお方もラヴィを巻き込む事に気を使われていた。こういう事になるからだよなぁ」

 「あのお方って、干された瓜の」

 「その名で呼ぶなよ……っても、お前がさっき聞いた名は、この都ではまだ口にするな。どこに耳があるか分からんからな」

 「う、うん」

 「オヤジさんとお袋さんにも教えるなよ」

 「うん」

 「この数時間で目にした事、耳にした事は全て秘密だ。忘れろ。忘れたまま、クマリへ来い」

 「テン兄」


 クマリの事、何も覚えてないオレは分からない。でも、親父たちの嬉しそうな様子は分かる。

 クマリから逃げてきた大勢の人々も、親父たちのように故郷へ戻れる事を喜ぶのだろうか。だったら、テン兄は凄い仕事をしようとしているんじゃあないか。

 亡くなった国を作り上げる。故郷を蘇らせる。そんな夢みたいな事を、あの優男はしようとしているのだろうか。テン兄は、それを命かけて支えようとしているのか。

 どこか、体の奥底で震えるモノが生まれる。命を懸けてみようと思える事。そんな素敵な事が、そこにあるのか。


 「好いた娘がいたのなら……すまん。しばらくは会えん。だが、ほとぼりが冷めたら必ず安全に連れ出してやる」

 「そこは、大丈夫。好きな奴はまだいねぇよ」

 「それはそれで残念だな」

 「余計なお世話だ」

 「まぁ、いい」


 時間はまだあるのだから。

 そう囁いて笑ったテン兄はいつもの笑顔だった。

 そうして、幾ばかりの確認をオヤジをすると勝手口から出て行った。

 近くの安宿からの興奮した話し声と夕飯の煙が混じった闇に、テン兄の後姿はすぐに消えてしまう。

 

 「親父」


 服を詰めた行李を縛る親父とおふくろの後姿を見て、言葉を詰まらせた。

 オレもテン兄みたいに、命かける仕事をしてみたい。そう言ったら、どんな顔をするんだろう。

 腰を痛めた親父と、もともと体が弱いお袋を、支えなければいけないのだから。でも。


 「あのお方に、お会いできたか」

 「うん。優しい方だったよ」

 「そうかそうか。そりゃあ、よかった」

 「よかったねぇ、ラヴィ」

 「うん」


 強くて、恐ろしい、そして優しいお方。

 髷が結えない優男。

 親父とおふくろが、会った事もないのに信じるのなら。それなら、オレは。

 そっと心の中で決めた。

 それなら、オレも信じてみよう。この世界がきっと変わると。あの優男が変えてしまうと。

 全ては明日の朝に。

 


 


 


 





 

 

 明けましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。

 次回から本編に戻ります。1月22日 水曜日に更新予定です。

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