違和感
学校から麗の家までは少し距離がある。
結構な速度で自転車を飛ばしているからか、打ちつける雨も先程より強く感じられ、合羽越しでも多少痛い位だ。
国道を渡り街中に入ると住宅街になり、その中に、ほぼビルの様な5階建ての目立つ建物がある。そこが麗の家だ。オレはその地下駐車場に入り自転車を停めた。
一応、いつも麗が自転車を停めている場所を確認したが、見当たらない。
海外へ留学するってのに、朝一で自転車に乗って駅に向かってそこから空港へ行った?
荷物もあるだろうから普通なら車を出すよな? タクシーって手もある。
まして地元の山形空港からは東京、大阪、名古屋、札幌への国内便しかないはずだ。
なら、駅から始発の新幹線に乗って東京に向かった? いや、もしかしたら仙台空港から?
なら、その国際便はどこに飛ぶ?
何にしろここに自転車がないってことは、駅に置いてあるはずだよな。
いや、色々考えても仕方がない、まずは話を聞いてからだ。
玄関のベルを鳴らすと、少し間をおいてからインターホンが繋がった。
「こんにちは、䮼です。麗の事で少し話しを聞きたくて来ました」
「あっ……ごめんなさい、ちょっとだけ待ってもらってもいいかしら」
「はい、大丈夫です」
おばさんの様子がいつもと違う。一分程経過し返事がくる。
「待たせてしまってごめんなさいね、どうぞ入ってらして」
カチャっと電子ロックの外れる音。
「こんにちは、お邪魔します」
廊下奥にあるエレベータから、おばさん、麗の母親がパタパタと駆けてきた。
「䮼君、お久しぶりね、元気にしてた?」
「あ、はい、それなりにですかね」
「今日はお父さんが家にいるから、聞きたい事は直接話してもらうと助かるわ」
「分かりました。えっと、リビングですか?」
「ええ、一緒に行きましょ」
エレベーターに乗り3階へ。扉が開くとソファに座った麗の父親が居た。
「おじさん、ご無沙汰してます」
「やあ、いらっしゃい。何か心配かけたようですまないね、まあ座って」
「いえ、麗からは何も聞かされていなかったので、ちょっと驚きました、動転したというか。それに明日の土曜にも、また料理を作りに来てくれって言われてたので」
「……そうか。麗は……短期留学の為に今朝日本を発ったんだよ」
今の間は何だ? なんで苦しそうに話すんだ?
おじさんの独断で海外留学させたわけじゃないって事か?
「ええ、学校の先生もそう言ってました。で、何処にいつ頃までですか?」
「……ん? ……ああ、ドイツに建築の勉強をしに……ね」
あまり会話が届いてないような? 何かえらく憔悴している様な?
「駐車場に麗の自転車がなかったですけど、今朝は駅まで一人で?」
「……ああ、そうだね」
「おじさん、かなり顔色悪いですけど大丈夫ですか? どこか具合でも?」
ちょっと質問攻めになっていた所で、おばさんがコーヒーを淹れて持ってきてくれた。
おじさんはため息を一つ零し、コーヒーを口にする。
「予定はどのくらいの間ですか?」
「ん……ああ、短期だから少ししたら戻ってくる予定だよ。大丈夫」
大丈夫ってなんだ? 建築の勉強で留学して少ししたら戻る?
オレにだって言っている事がおかしな事ぐらいは判る。
「そうですか、なら戻ってきたらたっぷり現地の話を聞かせてもらわないとですね」
「あ、ああ、そうだね」
あまりにもいつもと様子が違う。
「あの、オレに何か出来るってわけじゃないですけど……何かありました?」
一瞬おじさんの体が反応したように見えた。
「い、いや、何もない。大丈夫、大丈夫だ」
そう言いながら、何度も左手で握った拳を右手で押さえる仕草を繰り返している。
視線はあちこち彷徨っていて落ち着きが無い。
不安、焦燥、怒り、緊張、抑制……そういった感情を持っている事が窺えた。
「わざわざ来てくれてすまないが、私はこれで席を外すよ」
「あ、はい、突然押しかけて来てすみませんでした」
「いや、君は麗の兄弟みたいなものだ、いつでも寄りなさい」
「はい、ありがとうございます。んじゃ、オレもこれで」
俺がソファから立ち上がると、おばさんも見送りに立った。
「それじゃあ、私は見送りしてくるわね」
エレベーター前まで移動した時に、電話が鳴った。
おじさんとおばさんがその音に過剰に反応し、電話に駆け寄るおじさん。
「じゃ、じゃあ、䮼君また。お母さん、後は頼む」
おばさんは頷くとオレと一緒にエレベーターに乗り、真剣な口調で電話を取るおじさんを後にした。
帰り際、何か伝えたげに何度もオレに手を伸ばすおばさん。
「あ、おばさん、麗は仙台空港から?」
「えっ!? え、ええ、そうね、そう言ってたわ」
「いいですねー、オレまだ飛行機って乗った事ないんで気になって」
「そうなのね。……あら、外は雨が強いわね。気を付けて帰ってね」
「ありがとうございます。んじゃ」
軽く会釈してその場を後にした。
今の出来事、会話を頭の中で思い出し、整理しながらまた合羽を着る。
駅に麗の自転車を探しに行こうと思ったが、それは後回しだ。
一刻も早く家に戻って、やらなければいけないことが出来たからだ。
一段と強まる雨の中、オレはまた自転車を飛ばした。
◇◇◇
「もしもし! ……はい、言われた通り学校周りには留学したと連絡しました。……もちろん指定された金額で……はい。……もちろん誰にも話していません! あのっ! むっ、娘は無事なんでしょうか!? 必ず、必ずお支払いしますので! どうか娘の命だけは!」
受話器を両手で持ち、慎重に受け答えをし、必死に娘の命を害する事だけはしないでくれと哀願する麗の父親。
受話器を置いたところで母親がリビングに戻ってくる。
「あなた……、麗は大丈夫……ですよね?」
「ああ……大丈夫、大丈夫だ。騒がずにお金さえ払えば、傷一つなく返すと言っていた」
沈痛な面持ちでソファに座り頭を垂れる二人。
「……大丈夫、……大丈夫」
祈りにも似た言葉を繰り返しながら。
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