急転
いつもの朝、6時に鳴る目覚まし時計。
カーテンを開けると、杢蔵山の頂から顔を出し始めた朝日が眩しい。
冷たく清々しい空気。いつもの朝。力強い朝。
……麗が学校に来なかった事以外は。
いつも通りの時間に家を出て、いつものルートで学校へ向かう。
国道の横断歩道も、いつものタイミングで信号待ち。
普段なら後ろから声を掛けてくる麗の姿が今日は見えない。
「寝坊か?」
珍しいというか、今まで寝坊や遅刻などした事がなかっただけに、少し心配になる。
昨日の帰りに食材の買い出しに行った際、大方、夕べの雨に打たれでもして風邪引いたか?
もしかしたら先に学校へ行ったのかもしれないし、とりあえず帰ったら連絡入れてみるか。
などと考えながら学校へ向かった。
ホームルームが始まり、先生が連絡事項を話している中、オレは窓の外を眺めていた。
うちの学校は工業高校という事もあって、機械科の実習棟に金属溶融炉を所有している。
その為、万が一火災が起きた場合に備え、市街地からは少し離れた山裾に位置しており、窓の外を眺めても空と山しか見えない。まあ、ボーッとするには丁度いいって事だ。
山側に灰色を強くした雲がかかってきている。午後からは強い雨が降りそうな雲行き。
「ああ、そうだ。建築科の絹路な、突然だが海外留学だとかで、今朝日本を発ったそうだ」
「えーっ! マジでー!?」
「さっすが金持ちーっ!」
「俺結構ショックなんだけどっ!」
ガヤガヤと煩くなる教室。
……なんだ? 朝から騒がしいな。
「親御さんから今朝電話があってな。家の事情って事で詳しい話はしてくれんかったが、先生みたいな安月給取りのサラリーマンには、お金持ちのやる事はよう分からんなぁ」
「先生大丈夫っ! 俺にも分かんねーから!」
「私はお金欲しいでーす!」
「天狗、お前、何か聞いてないか?」
……ん、オレ? 何の話だ?
「あ、すいません。ちょっとボーッとしてて聞いてませんでした」
「ん、絹路の海外留学の件について何か聞いてないかと思ってな」
……海外? 留学? 一体何の話だ?
脳内が混乱している間に、先生が再度説明してくれた。
「いや……聞いてねーし……。ってか、なんも言われてねぇ……ない、です」
「アマツよー、別にお前に断る必要なくねー?」
「え、旦那のつもりだった?」
クラスメイトは好き勝手言ってるが、オレの耳にはそんな雑音は一切入ってこない。
ホームルーム後、麗に電話を掛けてみたが、圏外で繋がらなかった。
家の事情ってなんだ? 今更英才教育でもないだろう?
そもそも麗のじいさんなら、好きにやらせるのが一番成長するっていうやり方のはずだ。
昨日だって、そんなこと何も言ってなかったし。明日、料理作りに行くことも本当に楽しみにしている様に見えた。
おじさんが強制的に決めたのか? おばさんは「お父さんの言う通りにしていれば間違いないのー」という性格だから反対もしないだろう。
何かの間違いかもしれないし、風邪で休んでいるだけかもしれない。
とにかく何が起きているのか、帰りに家に寄ってみるしかないな。
オレは夕方、学校終わりのチャイムが鳴ると同時に足早に教室を後にした。
外に出ると空一面に暗雲が広がっており、結構な雨を引き連れている。
いつも自転車のカゴに入れてある合羽を羽織り、麗の家に向かって漕ぎだそうとしたら、自転車小屋で雨宿りしていたクラスメイトがオレに声を掛けてきた。
「あっ! アマツ! 今朝は何か変な事言っちゃったりしてゴメン! そういうつもりじゃなかったというか、なんというか。その、ちょっと……ショックだったというかゴニョゴニョ……。とにかく気に障ったならゴメン! ホント悪気は無かったのっ!」
赤い髪色と同じカラーの石が入った小さい金色のピアスを付け、横の高い所で結んだポニーテールをブンと振って頭を下げ、勢いよく謝ってきた見た目ギャルな女子。
途中声が小さくなりゴニョゴニョしてたから、最初と最後しかハッキリ聞こえなかった。
「えーっと……」
突然の謝罪。見た目と言動のギャップに瞬時に名前が出て来ず、返答に詰まる。
「天南 さちこ!」
頭を下げたまま自分の名前を告げるクラスメイト。
「あ、うん。大丈夫、気にしてないよ天南さん」
「ってか、クラスメイトの名前忘れるとかヒドくない? テンでいいよ」
そう言って腰を折ったまま顔を上げ、笑顔でオレに顔を向ける。
角度的に突き出した形になったはち切れんばかりのワイシャツ。
どうしても胸元に視線が泳ぐのは勘弁してほしい。不可抗力だ。
そんなオレの様子に噴き出し、肩の力を抜いた天南さん。
「今から絹路さんの家に行くの?」
「うん、一応ね。幼い頃から兄弟同然に育って来た幼馴染だし、何も知らされないまま突然だったし」
「そっかー。でもいいね、幼馴染って響き。何かうらやまし」
「そうでもないよ。それなりに色々大変な事もあるし」
「そうなんだー、あたしなんかさー……」
「ゴメンっ! 今ちょっと急いでるから」
焦る気持ちから思わず言葉を遮ってしまった。
「あはは、大丈夫。雨強くなって来てるから気を付けてね」
ちょっとシュンとさせてしまったのか、乾き気味の笑いが混ざった。
「うん、ありがとう。じゃ! また明日、天南さん」
ペダルに足を乗せ、雨の中に飛び出そうとしたが重くて漕ぎ出せない。
何だ? と思って後ろを振り返ったら、天南さんが思いっきり荷台を掴んでいる。
「テ、ン!」
眉を寄せながら強めの口調でそう言い、少し頬を膨らます。
「……あ、はい」
「分かればよろしい。じゃ、褒美として、あたしに傘を貸す事を許す!」
「……えーっと?」
「ゴメン! 傘貸してくれない?」
両手を顔の前で合わせ、首を傾げて笑顔と共にウインクする。
「……あ、はい」
これは勝てないやつだ。カバンから折り畳み傘を取り出して天南さんに渡した。
「うわーマジありがとーっ! 助かったー! 月曜日に返すねっ!」
ブンブンと手を振って見送られる中、オレはペダルを踏み込んで雨の中へと飛び出した。
突然足止めをくらったが、麗に何が起きているのか、どういう事なのか確かめに行かないと。
◇◇◇
アマツに借りた傘を胸に抱き、隣の自転車の影に掛けてあったカラフルな花柄の透明な傘、お気に入りの自分の傘を手に取る。
多分、あたしは相当緩んだ顔してたのかもしれない。
「おっつーん! 何かなナニかなー今のは! サッチの好みってああいう感じかー?」
突然後ろから声を掛けられ、ビックリして振り返った。
「ひゃっ! って、アゲハ!? ちょっ、え? もしかして今の見てた!? どこら辺から!?」
「んー、サッチがアマツにめっちゃ胸突き出してアピールしてるとこら辺から? ってか、最初からそこに居たんだけど? あーしの存在めっちゃスルーされててウケたしー!」
「えぇーっ! ほぼ最初からじゃん!? うーっ恥ずかしいなぁーもう!」
友達の『夜乃 蝶羽』金髪ロングウェーブのツインテールで前髪はパッツン。とっても可愛い子。学科はインテリア科。
「で? もしかしてアマツに告ってた!? それともゴメンなさいしてた?」
「えっ! いやいやどっちも違うからね!? えっと、絹路さんが突然留学したとかでさ、幼馴染なのに何にも知らされてなかったからって、家まで事情を聞きに行くって言ってたよ」
「あー、言ってたねー留学だとか何とか。……サッチってアマツと仲良かったっけ? なんか珍しい組み合わせだなーって思ってさぁ。で、ホントは告ってたんじゃないの?」
「違う違うーっ! えーっと、あっほら、雨降りだから傘借りたんだよー!」
アマツから借りた黒の折り畳み傘を胸に、自分の傘を手にしてそう答えるあたしってバカ?
「……そっかそっかー! うんうん、サッチはカワイイねーっ!」
あえて何も聞かず、笑顔であたしをハグして頭を撫でるアゲハ。
色んな意味で顔から火が出そうになった。
あたしがアゲハを好きな理由は、こういう部分が大きい。
「あーしらも雨ヒドくなる前に帰った方が良さげじゃなーい?」
アゲハは真っ黒な傘に銀色の縁取りが入った大人な感じの傘を開いた。
あたしは借りた傘を無意識で胸に抱いたまま、自分の傘を開く。
空は暗く、強い雨を打ちつけてくる。
だが、傘を開き見上げると、空にカラフルな花が咲いた。
「さーて、んじゃ帰りますかー!」
雨足が強くなる中、あたしはピョンと軽くジャンプした。
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Side Story があります! 目次「 Side Story 」の章に掲載。
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