日常
瞼越しに射し込む柔らかい光が瞳孔を刺激し、世界が朝を迎えた事を知らせる。
まだ覚束ない思考と視界が、混濁した意識に飲まれそうになるが、脳裏にフィードバックされた強烈な「深紅」がそれを拒んだ。
「うわあぁぁーっ!!」
勢いよく跳ね起きたオレは、自身の尻尾を追い掛け回す犬の様に、慌てて周囲を確認した。
ここはっ!? オレの部屋でベッドの上!?
相当うなされていたのだろう、身体は寝汗でぐっしょりだ。
夢にしてはリアル過ぎた内容と映像に、吐きそうな程気持ちが悪い。
「今のは夢……だよな?」
夢の中で夢を見ると、現実を認識出来なくなる時がある。
夢の内容が嘘であってくれ、という意味も込めた疑問を一人呟く。
時計は朝の6時を回るところ。ベッドから降り、カーテンと窓を開けた。
部屋から見える杢蔵山の頂から、朝日が昇り始める。力強い朝だ。
空気を入れ替えると、冷たい澄んだ風が寝汗で湿った体を撫で、思わず身震いした。
「とりあえず、シャワー浴びるか」
オレ『天狗 䮼』は、中学2年の時に両親を交通事故で亡くし、今は一人暮らしの工業高校2年生。残してくれた貯金と死亡保険金のおかげで、贅沢をしなければ卒業まで生活もなんとかなる見込み。おかげで一番の特技は料理になってしまった。
「行ってきまーす!」
誰も居ないけど、家を出る際には必ず言う様にしているけじめ的な習慣。
自転車に乗って街中の大通りから国道に出る。
横断歩道で信号待ちをしていると、後ろから声が掛かる。
「りーん! おはよーっ!」
息を切らしながら自転車でオレの横に並ぶコイツ『絹路 麗』は、同い年の幼馴染だ。
「今日も早いねっ! 私なんてほんとギリギリまで寝てたからさぁ、朝はスープしか飲んでなくてー。もう既にお腹が減っているのだよー!」
「お前なぁ、しっかり寝るのは偉いけど、朝飯はちゃんと食わないとダメだぞ?」
一応主張はしているものの、控え目な胸元の成長が心配になり目線を下げる。
それに気が付いた麗は、意地悪な笑みを浮かべながら顔を少し傾け、オレが向けていた視界に割り込みケラケラ笑って茶化してくる。
「りんは朝からエッチだねぇー」
「ばっ! おまっ! オレはそんなつもりじゃ……!」
オレの慌てっぷりを見て笑うコイツに悪気は一切ない。
「ってかそれ、りんのお母さんの口癖じゃん」
麗とは物心ついた時から家族ぐるみの付き合いだ。
お互いのじいさんが昔からの大親友で、協力しながら今までを乗り越えて来たって聞いた。
麗のじいさんは、建築会社を興して一代で県内トップ企業にまで上り詰めた傑物。
オレのじいさんが他界した後も、両親が交通事故で亡くなった時には影ながら色々と面倒を見てくれた。今でも本当に感謝してる。
そんな話をしながら学校の駐輪場に自転車を停めた。
「あ、そうだっ! ねぇ、今度ウチに料理作りに来てよ!」
「えっ、いいのか? オレなんかが作った料理で」
「うちのお母さん褒めてたよー? 䮼君は料理上手ねぇって。ってか美味しかったし!」
以前、麗の家にお邪魔した時、せがまれて料理した事があった。
「んじゃ今週の土曜日ねっ! 必要な食材は私が買っておくから、後でメモ書いておいて! 放課後貰いに行くー!」
「えっ!? って明後日じゃん! オレやりたい事……」
「んじゃよろしくーっ!」
オレの予定などお構いなしで、あっという間に走り去って行ってしまった。
オレは電気科、麗は建築科。学科は違うけど建物の棟は一緒なので隣のクラスだ。
今日は食材のメモ書きであっと言う間に一日が過ぎた。
学校終わりのチャイムが鳴り、帰り支度を始めていると麗が教室に飛び込んで来てくる。
足踏みしながら小動物のように跳ね、両手を差し出す。
「メモ! メモ! メモ!」
食材リストのメモを早くよこせと要求する。
「えっ、お、おうっ」
若干顔を引き攣らせながらメモを取り出して手渡すと、シュタッと片手を上げてダッシュで消えて行った……。こりゃ土曜日は逃げられそうにもなさそうだ。
「ただいまー!」
晩飯、風呂をやっつけた後、寝るまでの間がやっとゆっくり出来る時間だ。
いつもと変わらない日常が終わろうとしている。
パソコンで適当にザッピングしながら休んでいたら、一瞬、脳裏に蘇る強烈な「深紅」に、背中に寒い物が走った。こんな夜は早目に寝るに限る。
また変な夢、見ませんように。
次の日、麗は学校に来なかった。
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