黒き葉茎と白き土
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へえ〜、これでインフルエンザにかかった人、4人目だってさ。
ここ数年、あまりインフルの被害とか聞いたことなかったのに……やっぱ、マスクに手洗いうがいが励行されていたからかな?
平常運転に戻りかけるや、こういう状態になるとは、実はみんな普段は手を洗ったりしていなかったり? それともインフルそのものが、免疫を潜り抜けるような進歩をしてきたのかな?
門外漢は勝手に想像するしかないね、そのあたり。結果論で判断するしかないもん。
実際に起きていることから、受け取るよりない。それが外部からできる最終的なことであることは、今も昔も変わりないのかもしれないね。
僕の聞いた昔ばなしなんだけど、耳へ入れてみない?
むかしむかし。
とある田畑に芽吹いた作物のひとつが、家人たちの目に留まった。
葉をたっぷりつけた大根たち。彼らが揃って植わる土の合間に、明らかに形の違う葉たちがまぎれこんでいたんだ。
季節は間引きどきでもあり、もとより色の変わった大根たちは引っこ抜く腹積もりだった。その中にあって、彼らはあまりに姿勢が良すぎたんだ。
周囲の緑から薄紫までの種々な色をたたえる大根たちの中にあって、人の子供に匹敵する高さの葉を真っすぐ伸ばし。しかも、その全身がほぼ黒色に染まっているときている。
植物の黒など、元からそうでないなら、焦げや腐敗以外を思い浮かべるのは難しい。よからぬものと思うのは無理からぬものだ。
家のものは、間引く大根たちもろとも、その黒い葉も取り除きにかかるが、その性質もまた大根の葉とはかけ離れている。
固くて、すべすべしている。単純ながらも、この点に置いて他の大根相手に、一線も、二線も画しているといってよかった。
なにせ、じかに握って抜こうとしても、手のひらの方が参ってしまう。
表面が赤くなり、それを通り越して白になり、さらには破れ出た血によって赤に戻っても、突き立つそれを満足に引くことはできなかった。
滑り止めに気を配った手袋を何枚も重ね、ようやくその葉は全容を見せるにあたる。いや、ここまでのものを見せられて、まだ葉と思う者は少数になってはいたが。
いざ地中から引き抜いてみると、物体は葉とも根ともつかない形をしている。
左右に張り出す突起は七支刀もかくやという枝刃がついていたからだ。
そう、刃。抜くのに握った中心部より、なお細く鋭いその部分は、本物の刀に劣らぬきらめきと切れ味を帯びていた。
全長およそ三尺。それより先はふつりと切れて、身のひとつもくっついていない。それが畑全体で十数本も出てきたとなれば、皆が首を傾げていくだろう。
しかも、これは一家の畑のみにとどまらない。
別に家の畑でも、規模に差こそあれ、同じようなものが掘り出されたんだ。
いたずらにしてはあまりに大規模。そして短時間にすぎる。
たとえ一晩をかけたにしても、この百本以上に及ぶ奇妙な黒い葉らしきものを、こうも埋め込むことができるのだろうか。誰にも気づかれないまま。
仕事にさえ時間を食うだろうに、一本抜くのに非常に難儀するほどの埋め込み方も徹底した上でだ。
日を置いても、ちらほらと同じことが起こる。
夜通し、熱心に畑を張る者もいたのだが、その視線のスキ、意識のスキをついて、あの黒い葉と茎が姿を見せてくるんだ。
誰かが差して回っているんじゃない。天から降ってくるような気配もない。
地面だ。わずか間隙も縫うことができるくらい瞬時に、地面からシュッと顔をのぞかせる。
そうしているとしか、思えないはびこりようだったんだ。やたら土にしがみつくしぶとさも、元から植わっていたのであれば、まあ分からなくもない。
しかし、このようなものは耕した際には見つからなかったのは、誰もが知っている。
クワを使っての掘り返しは、思っていたよりも深部まで土の様子を探り、邪魔になりそうなものはあらかじめのけてしまっている。
それでいて、誰も気づかなかったとはよほどの深くに埋まっていたものなのだろうか。
いぶかしく思いながらも、この黒い葉と茎は姿を見せるたびに、人々が力を振るって抜いていくことを繰り返しながら、やがて大根の収穫時期を迎える。
そのときの大根もまた、奇妙な様子を見せた。
本来、白みがかった姿を見せる、大きな根の部分がことごとく茶色く染まっている。
いや、厳密にははじめからそうなっていたのではない。
引き抜くその時までは、例年と変わらない姿だったんだ。それが地面と完全に物別れをしてしまう前に、周りの土が「すいっと」根にくっついてきたんだ。
絵の具に染まった水に浸した布が、水ごと色をたちまち吸い取ってしまうように。
大根は土から離れる際に、その世話になっていた土気色をことごとく、その身へ移してしまったんだ。
残るはまっ茶色に汚れきった大根。代わりに、畑にあるまじき白さを残す地面たちばかり。色だけ見れば、例年の立場がすっかりあべこべになってしまったわけだ。
そして、去年までと今年で大きく異なる点は、間違いなくあの黒みを帯びた葉と茎の生えてきていたこと。
そう悟った面々は、すぐさま村の蔵へ向かおうとした。
これまで回収したあの茎たちは、いずれもそこへ保管されていたからだ。処分の方法を決めあぐねていたこともある。
しかし、留守を任されていた子供たちは、その時を目にした。
大根がすっかり掘り起こされて、残された白い土。それらへひとりでに、無数のすり鉢状の陥没が生まれていくのを。
たちまち現れた無数の穴のふちは、あちらこちらで身を寄せ合い、気が付いたときには畑全体で大きなひとつの穴を成してしまう。
深くえぐられた穴の内側へ、さらさらと白くなった土たちがこぼれ落ちていくのも、ほんのわずかな間だけ。
やがてそれらは穴の底から噴き出した茶色い水によって身を染め上げ、元来の色を取り戻していく。
色が元通りになるや、その陥没もまた巻き戻るかのようにふくらみ、閉じていき、親たちが帰ってきたときにはもう、一部始終が終わっていた。
親たちは目をぱちくりさせる。畑の様子と、子供たちから聞いたことももちろんだが、厳重に保管されていたはずの黒い茎たちもまた、姿を消していたのだから。
ただ確かなのは、翌年以降におっかなびっくりながらも植えられた野菜たちは、いずれも豊かな実りを見せたということ。
ひょっとしたら、あの黒い茎たちは地面にとっての毒や細菌に値するものたちだったのかもと、僕は思っている。
そうして足りない部分を、長く植わっていた大根たちへ託して、自分たちは血を入れ替えたかのように、本来の力を取り戻す。
免疫かつ自己修復機能のあらわれだったのかもしれない、とね。